一昨年の11月、当時の中山文科大臣が「やっと最近、いわゆる従軍慰安婦とか強制連行とかいった言葉が減ってきたのは本当に良かった」と,今で言えばごく当たり前のことを発言した。
これを受けて国内メディアが大騒ぎしてこれに韓国紙も呼応した。
あれから1年、状況は大きく変わってきた。
先ず、10月になって下村官房副長官が「河野談話」の再検討を打ち上げた。
下村官房副長官、河野談話「再検討が必要」
下村博文官房副長官は25日、都内の講演で、従軍慰安婦への旧日本軍の関与を認めた1993年の河野洋平官房長官談話について「もう少し事実関係を研究し、時間をかけて客観的な事実を収集して考えるべきではないか」と指摘し、再検討の必要があるとの認識を示した。(日本経済新聞2006年10月26日)
「従軍慰安婦発言」をした中山成彬元文科相が会長をする「日本の前途と歴史教育を考える議員の会」が1年ぶりに活動再開したという。
総会には「河野談話見直し」の口火を切った下村博文官房副長官も参加し「核論議」で男を上げた初代会長の中川昭一政調会長が顧問に就任したというから心強い。
中山成彬元文科相、下村博文官房副長官、中川昭一政調会長そして山谷えり子首相補佐官。
役者は揃った。
早急なる「河野談話見直し」を期待したい。
◆河野談話見直しへ 自民、歴史教育議連が活動再開 (産経 06/12/14)
安倍晋三首相らが平成9年に設立した自民党の議員連盟「日本の前途と歴史教育を考える議員の会」(会長・中山成彬元文科相)が13日、1年ぶりに活動を再開した。
昨年、主力メンバーが郵政民営化に反対して離党したため休眠状態が続いていたが、4日の復党で一気に活性化した。
当面のテーマは、慰安婦問題に関する平成5年の河野洋平官房長官談話。首相も今国会の答弁で旧日本軍によるいわゆる「狭義の強制性」を否定していることを受け、議連内に小委員会を設置し、見直しを念頭に研究を進めることを決めた。
総会には、下村博文官房副長官や山谷えり子首相補佐官、復党したばかりの古屋圭司衆院議員ら約30人が出席。初代会長の中川昭一政調会長は顧問に就任した。
慰安婦問題をめぐり、山谷氏が米下院国際関係委員会が9月に採択した対日非難決議に「多くの慰安婦が最終的に殺害された」など多くの事実誤認が含まれることを報告。
出席議員からは「誤解の原因は河野談話だ」などの声が相次いだ。
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これを機会に「河野談話」のポイントである「日本軍が従軍慰安婦を強制連行した」の虚構性を復習してみる。
「慰安婦強制連行があった」という説の虚構性は次の五点に整理できる。
①「強制連行」を指示した政府や軍の文書、書類の存在。
結論⇒政府総力を挙げて調査をしても、全く出てこない、ゼロ。
②「強制連行」を実行した、加害者の存在。
結論⇒加害者の証言は皆無。(加害者と証言した吉田清治のウソ証言のみ)
③「強制連行」の目撃者の存在。
結論⇒目撃者の証言も、ゼロ。
④「強制連行」の被害者の証言の存在。
結論⇒名乗り出る被疑者は多数いるが、裏付けのある証言は皆無。
⑤昭和40年に日韓基本条約が締結される際、
結論⇒日本と韓国の間の未解決の問題を全て話し合った。
⇒その時に韓国側からこの強制連行については、主張が無かった。
これほど「強制連行」の証拠が皆無となると「存在派」は別の土俵に引きずり込まなければ勝負にならない。
そこでこの問題にフェミニズムとかジェンダーとかの問題を絡ませて論点を「男女差別問題」に持ち込もうとする特殊な考えの人たちが参入する。
彼らの最後の砦は④の被害者の証言。
なるほど裏付けは皆無でも証言自体は山ほどある。
この曖昧部分に論点を絞ったのがフェミニストの先生達である。
それでは「元・慰安婦建の証言は信用できるのか」という事が論点になる。。
朝日新聞発行の雑誌「論座」2004年2月号に載せられたシンポジウムの記録がある。(※討論中の発言は次の通り。日下:日下公人氏、橋爪:橋爪大三郎氏、上野:上野千鶴子氏)
橋爪 問題は強制性ですね。「お前は売春をしなさい」とか「慰安婦になりなさい」という形で軍あるいは国家の意思が直接関与したか、国家にこの問題について責任があったかどうかということをおそらく日下先生は問題にされている。その明白な証拠がないではないかという議論は、まだ生きている議論だと思うんですね。
上野 一番基本になるはずの当事者証言に皆さんあまりお触れにならないのが私は不思議で仕方がないんです。ご本人たちが「強制があった」とおっしゃつている事実をどのように受けとめられるのでしょうか。
日下 ご本人は「自分が進んでやった」とはそれは言わないでしょう。「強制された」と言うでしょう。そう言わなければ自分の親戚全部に迷惑がかかりますからね。
上野 いまのご発言はご本人がうそつきだとおっしゃったのと同じことになります。それだけ申し上げておきます。
日下 はい、そうです。
それに対するまた上野先生の答え
「被害者と“目される”方達も、日下さんによる揚げ足取りが可能になるような多様性を持っている事を、十二分に承知しております。」
さすがは学者先生、微妙な表現で逃げてるつもりのようだが上野先生の発言は、ご本人が「被害者と“目される”方達」は嘘付きと言ったのと同じ事になる。
上野先生まで嘘つきだって言ってしまった、従軍慰安婦の証言、どうも上野先生も本当は彼女達を信用していないのでは?
最後の砦たる元慰安婦証言も信用できないと上野先生自ら認めてしまった。
この「日本軍が従軍慰安婦 を強制連行した」か否かの論争に、「強制連行が無かった事を証明せよ」と要求する困った人たちがいる。
これに対して「証明できない」と答えると、「だったら、やはり強制連行はあったのだ」という。
これには言葉を失う。
これは悪魔の証明をせよということに等しい。
悪魔の証明とは、事実や現象の存在を巡って、「 あること 」 に 比して 「ないこと 」 を証明することが、極めて困難であることを 比喩する言葉。
例えば 「 北海道にゴキブリは いる 」 ということを証明するとしたら、
北海道でゴキブリを一匹捕えればそれで足りる。
一方「 北海道にゴキブリはいない 」 ということの証明は、北海道全土を 探査しなくてはならない。
この証明は非常に困難な作業で、事実上は実行不可能である。
こういう種類の証明を 「 悪魔の証明 」 と呼ぶ。
従って通常証明は 「 ある 」 と主張する肯定側が負うべきである。
ということは、「 ある 」 ことの根拠が提示されなければ 「 ない 」 と見なされる。
これは、根拠を提示することなく安易に発せられるデタラメな主張
に対して、否定する側があらゆる可能性を反証しなければならない
というのが、論争としては不合理であるためである。