狼魔人日記

沖縄在住の沖縄県民の視点で綴る政治、経済、歴史、文化、随想、提言、創作等。 何でも思いついた事を記録する。

沖縄北部ドライブ

2006-03-26 19:18:27 | 未分類
昨日の日曜日(25日)、春うららの陽気につられて名護路をドライブしてきた。

往路は春うららが家路につく4時過ぎには暑い位のバカ陽気に変わっていた。

行方定めぬ小さな旅には実は前回(14日)同様、密かな目的があった。

先日、友人から今帰仁土産に貰った新種のミカンを買うのががネライだった。

ヤンバル名産のシークワーサーとタンカンの掛け合わせ新種「サンセットクイーン」。

柑橘類シークワーサーとタンカンの良い面を受け継いだようだ。

シークワーサーは香りが良いが甘味ではタンカンに劣る。

タンカンは甘いが皮を剥くのに苦労する。

サンセットクイーンはとにかく甘くて美味しい。香りもよい。

が、何よりもタンカンのように皮を剥くのに苦労をしない。

でも「サンセットクイーン」というネーミングは気取りすぎて覚えにくい。

勝手にネーミングさせてもらうと、タンカンのイメージ・太陽のサンはそのまま使わしてもらい、シークワーサーのシーと海のシーをかけて「サンシー柑(カン)」。

呼びやすいし、これで決まり! 

因みに「道の駅」での値段はタンカンが100グラム280円なのに対して、「サンシーカン」は100グラム500円だった。

名護の旧市街がシャッター店舗が目立ち人影が少ないのに対し、周辺地区の発展は目覚しい。

各コンビニの勢ぞろいに加えて、ジャスコ、マックスバリュー、サンエー、メイクマン、サクモト、青山と殆どの大型店が出店している。

名護から本部に向かう伊豆見街道は観光客目当ての店が軒を連ねている。

山間に喫茶店があると云うので看板につられて横道に入って見た。

山の中は喫茶店だらけになっていた。

通る車も人影も無い山の中にあっちにも喫茶店、こっちにも喫茶店。

伊豆見街道は沖縄ソバ屋と喫茶店の激戦地と見た。

許田の道の駅は相変わらず観光客で大賑わいだった。


         ◇         ◇         ◇


◆琉球新報  (3/7 10:33)

給食の新顔大人気 サンセットクイーン

生産量が少なく、なかなか味わうことのできない果物サンセットクイーンが、学校給食のデザートとして児童・生徒の人気を集めた。給食のメニューには3、4年ほど前から中部地区の小学校を中心に取り入れられ始めた。1月初旬から2月下旬までの“旬の味”として児童や生徒たちに提供された。
 サンセットクイーンは、タンカンとクガニーを掛け合わせて作られ、県内では名護市中山で7年ほど前から生産されている。年間千数百トンが出荷されるタンカンやシークヮーサーに対し、サンセットクイーンの生産量は年間10トン程度。サンセットクイーンを取り扱う青果店によると、収穫までの手入れに手間がかかることや、生育地を選ぶ品種であることで、大量生産は難しいという。
 今季は、那覇市内の小学校からも多くの注文が寄せられ、需要に対応できなかった。給食センターなどに納入する青果類を専門に扱う比嘉青果(沖縄市)では、生産量を増やしてもらうよう今後、農家に働き掛けていくことにしている。
 比嘉青果の比嘉昭さん(50)は「タンカンには食べ飽きた、という子どもたちから別のミカンを望む声が上がっていると聞き、新しいものを探してきた。皮がむきやすいことも人気の一因のようだ」と話している。
 那覇市の開南小学校(新川純子校長)ではことし、デザートとして3回サンセットクイーンが登場。屋宜宣彦君(1年)は「酸っぱくて種がいっぱい入っていた。すっぱいところがおいしい」と話していた。




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自ら死を選ぶ自由

2006-03-26 10:25:15 | 年金・老人・身辺雑感
「暗い日曜日」という絶望的に暗いシャンソンがあった。

この歌を聴いて何人もの人が自殺したという。

昨日のバカ陽気とは打って変わって、どんより曇った空からポツリポツリ陰気な滴りが降り始めた。

豪快な土砂降りよりポタポタ雨のほうが気がめいる。

このような日には「暗い日曜日」は放送禁止か。

雨に釣られて暗い話題を・・・。

自らの命を絶とうとする人を見たら誰でも必死でその行為を止めるだろう。

積極的にせよ消極的にせよ人の命を絶つのを手伝う事は死刑執行人以外には認められるものではない。

人は例え「尊厳死」であったとしても、自らの命を絶つことは許されないのだろうか。

暗い日曜日・・・。


                 *


富山県の高岡商業が沖縄代表八重山商工に負けた翌日の25日、富山県射水市で時ならぬ大騒動が起きた。 

負けた富山代表高岡商業へのブーイングではない。

大量「安楽死」事件が「昆布消費量日本一」の県を揺るがした。

人口約9万5000人、富山湾岸から2・5キロのところにある、普段は静かな市民病院に全国の注目が大騒ぎとなった。

外科部長を務めていた50歳のベテラン外科医が、重症患者7人の人工呼吸器を外して“安楽死”させていた疑惑が浮上したのだ。

院長が25日、緊急会見を開きこの疑惑の存在を認めた。

死亡したのは50―90代の男女7人で、末期がん患者が多かったという。

人間を意図的に死なせることは、通常は殺人などの罪に当たる。

ただ医療現場で、厳格な条件の下意味のない延命治療をやめることなどは、認められるべきだという意見も当然ある。

射水市民病院の場合は、薬剤投与などによる「積極的安楽死」ではなく、延命治療を中止する「消極的安楽死」に当たるとみられる。

消極的な安楽死のケースでは、司法判断は家族による「本人の意思の推定」でも可能との考えも示している。

射水市民病院の担当医師は病院側に「家族の同意はあった」と話しているという。

もし自分が末期がん患者で、

(1)耐え難いほどの苦痛があり
(2)死が迫っており
(3)苦痛除去などの医療行為を全て尽くした

・・・このような症状にあり、しかも苦痛や意思の明示が出来ない状況の場合どうするか。

仮に家族の同意を得るとしても、患者本人の意思をどこまで反映出来るのかは深刻な問題である。

担当医師との信頼関係も重要なポイントと考えるが・・・。

因みに、「問題の医師」は、「10年前から診断を受けているが、患者の話をよく聴いてくれる良い先生」或いは「手術の説明が丁寧で優しい先生。自宅まで訪れる患者がいるほど評判が良かった」と、患者には大変評判が良い。

真相は警察が捜査中で目下藪の中。

人生の終末を迎えて、果たして人は死ぬ自由をもてるのか。


                   *


◆(2006年3月26日1時50分 読売新聞)

富山の病院延命中止、院長「倫理上問題」


外科部長が人工呼吸器を取り外した問題で記者会見する麻野井英次・射水市民病院長 富山県射水(いみず)市の射水市民病院で、入院患者7人の延命措置が中止され、死亡していた問題で、麻野井英次院長は25日、記者会見し、外科部長(50)の判断で回復の見込みがないとして人工呼吸器が外されていたことを明らかにした。

 院長は〈1〉患者の意思が不明確なうえ、家族の同意も口頭で得ただけ〈2〉病院や他の医師らにも相談していない――などから、「倫理上問題がある」としている。

 院長によると、7人は富山県の50~90歳代の男性4人と女性3人で、2000年~05年に意識不明に陥り、死亡した。このうち05年に死亡した7人目について、外科部長は自分の手で呼吸器を外したことを認めた。

 麻野井院長は「『積極的な安楽死』ではなく、広い意味での『消極的安楽死』で、医師の立場からすれば、『延命治療の中止措置』の範疇(はんちゅう)に入ると思う」と話している。同病院には延命措置の中止に関するルールがなく、他の外科医は外科部長の判断を黙認していたという。

 富山県警は25日、「関係者から事情聴取を行い、慎重に捜査を進めている」とのコメントを出した。

 問題は、昨年10月に発覚。病院はカルテなどを調べるとともに、新湊署に届けた。

 「消極的安楽死」を巡っては、北海道羽幌町の道立羽幌病院で2004年2月、当時勤務していた女性医師が男性患者(当時90歳)の人工呼吸器を外して死亡させたとして、道警が05年5月、殺人容疑で旭川地検に書類送検している。



◆河北春秋 2006年03月26日日曜日

友としたいのはどんな人物か。永遠のテーマに吉田兼好が答えている。「よき友三つあり。一つには物くるる友。二つには医師(くすし)。三つには智恵ある友」(『徒然草』第117段)▼年を取るととりわけ二つ目が欲しくなる。健康は夢幻。遅かれ早かれ、人は病にむしばまれる。よき医師にそばにいてほしいと願いたくなる。たとえ不治だとしても、穏やかにみとってくれるだけでいい

 ▼富山県射水(いみず)市の市民病院でがん患者ら7人が外科医に人工呼吸器を取り外され、不自然に死亡したことが分かった。外科医は「尊厳死」と説明している。病院側は「安楽死」の疑いを持ち、警察に届け出た▼仮に自分が末期がん患者だったなら…こういう医師でも友としたい。助かる見込みはないらしい。尊厳死を待つのもつらい。下手な医師なら余計苦しむ。「どうか先生、お願い」となる

 ▼仮に患者の家族だとしたら…こんな医師を恨むだろう。医療は最善だったか。死に同意したのは一時の迷い、緩和ケアを受けていれば、もっと穏やかな死を迎えられたかもしれない。悔いは消えない▼安楽死は死なせること。尊厳死は本人が選ぶこと。今回は尊厳死とは言いにくい。さぞかし悩んだだろう外科医に同情しつつも、二つの死がいまだ混同される医療現場の後進性にぞっとする。




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