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戦後教育を受けたも者の胸のうちには本人の意識するしないに関わらず、共和制国家への仄かなかな憧れが埋め込まれている。
その共和制国家がいかなる物かの実像も摑まないままに。
*
最近ケーブルテレビで敗戦直後に作られた古い日本映画をよく見る。
ストーリー構成が云々ではなくその当時の映画に写る町並みや商店、看板等が時代を表していて興味深い。
それよりもっと興味を引くのは登場人物の会話だ。
戦争中の軍国主義の桎梏から解放された喜びが役の上とは言え登場する若者の口から弾んで飛び交っている。
今ではほぼ死語になりかかっているが「封建的」と言う表現が古い世代の親や町の顔役等に遠慮なく浴びせかけられる。
言論の自由が認められた喜びを謳歌するように普通の若者の会話にも会議調の「異議なし」「断固反対」「賛成」等が頻繁に飛び出す。
戦後4年目に創られた『青い山脈』(昭和24)は、同名の主題歌が映画の封切りを待たず、藤山一郎と奈良光枝のデュエットで爆発的にヒットし街中に流れた。
映画は、古く封建的な考えの残る地方の女学校に赴任してきた新任の女教師が、「封建的」な町の封建勢力と対決せざるをえなくなり、共鳴する教師や生徒たちの協力を得て古い考えの旧体制に立ち向かっていく話。
まさに古い上着を脱いで新しい時代の到来を喜びで迎えると言ったその時代を象徴する映画だった。
その当時の若者の弾む意気込みが詩人西条八十の歌詞の中に溢れている。
青い山脈
作詞:西條八十
作曲:服部良一
唄:藤山一郎・奈良光枝
1 若くあかるい 歌声に
雪崩(なだれ)は消える 花も咲く
青い山脈 雪割桜(ゆきわりざくら)
空のはて
今日もわれらの 夢を呼ぶ
2 古い上衣(うわぎ)よ さようなら
さみしい夢よ さようなら
青い山脈 バラ色雲へ
あこがれの
旅の乙女に 鳥も啼く
3 雨にぬれてる 焼けあとの
名も無い花も ふり仰ぐ
青い山脈 かがやく嶺の
なつかしさ
見れば涙が またにじむ
4 父も夢見た 母も見た
旅路のはての その涯の
青い山脈 みどりの谷へ
旅をゆく
若いわれらに 鐘が鳴る
*
戦後民主主義教育を受けた進歩的な若者たちは次のようなジレンマに悩んだ。
「封建的」に対立する言葉は、新しい時代を象徴する「民主的」だ。
学校では民主主義の素晴らしさを習っても何か喉に小骨が引っかかったような感じ。 そう、天皇制という戦前を引きずった言葉。
そうだ、民主主義の究極の形は「君主制」を打倒し革命を成し遂げたフランス共和制だ。
学校では明治維新は権力を武家から天皇にたらいまわしにした中途半端な改革でとてもフランス革命やロシア革命に比すべきものではないと教わった。
明治維新は革命では無く、旧態依然の王政復古じゃないか。
そうだ、本当の革命とは民衆が支配層から権力を自ら奪取することを言うのだ。
一部のインテリにはアメリカよりもフランンスやソ連が輝いて見えた。
そうだ、フランス革命だ! ロシア革命だ!
今では独裁制の見本のように罵られている北朝鮮も「共和国」と呼ばれ地上の天国と呼ぶ新聞さえもあった。
戦後日本人が民主主義の究極の理想と憧れた共和制には大きな誤解がある。
共和制は、国家に君主を置かない政体のことで、君主制の対極の概念である。
共和制を国家のあるべき姿だとする思想のことを共和主義というが、この考えは日本においては天皇制廃止論とほぼ同義となり、共産主義と根っこで結びつく。
戦後の進歩的文化人の犯した大きな過ちは、共和制は君主制の対立概念であっても、民主制とは同義ではないと言うことを無視した事である。
◆ 共和制と民主制
共和制は民主制と混同されるが これは大いなる誤解。
イギリスのように立憲王国で、君主制であるが民主制の政治形態の国家もあれば、旧ソビエト連邦、朝鮮民主主義人民共和国等のように共和制と言いながら非民主制政治が敷かれた国も多数ある。
市民革命により1783年に独立したアメリカ合衆国や、1789年のフランス革命によって生まれたフランスの共和国が、近代的な共和制のモデルとされ、戦後の日本の若者の憧れとなった。
戦後、民主主義の伝道師ともいえるアメリカから頂いた「平和憲法」に記された「象徴天皇」と、君主制打破の「共和制」の狭間が「戦後民主主義」に毒された進歩的文化人達の悩みであった。
「天皇制」はどうしても打破しなければぬ「旧体制の遺物」だ!
*
その共和制への憧れが高じた「進歩的文化人達が」天皇制打破の集会を持ったと言う。
「言論の自由」を履き違えて、自由に発言も反論も出来ないお方(天皇皇后両陛下と悠仁親王)を公衆の面前で面罵する卑劣な「進歩的文化人」の本質を見れただけでも有意義な集会だったようだ。
卑劣な「進歩的文化人」の名前を覚えておこう。
●主催:『週刊金曜日』http://ja.wikipedia.org/wiki/%E9%80%B1%E5%88%8A%E9%87%91%E6%9B%9C%E6%97%A5
●挨拶:本田勝一(同誌・編集委員ー編集委員は他に筑紫哲也、井上ひさし等がいる。
●出演:矢崎泰久(『話の特集』元編集長)
● :中山千夏(タレント、作家)
● :永六輔(タレント)
● :白川勝彦(元自治大臣)
● :石倉直樹(芸人)
同じ文化人でも彼等をよく知る作曲家すぎやまこういちさんは、この集会の顛末を聞かされて、
「そうですか。まだ(永氏らは)そんなことをやっているのですか。呆れますね。下品です。自分に置き換えて考えてみればいい。自分の孫が猿のぬいぐるみにされて、放り投げられたり、病気のことを揶揄されたりしてごらんなさい。人権に対する意識も何もない。彼らは、いつもは人権、人権というくせに、実はそれが彼らの正体なんですよ。」
まさに至言である!
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以下「mumur」さんよりの転載。
2ちゃんねる ニュース速報+
【週刊新潮】 下劣な週刊金曜日主催の「市民集会」…長文なので注意http://news19.2ch.net/test/read.cgi/newsplus/1164875814/
1 エマニエル坊やφ ★ New! 2006/11/30(木) 17:36:54 ID:???0
◇特集 悠仁親王は「猿のぬいぐるみ」! 「陛下のガン」も笑いのネタにした「皇室中傷」芝居
その瞬間、あまりの下劣さに観客も凍りついた。11月19日、日曜日。東京の日比谷公会堂で開かれた『週刊金曜日』主催の「ちょっと待った!教育基本法改悪 共謀罪 憲法改悪 緊急市民集会」である。会場を埋めた2000人近い観客の前で、悠仁親王は「猿のぬいぐるみ」にされ、天皇陛下のご病気もギャグにされる芝居が演じられた……。
その日、東京は冷たい秋雨が降っていた。高橋尚子が参加した東京女子マラソンがあり、交通規制が都内に敷かれていたその時間に、日比谷公園の一角にある日比谷公会堂でそのイベントの幕は開いた。
安倍政権への対立姿勢を鮮明にする左翼系週刊誌の『週刊金曜日』が主催する緊急市民集会である。同誌の本田勝一編集委員の挨拶から始まった集会で、問題のパフォーマンスがおこなわれたのは、午後2時半頃からである。司会を務めるのは、同誌の発行人でもある評論家の佐高信氏だ。
「えー、今日は特別な日なんで、とても高貴な方の奥さんにも来ていただきました。この会場のすぐ近く、千代田区1丁目1番地にお住まいの方です」
佐高氏がそう言うと、舞台の右袖から、しずしずと美智子皇后のお姿を真似たコメディアンが出てきた。
黒いスカートに白のカーディガン、頭には白髪のかつらと、帽子に見立てた茶托を乗せている。(※参考:茶托 http://www.sala.or.jp/~matu/mihon20.htm)そして、顔は顔面だけおしろいを塗って女装をした男である。
会場は、拍手喝采だ。
「本日は雨の中、多くの国民が集まっている中、なんの集会だかわかりませんが」と切り出すと、大きな笑いが起こった。
「そう言えば、先日、主人と一緒に、ソフトバンクの王貞治監督にお会いしたんです。王さんは“日の丸のおかげで優勝できました”と、仰っていましたが、この人が日の丸のおかげなんて言うのは、おかしいんじゃありませんか?」
そう言って、コメディアンは笑いをとった。先日の園遊会で、王監督が、天皇陛下に話した内容を皮肉ったのだ。
続けて、「そう言えば、去年は皇室典範を変えるとか変えないとかで、マスコミがずいぶん騒がしかった。でも、ウチの次男のところに男の子が生まれたら、それがピタッとおさまっちゃいましたね」と悠仁親王のことを話題に。
そして、「今日は、実はその子を連れてきているの。ちょっと連れてきて」と言うと、スタッフが舞台の下からケープに包まれた赤ちゃんの人形のようなものを壇上の“美智子皇后”に無造作に手渡した。
よく見ると、猿のぬいぐるみである。
“美智子皇后”は、そのぬいぐるみに向かって、「ヒサヒト!ヒサヒト!」と声をかけながら、その猿の顔を客席に向けたり、ぬいぐるみの腕を動かしたりする。場内は大爆笑。
大受けに満足の“美智子皇后”の芝居は続く。
やがて、抱いている猿のぬいぐるみに向かって、「ヒサヒト! お前は、本家に男の子が生まれたら、お前なんか、イーラナイ!」と叫んで、舞台の左側にポーンと放り投げるパフォーマンスが演じられた。だが、このシーンで場内は静まり返った。
若者の中にはクスクスと笑いを漏らす者もいたものの、さすがにここまで来ると観客の大半が凍りついてしまったのである。
そして、ここで登場したのが『話の特集』の元編集長でジャーナリストの矢崎泰久氏と、作家であり、タレントでもある中山千夏さんだ。二人は何十年もの間、行動を共にしている“同志”である。
★静まりかえる観客
「これはこれは、さる高貴なお方の奥さんではないですか。その奥さんにお聞きしたいことがあるんです」と、矢崎氏。
「天皇なんてもう要らないんじゃないですか。天皇なんてのは民間の邪魔になるだけでしょ?」と聞く二人に“美智子皇后”は、「あら、アタシは民間から上がったのよ」と、応える。
中山女史が、「そもそも天皇になれるのが直系の男子だけという方がおかしいでしょ? 男でも女でも、長子がなれるようにすべきじゃないでしょうか。それで、ハタチぐらいになったら、本人の意志で天皇になりたければなり、なりたくなければ一般人になってそれで終わり。普通の市民のように選挙権も持てるようにすればいい。そうしていけば、天皇家というウチはなくなります」と、持論を展開。
すると、矢崎氏が、「そう言えば、今日はご主人が来てませんね?」と“美智子皇后”に尋ねる。
「ハイ」「どこか悪いの?」と、矢崎氏。
「ハイ。知っての通り、病でございまして。マエタテセン?じゃなかった、えーと、あ、そうそう、前立腺を悪くしまして。あまり芳しくないのですよ」「それはご心配でしょうねえ」「そうなんです」
そんなやりとりが続いた後、突然、矢崎氏が、「それであっちの方は立つんですか?」 と、聞く。
“美智子皇后”は面食らいながら、「私の記憶では……出会いのテニスコートの時は元気でございました」と、応える。
場内はシーンと静まりかえった。
天皇のご病気までギャグにされたことで、さすがに観客がシラけてしまったのだ。
「笑い声なんてなかったですよ。何て下劣なことを言うのか、と思わず拳を握りしめてしまいました」と、当日、イベントに参加した観客の一人がいう。
「その後も園遊会で来賓とお話をする両陛下の物真似で、笑いをとっていましたね。憲法や教育基本法の集会だと思っていたのに、結局、この人たちがやりたかったのは、安倍晋三のこきおろしと、皇室を中傷することだけだったんですね」
だが、あきれるばかりの内容は、まだ続いた。
今度は、元放送作家でタレントの永六輔氏が舞台に登場。永氏は、
「ここ(日比谷公会堂)は、昔、社会党の浅沼稲次郎さんが刺殺されたところなんです」
「君が代は、実は歌いにくい曲なんですよ」などと語り、アメリカの「星条旗よ永遠なれ」のメロディーで『君が代』を歌うというパフォーマンスを見せるのである。
当日、集会に来ていた白川勝彦・元自治大臣がいう。「永六輔さんが、はっきりとした歌声で、君が代を『星条旗よ永遠なれ』のメロディーで歌いました。うまかったので、自然に聞こえましたよ。へえ、こういう歌い方があるんだ、とびっくりしたというか、妙に感心してしまいましたね」
君が代を『星条旗よ永遠なれ』のメロディーで歌う──それは、この緊急市民集会とやらの“正体”がよくわかるものだったのである。
★“反権力”に酔う人々
今回“美智子皇后”を演じたのは、劇団『他言無用』に所属する石倉直樹氏(49)である。 (※参考:他言無用 http://www.st21.co.jp/tagon/) 永六輔氏に可愛がってもらって、全国各地のイベントで活躍している芸人だ。「僕たち(注=メンバーは3人いる)は、テレビではできないタブーに切り込む笑いをやっているんです。持ちネタは、色々ありますよ。杉村太蔵や橋本龍太郎、それに創価学会だって、やってます」と、石倉氏がいう。
「中でも最近は美智子様の芸が目玉になってきてますね。実はお笑い芸人として活動を始めた頃、ちょうど昭和天皇がご病気になって、歌舞音曲慎め、と仕事が次々キャンセルされたことがありましてね。その時、これはおかしいぞ、と思いました。16年経った今も、お世継ぎがどうのこうの、とやっている。何とも言えない怖さを感じます。美智子様のことは好きなんで、出来ればキレイに演じたいんですけどね」
悠仁親王を猿のぬいぐるみにしたことには、「この小道具はよく使うんです。普段は、名前をそのまま言わないんですが、あの集会では、ついフルネームで言ってしまいました。(ご病気については)矢崎さんと中山さんに下ネタをふられ、乗せられてしまいました。僕は基本的に下ネタは好きではない。永六輔さんには以前、永さんがやっておられた渋谷の劇場にも出させてもらいましたし、去年は沖縄公演にも京都のコンサートにも出させてもらいました。京都では、僕が皇后で、永さんが侍従の役で、色々やりましたよ。僕自身は、これを(市民)運動としてやっているつもりはないし、あくまで自分が面白いと思うことをやっているつもりです」
お笑い芸人としてタブーに挑戦する──石倉氏は腹を据えて演じているらしい。
だが一方、司会を務めた佐高氏の反応は全く違う。
「皇后を中傷する劇? いやいや、そもそも劇の中で皇室なんて一言も言ってませんよ」
と、こう語るのだ。
「あくまで“さる高貴なお方の奥様”としか言ってないんですから。だから皇室の中傷などではありません。それは受け取る側の見方ですから、こちらがコメントする理由はありませんよ。そんなこと言うなら核議論と同じで、こっちも封殺するな、と言いたいですね」
永六輔氏は、何というか。
「僕はあの日、3時に来いと言われて会場に向かったんですけど、車が渋滞して遅れ、3時半に到着したんです。だから、そのコント自体、見てもいないし、全然わからないですよ。だから『週刊金曜日』に聞いてくださいな」と、知らぬ存ぜぬだ。
石倉氏に比べて、二人は何とも歯切れが悪い。矢崎氏と中山女史に至っては、取材申し込みに対して、梨の礫だ。
永氏は、かつて、童謡『七つの子』など野口雨情の名作を根拠もなく「強制連行された朝鮮人の歌」などと言ってのけ、関係者を激怒させた“前科”がある。
その関係者の一人、作曲家のすぎやまこういち氏は、今回のことをこう語る。
「そうですか。まだ(永氏らは)そんなことをやっているのですか。呆れますね。下品です。自分に置き換えて考えてみればいい。自分の孫が猿のぬいぐるみにされて、放り投げられたり、病気のことを揶揄されたりしてごらんなさい。人権に対する意識も何もない。彼らは、いつもは人権、人権というくせに、実はそれが彼らの正体なんですよ。」
主催者である『週刊金曜日』の北村肇編集長は、同誌の編集後記でこの集会の模様をこう記している。
<冷たい秋雨の中、2000人近い人びとが集まった。不思議なほどに穏やかな空気が会場には流れ途切れなかった。永田町の住人に対する、満々たる怒りを深く共有しながら、しかし、そこに絶望はなかった>
“反権力”とやらに酔った人々──彼らに付ける薬は、果してあるのだろうか。
ソース:週刊新潮 12月7日号 30-32ページ (エマニエル坊やがテキスト化)
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