狼魔人日記

沖縄在住の沖縄県民の視点で綴る政治、経済、歴史、文化、随想、提言、創作等。 何でも思いついた事を記録する。

WBC決勝進出! 次は優勝だ!

2006-03-19 17:27:18 | 県知事選
イチローが吼えた、そして走った。

松中がヘッドスライディングをした、そして福留が韓国の驕りを打ち砕いた。

燃える日本チームの前に敵はいなかった。

「疑惑の審判」の出る幕は無かった。

アメリカはカナダ、メキシコを格下と侮った。

・・が、彼等にも敗退し、世界はおろか「アメリカ大陸内」でも最下位の屈辱を味合わされた。

西暦2006年、日本流の「ヤキュウ」は米国流の「ベースボール」を凌駕した。




         ◇         ◇         ◇


◆米国敗退で、アジア野球のレベルの高さを認識=米紙
2006年3月19日(日) 15時19分 スポーツナビ

 ワールドベースボールクラシック(WBC)2次リーグ・メキシコ戦でまさかの敗戦を喫し、姿を消した米国。野球大国の敗退は、米国内で大きな波紋を呼んでいる。

 ニューヨーク地元紙『ニューヨーク・ポスト』は18日(現地時間)、ベースボールは「もはやアメリカだけのゲームではない」とし、野球の国際化を伝えた。

 アレックス・ロドリゲスやチッパー・ジョーンズらメジャーの強打者をそろえた米国は大会前、優勝候補の筆頭に挙げられていた。しかし、17得点を挙げた南アフリカ戦を除く5試合で、わずか16得点と貧打にあえいだことが最大の敗因となり、開催国が2次リーグで姿を消した。

 同紙は、日本と韓国の強さに基本に忠実なプレーを挙げ、試合前に何度も繰り返し基礎を練習していたことを紹介するとともに、パワーも兼ね備えているとアジア野球のレベルの高さに注目。米国が立ち向かうには早めに集合し、合宿をするなどして真剣に調整する必要があると指摘した。

 野球の国際化を強くアピールする目的を持つ今大会で、その実力を見せることなく敗退した米国。今後も米国内でさまざまな議論を呼びそうである。

-Kotaro Okada-

[ 3月19日 16時15分 更新 ]
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野球はもはや米国のものではない

2006-03-19 09:02:23 | 県知事選
子供達にとって野球選手は何時の世でもヒーローだった。

古くは赤バット、青バットの川上、大下そして長島、王。

最近ではゴジラにイチロー。

これが野球の本場アメリカでは如何だろう。

野球のヒーローは偶像となり伝説にさえなる。

ベーブルースと病床の少年の逸話は太平洋を越えて日本の少年にも伝わる。

手術を受ける勇気を持てない少年に憧れのベーブルースがホームランを約束する。

約束通り試合にホームランを打って少年は自分も勇気を貰い手術を受ける。

そう、メジャーリーグは日本の人気野球漫画『巨人の星』でも「大リーグボール」として日本の少年達の夢にも生きていた。

が、何時の頃かからか、アメリカンヒーローには汚れたイメージが纏わり付き始める。

憧れのマクガイヤーやボンズは薬物に塗れ、サミー・ソーサはバットに仕掛けをした。

輝けるアメリカンヒーローは薄汚い落ちた偶像に成り果てた。


◆「米国は自分が開いたパーティに参加できなくなった。もはや、野球はアメリカのものでは無い」とニューヨーク・ポスト紙は伝える。

第一回ワールド・ベースボール・クラシックはルールも組み合わせ抽選も、全てアメリカの主導で行われた。 正にアメリカ主催のパーティである。

パーティの主役はアメリカで無ければならなかった。

が、主役はベストフォーにも残れなかった。

WBCは第一回だけで終了だと言う話さえ伝わる。

「ワールド・ベースボール・クラシック」の日本語訳が新聞等にも無い、と言うコメントをyambaruqueennaさんから頂いた。

試に「クラシック」を辞書検索してみた。

「クラシック」には、日本人が知る「古典」というイメージの他に、

「伝統的な」, 「由緒深い」、「規範的な」といった意味の他に(スポーツの)「伝統的行事」, 「由緒ある試合」といった意味がある。
(話)「すごい, 最高におもしろい」という意味もある。

「クラシック」という言葉には、地に落ちた本場の野球をベーブ・ルースやタイカップ、ルー・ゲーリックの時代の「規範的な」野球に戻したい、というアメリカの良心が込められていたような気がする。

そのアメリカで3時間後、日韓が決勝進出を賭けて激突する。


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◆河北新報 河北春秋 2006年03月19日日曜日


 米国には一本の精神的支柱があった。フェアネス(公平)。フェアかどうか、ことあるごとに問う。ハリウッド映画の名作を見よ。ありとあらゆる不公正や差別を糾弾してきたからこそ、国や人種を超え、不朽であり続ける▼伝来のフェアネスが近ごろ怪しい。野球のワールド・ベースボール・クラシックを見よ。世界一をフェアに決めるべき大会なのに、審判は米国人だけ。米国の命運のかかる対日本戦と対メキシコ戦で“誤審”が続いた

 ▼2度も続くと、ミスとは思えない。確信犯的身びいき? 自国の勝利のためなら、堂々と誤審を犯す蛮勇をふるったのかもしれない。それでもホスト国の米はベスト4に進めなかった。米のいら立ちを垣間見る▼たかが野球というなかれ。米国は野球で精神を培ってきた国でもある。球界のフェアネスがか細くなったとしたら、他の分野でも必ずやそうなっている

 ▼イラク戦争を見よ。開戦の大義だった大量破壊兵器は見つからなかった。単独行動主義は失敗した。フェアな審判のいない場で米が暴走したに等しい▼開戦から3年。内戦の危機続くイラクを見よ。民間人3万の命がアンフェアに奪われた。その悲嘆を忘れてはなるまい。せめて誤審と同じ程度の関心と憤りを戦争の演出者に向けなければ、フェアではない。



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