狼魔人日記

沖縄在住の沖縄県民の視点で綴る政治、経済、歴史、文化、随想、提言、創作等。 何でも思いついた事を記録する。

先祖帰りの沖縄県知事

2011-07-11 18:00:52 | 未分類

 よろしかったら人気blogランキングへ クリックお願いします

 

知事 君が代強制に慎重 沖縄タイムス  2011年7月7日 09時24分  
   大阪府が、君が代を起立して斉唱することを教職員に義務付けた君が代起立条例について、仲井真弘多知事は6日の県議会で「歴史や県民感情を踏まえて考えていくべきもの」と述べた。一方、日の丸に向かって起立し、君が代を斉唱するよう指示した校長の職務命令を合憲とした最高裁判決について、中野吉三郎教育委員長は「(教員の)懲戒処分はふさわしくない」との見解を示した。いずれも日の丸・君が代に対し、強制する形で起立や斉唱を求めることに慎重な立場をとった。池間淳氏(自民)への答弁。

 大阪府で成立した君が代起立条例に対する見解を問われた仲井真知事は「それぞれの地域、知事によっていろんな考え方がある。大阪の条例が参考になるかということより、地域の歴史や県民感情による面が大きいのではないか」とした。

 池間氏は「国旗・国歌を尊敬できる子どもに育ててほしい。(現場の)指導命令が必要ではないか」とも指摘。最高裁の判断を挙げて、中野委員長らに今後の方針を質問した。

 中野委員長は「学校現場は信頼関係で成り立っている。教職員が式で歌わないからといって、懲戒処分とするのはふさわしくない」とする一方、「式場全体の調和を乱す場合は、職務上の義務違反に問われることになる」と述べた。

 大城浩教育長は、入学式や卒業式で国旗掲揚と国歌斉唱の指導を示した学習指導要領を挙げ、「最高裁の判決はその趣旨に沿ったもの」と説明。「学習指導要領に基づき、児童生徒に国旗・国歌を尊重する態度を指導することは重要」とした上で「自発的な敬愛の対象となるよう、環境づくりに取り組みたい」とした。

                                   ☆

先祖帰りをし始めた仲井真知事が左翼体質を顕にし「国歌起立斉唱」に否定的態度を示した。

最高裁判断より血のつながりを重んずるつもりなのだろうか。

 

仲井真県知事は昨年の知事選の直前まで、普天間移設に関して、概ね次のように述べていた。

「県外・国外がベストだが現実を考えると県内も容認」。

ところが選挙直前になって「県外に要請する」と曖昧な表現に変更した。 対立候補の伊波洋一氏が本土の左翼勢力を総動員し優勢が伝えられたのに対応し、「県外」をスローガンに加えたのは、沖縄に伊波氏のような極左政権が出来るのを防ぐための緊急避難で、やむをえない変更だと考えられていた。 

ところが最近の仲井真知事は、先祖帰りでもしたのか、このところ左翼勢力に媚びる立場を明確にしてきた。

そして、ついに極左候補伊波洋一前宜野湾市長と全く同じの「県内どこでも反対」と豹変してしまった。

それがこれ。

普天間移設:知事「県内どこも駄目」
沖縄タイムス 2011年7月7日 09時41分  
 
 < 仲井真弘多知事は6日の県議会一般質問で、米軍普天間飛行場の移設先について、「(名護市)辺野古移設を現実に進めるのは難しい。ほかの地域も沖縄は同じ」と述べ、県内に移設先はないと明言した。知事は議会終了後、記者団に対し、過去に移設先として浮上した勝連沖案などを列挙した上で、「(同飛行場の移設は)県内はどこも駄目だということだ」と県内移設の可能性を否定した。>

仲井真知事が左翼に取り込まれている徴候は、極左候補と同じ意見に豹変するだけに止まらない。

さらには、沖縄戦の改竄で左翼に加担するだけに止まらない。

大阪府が、君が代を起立して斉唱することを教職員に義務付けた君が代起立条例について、仲井真知事は「歴史や県民感情を踏まえて考えていくべきもの」と述べている。

仲井真知事は沖縄人が日の丸を掲げ君が代を堂々と歌える国民になるため、島ぐるみで「祖国復帰」を勝ち取ってきた沖縄の歴史をすっかりお忘れになってしまったのだろうか。

祖国復帰の沖縄の歴史や県民感情を踏まえれば、日の丸掲揚、君が代斉唱は県民感情どころか、沖縄県民の悲願であったはずだ。

それが、返還直後に本土左翼が流入し、あたかも沖縄県民は以前から日の丸・君が代反対であったかのような印象操作してきたのは沖縄2紙による歴史の改竄である。

それにまんまと乗せられた県知事が「歴史や県民感情」と口走って日の丸・君が代に否定的意見をのべるのは左翼に媚びているからに他ならない。

中野吉三郎教育委員長が、最高裁判決について述べた意見は憲法違反ではないのか。

最高裁は、日の丸に向かって起立し、君が代を斉唱するよう指示した校長の職務命令を合憲とした。

当然合憲の職務命令に従うのは公務員たる教員の職務上の義務ではないのか。

職務命令を無視した教員には何らかの懲戒処分が行われるのが法治国家のけじめである。

ところが中野教育長はこう述べた。

「(教員の)懲戒処分はふさわしくない」と。

県知事と教育長が先頭を切って、沖縄の教育現場を無法地帯にせよとでもいうのか。

 

仲井真知事の先祖帰りについて。

(1)仲井真氏が初めて政界入りしたのは大田昌秀元知事に請われて副知事に就任したのが最初だった。 副知事在任中、知事の片腕として極左の薫陶を受け、左翼行政マンとして出発した。ところが大田知事の落選とともに下野し、沖縄電力社長に天下りした。 それ以来、保守系の財界人という信任を受けていた。ところが最近「成りすまし保守」であることが判明したのだ。

(2)仲井真氏は中国人を先祖に持つことを誇りに持っており、県知事になってからも中国への傾倒は激しいものが有る。ちなみに仲井真知事は久米四十八姓という中国帰化人グループの子孫である。

 今月から始まった沖縄訪問の中国人に限って数字ビザを認めたのも、仲井真知事の強力な政府への要請の結果である。

仲井真県知事は、対立候補が極左候補だったことを逆手にとって、「成りすまし保守」で県民を騙して2期まで務めているが、そろそろ化けの皮が剥げてきたというのが最近の先祖返りの言動である。

【おまけ】

必見【動画】⇒管直人・鳩山由紀夫が日本人拉致事件容疑者の子供の政治団体... 

よろしかったら人気blogランキングへ クリックお願いします

<script type="text/javascript"></script>

血の叫び、ペンも凶器に

2011-07-11 09:41:15 | ★パンドラの箱訴訟

 よろしかったら人気blogランキングへ クリックお願いします

 

沖縄の地元2紙が中心になり、地元学者や行政まで巻き込んだ沖縄戦の歪曲が続いている。

激戦地だった沖縄南部の戦跡を巡拝する観光客や修学旅行生は、沖縄県平和祈念資料館や平和の礎に訪れ、戦没者の数が多いことに改めて驚き、そして涙する。

だがその数字に満州移民で病死した子供の数も含まれていると知るものは殆どいない。

移民の病死だけではない。

生きている人や、ハンセン氏病やマラリヤ等で病死した人も「戦争マラリヤ」などと命名され刻銘されているという。

「全体主義の島沖縄」ではこれに異議を唱える良心的言論人は、言論封殺や村八分の仕打ちを受ける。

『うらそえ文藝』で沖縄2紙を断罪した上原正稔さんや星雅彦さんが、現在沖縄のメディアや出版業界から完全な村八分を受けているのは紛れもない沖縄の現実である。

読者のヒロシさんと涼太さんの関連コメントを紹介しよう。

■ヒロシさん

 >「平和宣言は事実を基に発表すべきだ」
だったら平和の礎に刻まれた戦没者とはいえない人物の名を削除すべきでは?
満州事変まで遡るのであれば、「区別のために」別の場所へ刻名すべきと思われる。

http://www.okinawatimes.co.jp/article/2010-06-23_7486/

満州で病気で亡くなったんですから戦争と関係ない方ですよね。>

■涼太さん

<私も慰霊の日のNHKの報道には常に疑問を感じていました。
沖縄の反日団体は
「集団自決は軍の命令」、「根こそぎ動員」、「軍官民共生共死」など数々の神話を作ってきました。
それらが全て論破され新しい神話を作ろうとしているのでしょう。
通常の定義では沖縄戦は1945年3月から6月です。
沖縄戦という言葉を使う以上その犠牲者も

沖縄戦の日本側死亡者:18万8136人
A:県外出身日本兵戦死者 6万5908人
B:沖縄県出身軍人・軍属(現地召集を受けた正規兵のほか、防衛隊・鉄血勤皇隊など) 2万8228人
C:戦闘参加者(援護法で日本軍に協力して死んだと認定された人数[21]) 5万5246人
D:一般住民(推定、県の避難勧告を拒否したものが多数[22])3万8754人
(ウキペディアより引用)

が正確な数字だと思います。
別に特別沖縄が悲惨な目に遭ったとも思いません。東京空襲などは一晩に10万人が犠牲になっています。
住民の犠牲が24万人などと言うのは
南京虐殺の犠牲者が30万人とか言うのと同じレベルです。そして中国は常に外交カードに使い、日本から金を引き出しました。
同じ手法ですね。
もう沖縄は悲劇のヒロインの座をとっくに降りています。気が付かないのは沖縄だけで、悲劇のヒロインを演じれば演じるほど、日本本土から嫌悪されます。
それを差別と叫ぶなら仕方ないですね。
日本人は義理人情を重んじる民族です。
上原氏のように、素直に自分たちの非を認め謝罪する。そのほうが好感が持てます。
それを日本軍に責任転嫁しても沖縄は孤立するだけです。
私は民主党政権に共感するのは一つも無いですが、反日の正体を国民に晒したことだけは評価します。沖縄問題もその一つです。
後2年。日本が持てばいいのですが。
民主党内部も空き管を非難しながら、国会議員の身分を失いたくないというの見え見えです
。>

満州移民の子として生まれ写真も戸籍もない兄を不憫に思う戦後生まれの妹さんの気持ちは誰でもよく理解できる。

だが、同情心で歴史の事実を改竄させてはいけない。

元々平和の礎は上原正稔さんが地元首長と連携して設立の構想をしていたものを、名誉欲の権化である大田昌秀元知事が横取りし、ひたすら戦没者の数を増やすように仕向けたため、現在のように何の検証もないまま新規の刻銘が続き、戦没者の数が増え続けるという異常現象を来たしているのだ。

以下は保存資料として引用。

刻む 兄の生きた証し 宮城絹子さん(61)=南風原

戸籍も写真もなく満州で他界 移民史に名、礎に追加
きょう慰霊の日
社会  2010年6月23日

 沖縄戦などで亡くなった人の名を刻む「平和の礎」に今年、戸籍も写真もなく、わずか3歳で亡くなった男の子の名が刻まれた。南風原町から満州(中国東北部)に移民した両親の間に生まれた新垣満雄ちゃん。兄の顔も知らない戦後生まれの妹宮城絹子さん(61)=南風原町=が奔走、知人が兄の名の記された南風原町史を見つけ出してくれた。それが65年後の「存在証明」につながった。「兄さんは生きていた。そのことを孫の世代も忘れないでいてくれる」と静かに喜んでいる。(金城珠代)

 満雄ちゃんが生まれたのは1942年。両親と祖母、叔父2人が満州開拓移民として中国東北部の臥牛吐(オニュート)に移り住んだ翌年だった。体が大きくたくましい子だった。満州で終戦を迎え、捕虜収容所で伝染病にかかり命を落とした。わずか3歳だった。

 戦後、仏壇に位牌(いはい)はあるが戸籍はなく、写真も残っていない。兄がどこかで生きているのではないかと願い、宮城さんは中国残留孤児が帰還する様子がニュースで流れるたび「(満州に)兄さんを置いてきたんじゃないの」と何度も母にせっついた。

 男の子がいないことを周囲から責められ続けた母は「満雄は病気で死んだ。満雄が生きていれば…」と4人の娘に何度も口にし、34年前に60歳で他界した。

 昨年2月、母の年を越え、体調を崩していた宮城さんは兄のことを知ろうと、南風原町史にある「開拓移民」の項目を夜中まで読みふけった。「自分たち(身内)がいなくなったら、兄さんの存在を知る人がいなくなってしまう」との焦りがあったからだ。

 南風原文化センターで学芸員を務める知人にそのことを話した5カ月後。知人が、町の移民史に載っている兄の名前を探し出してくれた。これで、礎に名前が刻める―。胸がいっぱいになった。「顔も知らない兄さんだけど、確かに生きていたんだ」と、名前が刻まれた活字を見て“兄の短い生涯”を確信できた。

 20日、夫と息子に付き添われて糸満市摩文仁の平和の礎を訪ねた。兄の名前が目に入ると、涙があふれ何度も何度も石に触れた。

 「兄さん、シーミー(清明祭)の時季になったら毎年ここに来るからね」。戦後65年たち、やっと兄の生きた証しを残し胸のつかえが下りた。

                     ☆

ウソも百篇繰り返すと真実となる。

沖縄戦の改竄がこのまま続くと、沖縄戦の証言者が死に絶えた後は歪曲され捏造された沖縄戦が真実の歴史して後世に残されることになる。

それを憂慮する硬骨漢が沖縄にもいた。

沖縄戦の真実を検証してきた上原正稔さんが、沖縄2紙の言論封殺に敢然と戦いを挑んだのが「パンドラの箱掲載拒否訴訟」である。

つまり「集団自決訴訟」は、最高裁判断で収束することなく、いや、むしろ、最高裁の精神を尊重し、現在も此処沖縄の地にて歴史捏造への戦いを続けている。

 

以下は、昨日のエントリー集団自決!歴史捏造との新たな戦い! の続編です。

血の叫びーペンも凶器たりうるー

秀一氏は、法廷において、被告席に座った大江健三郎氏の目の前で、その胸のうちをこう語りました。

「私自身はこの書き方がもう。 何しろこの本を読みますと、大江健三郎先生は兄に直接取材することもなく、渡嘉敷島に直接取材されたこともないと。 それにもかかわらず、兄の心の中まで踏み込むような中傷・誹謗が書けるんだから、これは大したものだと感心すると同時に、それはもう憤りを覚えますね」

「これは(『沖縄ノート』は)ちょっと異質ですわ。 もう、人の心の中へ立ち入って、まるではらわたまで引き出すような書き方で、それはもう、『鉄の暴風』の方がまだ、あっさりした書き方ですわ

また赤松大尉の悔しい思いについても、次のように証言しました。

「兄貴が、昭和46年だったと思いますが、雑誌の『潮』に、『私は集団自決を命令していない』という記事を残しているんですが、それによりますと、沖縄で極悪人として罵倒され、あまつさえ娘に誤解されるのは辛いから、本位ではないけれども誤解されたとする点を一々説明するという筋書きで、兄の几帳面なところから細々と誤解の原因になる箇所を説明しまして、その後に』無実を晴らしたいと訴えていました」

「兄の無念の思いは、それはもう、先程の記事に充分書かれていることですけども、『ペンも凶器たりうる。 300人もの人間を殺した大悪人のことについて書くならば、その資料の質を問い、数多くの証人に傍証させるのが、ジャーナリストとしての最小限の良心ではないか』と語った後で、『ここに述べるのは私の血の叫びだといえば、読者はやはり眉をひそめられるであろうk』と、これが兄の無念さを代表していると思いますね。 今頃こんな裁判やっていると聞いたら、兄はおそらく無念がって化けて出てくるかも知れません」

 

大江氏は、この間、眉一つ動かさず、証言している秀一氏をじっと凝視していました。 その直後になされた彼の仰天証言のことは、別項にて詳しく述べさせて頂きます。

 

数多の思いを背負って

隊長命令の嘘を撒き散らした『沖縄ノート』や『太平戦争』を読んだ人がこれを事実だと確信してしまうことは、秀一氏だけでなく、赤松元隊長の長女である佐藤加代子氏にとっても耐え難い苦痛です。 諸般の事情から原告となることを控えられた加代子氏も、裁判所に提出した陳述書において、良き父であった赤松元大尉への深い尊敬を綴っていました。 叔父である秀一氏に全てを託して、この裁判を通じて、なんとか父の名誉を回復して欲しいと述べておられます。 秀一氏は、赤松元大尉の思いでも背負って、この裁判に臨んだのでした。 もちろん、赤松元大尉と共に戦った部下や戦友の思い出を、そして日本を愛し、真実を求める多くの国民の思いも・・・。

 

  よろしかったら人気blogランキングへ クリックお願いします