※お願い
沖縄タイムスにしては珍しい今朝の一面トップの見出し。
改憲勢力3分の2の勢い
参院選終盤情勢
共同が全国調査
自民単独過半数も
沖縄区は劣勢
【参院選・終盤情勢】
改憲勢力が「3分の2」確保の勢い 自民党は参院過半数を制する見通し
産経新聞社は4日、FNN(フジニュースネットワーク)と合同で実施した電話による情勢調査(1~3日)に全国総支局の取材を加味し、10日投開票の参院選の終盤情勢を探った。自民、公明両党におおさか維新の会などを加えた「改憲勢力」は、憲法改正の条件となる
3分の2に達するために必要な78議席を確保する勢いとなっている。自民は非改選議席と合わせて単独過半数(122議席)を制する見通しだ。自民が単独過半数を得れば27年ぶりとなる。
焦点となる改選数1の「1人区」(32選挙区)では、自民が北陸や四国などの20選挙区前後で優位な戦いを進めている。民進、共産両党などが候補を統一した野党は、4選挙区程度で勝利が視野に入った。
ただ、野党が1人区で優勢なのは沖縄や山形など無所属候補に一本化している選挙区がほとんどで、長野などを除き民進候補が抜き出ている選挙区は限られているのが現状だ。残りの選挙区では与野党候補が接戦を展開しており、この結果が改憲勢力による3分の2確保をも左右する。
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>野党が1人区で優勢なのは沖縄や山形など無所属候補に一本化している選挙区がほとんどで
沖縄区で伊波候補が優勢という見立ては時事通信と同じだが、果たして実際はどうか。
「沖縄2紙は偏向報道が激しい」という批判に他紙、彼らはこう嘯く。
「偏向ではない。県民の民意を反映しているにだけだ」
その一方、彼らはこのような本音を吐く。
「沖縄の民意は沖縄2紙が作る」
沖縄2紙は「県民の70%は新基地建設(辺野古移設)に反対」と「沖縄の民意」を連日報道する。
沖縄2紙が造った神話のメッキが剥げる時期に来ている。「新基地建設(辺野古移設)反対は民意」という神話の。
明日から三日戦争に突入するが、沖縄2紙の見出しを見れば、大方の予想はつく。
■今でも燻る中国の脅威
伊波洋一候補の弱点は「中国の脅威」と再三書いた。
民主党政権時代に発生した「中国の脅威」が今朝の沖縄タイムス社会面の最下部に人目を忍ぶように掲載されている。
中国船衝突 弁論を延期
那覇地裁
尖閣諸島付近で2010年、中国漁船が海上保安庁の巡視船に体当たりした事件で、国が中国人船長=(44)、福建省=に、巡視船の修理費など約1429万円の損害賠償を求めた訴訟の第一回口頭弁論が5日、那覇地裁(森鍵ー裁判長)であった。 森鍵裁判長は船長側に訴状が送達されているか確認できないので、弁論を延期した。 訴状は14年2月で次回期日は未定。 訴状によると、船長は同年9月7日、尖閣付近の日本の領海内で操業。 警告した巡視船「よなくに」「みずき」に漁船で体当たりし、船体の外板や手すりを損傷させたとしている。
【おまけ】
沖縄ナショナリズムの陥穽
「辺野古」一色つまらない
争点の数々が沈んだ県議選
6月初旬に行われた沖縄県議会議員選挙はつまらない選挙だった。
私はその選挙が終わって3週間後、参議院選挙が公示された後にこれを書いているが、おそらく、沖縄における選挙の争点も同じようになるし、少なくとも沖縄の新聞は同じような流れを作るだろう。
沖縄県議会選挙において、沖縄の新聞は、issue(イシュー=問題)を単純化し、ひとつにしようと躍起になっていた。それは例えば立候補者たちへのアンケート調査に如実に表れており、要するに「翁長知事支持か否か」「辺野古移設に賛成か反対か」という踏み絵のようなものが主で、県内において最近特に問題視されている「子どもの貧困」や経済問題、教育の問題などは、それに比べればとても小さな扱いであった。
そして、翁長知事支持の議員が過半数を占めたことにより、「オール沖縄」が勝利したこと。「オール沖縄」はやはり「オール」であったことが証明されたというストーリーを作りあげた。
しかし、現実はそう単純ではないことは明らかである。
それは、議席を減らしたのが自民党ではないことを見れば素人でもわかることだろう。現実的な経済政策を優先する自民党も実は県民は支持したのである。
では、議席を減らしたのはどこなのだろうか。
新聞社のアンケートで、翁長知事に対して「中立」と答え、辺野古移設問題以外の様々な生活の問題をも選挙の争点にしたかった、主に無所属の立候補者たちの議席が減ったのである。
誤解を恐れずに言うならば、辺野古よりも大切なことを沢山抱えているのが普通の生活者である。辺野古より不安なこと、政治や行政に解決してもらいたい問題は山積みである。いわゆる「子どもの貧困」に代表されるように、沖縄の経済問題、特に格差の問題こそが、普通の生活者にとってはより重要であり、争点になるべきものだったと私は思う。
普天間基地の辺野古への移設は、私自身も沖縄県民として手放しで賛成はできない。できることなら、これ以上沖縄の海を埋め立ててほしくないし、故郷である沖縄本島北部「やんばる」に基地を増設するのは至極心苦しい。
しかし、沖縄県民はもう一度冷静になって「なぜ辺野古移設に反対なのか」を考えてみる必要もあると思っている。
それは、自らの「当事者性」を測ってみるということである。
名護市辺野古周辺の住民以外は、普天間基地が辺野古に移設することによる騒音などの直接的な被害を受けることはない。しかし、沖縄にある基地が同じ沖縄の地に移設すること、それが実質的に基地の拡大になるのかもしれないということに対する戸惑いや「怒り」や「苦しみ」は確かに多くの沖縄県民が共有していることである。
だとするのなら、それは「同郷愛」であり、もし沖縄が独立国であった場合は、それを「愛国心」と呼ぶのではないだろうか。
辺野古移設問題は、沖縄県民の「愛国心」の問題なのである。もちろん、愛国心そのものは決して悪いものではない。しかし、「愛国心」から最も遠くにいると思っている人たちの行動原理が実は(沖縄)愛国心であり、それはナショナリズムへと繋がっていくものかもしれないのだ。
ナショナリズムも、それ自体を無前提に完全否定すべきものではない。しかし、少なくとも、沖縄県民自身が自らの感情を「愛国心やナショナリズムへ繋がっているのかもしれない」という自覚は必要だと私は思う。そういった意味で、県議選挙中の沖縄の新聞が取った「白か黒か」というキャンペーンはむしろ危険なものだと言わざるを得ない。
そんなことを考える度に、私はBEGINの名曲「オジー自慢のオリオンビール」の一節を思い出す。
戦後復帰を迎えた頃は
みんなおんなじ夢を見た
夢は色々ある方が良い
夢の数だけあっり乾杯
はじめてこの歌詞を聞いた時、BEGINは天才だと思った。本質を鋭く指摘しているからだ。
皆が一つの夢しか見られないということは、それだけ人々が抑圧されているということである。それぞれがそれぞれの夢を見ることができる世の中のことを「平和」というのではないか。世の中がひとつの問題だけに注目し、それだけが争点になるような時代・時期はあまりいい時代・時期とは言えないだろう。沖縄戦の時も、戦後米軍統治下の時もそうだった。
県民はそれぞれ、いろんな夢を見ているし、見たいと思っている。辺野古だけを気にして年中怒っているわけにもいかず、それ以上に、子どもの教育のこと、親の介護のこと、自分の老後のこと、今月の家計のことで頭がいっぱいなのだ。
問題を単純化させようとする強力な力が働いた今回の選挙は、いわゆる「発展途上国」的でつまらないものであった。成熟した市民による選挙とは真逆の方向。
「夢の数だけ」「乾杯!」できる日はまだまだ遠いのだろうか。そう思った今年の県議選であった。
(みやぎ・よしひこ)