狼魔人日記

沖縄在住の沖縄県民の視点で綴る政治、経済、歴史、文化、随想、提言、創作等。 何でも思いついた事を記録する。

橋下知事の勝訴を喜ぶ!

2011-07-15 20:17:49 | ★パンドラの箱訴訟

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「光市母子殺害」テレビ発言 橋下知事が逆転勝訴

2011.7.15 16:50
 橋下徹大阪府知事が就任前に弁護士として出演したテレビ番組で、山口県光市の母子殺害事件の被告弁護団への懲戒請求を呼びかけたため業務を妨害されたとして、弁護団のメンバーらが損害賠償を求めた訴訟の上告審判決で、最高裁は15日、360万円の支払いを命じた2審判決を破棄、請求を棄却した。橋下氏が逆転勝訴。

 2審広島高裁は、懲戒請求の呼びかけを1審広島地裁に続き不法行為と認定したが、弁護活動の内容への発言は1審と違い名誉毀損(きそん)に当たらないと判断、賠償額を800万円から360万円に減らし、双方が不服として上告していた。

                

橋下府知事の逆転勝訴は係争中の「パンドラの箱掲載拒否訴訟」にとっては追風である。

その意味で、この最高裁判断は二重の意味で喜ばしい。

先ず、親子殺人の鬼畜を、尋常ではない荒唐無稽な手法で弁護する鬼畜弁護団に懲戒請求を呼びかけた橋下弁護士の全面勝訴を喜びたい。

原告側は損害賠償請求の理由として、被告の懲戒請求の呼びかけは、不法行為と名誉毀損に相当するとした。

対する被告側は「表現の自由」でこれに対抗していた。

第一審では、不法行為も名誉毀損も原告の請求を認め、被告の全面敗訴であった。

第二審では不法行為は一審に引き続き認められたが、名誉毀損には当たらないと判断されたが、結果は被告の敗訴には違いはなかった。

ところが最高裁では、名誉毀損は勿論不法行為も認められないとして、2審判決を棄却し被告の全面勝訴となったのだ。

ここまで来て、賢明な当日記の読者は、この裁判が奇しくも「表現の自由」と「名誉毀損」を争った「沖縄集団自決冤罪訴訟」と相通じるものに気がつくだろう。

そして最近の最高裁判断が名誉毀損などの人格権より表現の自由に重きを置く傾向に有ることに気がつくであろう。

そこまでくると当然の流れとして、上原正稔さんが琉球新報を相手に「表現の自由」を主張して提訴した「パンドラの箱掲載拒否訴訟」が、最高裁判断を尊重する訴訟であることにも気がつくであろう。

立て続けに最高裁が表現の自由を尊重する判断をしたということは、ドキュメンタリー作家上原正稔さんを言論封殺した琉球新報にとって大きな逆風になる。

回りくどい言い方で恐縮だが、今回の最高裁判断が二重の意味で喜ばしい所以である

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集団自決、捏造された公的刊行物

2011-07-15 08:09:55 | ★パンドラの箱訴訟

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  「沖縄集団自決冤罪訴訟」は原告側の名誉毀損の損害賠償請求と関連出版物の出版差し止め請求が棄却され、原告側敗訴で終結した。

ところがこの長い裁判を通じて裁判の争点であった「軍命」を立証する証言や証拠はただの一つの例もなかった。

では何ゆえ原告側が敗訴したか。

「軍命」を示す確定的証拠が皆無であったため、裁判長は原告、被告が提出した膨大な数の証言記録を恣意的に判断ぜざるを得なかったからである。

では、確定的証拠がない状態で裁判長の判断の基準は何であったのか。

裁判長が判断の基準にしたのは、体験者の証言を綴った「村市」や「県史」といった公的刊行物であった。

市中に出回っている雑多の出版物に記載してある証言より、公的刊行物にある証言の方が正しいと考えた神ならぬ身の裁判長の判断は、通常なら是としても仕方がない。

ところが、こと沖縄戦を綴った公的出版物の編纂・監修に安仁屋沖国大教授やその弟子の宮城晴美氏といった被告側応援団が加わっており、意図的に証言を歪曲・捏造していたとしたらどうなるか。

集団自決訴訟の第2弾ともいえる「パンドラの箱掲載拒否訴訟」では、公的刊行物を歪曲・編集した左翼学者の犯罪も白日の下に去らされることになるだろう。

本稿は昨年6月にエントリーした日本兵と米兵を入れ替えた捏造の沖縄戦史に一部加筆編集したものです。

沖縄戦を記した出版物が、一般刊行物から公的刊行物にいたるまで、虚偽の記述にあふれている事を再三指摘してきた。

「残虐非道の日本兵」と「人道精神に満ちたアメリカ兵」というイデオロギーを強調するあまり、聞き取りした執筆者の主観で想像を交えた作文をした例は珍しくない。

だが、「日本兵」と「アメリカ兵」そのものを、意識的に入れ替えて「残虐非道な日本兵」を作り上げた例は前代未聞である。

証言者が「(残虐行為をしたのは)アメリカ兵」であると二度も念を押したにもかかわらず、元琉球新報の記者の取材者は、公的刊行物である『那覇市史』に「残虐非道の日本兵」として記録しているのだ。

ことほどさように沖縄で発刊されている沖縄戦史はすべて眉につばして読む必要がある。

                           *

 

沖縄の文芸誌『うらそえ文藝』(15号)が、昨年に続き「集団自決」の特集を組み、研究者の間で静かな話題を呼んでいる。 静かな話題という意味は地元マスコミは一切スルーという意味。

中でも同誌編集長星雅彦氏の執筆による「『集団自決』 その真相を墓場まで」は、原稿用紙50枚にも及ぶ長大な論文で、集団自決の先駆的研究者の星氏ならではの新しい「発見」が数多く記されていて興味深い。

星雅彦氏は、県の依頼を受けて県内の知識人として、『鉄の暴風』の著者よりも早い時期に、集団自決の行われた座間味、渡嘉敷両村の現地取材をした人物である。

今回の論文は、これまでの星氏の論考の整理に加えて、沖縄紙がこれまで報じることのなかった新らたな証言者を複数取材し、驚くべき新証言を得ている。

沖縄タイムス等の地元マスコミや、イデオロギーに染まった沖縄戦史研究者達に一矢どころか二矢も三矢も報いるに充分な内容である。

例えば、次のような氏独特の婉曲な表現で、従来の沖縄戦史を批判し、集団自決の核心に迫っている。(引用文の太字強調は引用者)

《隊長命令や軍命の有無について考えてみる。 すると思い付くことは、根拠がないのに当然あるかのような形を示し得るスタイルで、うまく誤魔化している場合があるということだ。また根拠や理由は不明瞭でも当然起きた筈だと言うような、妥当性の範疇の推量でもって真実性を想像させ得る背景もある。 たとえば軍命令の有無が裁判で争点になっていようとも、その背景や根本問題に真摯にむきあっていると受け取られることによって、賛同が得られる場合もある。 そしてそれらの間隙に、「捏造」が挿入され得るのである。

「軍命あり派」が軍命の重要な根拠とする「富山証言」についても、これまで沖縄マスコミが報じなかった富山氏の手記を新たに発掘し、「富山証言」の矛盾点を資料を基に指摘している。

■捏造された公的刊行物■

数多くの証言の他に星氏が特に強調するのは、沖縄で発刊された数多くの沖縄戦史の信憑性についてである。

「ウソの暴風」と揶揄される『鉄の暴風』は論外としても、沖縄で出版された戦記物がイデオロギー塗れであることが、最近の「集団自決論争」の結果として一般の人にも知れ渡るようになった。

その一方で、「県史」とか「村史」といった公的刊行物はイデオロギーと全く無縁だと考える人がまだ多く存在する。 従って「○○村史」に記載されているということが真実の証明だと考える人も多い。

ところが、これら公的刊行物も執筆者を辿れば、現在「軍命あり派」としてイデオロギーに染まった主張をくり返している沖縄の知識人達である。

いくつかの公的刊行物の記述に疑念を持った星氏は、その中から御存命の証言者を精力的に追跡調査し、改めてその証言を採録した。

そして公的刊行物と実際の証言との矛盾点を指摘している。 ほとんどの証言者が、自分の証言が捏造されている事実を知らないままに長年過ごしてきた。 

そして今回の星氏の指摘によって初めてその事実を知ったというから驚きである。

本文中の「避難壕の自決とその謎」という章から例を挙げてみる。

《去年(2009年)12月中旬に、筆者は那覇市の繁多川図書館で同地在住の知念勇(76歳)からミー壕(新壕)にまつわる話を聴かせてもらった。 そのいろいろ含みのある話の中には驚くべき事実が隠されていた。》

このような書き出しで始まるこの章には、当時国民学校6年生であった知念勇さんが、学校の授業はほとんどない毎日を壕掘り狩り出された様子が記されている。

そして昭和19年のいわゆる10・10空襲の時、警察署員と住民が逃げ込んだ壕に日本軍の将校が現れ、この壕は軍が使用するから民間人は移動せよと命ぜられた話を次のように記している。

《将校たちが去ったあと、壕内は打ちひしがれたように悄然となったが、それでも住民たちの多くは、身の回りの品をまとめはじめた。 署長代理は「今出て行くと危険だから、様子を見てから署員の誘導に従ってください」と告げた。
数時間後にはミー壕から次々と住民は出て行き、民間人は具志堅夫婦とその息子の古康さんと勇さん(証言者・引用者注)と父親の五名が残った。(略)

突然、歩哨が駆け込んで来た。 とすぐ、那覇署員たちは移動し始めた。 その後、日本軍も間もなく撤退して出て行った。 米軍が押し寄せてくる予報があったのだろう。 小一時間後に、数人の米兵がどかどかと入ってきた。 彼らはすぐ合図しあって、具志堅古康さんと勇さんの父親を黙って引っぱって壕から外へ連れ出した。 
一人の米兵は残って勇さんたちを見張っていたかと思うと、2、3分もたたぬうちにカービン銃の音がバラバラと外から聞こえた。 すぐに米兵が立ち去った後、少し間をおいて勇さんたちは父親たちを探しに外へ出た。 一面瓦礫の空間には人影らしきものは見当たらず誰もいなかった。 勇さんの父親は50歳くらいで一般住民の姿をしていたが、古康さんの父親は軍服を着ていたからまぎれもなく日本兵に見られたのだろう。 二人は抵抗しようとしたのか分からないが、何かトラブルで射殺されたに違いない。 連れていかれた二人はその後永久に姿を見せなかった
・・・年老いた知念さんの話はここまでである。》

■日本兵と米兵を故意に入れ替える悪質な歴史捏造■

この面談の後、星氏は公的史料である『那覇市史」に掲載された知念さんの聞き取り調査の記述に明らかな作為的捏造部分を発見し、確認のため再度知念さんに面談することになる。

その驚きに満ちた経緯を上記文に続けてを星氏はこう記述している。

《ところが、筆者は『那覇市史 資料編弟3巻7』の中に「子どもと沖縄 繁多川の警察壕で」と題して知念勇さんの手記が載っているのを見つけた。 「《前略》父親はある日突然日本兵に連れ出された。 父親が連れ出された後、2、3発の銃声がしたが、父と共に連れ出された20歳くらいの青年と共に、再び壕には帰ってこなかった(後略)」(410頁)と記されている。 末尾に採話者「嘉手川重喜」とある。 筆者の知人であるがすでに鬼籍の人である。 
後日、再び知念勇さんに会って確かめてみた。 「自分も不思議に思っている。なぜ、米兵に連れ出されたということを、取材する人に2度も3度も言ったのに、どうして日本兵に入れ替わったのだろう?」と本人はいぶかしがるのであった。》

この部分を読んだ時、星氏が昨年、雑誌『正論』12月号に寄稿した『「鉄の暴風」はGHQの宣撫工作だった』と題する論文の次のくだりを、とっさに連想した。

沖縄戦の証言者がほとんど物故された現在、知念勇さんの例のようにご存命の方に証言を再確認して公的刊行物の意識的捏造を発見するのは奇跡に近い。

もし星氏の再調査が遅きに失し、不幸にして知念さんがなくなられていたら「知念さんの父親ら二人が、日本兵に壕から連れ出され射殺された」ということが、歴史の真実として刻まれることになる。

危うく沖縄タイムスが目論む「残虐非道な日本兵」の捏造の歴史に新たな頁が加わるところであった。

星氏はさらに、集団自決の史料として研究者なら一度は目を通したはずの『座間味村史』下巻の「村民の戦争体験記」を取り上げ、そこに記された20数名の体験記を「それらすべては伝聞であるが、隊長命令があったと記された証言が多い」として、各証言者の動きを検証している。 ここでその内容は省略するが、沖縄で集団自決を研究するに当たり異論を述べることが、いかに困難であるかを自分の経験を基に次のように述べて、論を結んでいる。

《ここで、沖縄の新聞を代表する世相を端的に言えば、沖縄では一般的に、二人の隊長の命令によって、集団自決が決行され、惨たらしく多数の住民が犠牲になったという見解だ。 それでは、もっともらしいが、よく考えると奇々怪々にさえ思えてくる。 今や軍命に意を唱えて探求すると、変人扱いされるか、他人の傷跡を暴く悪趣味に過ぎないと批判されるのだろう。 しかし沖縄戦の真実は、隠蔽されない限り、見えてこないのであろうし、そのような視線にこそ重要な意味があるような気がしてならない。(了)》

星氏は、沖縄で沖縄紙を代表する論壇に異論を唱えることは「変人扱い」と婉曲な表現に止めているが、昨年の5月に『うらしえ文芸』14号で沖縄タイムスと琉球新報を真っ向から批判して以来、それまで両紙から定期的にあった原稿依頼も全く途絶えたと聞く。 これは同時に沖縄二紙に反旗を翻した上原正稔氏についても同じことが言える。

全体主義の沖縄で軍命に異論を唱えるのは変人扱いされるに止まらず、文筆で糧を求める人にとっては死活に関わる大問題でもあるのだ。

集団自決といえば沖縄タイムスやサヨク出版社の高文研や岩波書店によって発刊された本しか読まない人々にとって、星氏の今回の論文は是非とも一読を薦めたい最新の「集団自決研究」の書である。

■安仁屋教授の歴史捏造■

《私が同書に疑問を持つようになったのは、県資料編纂所が刊行する『沖縄県史第九巻 沖縄戦記録ー』の執筆のため、北谷村から南部・中部の集落を回って聞き取り調査をしたことがきっかけだった。

あれは確か1970年の暮れのことだった。 私は県資料編纂所の職員のAとBの訪問を受けた。 Aは私の書いた原稿について「なぜ日本兵の善行などを書き入れるのか」と詰問してきたのである。 取材は各区長の家に集まってもらい、これを記録するという形で行った。 取材は私一人ではなく資料編纂所の名嘉正八郎と一緒であった。 

この取材で日本兵が住民を助ける話も幾つか出たので「そういうものも記録すべきだと思った」とだけ答えた。 県資料編纂所のA職員は県史編纂時の検閲の役割りを担っていたことになる。

因みにAはマルクス主義で、一つのイデオロギーに全ての物事をはめて判断しようとする傾向があったのだ。
この取材を通して私は『鉄の暴風』は、日本軍を「悪」とするために創作された、ノンフィクションを巧みに交えた推理小説風読み物ではないかと考えるようになった。
 そこには日本軍部と国民、また日本軍と沖縄住民を二極に分離させ対立させる仕掛けが巧みに織り込まれているのである。 まさしく江藤淳が『閉ざされた言語空間』で指摘したように、日本と米国の戦いを、日本の「軍国主義者」と「国民」との戦いにすり替えようとする米軍の底意が秘められているのである。(190~191頁)》

これについて筆者はA氏の正体を続々・星氏が『鉄の暴風』を批判!県資料編纂所職員の正体のなかで次のように暴露しておいた。

1970年の暮れに星氏を訪問し、氏が提出した原稿に「なぜ日本兵の善行など書き入れるのか」と詰問したマルクス主義者の県資料編纂所のA職員のことである。

ご本人の星氏は「A氏はまだ元気で沖縄で活躍されている方なので・・・」と実名を語るのを憚っておられるが、沖縄は狭いところで調べればすぐ正体はばれるもの。

1970年当時に県資料編纂所の職員であり、しかもこのような過激な発言で星氏に詰問する人物は自ずと限られてくる。

安仁屋政昭沖国大名誉教授は、沖国大の前は1967年から5年間、沖縄県資料編纂所の職員であり、そのマルクス主義的発言は現在も衰えてはいない。

なお、安仁屋教授は「集団自決」訴訟の被告側応援団の理論的中心人物であり、宮城晴美氏の恩師であることは夙に知られたことである。

その後、星氏が聞き取りした「日本兵の善行」は、安仁屋氏により「沖縄県史」から削除されたと聞く。

                         ◇

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コメント (6)

記憶に留め置くべき事柄

2011-07-15 06:55:00 | 県知事選

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どんなに悲憤憤慨した事件でも、マスコミが意識的に報道を避けると、次第に記憶が薄れていくのは人の常。

戦前、国民を煽った朝日の過激な記事を記憶する国民は、いまや殆どいない。 

喉もと過ぐれば熱さを忘るとは人間の性(さが)ではあるが、この場合、「去るものは日々に疎」し、というより「OUT OF SIGHT、OUTO OF MIND」と英語で例えたほうが真意を語っているだろう。

そう、目にしないものは心から消え去るのである。

朝日新聞やNHKといった巨大メディアが意識的に国民の目を遠ざけたため、NHKの長井プロデューサーの「涙の記者会見」や朝日の本田記者(本多勝一氏とは別人)の名前を、国民は記憶の外に置きかけている。

ところが、どっこい、そうは問屋が卸さない。

国民の忘却に歯止めをかけるべく活躍しているのがネット人類の方々である。

何時も示唆に富むコメントを下さる読者の「町工場の親方」さんのコメントを、以下にそのまま紹介します。

                 ★

左翼革命を狙う、極左民主党の実体、(素顔) 2011-07-14 22:05:45 町工場の親方

《朝日新聞をみんなで叩き潰す掲示板》ーーー
平成18年12月

『チョーニチ!、越年でも、越々年』でも追求するぞ!!

今年、一月十二日、「朝日」、が行った、政治、イデオロギー的に自分の気に食わぬ、(=またチョーニチの大好きな北朝鮮、中共にとっても、非常に気に入らぬ)、与党・自民党の幹部、安部晋三、中川昭一、両代議士を貶め、政治生命を失わすべく仕掛けた、捏造記事の酷さは、今まで散々捏造記事を書いてきた、「朝日」、でも極めつけとも言える酷いものでした。

四年も前のこと、NHKが制作した、従軍慰安婦関係の酷い偏向番組の内容に驚いたNHK幹部が、内容を是正するため、非左翼の秦郁彦教授のコメントを取ったりして手直しした事件に対し、今頃になって、「自民党の政治家が圧力をかけて、無理やりHKの自主性を奪うようなことを行った」、と一面にデカデカと書き立てました。

あまりに酷い偏向番組に対して、国民から選ばれた政治家が、意見を言うのは当然です。
日教組や左巻き大学教授ならいざ知らず、常識的一般国民は、日放労に、左翼偏向の著るしい、番組制作の白紙委任をした覚えは毛頭ありません。

しかし、そのようなことをしておきながら、訂正、謝罪は一切行わず、あたかも、「真っ黒な烏を純白の鷺」、で押し通そうと言うのですから、無茶苦茶です。左巻き人種は別として、常識的国民は呆れ返っています。

「朝日」、は10月1日の記事で、「『NHK報道』、委員会」、の見解とやらを元に、幕引きをしたつもりかも知れませんが、とんでもないというほかありません。

第三者機関?「『NHK報道』、委員会」、とかいうものが実に怪しい代物です。
この委員会は、安部、中川代議士、松尾総局長に会って話しを聞くことすらしていません。
挙句の果てに、

「公共放送のあり方に一石を投じたことは評価していい。それを浮き彫りにした朝日の努力を評価したい」・・・丹羽宇一郎・伊藤忠商事会長。(※:民主党内閣が民間から任用した、現・在北京・日本大使)

「このケースは典型的な、『政治的圧力による番組変更』、の例といえる」・・・原寿雄・元共同通信編集主幹。

「そもそも今回の記事の狙いは、公共放送と政治の距離、すなわち、放送番組への、『政治的不干渉』、『番組編集の自主性』、を定めた放送法の精神や憲法で保証された表現・報道の自由が危うくなっていないか、という問題提起があった」・・・本林徹・前日弁連会長。

「当初の取材結果からは、記者が、中川氏と松尾氏と、放送前日会ったと考えたことに相当性があり、初報の書き方に過失はないであろう」・・・長谷部恭男・東大大学院教授。

何のことはない、本田記者の行動と、「朝日」、のやったことを何としても正当化しようとする、最初に結論=朝日無罪、ありきの、「朝日」、ベッタリの言い分です。

こんなもので国民が納得すると思っているのか!、と怒りが湧きます。

私は今回の、「朝日」、対、NHKの事件の結末をつけるのは、実に簡単な事だと思っています。

『まず、何よりも、本田雅和記者、長井暁チーフプロデューサー、松尾総局長、安部、中川代議士が、国民全部が見られる公開の席、オープンな場で、ことの真偽に関して討論することです。

しかし、一体、全体、どうしたことか、本田雅和記者は事件以後一年経った今も、杳としてどこにいるのかわかりません。私は、彼が雑誌等に書いているものも、新聞・雑誌の記者が彼にインタビューしているものも、読んだことがありません。

「朝日新聞」、の権威で、朝でも、夜遅くでも、政治家の家のインターホンを鳴らしまくって強引に取材をした、という本田記者はどこに行ったのか、不思議です。

が明けたら、是非とも討論を実現してもらいたい、と強く望みます。
今回の事件は、「朝日」、にも随分左翼側の応援団が出てきました。

如何にも、「問題すり替えの朝日」、を応援するグループらしく、東大の教員有志14人が呼びかけ人となって、今回の問題の本質は、「放送に対する政治介入による、学問の自由、思想・信条の自由を侵害する、検閲だ」、と声明を出しています。

《昔の名前で出てきました》、と、東大、『社会科学研究所』、の大沢真理教授、(男女共同参画法作成の中心人物)、も名を連ねています。日放労も、「長井氏を支援する」、と言っています。

当事者同士のオープンな討論を何より望みますが、この問題はここまで大きくなった以上、双方の支援者、弁護団、応援団も入れて、国民が見ている開かれた場所で、大いに議論してもらいたい、と考えます。

と言っても双方あまり数が多くなると、収集がつきませんので、五、六名ぐらいずつ出たら良いと思います。
私が望む、両陣営の顔ぶれの一例を挙げさせていただきます。

「朝日側」:本田雅和記者、長井暁・プロデューサー、本多勝一、大沢真理・教授、日放労委員長、朝日新聞社長。

「NHK側」:安部、中川代議士、松尾総局長、西尾幹二名誉教授、高山正之教授、稲垣武氏、水島総・チャンネル・桜、社長。

「NHK側」、は西尾、高山、稲垣、のうち二人に替えて、私が、「世の中には優秀な人がいるものだ」、とつくづく感じている、インターネット掲示板、「朝叩き板」、や、「史の会板」、に優れた文章を発表される論客、KABUさん、や教科書改善運動で知り合い、その智謀に感心した、平田文昭氏が出ても面白いと考えます。

民主党に入った巨額の金が、管直人を迂回して、極左政党に流れた。

しかし、「産経」、を除くマスコミはこのドス黒い事実を報道せず。

何とも酷い話です。

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