狼魔人日記

沖縄在住の沖縄県民の視点で綴る政治、経済、歴史、文化、随想、提言、創作等。 何でも思いついた事を記録する。

「和解案」、県の「取り消し」撤回促す、代執行訴訟

2016-02-03 05:54:03 | 普天間移設

 

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1月29日に行われた代執行訴訟の第三回口頭弁論で裁判長から提示された2種の和解案が公表された。

内容は、8日の第2回口頭弁論で裁判長が被告の県に異例の質問をしたことに関係がある。

 和解案のないように立ち入る前に、裁判のこれまでの経緯を説明しておこう。

裁判長は、被告の県側に「仮定の話」と前置きしながらも「敗訴の場合はどうするか」などと質問すしている。

審議過程では中立のはずの裁判長が、一方の当事者が敗訴した場合の対応を質問するのは前代未聞である。

 

裁判長の異例の質問を10日付沖縄タイムスの2面に次のように報じている。

 

(裁判長は)県側には仮定の話として、「違法確認訴訟で県側が敗訴したら、どうするのか」と質問。 敗訴が確定した場合、翁長知事が承認取り消し処分などを取り下げる可能性について触れたとみられる。 県側の加藤裕弁護士は「即答は不可能だが、検討する」とした。

 

裁判長としては、「秒殺」の判決を出したい気持ちだが、県と国とが全面対決する訴訟は全国的注目を浴びており、しかも翁長知事を支援する沖縄2紙の報道が常軌を逸している。

そのため、いくら中立の裁判長でも簡単に「県側敗訴」の判決は出しにくいのだろう。

昨年8月の集中協議以来、頑なに取り消しを主張する県に対して、裁判長は敗訴した場合の県の対処を、念のため、聞いてみたのだろう。

裁判長の質問には二つの意味がある。

一つは、ここで一方的に「県敗訴」の判決を出したら、県の面目が丸潰しになるので、「取り消し」を撤回させて和解に持ち込むという「温情」の面。

もう一つは、県がこの「温情」を無視し「和解案」を蹴るようだったら「秒殺」で敗訴の判決を出すぞ、という「脅迫」に面だ。

これだけの予備知識を持って、今朝の沖縄タイムスの関連見出しを拾ってみよう。

一面トップ

証人取り消し撤回促す

高裁和解案 判明

代執行訴訟で知事に

■二面トップ

基地問題置き去り

高裁判決 解決つながらず

辺野古新基地 国に30年返還要求

 

知事に取り消し撤回促す 辺野古代執行訴訟の和解案判明

 

沖縄タイムス 2016年2月3日 06:04  

辺野古代執行訴訟 和解案の骨子

名護市辺野古の新基地建設の埋め立て承認取り消しをめぐる代執行訴訟で、福岡高裁那覇支部(多見谷寿郎裁判長)が国と沖縄県に勧告した二つの和解案の内容が2日、分かった。一つは、県が埋め立て承認取り消しを撤回し、国は建設する新基地を30年以内に返還する根本的解決とする案。もう一つは、国が代執行訴訟を取り下げて工事を止め、県と再協議するよう促す暫定的解決案としている。国と県の両者が合意しなければ和解案は採用されず、両者の判断が注目される。

» 基地と原発のニュースをフクナワでも

 和解案は、多見谷裁判長が1月29日の第3回口頭弁論後、非公開の協議の場で提示した。裁判所の指示で公表されず、県は裁判所に公表を要求していた。

 「根本的な解決案」とされる県の承認取り消し撤回は、国の計画通りの新基地建設が前提となるため、県側は受け入れない可能性が高い。期限付きで返還か軍民共用にする国と米側の交渉も不可避となる。

 一方、「暫定的な解決案」とされる国の提訴取り下げは工事の中断が同時に求められ、根本的な解決策とはならず、国にとって歓迎する内容ではないとみられる。

 翁長雄志知事の埋め立て承認取り消しに対し、国が違法確認訴訟や「是正の指示」など、別の手段で争う可能性も残る。

 翁長知事は第3回口頭弁論後、記者団に対し新基地建設は造らせない方針を示し、和解案への対応は「まったく白紙」と述べた。県側の竹下勇夫弁護士は、「行政事件訴訟の中で和解勧告は、かなりまれではないか」との認識を示していた。

 代執行訴訟は、今月15日に翁長知事、29日に稲嶺進名護市長の証人尋問を終え、同日結審する。和解案を国、県ともに受け入れない場合、3月中にも判決が言い渡される見通し。

               ☆

新基地に30年期限 国は返還か軍民共用、米と協議を 代執行訴訟の和解案

 

 
 

 名護市辺野古の埋め立て承認を翁長雄志知事が取り消したことの適法性をめぐり、国が県を訴えた代執行訴訟に関し、福岡高裁那覇支部(多見谷寿郎裁判長)が県と国双方に提示した和解案の内容が2日、分かった。同支部は、県が承認取り消しを撤回した上で、国は新基地を30年以内に返還するか、軍民共用にするかを米側と交渉する「根本的な解決案」と、国が代執行訴訟を取り下げて工事を中止した上で、県と協議し、なお折り合いが付かなければ、より強制力の弱い違法確認訴訟で法的正当性を争う「暫定的な解決案」の2案を示した。和解の提案に応じられない場合は、判決期日は4月13日とすることを裁判所が原告の国と被告の県に提示していたことも分かった。

 裁判所が和解の選択肢として、都道府県に米軍基地建設を容認するよう提案するのは初めてとみられる。
 30年期限案については、「辺野古に新基地は造らせない」とする翁長知事の公約に反することから、県が受け入れる可能性は低い。国も、米軍基地に使用期限を付けた提案は受け入れない公算が大きい。
 1月29日に開かれた代執行訴訟の第3回口頭弁論終了時に多見谷裁判長は「和解を勧告する」と述べた後、非公開の進行協議の中で、2種類の和解案を提示した。裁判所は原告の国と被告の県双方に、和解勧告の内容を公開しないよう求めていた。
 和解勧告の提案をどう評価するかについて、翁長知事は29日の弁論終了後、記者団に「全く白紙だ。関係者の意見を聞きながら、検討していきたい」と述べていた。菅義偉官房長官は同日の会見で「今後、政府として対応が可能かどうか検討する形になる」と述べている。
 県弁護団は和解案を検討する場合、県議会に説明する必要があるとして、県議らへの説明を認めるよう、2月1日に福岡高裁那覇支部に申し入れた。弁護団によると、同支部は「国の意見を聞いて検討する」と回答した。
 代執行訴訟は15日に翁長知事への本人尋問、29日に稲嶺進名護市長への証人尋問が行われ、29日に結審することが決まっている。

 
                  ☆

沖縄タイムス、琉球新報の両紙は翁長知事の応援団という事実を勘案しても、次のことは容易に導き出せる。

国側が代執行訴訟を取り下げるとは考えにくいが、県が「取り消し」を撤回することはそれ以上に困難だ。

翁長知事が知事の座に座れたのは「あらゆる手段で辺野古阻止」という公約を掲げたからだ。

それをいまさら撤回したら「オール沖縄」の中心勢力である共産党が黙って見過ごすはずはない。

これまで翁長知事礼賛の提灯記事をかいていた沖縄2紙も、知事の「取り消し撤回」と同時に知事攻撃に転じるだろう。

では、県がいずれの和解案も拒否したらどうなるか。

裁判長は、和解案が不成立の場合は4月13日に判決を下すという。

筆者の見立ては当然県の敗訴。

翁長知事は和解案拒否の場合も、判決で敗訴の場合も「あらゆる手段で辺野古阻止」の公約違反ということになる。

そこで以下は推測の域を出ないが、最近翁長知事が頻繁に口にする「けじめ」をつける行動に出る。

つまり公約違反の責任を取り、知事を辞任する。

辞任後の進路は次の二つが考えられる。

一つは「戦う知事」の印象が消えない間に、再度県知事選に挑戦する。

もう一つの選択肢は7月の参院選へ出馬し、「オール沖縄」から「オール日本」の神輿にのって安倍政権と戦う野党連合の象徴となることだ。

工事が多少遅れたとしても、普天間移設が約20年も遅れたことを考えれば工事中止には合意できるだろう

以上筆者の推測を述べたが、代執行訴訟で現在確定していることは次の日程だけである。

1)15日に翁長知事への本人尋問。

2)29日に稲嶺進名護市長への証人尋問、同日に結審。

3)4月13日に判決。

 
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コメント (10)

「辺野古闘争」の実態!

2016-02-03 05:37:44 | 普天間移設

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「辺野古闘争」の実態について書くつもりで、資料集めしていたら「代執行訴訟」の和解案の内容が公表された。

「辺野古闘争の実態」は急遽話題変更して、代わりに「農と島のありんくりんから勝手に全文引用させていただいた。

ありんくりんさんの文章は非常にわかりやすく辺野古闘争の実態を浮き彫りにしているので・・・・・結果的にはこの方が良かった!(笑)

以下引用です。 

なお代執行訴訟の和解案については、午後アップの予定です。

・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・

辺野古移転反対運動 よそ者のよそ者による、よそ者のための闘争

 

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HN山路さんの辺野古座り込みテントでのお話は、たいへんに面白く読ましてもらいました。 

「弛緩した雰囲気のなか酔いもあり、求められるまま「あそこで2、3人焼身自殺してみたまえ。必ず工事は出来なくなるぜ」と冗談話をしました。
しかし、これまでの闘争とちがい(辺野古移設により)土地を奪われた者がいるでもなく生活を脅かされる人間が出るワケではないので、そこまでやろうという人間がいるはずがないだろう、という結論に落ち着きました。」
 

Photo出所不明

わ、はは、そうですか、いずれにしても正直なのはいいことですよ。 

私もあそこには昼間ですが行っています。私の時には、活動家風の若い男が、なにしに来たァという雰囲気でしてね、パンフを買って早々に退散しましたものです。 

じゃあ、座り込みテントの住民は、あそこが地元から立ち退きを要求されている上に、現地の人間がまったくいないことを自分では理解しているわけですね。 

実はこの移設反対運動の、最大の矛盾点はここなのです。 

新滑走路ができることによって被害を被るはずの現地住民に、反対運動をする者が、ほとんどいないという事実です。 

もちろん、現地にも反対派はいますよ。だいたい2割くらいだろうと言われています。しかし、地区という共同体はまとまって動くものです。 

現地3地区も別に積極受け入れではありませんでしたが、長年に渡る厳しい交渉の結果、最も地元に被害がなく、それによる経済的損失も補償される約束をして容認したのです。 

他の地域がとやかく言うべきことではないし、住民でも自分は反対だとしてもそれに従うのがルールです。 

Photo_6(三里塚第2次強制収容 出所不明)

まぁ、普通の住民闘争は、現地の住民が現地の利害を基にしてやるものですから、当然成田闘争のように「三里塚・芝山連合空港反対同盟」みたいな現地住民による反対組織が先に出来ます。

上の写真は、成田闘争の1971年の第2次強制収容時の写真です。ここで、互いに鎖で身体を縛って座り混んでいるのは、全員が現地の農民のオバちゃん、オジちゃんたちです。

彼ら三里塚反対同盟は、婦人は地区や農協の婦人部を基礎にし、老人すら老人会が基盤でした。

今や、軒を貸して母屋を過激派に乗っ取られてしまいましたが、少なくともこの時期までは、農村共同体としての農民闘争だったのです。

では、辺野古の座り込みの写真をご覧頂きましょう。

Photo_7http://monsoon.doorblog.jp/archives/54546030.html

ここには現地住民はおそらくひとりもいません。仮にいたとしても、それは地区とは関係なく個人としての参加です。

この人たちの多くは、県下や全国からの「有志」の集まりです。はっきり言えば、左翼政党か労組の活動家のみなさんたちの動員です。

日当をもらって来ているからどうのという批判があるようですが、本質的にはそんなことはどうでもいいことです。

問題なのは、他人の共同体である生産と生活の土地に、地元の了承なく上がり込んで、「戦う」という姿勢そのものです。

現地の人が座り込みの場所として作るのが、本来の意味の「団結小屋」とか「座り込みテント」という施設なのです。 

Photo_8Wikipedia

沖縄においても、団結小屋は作られたことがあります。

上の写真は伊江島の土地収用反対闘争の時のもので、現存しています。とうぜんこの団結小屋は、地元住民が作ったものです。

ところが、現在の辺野古座り込みテントのように、よそからの押しかけ「支援」(←誰を?)が、現地住民から、出て行ってくれというのに上がり込んでしまうという話など、私は聞いたことがありません。 

だいたい、ここは生産と生活の場である漁港ですから、なんの断りもなく闘争本部にされたら、地元はさぞかし迷惑でしょうね。 

法的にも漁港施設は漁協の所有物のはずですから、完全な不法占拠です。漁協は立ち後要求と、賠償請求を行うことが可能です。

実際に平成24年に、名護市長に正式に当時の区長からの立ち退き要求が出されていますが、もちろん動く気配もありません。 

稲嶺市長が握り潰したからです。それどころか、市長選があれば真っ先に駆けつけるのが、このテントなんですから、チャーナランサ。 行政官としての適格性が疑われますね。

稲嶺さん、旧久志村はあなたの生まれた場所じゃないか。なぜ現地住民と膝をつきあわして話合いをもたないんですか。 

Photo_3琉球新報2014年11月19日より引用 「海上基地建設に反対する市民らにあいさつする県知事選で初当選した前那覇市長の翁長雄志さん=19日午後2時28分、名護市辺野古のキャンプ・シュワブゲート」) 

そういえば、翁長氏などは、知事当選のお礼に真っ先に行ったのが、この外人部隊による座り込みテントでした。 

翁長氏の後ろに、「平和センター」の山城さんが見えますな。翁長氏が、どこを向いて知事やっているのかよく分かる一枚です。 

そうです。「辺野古闘争」とは、徹頭徹尾、現地不在の借り物の闘争なのです。 

現地にある座り込みテントで、座っている人は余所から来た活動家の人、そこを「現地の人が戦っているんだ」と錯覚して交流に来る人も余所の人、闘争のシンボルに見立てて当選お礼に来る翁長氏も余所の人。 

借り物の土地で、借り物の時間に、他人が現地づらして上がりこんだまま動かない、確かにその意味で座り込みテントは、辺野古移転反対運動のシンボルであるのは確かです。す。 

さて宜野湾市民の「民意」は、今回の市長選ではっきり出ました。 

移転先隠しもなにも、宜野湾市民の「民意」はスッキリと「出て行ってくれ」です。 

そして受け入れ側の辺野古地区もまた、「しょうががない。お困りなようですから、とうぞ」と言っているわけです。 

これほどはっきりした「民意」はないんじゃありませんか。最大の当事者2者の意見が、きっちり整合しているのですから。 

これをなぜしっかりと受け止めないのか不思議です。 

新滑走路が出来ても、なんの影響も受けない南部などの人たちは、ひとまず現地2者の意志を尊重すべきではないのでしょうか。

「よそ者のよそ者による、よそ者のための闘争」というあり方は、いいかげん考え直さねばなりません。

 

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