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昨日、「パンドラの箱掲載拒否訴訟の」第2回口頭弁論が那覇地裁で行われた。
10数名の傍聴者の殆どは、原告・上原さんの支援者であり、その中には県文化協会会長で『うらそえ文藝』編集長の星雅彦さんの姿もあった。
前回に引き続き今回も原告の上原さんが出廷し、梅澤さん、赤松さんへの手紙という形式で提訴にいたった心情を読み上げた。 通常民事訴訟の1、2回の公判には当事者は出席せず代理人同士がお互いの書類確認をするだけで数分で終わると聞くが、沖縄戦の研究者である上原さんが原告とあって、前回に引き続き上原さんの独壇場というか1人舞台で、出廷した被告側の3人の弁護士はただ上原さんの朗読を拝聴するのみであった。 これが法廷でなければ、まるで上原さんの講義を受ける大人しい生徒のように最後までひと言も声を発することはなかった。
次回公判は9月13日に決定したが、被告側弁護士は裁判長より、次回までに上原さんの陳述に対する反論を準備するように宿題を申し付けられた。
上原さんの「友人の皆様へ」と題する冒頭陳述を一部抜粋し、次に引用する。
≪梅澤裕様、赤松嘉次様そしてご家族の皆様、長いことご迷惑をかけてまいりました。これまで沖縄の血を引く者として皆様のご心痛に何の力にもなれず、心からお詫び申し上げます。(略)
沖縄は戦後、軍人の援護法を民間人にも拡大適用された唯一の県であり、民間人の中には“集団自決”をしたものも含まれております。 そして家族を殺して生き残った者たちが援護金をうけとるという実におぞましい悲劇を招いているのです。 そのために“赤松隊長と梅沢隊長が集団自決を命令した”と嘘の報告をしなければならなかったのです。 赤松様、梅沢はよくそれを承知しながらも、慶良間の住民に迷惑をかけまいと、そのことだけは口に出せなかったのです。 赤松様と梅沢様が“極悪人”のレッテルを貼られいかに“耐え難きを耐え、忍び難きを忍ん”でこられたか、想像を絶するものがあります。 その責任は真実を知る慶良間の人々だけでなく、沖縄県庁、政府の厚生省にあります。 特に、真実を報道すべき新聞社や反戦平和を唱ずる偽善者の学者先生らの責任は大です。 ぼくは1人の沖縄人として、裁判の場でこのことを明らかにするつもりです。 ぼくは1人の小さな人間ですが、自分の歴史的に重大な役割は充分に認識しております。 このことによって梅澤様、赤松様の汚名が完全に晴れ、ご家族の胸のつかえがなくなる時、ご両人とご両人のご家族の真の友人になれるものと考えております。(略)
2011年7月2日
沖縄という不条理に満ちた島から敬意を込めて
上原正稔 ≫
☆
上原さんが語気鋭く3人の被告側弁護人に迫ったように、この裁判の核心は、4月に最高裁が確定判断を下した「沖縄集団自決冤罪訴訟」と同じく、「集団自決における軍命の有無」である。
その意味では、「パンドラの箱掲載拒否訴訟」は「沖縄集団自決冤罪訴訟」の第2弾ということが出来る。
本来であれば、戦いの場を大坂から沖縄に移しかえ、梅澤さん、赤松さんにも原告に加わって欲しいところであるが、ご高齢のお2人が沖縄まで裁判のため行き来することは健康上の問題が有り、今回は上原さんが前回の訴訟のリベンジに立ち上がったというわけである。
4月の最高裁判断は、大阪高裁判決を確定したわけだが、大阪高裁は隊長命令の真実性を否定した。 つまり被告側は梅澤さん、赤松さんが集団自決の命令を下したということは立証することは出来なかった。
それでも大坂高裁が大江健三郎氏と岩波書店を免責にした理由は何だったのか。
それは「戦後民主主義」の象徴ともいえる大江・岩波の幻影に怯えた裁判長が、彼らの「表現の自由」と「梅澤さんと赤松さんの人格権」を天秤にかけ、大江・岩波側の「表現の自由」を優先させたからに他ならない。
原告側は数々の間違いが判明した『沖縄ノート』や『太平洋戦争』の出版差し止めを主張したが、大阪高裁はその主張を退け、それらが出版された昭和40年代(復帰直後)において両隊長の命令によって集団自決が生じたということが通説(大方の意見)だったことから、「発刊当時はその記述に真実性や真実相当性が認められ、長年に渡って出版が継続してきた所、新たな証拠の出現によりその真実が揺らいだという場合」には、それが真実でないことが明白にならない限り、直ちに違法とはいえないとした。
すなわち、戦争の歴史的事実といった公共の利益に深く関わる事実については、資料研究と批判が繰り返されるなどして、「その時代の大方の意見が形成され、さらに大方の意見自体が時代を超えて細批判されてゆくという過程をたどるものであり、そのような過程を保障することは、民主主義社会の存続の基盤をなすもの」だとし、「仮に後の資料からみて誤りとみなされる主張も、言論の場において無価値なものであるとはいえず、これに対する寛容さこそが、自由な言論の発展を保障するものといえる」とした。
高裁判決は最高裁のお墨付きにより確定したわけだから、出版停止請求が退けられたのは不本意では有るが、これを受け入れざるを得ない。
つまり、『沖縄ノート』等は、軍命が真実だと考えられていた≪戦後という特殊な時代≫の歴史的資料として出版の継続を許されたということである。
最高裁がお墨付きを与えた「表現の自由」を自社のイデオロギーと合致しないからという理由で、琉球新報は連載中の上原さんの「パンドラの箱が開く時」を一方的に掲載中止にした。
高裁判決によれば、仮に上原さんの沖縄戦記に百歩譲って「誤りとみなされる主張」があったとしても、「言論の場において無価値なものであるとは」いえないはずだ。 そして、これに対する寛容さこそが、自由な言論の発展を保障するものといえる」のではないか。
表現の自由を誰よりも尊重すべき立場の新聞社が、最高裁が確定した高裁判決を自ら踏みにじり、言論封殺をしたというのが今回の「パンドラの箱掲載拒否訴訟」のポイントである。
ちなみに琉球新報、沖縄タイムス両紙が取材に来ていたが本日の沖縄タイムスには一行の記載もない。
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