狼魔人日記

沖縄在住の沖縄県民の視点で綴る政治、経済、歴史、文化、随想、提言、創作等。 何でも思いついた事を記録する。

那覇軍港移設、翁長知事に翻弄される松本浦添市長

2015-04-25 07:23:44 | 未分類
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「那覇軍港移設」は翁長知事のアキレス腱、と書いた。

那覇軍港の浦添移設には賛成しながら、普天間飛行場の辺野古移設には反対する翁長知事の二枚舌を追及すべきとも書いた。

特定勢力の「コマーシャルペーパー」の名に恥じぬ沖縄2紙が、松本浦添市長の「公約転換」を批判することはあっても、翁長知事の二枚舌に触れることはない。

だが沖縄タイムスの「公約転換」による松本市長への糾弾は、いまひとつ歯切れが悪い。 仲井真前知事の場合のように口汚く個人攻撃をすると、翁長知事の二枚舌に話が及ぶのを恐れているのだろう。

今朝の沖縄タイムスから松本浦添市長の「軍港移設」問題が消えた。

・・・と思っていたら、コラムによるお得意の印象操作である。

[大弦小弦]

亡くなった橋本龍太郎元首相は自民党きっての政策通…

沖縄タイムス 2015年4月25日 06:00

 亡くなった橋本龍太郎元首相は自民党きっての政策通と評価される半面、「怒る、威張る、すねる」との評判もあった。気むずかしさやプライドの高さから出たものだ

▼若手の首長や議員らの最近の行動を橋本氏の人物評になぞらえると、「怒る、すねる、つぶやく」というところだろうか

▼政治的な対立に直面したとき、意見が異なる相手の批判をいきなりフェイスブックやツイッターに掲載することがある。若者を中心に広がるSNSを使って自らの考えを示すことを否定するわけではないが、一方的に反対論を抑えるためにこきおろすような言動は感心しない

▼民主主義は合意を得る過程が重要で、そのために話し合いを重ねる。賛同を得られないまでも、意を尽くして説明する責任が常に問われる

▼松本哲治浦添市長が反対の立場であった那覇軍港の移設受け入れを表明した。市長選の公約を覆したことで、「市民への裏切り」など多くの抗議を受けている。移設反対は市長選での「方便」だったのかと同時に、那覇市や県などをどこまで真剣に説得したのかと疑念がわく

▼「独り相撲」とやゆされる松本氏の政治スタイルが招いた事態であれば、市民が不幸だ。公約は変えてはならないものではないと開き直った松本氏は、その判断についてあらためて信を問うべきだ。(与那原良彦)

          ☆

 確かに「那覇軍港問題」は、二枚舌のコウモリ男・翁長氏が那覇市長時代に話が遡るため話が複雑でわかり難いのは否めない。

そのわかり難い点を利用し、翁長知事の二枚舌に封印したままコラムなどで印象操作されると、一般市民はつい乗せられて、この通りである。

浦添市長に批判57件 軍港受け入れ、支持4件(2015.4.24)

 
沖縄の不都合な真実 (新潮新書)
大久保潤 篠原章 共

現在ベストセラーを続けている「沖縄の不都合な真実」の著者篠原章さんが、沖縄2紙が決して報道することのない那覇軍港問題の真実を解説しておられるので、次に紹介する。

翁長知事に翻弄される浦添市長〜那覇軍港の浦添移設問題

Okinawa Governor Deceived Urasoe Mayor ; Relocation Issue of Naha Military Port

2015/04/24

【要 約】

  1. 松本浦添市長が、公約である「那覇軍港移設反対」を撤回して「移設容認」に転換したことが非難されている。
  2. だが、松本市長の公約は、2年前に「軍港移設推進」から「反対」に突然転じた翁長沖縄県知事(当時那覇市長)の画策によって半ば強いられたものであった。
  3. 翁長知事は、昨年になって「SACO(日米)合意遵守・移設推進」の立場に復帰して松本市長の梯子を外し、彼を孤立させた。
  4. 辺野古では「移設反対」、浦添では「移設賛成」と立場を使い分けする翁長知事は、数百億の資金が動くMICE施設(カジノを含む)を軍港跡地に誘致するという思惑を持っている。
  5. 浦添移設を推進すれば、港湾施設の建設には辺野古の5000円億を凌ぐ8000億円規模の事業費が予想される。翁長知事はおそらくそこまで見通して、政治算術をめぐらしているのではないか。
  6. 松本市長は、公約通り「移設反対」を貫けば翁長知事の目論見を打ち破ることができる。そこまでできないというのなら、翁長知事を実名を挙げて断罪するなど、カネと利権に縛られない沖縄の民主主義のために徹底して闘うべきである。

4月21日、「松本哲治浦添市長が、選挙時の公約を翻して那覇軍港の浦添移設を容認した」と報道された。浦添市役所には抗議が殺到し、「市長は辞任して市民に信を問うべきだ」という声も多いという。
公約違反は事実だ。その限りでは市長に分はない。容認に転換した理由を説明する市長の会見も歯切れが悪かった。が、市長が軍港移設を受け入れた背景には、翁長沖縄県知事、翁長氏の意向を受けて行動する城間那覇市長の、松本氏に対する「裏切り」がある。松本氏は彼らの信義にも劣る言動について自身のブログで触れているのに、記者会見では何を気遣ってか「政治環境の変化」としかいわなかった、翁長、城間両氏の実名を挙げて断罪すればよかったのだ。

ここで少し長くなるが、まずは軍港移設問題を簡単に解説しておこう。

問題になっている那覇軍港とは、那覇市都心部に近い那覇市住吉町にある「那覇港湾施設」のことで、1945年の占領以来、米陸軍が管理している。一部海軍も使用しているが、ベトナム戦争や湾岸戦争の折には、陸軍の戦闘車両や武器の荷揚げ荷下ろしの際に活用された。面積は約59ヘクタール。空港から那覇都心部に向かう国道331号線沿いにあるため、観光やビジネスの拠点として利用価値は高く、1996年のSACO最終合意(日米合意)では、浦添埠頭地区への移設条件付きで返還されることが決まった。
当初浦添市は、那覇軍港の移設について寝耳に水の出来事で受け入れに難色を示したが、稲嶺県政時代に、稲嶺知事と翁長那覇市長(現県知事)が浦添市の説得に努め、移設容認を公約に掲げて当選した儀光男市長(現参院議員・維新の党)が、正式に受け入れを表明した(2001年11月2日)。当時の琉球新報(11月13日付)は以下のように報じている。

見出し 那覇軍港受け入れ表明/浦添市長
【浦添】儀間光男浦添市長は12日午後、浦添市役所で記者会見し、米軍那覇港湾施設(那覇軍港)の浦添市への受け入れを正式に表明した。儀間市長は、移設に伴う振興策を国、県、浦添市が話し合う協議会の初会合が16日に東京で開かれることを明かし、「浦添市西海岸地区開発などの方向性が見いだせると確信している」と述べ、政府側の振興策への取り組みを受け入れの理由に挙げた。16日には移設に関する別の二協議会も発足する方向。市長の表明で、日米両政府の返還合意から27年が経過した那覇軍港問題は大きく動きだすが、移設反対派は強く反発している。
儀間市長は2月の市長選で移設容認と西海岸開発を公約に掲げて当選。就任後は正式表明への時期を模索してきた。会見では「協議会で意見を交わす中で、振興策が打たれていく」と、振興策獲得のための協議会発足が受け入れの条件だったと説明した。
一方で同市長は、受け入れ条件として「現機能を超えない範囲」との考えをあらためて説明。「基本的には空母や軍艦船が入る港ではない。あくまでも物資の輸送に限る」と強調した。機能、使用協定について「必要があれば協議会の中で議論される」との考えを示した。
使用期限については「付すのかどうか今のところ考えていない」と述べるに留まった。
本県の産業基盤拡充につながる/稲嶺恵一知事の話
市長の表明は長年の懸案であった軍港の返還を促進し、那覇港の国際流通港湾としての整備や西海岸道路の整備など本県の産業基盤の拡充にもつながるものだ。決断に深く敬意を表したい。
決断に敬意/翁長雄志那覇市長の話
決断に敬意を表する。今後、那覇港は県、那覇市、浦添市の三者が一体となって国際流通港湾として整備・管理することになる。振興発展を担う中核施設として整備されるように努力を重ねたい。

この記事に寄せられたコメント(赤字)から明らかなように、翁長知事は以前から「那覇軍港移設推進派」だった。ところが、2013年2月10日に行われた浦添市長選挙に際して急に態度を翻した。移設問題を政争の具として「活用」したのである。これについては、本コラム2013年2月20日付の本コラム「市民本位の浦添市長誕生を喜ばない<オール沖縄>」に詳しいが、松本市長の誕生を阻止すべく、翁長氏は推進派から反対派に転じたのである。
そもそも松本市長は、自民党・公明党関係者が県民ネットなど他党派に呼びかけて実現した沖縄初の公開選考会(公募による首長候補選び)で選出された市長候補だった。自民党などが公簿候補を立てたのは、同じく立候補を予定していた保守系現職市長の儀氏を落選させたかったからである。儀市長は2012年に行われた県議選に子息の光秀氏を立候補させたが(当選)、その煽りを食って現職の県議で自民党県連幹事長だった池間淳氏が落選してしまった。翁長那覇市長が牛耳る自民党県連は、県連の顔に泥を塗った儀氏にひと泡吹かせるために、公募による反儀間統一候補を擁立しようと画策した、ということだ。
10月1日の選考会に登場したのは、松本氏、池間氏、そして元浦添市教育長・西原廣美氏の3人。各20分間のプレゼンテーションの後、県議・市議などが出席した選考会が開かれ、最終的に選ばれたのが松本氏だっ た。選考会などのようすは、YoutubeやUstreamにアップされた動画で確認できる。松本氏のプレゼンテーションは明らかに他の2人に優っており、動画を見るかぎり、きわめて順当な選考だったといえるだろう。
翌10月2日には和気藹々とした記者会見が開かれ、 松本氏を選んだことが公式に発表された。候補にはなれなかった西原氏も「松本氏を支える」と明言している。松本氏のブログによれば、この時点で 「松本市長・西原副市長」という体制で臨むことも決まっていたという。
ところが、選考会の主体だった自民党や公明党の幹部たちは、選考会終了後に一転して、自分たちが選んだ松本氏を蹴落とす動きに出た。「選考に不正があった」という理由で「松本氏を候補として認めない」と主張し、西原氏を口説いて立候補させることにしたのである。さらに民主党、社民党、社会大衆党まで誘い込んで、西原氏を「オール沖縄の浦添市長候補」と位置づけたのである。先の選考会や記者発表の動画を見た者には俄に信じられない豹変ぶりだった。
選考会で選ばれた時点で松本氏は「移設容認」だったが、選挙戦が始まると「移設反対」を唱えるようになった。その間の経緯について松本氏は次のように述べている(松本哲治ブログ「百花繚乱日記」(2013年1月21日付)

(那覇軍港の移設に関わる)現行計画は国、県、那覇市と共に長い時間をかけて協議してきた結果、あるいは、2000年那覇市長選挙(翁長氏当選)、2001年浦添市長選挙(儀氏当選)の結果を受けて、現在に至る計画です。そのために、私は私が市長 になったからと言って、いきなり白紙にもどしたり、現行計画を一方的に破棄したりするつもりはない、と(選考会で)お答えいたしました。公開討論会に挑んだ三氏とも同様の見解でした。しかし、情勢は一気に変化を見せています。

12月30日、自民党県連が西原氏推薦を決定します。
1月4日、社民党県連の旗開きで西原予定候補者が「反対」へ方向転回します。
1月12日、翁長那覇市長が「浦添市への軍港移設とは分離」を明言します。
このように、仲井眞県知事、翁長那覇市長、自民党県連 というこれまでは「浦添への軍港移設を前提とした西海岸開発計画」を推進してきた関係者が、あきらかな方針転換を決断していただいたお陰で、私たち浦添市でもこれまで県全体の発展を考えて受け入れてきた「苦渋の選択」でもある那覇軍港受け入れをする必要がなくなりました。よって、この時点で私自身も「那覇軍港の浦添移設」に反対いたします。

松本さんのブログによれば、1月12日なって翁長氏は「那覇軍港返還問題」と「浦添移設問題」を分離すると突然いいだしたことになる。「オール沖縄」で西原氏を応援すると決めた直後のことだ。翁長氏は「那覇軍港返還・浦添移設」というワンセットで進められてきた計画を、「もはやセットではない」と言いだしたことになる。そうなると、浦添側としては、移設容認を口にする意味がなくなる。協調して浦添移設を推進してきた那覇市側が、計画から離脱したからだ。翁長氏はなぜ「分離論」を持ち出したのか?理由は明白である。移設反対の社民党、社大党(さらに共産党)を味方に引き入れることによって、西原候補の選挙戦を有利に進め、ひいては自身のポスト仲井眞(知事選立候補)の立場を強化したかったからだ。
翁長氏の意向を受けた西原氏が「移設反対」を本格的に唱え始めて困ったのは松本氏である。ただでさえ、松本陣営に不利といわれる選挙情勢だったから、このまま「移設容認」の立場を維 持すれば、儀間陣営(移設容認)と西原陣営(移設反対)の両方から票を奪われかねない。翁長氏が移設問題を一つの争点にしてしまった以上、反儀間の立場を明確にするためにも「移設反対」を唱えたほうが有利な選挙戦を進められる。悩んだあげく松本氏は「移設反対」という立場を選んだ。もし、翁長氏の画策によって追い詰められることがなければ、松本氏は「容認」で通したはずだ。
その後も翁長氏は、「カネと地位を提供するから立候補を断念しろ」と松本陣営に持ちかけるなど、さまざまなかたちで浦添市長選挙に介入したが、結果的に松本氏は当選を勝ち取った。松本氏の当選自体は、公募によって実現した真っ当な「市民派民主主義」が打ち勝ったという意味で沖縄の未来にとって明るい材料だったが、物語はここでは終わらなかった。
なんと浦添での選挙が終わり、県知事選への立候補が決まると、翁長氏は、「浦添移設反対」に直結する「那覇軍港の無条件返還」という旗印をさっさと降ろしてしまったのである。以下は、翁長氏の後援会「ひやみかち うまんちゅの会」が知事選に際して発表した文書(沖縄21世紀ビジョンを実現する会からの公開質問状について)の引用である。

5.那覇軍港の浦添移設と普天間の辺野古の移設の相違点について
那覇軍港につきましては、平成13年11月に浦添市長が受け入れを表明しました。その時の理由として当時の浦添市長(儀光男氏)は次のように述べております。
「那覇や県が要らないという軍港を浦添が受けていいものかという議論でありますが、これは那覇軍港区域内の場所の移設、つまり整理整頓の範囲内であって、しかも浦添は新しく造成地をつくって、港湾をつくって、その一角に配置するわけでありますから、将来いずれ返還されると、市県民の本当の財産になっていくと。なかんずく、浦添市には、固定資産税という大きな財政収入が予測できるということ等をあわせると、決意をし、意を強くして、これらの政策の実現を図っていきたい。」
当時の浦添市長は、経済的発展、財政的展望の視点と将来的返還を期待しての判断も働いていたことが見てとれます。 一方、辺野古への移設については、受け入れる地元の名護市が反対しており、ここに大きな相違点があります。

儀前市長の発言まで持ち出しているが、要するに「那覇軍港の浦添移設は、地元である浦添市が賛成している以上このまま推進したい」というのが、その趣旨である。松本市長の誕生によって地元である浦添市は「反対」の立場に転じているのに、儀前市長の過去の姿勢を持ち出して、松本市政の方針を否定している。松本市長の容認から反対への転換は、翁長氏が「那覇軍港の無条件返還」を言いだしたことがきっかけであることも、すっかり無視されてしまっている。開いた口が塞がらないとはこのことだ。
知事当選後の翁長氏は「オール沖縄」を掲げて政府と「対決」しているが、辺野古移設については「絶対反対」を唱える一方で、浦添移設については「積極的推進派」である。以下は、前出の引用と重なるが、沖縄県議会での安慶田副知事の答弁(沖縄県議会「会議録」2014年12月16日付)。

基地問題に関する質問の中で、那覇軍港施設の移設に関する質問の回答についてお答えいたします。
平成26年10月8日、「沖縄21世紀ビジョンを実現する県民の会」宮城信雄会長から、那覇軍港の浦添移設と普天間基地の辺野古移設の相違点を問う趣旨の質問がありました。これを受け、同年10月15日、「ひやみかち うまんちゅの会」事務総長である私が回答いたしました。
その内容は、「那覇軍港につきましては、平成13年11月に浦添市長が受け入れを表明しました。その時の理由として当時の浦添市長は次のように述べております。 「那覇や県が要らないという軍港を浦添が受けていいものかという議論でありますが、これは那覇軍港区域内の場所の移設、つまり整理整頓の範囲内であって、しかも浦添は新しく造成地をつくって、港湾をつくって、その一角に配置するわけでありますから、将来いずれ返還されると、市県民の本当の財産になっていくと。なかんずく、浦添市には、固定資産税という大きな財政収入が予測できるということ等をあわせると、決意をし、意を強くして、これらの政策の実現を図っていきたい。」 当時の浦添市長は、経済的発展、財政的展望の視点と将来的返還を期待しての判断も働いていた」。「一方、辺野古への移設については、受け入れる地元の名護市が反対しており、ここに大きな相違点があります。」と回答したところであります。
以上であります。

翁長氏の後継として那覇市長になった城間幹子氏は、当選直後は「『軍港を移す』ではなく、『返してほしい』と求めていく」と「無条件返還」(=浦添移設反対)を唱えていたが、当選後初の議会では、総務部長に次のような答弁をさせている(那覇市議会「会議録」2014年12月5日付)。

◎久場健護 総務部長
再質問にお答えをします。
那覇軍港の返還は、平成8年12月のSACO最終報告により、浦添ふ頭地区への移設が日米で合意され、平成13年に浦添市の受け入れが表明されました。那覇軍港の浦添ふ頭地区への移設につきましては、平成13年11月に、当時の儀間光男浦添市長が、新たな造成地をつくることによる経済的発展、財政的発展、政策的な実現を図るため受け入れを表明して以降、本市もそれを尊重し、引き続き移設を容認していることでございます。以上です。

1996年の「SACO合意」を持ち出しながら、「浦添移設容認」を何事もなかったかのように明言している。松本浦添市長の方針はここでも完全に無視されているのだ。
こんなことがあっていいのか、と素朴に思う。あまりにもわかりやすい「裏切り行為」である。那覇市(翁長氏)に歩調を合わせて「移設反対」を唱えた松本市長は、完全に梯子をはずされてしまった。政治の世界が「汚い」のは十分承知しているが、ここまで汚いとさすがに腹が立ってくる。
たしかに松本市長にも選択肢はあった。翁長氏や城間氏が何を言おうが「浦添移設反対」を唱えることもできた。だが、松本市長は、翁長氏にすっかり翻弄されて(それも市長選に次いで二度目の翻弄だ)「市の発展を考えれば、浦添移設を進めるほかない」と判断したのだろう。辺野古の二の舞は避けたい、という思いもあったかもしれない。結局「移設反対」を撤回し、移設場所の変更を条件に「移設容認」に転じてしまった。
翁長知事や城間那覇市長は、なにゆえここまで露骨に「無条件返還(移設反対)」から「移設推進」に変節したのか。その理由は簡単である。那覇軍港跡地が、2020年の供用開始を目指して建設を計画されている収容人員2万人規模の大型MICE(国際会議や企業の研修・報奨旅行など。関連してカジノの開業も取りざたされている)施設建設の候補地になっているからだ。現に沖縄県議会や那覇市議会では、軍港返還とMICE施設の建設はセットで議論されている。おまけに、浦添の港湾施設建設工事は、辺野古の5000億円を凌ぐ8000億円規模の一大公共事業だといわれている。MICEを逃したとしても、那覇軍港の浦添移設に成功すれば、未曾有といっていい巨額の資金が沖縄で動く。利に賢い翁長知事がそのことを承知してないわけがない。
那覇市をMICEの候補地として残しておきたい翁長氏だったが、上で触れたように浦添市長選で「那覇軍港の無条件返還」をぶち上げてしまった。浦添移設を伴わない「無条件返還」に拘りつづけたら、普天間基地と同様、那覇軍港はいつ返還されるかわからない。それでは、MICE施設の最有力候補である豊見城市豊崎地区に負けてしまう。であるとするなら、松本市長の公約を無視して「浦添移設推進」の旗を掲げ直したほうが得策だ。市民派で利害を共にする後援団体のない松本市長の味方をする者など誰もいないから、松本市長を追いつめれば「移設容認」に転ずるに決まっている。ただし、2014年秋の知事選が終わって落ち着くまで時間を稼ぐ必要がある。となると、昨年夏に予定されていた県当局の候補地選定に「待て」のサインを出さなければならない。この問題については、翁長氏と共通の利害関係を持つ仲井眞前知事など保守本流も翁長氏と共同歩調をとり、県当局の候補地選定は何度も先延ばしされ、結局、年度まで跨ぐことになった(4月24日現在選定されていない)。
翁長氏のただならぬところは、昨年秋の段階での有力候補地が、豊見城市豊崎地区と与那原・西原町マリンタウン東浜の2箇所に絞られていたのに、知事選後に那覇軍港跡を有力候補として復活させ、松本市長に有形無形の圧力をかけて「移設容認」を表明させたところだ。さらに、最有力候補である豊見城市豊崎地区の候補地としての適格性に疑問を抱かせるような世論誘導をしたフシもあるが、この疑惑についてはあらためて触れる予定である。
結果的に、ことは翁長知事の目論見通りに進んだ。「移設反対」という梯子を外し、驚いて対話を求めてきた松本市長との面談を拒否することによって(どこかで聞いた話だ)、松本市長を徹底的に追いつめた結果、市長は公約を反故にして「容認」を打ちださざるをえなくなった
松本市長が「移設反対」の公約堅守を表明しておけば、翁長知事の目論見は裏切られ、知事の政治家生命にもクイを打ち込むことができたはずだが、松本市長は、知事の引いた路線に自ら身を投じ、政治家としての勝機を逃してしまった。ブログでは、たしかに翁長批判ともとれる主張を静かに展開しているが、あの程度の批判で力をそがれるような知事ではない。今さら「移設容認」という決断を覆せないというなら、松本市長は、翁長氏の実名と罪状を挙げながら徹底的に闘うべきだ。もっとも、「辺野古反対」で知事と利害を分かち合う社民党、社会大衆党、共産党などの活動家や支援者は、松本市長の「移設容認」会見直後から「公約違反の松本市長は直ちに辞めろ」という強力なキャンペーンを張って、松本市長を攻撃している。このキャンペーンも翁長氏の権謀術策のうちと考えるのは穿った見方かもしれないが、政治的基盤の脆弱な松本市長が果たしてこの攻撃にどこまで耐えられるか。あるいは反撃に出られるか。菅官房長官は松本市長を応援すると言っているが、今のところなんとも心許ない。

スクリーンショット 2015-04-24 18.38.01

批評.COM  篠原章
 
 

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    ●「良い正月」の一言で大敗した仲井眞氏
    ●編集権の範囲を逸脱
    ●沖縄が直面する本当の危機
    ●民主主義を崩壊させる
    ●「沖縄県紙は誤報が多い」J・CAST
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    ●抗議行動の一団に変じた2紙
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  ~新聞報道が沖縄県民の政治意識・投票行動を決める~
     ●本土人は報道内容に違和感  
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     ●「オール沖縄」、本土の人々も深く考えよう
           

     ●国への奉仕を強いられた沖縄
     ●流れは国からの分離・独立
     ●真実な情報供給が必要
     ●政府と沖縄の全面対決

 
        ~沖縄の独立は本当に「甘世」への道なのか~
     ●独立学会のアキレス腱・中国
       ●中国脅威論への稚拙な反論
     ● 尖閣問題に関する奇妙な論理
       ●リアリティを欠いた楽観論

 
     ●東アジア共同体研究所に見る尖閣問題
     ●「棚上げ論」は中国が「領海法」で反故 

 
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