
全国5紙のコラムで今日までにこの問題を取り上げたのは3紙。
昨日(14日)読売はいち早く「編集手帳」でこの問題を、取り上げた。
が、早すぎたのか消化不良の感を否(いな)めない。
今朝は毎日と産経が「余禄」と「産経抄」で夫々「誤審」を取り上げた。
毎日はホームタウンデシジョン(身内ヒイキ判定)と評し、この大会が「米国が勝つまでやる大会」の疑惑を持たれてはミもフタも無い、と厳しい。
産経はよっぽど腹に据えかねたのか、怒りをためこんだ表現で次のような書き出しで始まる。
≪あまりに腹が立って、きのうは罵詈(ばり)雑言書き連ねそうで、小欄に取り上げるのは一日延ばした。≫
◇ ◇ ◇
スポーツ新聞は絶好の話題にWBC取材班の署名記事が多い。
その中から拾い読みで、関係者の発言を記録してみる。
≪14日の日刊スポーツは「王ジャパン、アメリカに“判定”負け…準決勝でリベンジだ!」の見出しで王監督の発言を載せている。
★世界の王が5分間の猛抗議。だが再び判定が覆ることはなかった。
「一番近くで見てる審判のジャッジを変えるということは、私は日本で長年野球をやってきて、見たことがありません。野球がスタートした国でこういうことがあってはならない」
「世界中の人が見ているのに。アメリカのためにもならんよ」と怒気を強めた。
だが、指揮官は帰り際、不可解な屈辱より、野球大国・米国を追いつめた戦いの内容に重きを置いた。
「もうその(審判の)話は横に置いておこうよ。アメリカとの真剣勝負の中でよくやった。イチロー、松井(秀)が、活躍するという環境に今、日本があるということをアピールできた」
「韓国、メキシコに勝ってもう一回アメリカとやろう!」
日頃から温厚で紳士的な王監督としては精一杯の抗議であったのだろう。
その王監督に中日監督時代、熱血のあまり拳を突き出した星野仙一も現場球場で観戦していた。
この緊迫の場面で「燃える男」はどのような発言をしていたのか。
≪★現地で観戦した阪神・星野仙一SD
「球審に権限があるなら、二塁塁審がセーフと判定した瞬間に『いや! アウトだ』と言わなければいけない。米国の抗議でなぜ変わるのか。残念を通り越して情けない。これからは第3国の審判がやらないと」
★「残念を通り越して情けない。会見で(王監督とイチローの)2人の顔を見たら、涙が出た。審判の権限以前の問題や」
「完ぺきにセーフ。俺が日本人だから言っているのではない。野球人として言っている」。熱くなったSDの怒りは収まらない。
「世界大会でマイナーの審判はおかしいし、第三国が審判をやるべき」と運営方法も批判。
(会見では通訳が王監督やイチローの発言の一部を省略したのに対し)
「『野球発祥の国』とか『全員が納得していない』という部分を訳さなかったようだ。
世界のメディアに伝えるのだから、しっかり訳さないと」。(デイリースポーツ)≫
嘗て闘将と言われた熱血漢は何もかも腹立たしかったようだ。
◆今、こうしてパソコンを打っている側でテレビが日本対メキシコ戦の開会の模様を中継している。
件の燃える男が画面で中継の問いに答えていた。
「現場で見て誤審をどう思いますか」という問いに、
「同じ指揮官の経験者として王監督の気持ちを思うと涙が出る」
「貴方が指揮官だったら球審を殴っていましたか」の問いには、
「・・いや、殴っちゃいけませんよ。でも、私なら退場ギリギリの抗議のパーフォーマンスをしていましたヨ」
ム.ム・・・流石は燃える男、星野。
冷静な王監督に燃える星野仙一。
日本の野球は指揮官でも既にアメリカを凌駕している。
たかが野球ではない。
やっぱり野球なのだ。
◇ ◇ ◇
◆読売新聞 3月14日付・編集手帳
「野球石器時代」という言葉を教えてくれたのは、淡路島を舞台にした阿久悠さんの長編小説「瀬戸内少年野球団」(文芸春秋)である◆国民学校の3年生で終戦を迎えた主人公の少年、竜太は手づくりの用具で野球に明け暮れた。綿入れの軍手のようなグラブがあった。霜焼けの手にグルグル巻きの包帯をしたようなミットがあった◆「原始人が石を削り、石を磨いて斧(おの)をつくったように道具の発見から彼らの野球は始まったのだ」と。すばらしい用具が何でもそろう海の向こうの野球王国を遠い日に仰ぎ見た石器世代の少年たちは、きのうのテレビ中継に格別の感慨をもって見入ったことだろう◆スター選手を集めた王国の面々が予期せぬ劣勢に青ざめる。野球の国・地域別対抗戦「ワールド・ベースボール・クラシック」(WBC)で、日本は勝利にあと一歩のところまで米国を追いつめた◆日本の勝ち越し点が微妙な判定で幻に終わる後味の悪さも残したが、リーグ戦はつづく。すっきりした形の勝利を米国に許さなかった、その自信を胸に次の試合に臨んでほしい◆世界の頂上で活躍する選手たちがまなじり決して力と技を競う姿は、いまの子供たちにも何ごとかを語りかけるだろう。野球石器世代が胸にともした情熱の灯を受け継ぐ少年が、ひとりでも増えてくれることを。
(2006年3月14日1時31分 読売新聞)
◆産経新聞 産経抄 (2006年3月15日)
あまりに腹が立って、きのうは罵詈(ばり)雑言書き連ねそうで、小欄に取り上げるのは一日延ばした。いうまでもない。ワールド・ベースボール・クラシック(WBC)の日本対米国戦のことだ。
▼岩村のフライをレフトが捕球したタイミングとタッチアップした三塁走者、西岡の離塁のどちらが早かったのか。繰り返し放映されたビデオ映像を見れば、誰の目にも明らかだ。微妙な判定どころではない。本当に「ホームタウンデシジョン(身内びいきの判定)」はなかったのか。
▼平成九年にディミュロ帰国問題というのがあった。セ・リーグが招いた米国人審判が、ストライクの判定をめぐって、中日の選手に胸をつかれコーチに囲まれて、「身の危険」を感じたことが決定的な要因といわれた。
▼「日本は審判の権威を認めない」「大リーグに五十年遅れている」。あのときプロ野球の後進性を言い立てた識者も、お手本とすべき本場の審判の判定によって、王監督が頭を抱える姿は想定外だったろう。
▼二組八チームで争う二次リーグで、同一グループの一位、二位で準決勝を行うのも不自然だ。米国が別グループの強豪ドミニカ共和国やプエルトリコとの対戦を避けた、との推測は説得力がある。少なくとも大会運営に、映画「フィールド・オブ・ドリームス」で、繰り返し語られた米国人の野球への崇高な愛が感じられない。
▼それにしても「(王監督が)納得しなければ、ぼくはグラウンドに戻る気はなかった」と指揮官の猛抗議をあくまで支える姿勢をみせたイチローはさすがだ。やられたらやりかえせ、の大リーグに生きる男の強さをみた。WBCのうさんくささを察知して不参加を決めたのだとしたら、松井はもっとすごいけれど。
◆毎日新聞 余禄 2006年3月15日 0時08分
誤審
「29対4」は、1896年に横浜公園で行われた日本野球史上初の本格的な“日米対決”のスコアだ。間違っては困るが29点あげたのが日本側である。対戦したのは東京の第一高等学校と、横浜のアマチュア米国人チームだった▲よほどくやしかったのか米国側は、その後寄航中の米艦隊から選手を補充して再戦、再々戦を申し入れた。が、一高は大差で3連勝する。とうとう元大リーガーの補充に成功した米国側はその独立記念日に満を持して4度目の試合に挑んだ▲結果は元プロの活躍により、米国が14対12で一高を降した。すると今度は一高が再戦を申し込んでも、米国側は一向に受け入れようとしない。いわば勝ち逃げである。ただこのシリーズ、横浜のゲームでは米国人が、東京では日本人が審判をつとめたが、トラブルは記録されていない▲それから110年、国別の実力世界一を競うWBCで実現した日米激突は、1点を争う好ゲームにあって、「誤審」が勝負の流れを決める残念な結果になった。米国人審判の不可解な判定がホームタウデシジョン(身内びいき)の疑惑を招いたのは、すべての大会関係者にとっての不幸だ▲もともと米大リーグ機構と選手会とで進められたWBC構想である。米国における興行としての成功が重視され、各国から審判を出し合って基準を統一するような手間はかけられなかった事情もあろう。だが各国ファンから「米国が勝つまでやる大会」と思われてはミもフタもない▲横浜での日米対決の昔から、国別対抗試合は野球ファンの夢だ。曲がりなりにも実現した野球世界一決定戦の夢は何とか次につなげたい。さしあたり王ジャパンには2次リーグを勝ち抜き、最後の決着を気持ちよいものにしてほしい。
