♪ 山には山の 愁いあり
海には海の 悲しみや
ましてこころの 花ぞのに
咲しあざみの 花ならば ♪
伊藤久男が歌う「あざみの歌」の一節である。
大自然にも夫々の感情がある。
ましてや人の心に咲くあざみの花には・・
と歌った昭和24年に発表された名曲である。
沖縄の普天間基地移設問題。
沖縄地元に在住していてもわかり難い。
住宅密集地に隣接する普天間基地を一日も早く移設して欲しい。
これは紛れも無く沖縄の民意であろう。
が、それを何処へ、・・となると問題は簡単ではない。
複雑に交差した「沖縄の民意」が入り乱れている。
♪ 知事には知事の 民意あり、
市長には市長の 思惑が
まして利権の花園に
咲きし補助金の 花ならば ♪
時をさかのぼって、問題を整理しよう。
95年9月、沖縄で起きた米海兵隊員による少女暴行事件が起きた。
それを機に反基地感情が高まり、日米両国政府は在日米軍施設の整理・統合・縮小を協議する機関として同年11月、日米特別行動委員会(SACO)を設置された。
普天間飛行場の返還は96年4月、橋本龍太郎首相(当時)と駐日米大使の間で合意、施設の一部の返還などを盛り込んだ最終報告をまとめた。
SACO最終報告に「十分な代替施設」の建設を前提とした5~7年以内の返還が明記された。
代替施設は02年7月、同県名護市辺野古岬沖に埋め立て工法による滑走路2000メートルの規模で建設する計画が決まった。
建設費3300億円、9年半の工期が見込まれていたが、反対派の運動などにより着工は頓挫した。
2005年10月29日、辺野古沖埋め立てを諦めた日米両政府は普天間基地の移設先をキャンプシュワブ沿岸部とすることで合意、発表した。
従来の辺野古沖案は現地での座り込み、海上阻止行動があり、そして今回の沿岸案も各「民意」が反対している。
◆「一昨日の日曜日(27日)テレビ朝日の「サンデープロジェクト」に沖縄の「民意」を伝えるべく沖縄選出の下地幹郎・衆議院議員(自民党→無所属)が出演した。
司会の田原総一郎が例の如く問題を二者択一にして質問した。
田原:
「(代替施設が)陸に近いほど現地にお金は落ちない。 海に出るほど工事費は掛かるので現地に金が落ちる。 さー、下地さん、沖縄現地の民意は如何なんですか」
下地:
「沖縄の民意ははっきりしています。 基地が1センチたりとも海側に出るのは反対です」
田原:
「へー、以外ですね。 工事費の掛かる海側に出るのに何故反対なのか」
下地:
「それは・・・珊瑚などの環境破壊やジュゴンの・・・」
そこで、石破前防衛庁長官が口を挟んだ。
「いや、それは違います。 私は何度も地元の人たちと会い意見を聞きましたが、沖縄の民意は海側に出るのを望んでいます」
田原:
「それでは下地さんの言う民意はウソなのですか」
石破:
「いや、それはそれで一つの民意です。 民主主義政治で選ばれた議員は一つの民意を背負っていますから」
市街地に隣接する普天間基地が危険を含んでいるのは沖縄国際大学米軍ヘリ墜落事故でも明白だ。
事故後、沖縄県を訪問したラムズフェルド国防長官が市街地の真ん中にある普天間飛行場を上空から視察。
「こんな所で事故が起きない方が不思議だ」と指摘した程だ。
当然普天間住民の民意は「一日も早く市街地以外の場所への移設」だ。
県民の民意を反映するはずの県知事、現地名護市の民意を背負う市長、そして今回の沿岸案に関わる名護市具志区、豊原区、辺野古区の各区長が主張する民意。
皆夫々微妙にずれて「反対」を唱える。
それを煽る地元メディアの民意。
地元メディアは「声無き声」の民意を熱く語る。
メディアと同じ意見は、例え一人でも「声無き声」として取り上げる。(3月27日金口木舌 参照)
が、意見を異にする「民意」は例えそれが多くとも「声なき声」として無視される。
◇ ◇ ◇
★3月13日「日本の民意 岩国の民意」(http://blog.goo.ne.jp/taezaki160925/d/20060313)
◆あ ざ み の 歌
作詩 横井 弘 作曲 八洲秀章
昭和24年
1 山には山の 愁いあり
海には海の 悲しみや
ましてこころの 花ぞのに
咲しあざみの 花ならば
2 高嶺の百合の それよりも
秘めたる夢を ひとすじに
くれない燃ゆる その姿
あざみに深き わが想い
3 いとしき花よ 汝はあざみ
こころの花よ 汝はあざみ
さだめの径は はてなくも
香れよせめて わが胸に
◆琉球新報 金口木舌(3/27 9:43)
毎週土曜日の夕方、名護市辺野古のキャンプ・シュワブ前を通ると、ろうそくの光を手に、普天間飛行場の移設反対をアピールする人々を見掛ける
▼小さな子どもや飼い犬も連れた家族らで、一昨年11月から行動を続ける。同基地前で3月5日の沿岸案反対県民大会への参加を呼び掛けた男性は、今も時折、たった一人でプラカードを手に基地前に立ち続ける
▼キャンプ・ハンセンの都市型戦闘訓練施設の建設と訓練に反対する伊芸区住民は、約500日近く早朝の基地前集会を続けた。北部支社に勤務した3年間、米軍基地前に立ち続ける人々を見てきた
▼それはおそらく、戦後60年以上、沖縄の各地で続いてきた光景だろう。土地を基地に奪われ、あるいは実弾演習の中止を訴え、事件や事故に抗議し、県民は基地の前に立ち続けた
▼サイレントマジョリティーという言葉がある。大勢の「声なき声」という意味だ。県民は決して黙することなく、声を張り上げ抗議してきたが、日米政府の壁は厚い
▼「首相や防衛庁長官は、やがて忘れるだろう。われわれは、基地とともに住み続けなければならない」。普天間移設問題で揺れる地元住民の声だ。そこに基地がある限り、そこに住む人々は基地の前に立ち、声を上げ続ける。
海には海の 悲しみや
ましてこころの 花ぞのに
咲しあざみの 花ならば ♪
伊藤久男が歌う「あざみの歌」の一節である。
大自然にも夫々の感情がある。
ましてや人の心に咲くあざみの花には・・
と歌った昭和24年に発表された名曲である。
沖縄の普天間基地移設問題。
沖縄地元に在住していてもわかり難い。
住宅密集地に隣接する普天間基地を一日も早く移設して欲しい。
これは紛れも無く沖縄の民意であろう。
が、それを何処へ、・・となると問題は簡単ではない。
複雑に交差した「沖縄の民意」が入り乱れている。
♪ 知事には知事の 民意あり、
市長には市長の 思惑が
まして利権の花園に
咲きし補助金の 花ならば ♪
時をさかのぼって、問題を整理しよう。
95年9月、沖縄で起きた米海兵隊員による少女暴行事件が起きた。
それを機に反基地感情が高まり、日米両国政府は在日米軍施設の整理・統合・縮小を協議する機関として同年11月、日米特別行動委員会(SACO)を設置された。
普天間飛行場の返還は96年4月、橋本龍太郎首相(当時)と駐日米大使の間で合意、施設の一部の返還などを盛り込んだ最終報告をまとめた。
SACO最終報告に「十分な代替施設」の建設を前提とした5~7年以内の返還が明記された。
代替施設は02年7月、同県名護市辺野古岬沖に埋め立て工法による滑走路2000メートルの規模で建設する計画が決まった。
建設費3300億円、9年半の工期が見込まれていたが、反対派の運動などにより着工は頓挫した。
2005年10月29日、辺野古沖埋め立てを諦めた日米両政府は普天間基地の移設先をキャンプシュワブ沿岸部とすることで合意、発表した。
従来の辺野古沖案は現地での座り込み、海上阻止行動があり、そして今回の沿岸案も各「民意」が反対している。
◆「一昨日の日曜日(27日)テレビ朝日の「サンデープロジェクト」に沖縄の「民意」を伝えるべく沖縄選出の下地幹郎・衆議院議員(自民党→無所属)が出演した。
司会の田原総一郎が例の如く問題を二者択一にして質問した。
田原:
「(代替施設が)陸に近いほど現地にお金は落ちない。 海に出るほど工事費は掛かるので現地に金が落ちる。 さー、下地さん、沖縄現地の民意は如何なんですか」
下地:
「沖縄の民意ははっきりしています。 基地が1センチたりとも海側に出るのは反対です」
田原:
「へー、以外ですね。 工事費の掛かる海側に出るのに何故反対なのか」
下地:
「それは・・・珊瑚などの環境破壊やジュゴンの・・・」
そこで、石破前防衛庁長官が口を挟んだ。
「いや、それは違います。 私は何度も地元の人たちと会い意見を聞きましたが、沖縄の民意は海側に出るのを望んでいます」
田原:
「それでは下地さんの言う民意はウソなのですか」
石破:
「いや、それはそれで一つの民意です。 民主主義政治で選ばれた議員は一つの民意を背負っていますから」
市街地に隣接する普天間基地が危険を含んでいるのは沖縄国際大学米軍ヘリ墜落事故でも明白だ。
事故後、沖縄県を訪問したラムズフェルド国防長官が市街地の真ん中にある普天間飛行場を上空から視察。
「こんな所で事故が起きない方が不思議だ」と指摘した程だ。
当然普天間住民の民意は「一日も早く市街地以外の場所への移設」だ。
県民の民意を反映するはずの県知事、現地名護市の民意を背負う市長、そして今回の沿岸案に関わる名護市具志区、豊原区、辺野古区の各区長が主張する民意。
皆夫々微妙にずれて「反対」を唱える。
それを煽る地元メディアの民意。
地元メディアは「声無き声」の民意を熱く語る。
メディアと同じ意見は、例え一人でも「声無き声」として取り上げる。(3月27日金口木舌 参照)
が、意見を異にする「民意」は例えそれが多くとも「声なき声」として無視される。
◇ ◇ ◇
★3月13日「日本の民意 岩国の民意」(http://blog.goo.ne.jp/taezaki160925/d/20060313)
◆あ ざ み の 歌
作詩 横井 弘 作曲 八洲秀章
昭和24年
1 山には山の 愁いあり
海には海の 悲しみや
ましてこころの 花ぞのに
咲しあざみの 花ならば
2 高嶺の百合の それよりも
秘めたる夢を ひとすじに
くれない燃ゆる その姿
あざみに深き わが想い
3 いとしき花よ 汝はあざみ
こころの花よ 汝はあざみ
さだめの径は はてなくも
香れよせめて わが胸に
◆琉球新報 金口木舌(3/27 9:43)
毎週土曜日の夕方、名護市辺野古のキャンプ・シュワブ前を通ると、ろうそくの光を手に、普天間飛行場の移設反対をアピールする人々を見掛ける
▼小さな子どもや飼い犬も連れた家族らで、一昨年11月から行動を続ける。同基地前で3月5日の沿岸案反対県民大会への参加を呼び掛けた男性は、今も時折、たった一人でプラカードを手に基地前に立ち続ける
▼キャンプ・ハンセンの都市型戦闘訓練施設の建設と訓練に反対する伊芸区住民は、約500日近く早朝の基地前集会を続けた。北部支社に勤務した3年間、米軍基地前に立ち続ける人々を見てきた
▼それはおそらく、戦後60年以上、沖縄の各地で続いてきた光景だろう。土地を基地に奪われ、あるいは実弾演習の中止を訴え、事件や事故に抗議し、県民は基地の前に立ち続けた
▼サイレントマジョリティーという言葉がある。大勢の「声なき声」という意味だ。県民は決して黙することなく、声を張り上げ抗議してきたが、日米政府の壁は厚い
▼「首相や防衛庁長官は、やがて忘れるだろう。われわれは、基地とともに住み続けなければならない」。普天間移設問題で揺れる地元住民の声だ。そこに基地がある限り、そこに住む人々は基地の前に立ち、声を上げ続ける。