狼魔人日記

沖縄在住の沖縄県民の視点で綴る政治、経済、歴史、文化、随想、提言、創作等。 何でも思いついた事を記録する。

集団自決:極左が監修する公的刊行物!

2020-08-12 12:27:25 | ★改定版集団自決

 

 

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沖縄戦史の再検証のため過去ブログ集団自決:極左が監修する公的刊行物!2010-05-16 

を一部編集して再掲します。

                ★

沖縄戦史に関する一般書籍や公的出版物にも捏造部分が多い。

その理由は、その執筆者が左翼的発言で知られる沖縄の知識人が多いからだ。

例えば自分の父親を米兵に虐殺された知念勇さんの証言を採録し、『那覇市史』に記述した嘉手川重喜氏とはどんな人物だったのか。

米兵を日本兵に入れ替えた人物-琉球新報の元記者

沖縄戦史に「残虐非道の日本軍」というイデオロギーを吹き込んでいるのが沖縄タイムスと琉球新報の地元2紙であることは周知のこと。

知念勇さんの証言の「米兵」と「日本兵」を作為的に入れ替えた犯人の嘉手川重喜氏が、沖縄戦史の捏造で悪名高い琉球新報の元記者であることを知れば、驚くというより、さもありなんと思う人が多いだろう。

さらに集団自決の研究者が一度は手にすると思われる『渡嘉敷村史』や『座間味村史』の編纂に関わった沖縄の識者の正体を知れば、今度は逆に驚きを越して笑ってしまうだろう。

先ず『渡嘉敷村史』の監修者は「反日」「反天皇」のあの人物。

以前星雅彦氏が県(琉球政府)の依頼で渡嘉敷の聞き取り調査をした時の調査報告を「検閲」し星氏が取り上げた「日本兵の善行」を県史から削除した、あの安仁屋政明沖国大名誉教授なのだ。

安仁屋教授は、「大江・岩波集団自決訴訟」の被告側証人として陳述書を提出した「軍命あり派」のリーダーであるが、これだけで驚いてはいけない。

なんと一方の『座間味村史』の監修者は、安仁屋教授の愛弟子であり、集団自決訴訟の被告側証人として法廷に立ったあの宮城晴美氏であるから、今度も驚きが転じて、思わず笑ってしまう。 まるで師弟漫才ではないか。

これでは集団自決研究の原典とも言える「渡嘉敷村史」と「座間味村史」を安仁屋、宮城の極左師弟コンビが検閲するという最悪のパターンになる。

前述の知念勇さんの例でもそうだが、これらの極左知識人の手口は、あらかじめ結論が出来上がっており、記述あるいは監修の過程で捏造をそれとなく織り込んで物語を作り上げるのが常套手段である。 

文科省の歴史教科書検定意見に沖縄の歴史学者の研究成果が反映していないという意見を良く聞くが、このようなイデオロギーまみれの沖縄の学者達の「研究の成果」を教科書に反映させることこそ歴史の捏造につながるのではないか。

「母の遺した遺言」を書き換えた宮城晴美

宮城晴美氏が法廷証言のわずか一ヶ月前に、集団自決の証人である母の遺言を踏みにじり、イデオロギーの呪縛に平伏した話はあまりにも有名だが、前言を翻した恥ずべき新旧二種の『母の遺したもの』を読むまでもなく、裁判が提訴される前までは、宮城氏は正直に「軍命はなかった」と、あの沖縄タイムスの紙面で述べているではないか。 読者をバカにするのもいい加減にしろといいたくもなる。

「軍命派」の総本山沖縄タイムス記事をコピーしてアップしているので、引用する。

宮城晴美氏がいかに嘘つきであるかが分かる。

 


母の遺言(上) 母の遺言(中) 母の遺言(下)
母の遺言 (上)    母の遺言 (中)    母の遺言 (下)

   
■沖縄タイムス 1995年(平成7年) 6月22日 木曜日

母の遺言 (上)

証言の独り歩きに苦悩

手記の書き直し託される 宮城 晴美

その年、母は座間味島の「集団自決者」の名簿を取り出し、一人ひとりの屋号、亡くなった場所、使用した"武器"、遺体を収容したときの状況など、これから自分が話すことのすべて記録するよう、娘の私に指示してきた。座間味島の地図を広け、「自決者」のマップをつくりながら、母は知りうる限りの情報を私に提供し、そして一冊のノートを託したのである。

元号は変わっても・・・

それから間もなく、元気よく一週間の旅行に出かけたものの、母は帰ってきてから体の不調を訴えるようになり、入院後、とうとう永遠に帰らぬ人となってしまった。 一九九〇年(平成二年)十二月六日であった。

母の死後、遺品を整理しているなかで、日記帳の中から一枚のメモ用紙を見つけた。前年の一月七日、つまり昭和天皇が亡くなったその日に書かれたものであった。(省略)

"事実"を綴ったノート

そして、私に托された一冊のノート。それは字数にして四百字詰め原稿用紙の約百枚におよぶもので、母の戦争体験を日を追って詳しく綴ったものであった。母は「いずれ時機を見計らって発表しなさい。でも、これはあくまでも個人の体験なので発表するときには、誤解がないよう、客観的な時代背景を加えるように」と言葉を添えて手渡したのである。

ただ、母はこれまでに座間味島における自分の戦争体験を、宮城初枝の実名で二度発表している。まず、六三年(昭和三十八年)発行の『家の光』四月号に、体験実話の懸賞で入選した作品「沖縄戦最後の日」が掲載されたこと。それから五年後の六八年に発行された『悲劇の座間味島-沖縄敗戦秘録』に「血ぬられた座間味島」と題して体験手記を載せたことである。

ではなぜ、すでに発表した手記をあらためて書き直す必要があったのかということになるが、じつは、母にとっては"不本意"な内容がこれまでの手記に含まれていたからである。

"不本意"な内容」、それこそが「集団自決」の隊長命令説の根拠となったものであった。

自責の念にかられる

とくに、『悲劇の座間味島』に記載された「住民は男女をとわず軍の戦闘に協力し、老人子供は村の忠魂碑前に集合、玉砕すべし」と梅澤部隊長から命令が出されたというくだりが、『沖縄県史10 沖縄戦記録』をはじめとして、多くの書籍や記録のなかで使われるようになり、その部分だけが切り取られて独り歩きをしだしたことに母の苦悩があった。あげくは、その隊長命令説を覆そうと躍起になるあまり、曽野綾子氏に代表される、自決者を崇高な犠牲的精神の持ち主としてまつりあげる人々が出てきたとなると、母の気持ちが穏やかであるはずがなかった。

そしてもう一つの"不本意な理由、それは、自分の証言で「梅澤部隊長」個人を、戦後、社会的に葬ってしまったという自責の念であった。これが最も大きい理由であったのかもしれない。

(沖縄女性史研究家)

◇みやぎ・はるみ 一九四九年 座間味生まれ。雑誌編集者を経て、フリーライターになる。集団自決を中心とした戦争体験を追いながら、女性史とのかかわりを調査。九〇年から、那覇市で女性史編さん事業にたずさわる。

 

 

■沖縄タイムス 6月23日 金曜日

母の遺言 (中)

切り取られた"自決命令"

「玉砕」は島民の申し出

援護法意識した「軍命」証言

宮城 晴美

母は、どうして座間味島の「集団自決」が隊長の命令だと書かなければならなかったにか、その真相について私に語りだしたのは、確か一九七七牢(昭和五十二)だったと思う。戦没者の三十三回忌、いわゆる「ウワイスーコー」と呼ばれる死者のお祝いを意味した最後の法事があると私は聞き、「島の人は何を孝えているのだろう」という気持ちから座間味島の取材に出かけたときのことである。

「援護法」とのはざまで

話は一九五六年(昭和三十一)にさかのぼった。沖縄への「援護法」(正確には戦傷病者戦没者等遺族援護法)の適用を受け、座間味村では一九五三年から戦没者遺家族の調査が着手されていたが、それから二年後、村当局は、戦争で数多く亡くなった一般住民に対しても補償を行うよう、厚生省から来た調査団に要望書を提出したという。この「援護法」は、軍人・軍属を対象に適用されるもので、一般住民には本来該当するものではなかった。
それを村当局は、隊長の命令でで「自決」が行われており、亡くなった人は「戦闘協力者」として、遺族に年金を支払うべきであると主張したというのである。つまり、国のシステムから考えれば、一般住民に対して「勝手に」死んだ者には補償がなされず、軍とのかかわりで死んだ者にだけ補償されるといういう論理を、住民たちは逆手にとったことになろうか。

その「隊長命令」の証人として、母は島の長老からの指示で国の役人の前に座らされ、それを認めたというわけである。母はいったん、証言できないと断ったようだが、「人材、財産のほとんどが失われてしまった小きな島で、今後、自分たちはどう生きていけばよいのか。島の人たちを見殺しにするのか」という長老の怒りに屈してしまったようである。それ以来、座間味島における惨劇をより多くの人に正確に伝えたいと思いつつも、母は「集団自決」の箇所にくると、いつも背中に「援護法」の"目"を意識せざるを得なかった。

軍と運命を共に(省略)

一九四四年(昭和十九)九月、この島に日本軍か駐屯するようになったころから、住民は兵隊たちと運命を共にすることになる。(省略)

忠魂碑の前に

一九四五年(阻和二十)三月ニ十五日、三日前から続いた空襲に代わって、島は艦砲射撃の轟音(ごうおん)に包みこまれる。方々で火の手かあがり、住民は壕の中に隠れていても、いつ砲弾が飛び込んでくるか、ただおびえているだけであった。そんな夜おそく、「住民は忠魂碑の前に集まれ」という伝令が届いたのである。伝令が各壕を回る前に、母はこの伝令を含めた島の有力者四人とともに、梅澤隊長に面会している。有力者の一人から一緒に来るようにいわれ、意味もわからないまま、四人についていったのである。

有力者の一人が梅澤隊長に申し入れたことは、「もはや最後のときがきた。若者たちは軍に協力させ、老人と子どもたちは軍の足手まといにならぬよう忠魂碑の前で玉砕させたい」という内容であった。

母は息も詰まらんばかりのショックを受けていた。

 

■沖縄タイムス 6月24日 土曜日

母の遺言 (下)

「集団自決」時の社会背景

戦争は「終戦」で終わらない

島の有力者たちがやってはきたものの、いつ上陸してくるか知れない米軍を相手に、梅澤隊長は住民どころの騒ぎではなかった。隊長に「玉砕」の申し入れを断られた五人は、そのまま壕に引き返していったが、女子青年団長であった母は、どうせ助からないのだから、死ぬ前に仲間たちと軍の弾薬運びの手伝いをしようと、有力者たちとは別行動をとることになった。その直後、一緒に行った伝令が各壕を回って「忠魂碑前に集まるよう」呼びかけたのである。

軍国主義の象徴

伝令の声を聞いたほとんどの住民が、具体的に「自決」とか「玉砕」という言葉を聞いていない。「忠魂碑」の名が出たことが、住民たちを「玉砕思想」へと導いたといってもいいだろう。(省略)

元隊長との再開

この場所に集まれというのだから、住民としてはすぐさま「自決」と結びつけざるを得なかった。結果的には、住民は激しい艦砲射撃のため、忠魂碑に集まることができず、それぞれの壕で一夜を明かしたものの、翌日、上陸した米軍を見た住民がパニックを起こして、家族同士の殺し合いが始まったのである。(省略)母とともに、梅澤隊長のもとを引き揚げた四人全員が「集団自決」で亡くなってしまったため、戦後、母が"証言台"に立たされたのもやむを得ないことであった。

一九八〇年(昭和五十五年)の暮れ、母は梅澤元隊長と那覇市内で再会した。本土の週刊誌に梅澤隊長が自決を命令したという記事が出て以来、彼の戦後の生活が惨憺(さんたん)たるものであるということを、島を訪れた元日本兵から聞かされていた母は、せめて自分か生きているうちに、ほんとのことを伝えたいと思っていたからである。

皇民化教育の本質

その後の彼の行動については、あえてここでは触れないことにしよう。しかし、一つだけ言わせていただくとしたら、梅澤元隊長が戦後なお、軍人の体質をそのまま持ちつづけている人であることに変わりはない、ということである。母は、私がモノ書きとして生活するようになってからは、いつも思い出したように言いつづけたことがあった。

いまは事実を書かなくてもいい。でもウソは絶対に書いてはいけない」ということ。そしてもう一つは、「『集団自決』を論ずるとき、誰が命令したか個人を特定することにこだわっていると皇民化教育の本質が見えなくなってしまう。当時の社会背景をしっかりおさえなさい」と。
母は「事実」を元隊長に話したことで島の人との間に軋轢(あつれき)が生じ、悩み苦しんだあけくとうとう他界してしまった。

母の死を通して、戦争というのが決して「終戦」でおわるものではないことをつくづく思い知らされている。

                        ◆

文中の「有力者」とは、住民を自決に誘導したといわれる宮里盛秀助役のことだが、宮城晴美氏が法廷証言の一ヶ月前に「軍命あり」に宗旨替えした根拠が、宮里助役の実の妹である宮平春子氏の「兄擁護」のための証言だというから驚きだ。

こんな大嘘つきが『座間味村史』の監修をしている沖縄研究者の実情をオカシイと思う方、応援のプチッ!を、⇒最初にクリックお願いします

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終戦から75年 沖縄戦の真実を語る(下)

2020-08-12 10:10:01 | ★改定版集団自決

 

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知られてない沖縄戦の真実、集団自決の実相語る


 世界日報 豊田 剛  2020/8/12 
終戦から75年 沖縄戦の真実を語る(下)


 先の大戦から75年が経過し、歴史の風化が懸念される中、沖縄戦をめぐっては集団自決の実相や戦没者数について不確定なことは多い。沖縄戦体験者への聞き取り調査を行った作家の星雅彦氏と米軍からフィルムや資料を収集した沖縄戦ノンフィクション作家の上原正稔氏に、沖縄戦で知られてない真実や最も伝えたいことについて語ってもらった。前回8月5日付本欄の対談の後編。(聞き手・豊田 剛)
________________________________________
 

「集団自決」しているのはマスコミ、戦後自虐的論調に変化


 ――沖縄のマスコミは集団自決をはじめとして沖縄戦の真実に目を向けようとしていると思えない。


 星 マスコミは右の意見も左の意見も両方、平等に出した方がいい。一方的な側だけに立ってしまうと、だんだんおかしくなる。沖縄の2紙は被害者意識が強すぎて、何を書いてもいいという雰囲気になってしまった。
 マスコミが捏造(ねつぞう)、隠蔽(いんぺい)、嘘(うそ)を並べ続けて今に至っている。こういうことに対して反省する様子や気配が一切ない。


 上原 彼ら(沖縄のマスコミ)は完全に「集団自決」(自爆)している。
 沖縄戦の犠牲者の24万人という数字も、大半が直接、沖縄戦と関係ない。これに気付いているのは僕だけだ。1993年に県が各自治体に依頼して戦没者を調査したが、満州事変から戦後しばらくしてからの死者まで含めている。名護市の記録では、沖縄で死亡した人は57%しかない。
 米軍の場合は24時間以内に死んだ人だけを戦死者として、それ以後に亡くなった場合は戦病死と、分けて考えている。沖縄戦の正確な死者数について詳細はここでは割愛するが、戦前1944年の国勢調査と疎開者と比較・分析すれば、多く見積もっても5万5千人くらいだ。
 それから、平和の礎の原案となった「沖縄戦メモリアル構想」は僕が発案したが、大田昌秀知事がアイデアを盗んだ。沖縄国際大学の石原昌家教授は琉球新報にずっと連載している。県の「平和の礎」の建設委員(学識経験者や行政関係者10人で構成)にすらなっていないが、あたかも自分がやったかのように書いているからタチが悪い。


家族も殺害した金城牧師が証言、「自分も死にたかった」


 ――集団自決についても正当に評価されていると言い難い。


 上原 沖縄のマスコミは今でも、集団自決を「軍の強要」と言っている。これについては、『沖縄ノート』を書いた大江健三郎と出版元の岩波書店を相手取った大江・岩波集団自決訴訟が提起され、判決では敗訴となったが、軍命があったとは言えないという内容だった。腹立たしいことに多くの記者は勉強しようとしないし、死者の数もいいかげんなものが多い。本当のことを書いたため、僕も星さんも沖縄のマスコミから降ろされてしまったのだが。


 星 沖縄本島のあちこちで集団自決が起こったが、軍が関与していないのが一つ決定的。それから、渡嘉敷島の兼城清新という人がいる。彼が91歳の時に会ったが、戦時中は青年団長を務めていた。「赤松嘉次守備隊長は自決せよとは絶対言っていない。手榴弾(しゅりゅうだん)も防衛隊以外の人には渡してはならないと言っていた」と証言した。


 上原 赤松嘉次さんが1970年に慰霊祭のために渡嘉敷島を訪れた時、大変な反響があった。3月27日の新聞記事によると、渡嘉敷島の集団自決現場にいた金城重明牧師は「直接命令を下したかはっきりしない」「生きることへの不安がうずまいていた。個人的な批判をしない」と言った。ところが、わずか半月後の4月15日には、国や軍に責任を転嫁し始めた。


 星 無数の聞き取り調査をしてきたが、人間ドラマはぼくの心の中にある。金城重明は自ら命を絶とうとし、気絶をしたのち息を取り戻した。彼とは今から10年ほど前に3度ほど会って正直な気持ちを打ち明けてくれた。
 戦争当時16歳で、彼は手榴弾を持っていなかった。防衛隊が手榴弾を投げ自決が始まった。その時、こん棒で母親と妹、さらに、他に人たちも殴り殺した。


 上原 金城重明は全部で20人を殺害している。


 星 自分の母が死んでいるのを見て「死んでもよかった」「自分もあんなふうに死にたかった」と私に本音を話したことがある。
 天皇制どうのではなく、戦死が決して悲惨でみじめではないという考えがあった。私は戦争で亡くなった人々の当時に思いを馳せながら詩を書き続けている。


 ――沖縄戦についての評価は終戦直後と現在ではかなり違っている。


 星 戦時中は戦争に対しては肯定的な思いがあり、天皇批判もなかった。戦後、がらっと変わってしまった。変わったこと自体を悪いとは言わないが、時の指導者や影響のある文化人、大手マスコミなどが、沖縄戦に対して自虐的な論調をつくり上げた。
 琉球新報は米軍がつくった新聞だ。米軍に対してはそれほど悪い感情はなく、むしろ有難いと思っていた。沖縄は現在、米軍基地に付随する事件事故の問題があるが、人々の根底に敵愾心(てきがいしん)があったり格差があったりして、問題をややこしくしているのではないか。
(敬称略)

 

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八重山教科書問題は尖閣問題である

2020-08-12 06:20:53 | 教科書

 

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今日(12日)の沖縄タイムス、社会面左トップの見出し。

 

育鵬社教科書を採択

石垣と与那国 中学公民4度目

生徒の学びに影響懸念

教師や市民「現場の意見無視」

 

育鵬社の中学公民教科書、石垣と与那国で採択 4回目 保守的記述への意見なし

育鵬社版公民教科書の採択を決める石垣市教育委員会=11日、市教委

 【石垣】2021年度から使用する中学校教科書について、石垣市と与那国町の教育委員会は11日に臨時会を開き、保守色が強いと指摘される育鵬社版の公民など10教科16種目の教科書を、教科用図書八重山採択地区協議会(会長・石垣安志石垣市教育長)の答申通り採択した。両教委の育鵬社採択は4回目。 

 市教委臨時会で、採択地区協議会事務局(市教委学校教育課)は公民の育鵬社選定について「社会的事象を自分事として捉える教材をバランスよく配置している」「領土問題や憲法、沖縄の基地問題がしっかりと扱われている」などと説明した。

 教育委員は「保守的な記述が多く、反発の声も多い」として協議会での議論について質問した。事務局は、協議会委員の7人中4人が育鵬社版を推薦したとし、再協議の結果、6対1の賛成多数で同社版の選定が決まったとした。保守的な記述に関する意見はなかったという。

 教科書選定・採択を巡り「子どもと教科書を考える八重山地区住民の会」は、教育委員が過半数を占める協議会構成の改善や会議の公表などを求めて請願を提出していたが、市教委はこれを不採択とした。石垣教育長は「協議会は一定の政治的中立性があり、十分に審議して選定した。静謐(せいひつ)な環境での審議が必要だとの委員の総意で非公開にしている」と強調した。

 市教委の臨時会を傍聴した住民の会の江川三津恵共同代表(75)は「全国的に育鵬社版への反発の声があり、採択を取りやめる動きもある。なぜ反発の声があるかを深く理解してほしかった」と話した

過去ブログ異変は南からやってくる!石垣市議ら4人尖閣上陸2012-01-04

を一部編集して再掲します。

約十年前、八重山教科書問題は当日記が沖タイと全面対決・批判した問題です。

今でも、「八重山教科書問題 狼魔人日記」で検索したら、奮闘の跡が出てきます。

            ☆

 

「釣魚島諸島(尖閣諸島)は古くから中国固有の領土であり、中国は同地に対して争いようのない主権を有している。釣魚島諸島の領土主権を防衛しようという中国政府の決心は固く、決して変わらない」

これは3日、石垣市議ら4人尖閣上陸したことに対する中国政府の抗議声明である。

 ⇒中国政府が非難「日本の右翼分子」…石垣市議らが尖閣に上陸


尖閣諸島に対する中国の公式声明と見ていい発言であるが、慶田盛竹富町教育長が文科省の指導に逆らってまで採択に拘っている東京書籍版公民教科書には、尖閣諸島の領有権について中国の主張を何の批判もつけず「中国が尖閣の領有権を主張しています」と、そのまま掲載されている。

■東京書籍版
沖縄県先島諸島の北方に位置する尖閣諸島は日本の領土ですが、中国がその領有を主張しています。」

一方、慶田盛竹富町教育長が「子どもたちには渡さない」と必死で抵抗する育鵬社版教科書には、中国の領有権主張を根拠のないものと批判している。 

■育鵬社版
沖縄県八重山諸島北方の尖閣諸島は、日本の領土です。しかし、中国は1970年後半東シナ海大陸棚の石油開発の動きが表面化するに及びはじめて尖閣諸島の領有権を問題とするようになりました。ただし、中国が挙げている根拠はいずれも領有権の主張を裏付けるに足る国際法上有効な論拠とはいえません」。

現在騒動になっている八重山の教科書問題は尖閣問題である!

だとしたら竹富町教委や県教委が正当だと固執する東京書籍版教科書の記述が、中国の主張に有利な記述であることは誰が読んでも明らかである。

県教委や竹富町教委を含む「極悪複合体」が反日左翼複合体とも呼ばれるゆえんである。

いやいや、尖閣の領有権や自衛隊に関する記述を見れば、これだけ国に反乱を起こしてまで中国寄りの教科書に固執する慶田盛教育長は、中国の工作員と呼ばれても仕方がないのではないか。

 

「米軍基地の記述は少ないが、中国の脅威を目の当たりにする地域には、この教科書(育鵬社)が適している」。

これは「尖閣問題の記述が多い公民教科書が八重山地区の子どもたちには適している」とする石垣市議の砥板芳行さん(42)の意見だ。

これだけを見ただけで日本人としての教育にはどちらの教科書が適しているか自明だと思うのだが、中国から沖縄解放の援軍が来るという幻想に取り憑かれた沖縄タイムスにとっては、東京書籍版が最適らしい。

昨日から始った沖縄タイムスの連載特集「本土復帰40年 沖縄の自治像(1)」は、「愛国心は突然に」という第一面トップの大見出しで書いてあるが、その書き出しに次のようなくだりがある。

≪・・・・本島から400㌔以上離れた八重山では今、尖閣諸島の存在と国境地域の地理的特殊性から自衛隊配備の動きが浮かぶ。 石垣市と与那国町では今年4月から中学生が使う公民教科書に、愛国心や天皇、自衛隊の存在を重視するなど国家主義的色彩が強いとされる「新しい歴史教科書をつくる会」系の育鵬社版が県内で初採択された。 「愛国心」と「国防」といった言葉で鼓舞される辺境(ママ)ナショナリズムの台頭は、県民の平和のスタンスを揺さぶり、島々で暮らす人々の思いも交錯する。≫(沖縄タイムス 2012年1月3日)

先ず沖縄タイムスの卑怯な印象操作から指摘したい。

ナショナリズムは健全な国民なら持って当然であるが、「偏狭ナショナリズム」となると「戦争賛美者」などの悪いイメージになる。

「健全なナショナリズム」と「偏狭なナショナリズム」は対極に位置する。

記事は「ナショナリズム」と書けば済むことを、あえて発音の同じ「辺境ナショナリズム」と書いて、筆者のようなウッカリ者を誤誘導する高等戦術である。

クワバラ、クワバラ。

八重山教科書問題は、当初は歴史教科書が焦点だと思われていたが八重山採択地区協会で正式に帝国書院版が選定され、育鵬社版に投票した玉津石垣教育長や崎原与那国町教育長も不本意ながら、それぞれの教育委員会で帝国書院版を採択した。

ところが育鵬社版公民教科書が八重山採択地区協議会で選定されるや、問題は教科書の内容の問題から教育関連法の解釈の問題へと争点が変わった。

そして沖縄タイムスは関連法規にいちゃもんをつける手法で完敗を悟ると、新年早々「復帰40年」特集に絡めて、問題を「愛国心」や「国防」といった日本国民なら当然考えるべき問題を大上段に構えて、八重山教科書問題での失地回復を目論んでいる模様である。

巨大ダムの崩壊も蟻の一穴からと言われる。

八重山教科書問題での敗北はこれまで沖縄全体を支配してきた「極悪複合体」の崩壊に繋がる十歳問題である。

昨日のエントリーの「第一部 風は南から①-八重山は今」の後半部分を紹介しよう。

     ■      ■

「米軍基地の負担を強いられている本島と、米軍や自衛隊がなく中国の脅威にさらされている八重山とでは、国防や平和の有り方に対する温度差はある」。 八重山防衛防衛協会事務局長で石垣市議の砥板芳行さん(42)はこう語る。
与党として中山市長を支える立場の砥板さんは、尖閣問題の記述が多い公民教科書が八重山地区の子どもたちには適しているとし、「つくる会」系の教科書を推す。「米軍基地の記述は少ないが、中国の脅威を目の当たりにする地域には、この教科書が適している」という意見だ。
一方、突然起きたかに映る「変化」に、言いようのない不安を募らせている人たちもいる。
与那国町で教員経験があり、今回の教科書選定をめぐる手法に疑問を持つ福祉団体職員の市原由香里さん(50)=石垣市=は「報道は加熱しているが、市民の多くは何が起きているか良くわからない。 自衛隊の配備も、教科書問題も、いつの間にか決まってしますのが怖い」と、有志で勉強会を重ねてきた。 今は「教科書問題の背景が知りたい」と行政訴訟を起こした小学校の母親2人と活動する市原さん。 「市民が今の動きを感じ、物事を見極めることが大事。そうじゃないと民主主義は崩れていく」と訴える。
今回の問題は、国境地域という南の島だけでの特殊な動きなのか、あるいは、南からやがて押し寄せる「異変」の予兆なのか。 復帰40年目を生きる県民に問いかける。(復帰40年取材班・吉川毅)(沖縄タイムス 2012年1月3日)

                ☆

昨年の沖縄タイムス、琉球新報、八重山毎日の常軌を逸した報道を見て、これら3紙を「発狂新聞」と呼んだが、上記記事の市原由香里氏のコメントが、発狂報道を表現して余りあるのには笑ってしまった。

「報道は加熱しているが、市民の多くは何が起きているか良くわからない」

それはそうだろう。

発狂3紙が足並みを揃えてデタラメ報道を垂れ流し、「9・8全教委協」の協議の実態については口を閉じて報道しないのだから「市民の多くはなにがおきているか良くわからない」というのもむべなるかな、である。(爆)

そうそう、現在当日記のコメント欄では「反育鵬社派」と思われる読者が参入して活発な論戦が行われているが、発狂新聞が必死になって隠蔽する「9・8井戸端会議」について触れようとしないのも爆笑ものである。

>今回の問題は、国境地域という南の島だけでの特殊な動きなのか、あるいは、南からやがて押し寄せる「異変」の予兆なのか。

沖縄タイムスは今回の八重山教科書問題を「異変」と捉えているようだが、ならばこれまでの「ペンギン王国」の専横が「普通」だと考えているのだろうか。

沖教組が市民の知らぬ間に勝手に教科書を採択していたこと、

市庁舎に国旗が掲揚されたのは復帰以来40年目にして中山現市長が就任して初めてということ、

中国に有利な記述の教科書を適当な教科書と思い込んできたこと、

国防の重責を担う自衛隊が休養のため寄港しても罵声を浴びせて「出て行け」コールを発していたこと、

等々枚挙に暇がないほどだが、・・・これらの「反日行動」が「通常」とでも考えているのだろうか。

 

今までが「異変」の連続で異常ではなかったのか。

異常に慣れると異常に気が付かなくなる。

異臭に慣れ親しむと嗅覚が麻痺して異臭の臭さに気が付かない。

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米厚生長官 台湾 蔡総統と会談 断交以来最高位の高官訪問

2020-08-12 05:35:20 | 外交・安全保障

 

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米厚生長官 台湾 蔡総統と会談 断交以来最高位の高官訪問

台湾を訪問中のアメリカのアザー厚生長官が10日午前、総統府を訪れ、蔡英文総統と会談しました。

アザー長官は、アメリカが41年前に台湾と断交して以来、台湾を訪問する最高位の高官で、双方は新型コロナウイルスをめぐる協力などについて意見を交わしたものとみられます。

9日、台湾に到着したアザー厚生長官は、10日午前、台北市中心部にある総統府を訪れ、蔡英文総統と会談しました。

冒頭で蔡総統は「今回の訪問で新型コロナウイルスへの台湾の対応をより理解してもらい将来的な協力の方向性を協議したい」と述べました。
これに対してアザー長官は、先月亡くなった李登輝元総統に哀悼の意を表したうえで、「台湾の新型コロナウイルスの対応は世界で最も成功したものだ。今回の訪問でわれわれが共有する民主的な価値観が、どう役立ったか学びたい」と述べました。

アザー長官の台湾訪問についてアメリカ政府は、閣僚級としては6年ぶりで1979年の断交以来、最高位の高官だとしています。

アメリカのトランプ政権は、中国に対して強硬な姿勢をとるなか、台湾との関係を強化していて、今回、閣僚が台湾のトップである蔡総統と会談したことに中国は強く反発するものとみられます。

トランプ政権のねらいは

トランプ政権は、1979年の断交以来最高位となるアザー厚生長官を台湾に派遣することで、アメリカと台湾の高官の往来に反発する中国を強くけん制するねらいがあります。

背景には、中国の発展に関与して変化を促し協力的な関係を構築するとして歴代政権が取ってきた、いわゆる「関与政策」をやめて、今後は対決姿勢を強めていくというトランプ政権の方針があります。

さらに、トランプ大統領としては、アメリカで中国に対する反感が強まる中、11月の大統領選挙に向けて中国への強硬な姿勢を有権者にアピールするねらいもあるものとみられます。

一方、アザー長官は外交や安全保障ではなく、新型コロナウイルスの感染対策を担当しています。このため、トランプ政権としては、アザー長官の派遣ならば「感染対策で実績を挙げた台湾に担当の閣僚を派遣するのは当然だ」と説明でき、中国の批判を退けられると判断しているものとみられます。

トランプ政権は、新型コロナウイルスへの対応をめぐって国内で批判にさらされる中、感染拡大の責任は中国やWHO=世界保健機関にあると非難する一方、台湾の感染対策をたたえ、WHOの年次総会へのオブザーバー出席も強く求めてきました。

このためアザー長官は今回の訪問でも、こうしたトランプ政権の姿勢を強調するものとみられます。

トランプ政権の台湾政策

トランプ政権は、台湾との関係を段階的に強める形で、対立する中国をけん制しています。

2016年11月の大統領選挙で当選したトランプ大統領は、まだ就任前だった翌12月、台湾の蔡英文総統と異例の電話会談を行って経済や安全保障の緊密な関係を確認しました。

選挙で当選し就任を控えるアメリカの次期大統領が、台湾の総統と電話で会談したことが明らかになったのは初めてでした。

その後、トランプ政権は台湾への大型の武器売却を次々と決めていきます。去年7月、戦車108両を中心とした日本円でおよそ2400億円相当の売却を決めたのに続き、8月には台湾が長年求めてきた新型のF16戦闘機66機、およそ8500億円相当の売却を決定。

また、ことし5月には、ポンペイオ国務長官が蔡総統の2期目のスタートを祝う声明を発表しました。台湾の外交部によりますと、アメリカの国務長官が、総統の就任式に合わせて声明を発表するのは初めてだということです。

こうした措置の背景には、アメリカ議会でも中国に対する強硬な意見が党派を超えて広がったことがあります。おととしには、それまで控えてきた高官どうしの往来を促進する「台湾旅行法」が全会一致で可決。今回のアザー長官の訪問につながっています。

また、ことし3月には、台湾と外交関係を持つ国との関係維持や台湾の国際機関への参加を支援する法案を可決し、トランプ大統領の署名で成立させています。

さらにアメリカ軍は、台湾周辺での中国軍の活発な動きに対抗する形で、海軍の艦艇に台湾海峡を通過させたり、空軍の輸送機に台湾上空を飛行させたりしていて、台湾周辺への軍の派遣のペースを加速させています。

中国 強く反発

中国は、アメリカの政府高官の台湾訪問について、台湾は中国の一部であるとする「1つの中国」の原則を堅持する立場から強く反発しています。

中国は各国と国交を結ぶ際に、中華人民共和国を唯一の合法的な政府だと認めることを条件としていて、アメリカも1979年に中国と国交を樹立した際に中国の主張を受け入れて、台湾と断交しています。

中国は、アメリカを含む各国に対して、台湾と断交したあとも台湾との経済や文化などの交流は認める一方、政府高官の往来など政治的な交流は認めていません。

台湾の統一を目指す中国は、台湾に関する問題について、一切譲歩することができない「核心的利益」に関わると位置づけていて、米中関係においても「最も重要かつ敏感な問題だ」としています。

今回のアザー厚生長官の台湾訪問について、中国外務省の報道官は「アメリカと台湾との公的な往来に断固反対する。アメリカの間違った行動には強い報復措置を取るだろう」などとして強く反発しています。

断交後7人目 最高位の閣僚を派遣

台湾の外交部によりますと、1979年の断交以降に台湾を訪れたアメリカ政府の閣僚級の高官はアザー厚生長官が7人目です。

断交後、初めてアメリカの閣僚級の高官が台湾を訪れたのは1992年、貿易交渉などを担当するカーラ・ヒルズ通商代表でした。ヒルズ代表は国際会議に参加するために商工団体に招かれて台湾を訪れ、滞在中、当時の李登輝総統とも面会しました。

この年はアメリカのブッシュ大統領の再選を懸けた大統領選挙が秋にあり、選挙を控えたブッシュ大統領はF16戦闘機150機を台湾に売却すると発表しましたが、選挙には敗北。ヒルズ代表の訪問はその選挙の直後、クリントン政権の発足を控えた時期で、大きな注目を集めました。

しかし、当時の台湾メディアは「ヒルズ代表は台湾訪問をあくまで個人的なものだとして、メディアとの接触を避けていた」などと伝えています。

その後、1994年から2014年までの20年の間に、運輸長官やエネルギー長官など5人の閣僚級の高官が台湾を訪問し、いずれも当時の総統と面会しています。

今回で7人目となるアザー長官の台湾訪問について蔡英文政権は、トランプ政権が中国との対立を深める中、共通の価値観を持つ台湾を重視し、これまでで最高位の閣僚を派遣したとみています。

そして、今回の訪問を通じて、アメリカとの関係をさらに強化するとともに、WHO=世界保健機関の年次総会へのオブザーバー参加などを国際社会に訴えていく考えです。

WHO 台湾オブザーバー参加 中国反対で実現せず

台湾は、国連の専門機関であるWHO=世界保健機関に1948年の設立当初から加盟していましたが、1971年に中国と入れ代わるように脱退しました。

台湾は1997年から、WHO加盟や総会へのオブザーバーとしての参加を求めるようになりましたが、中国の反対で実現しませんでした。

その後、台湾で中国との関係を重視する国民党の馬英九政権が発足し、中国との関係改善が進んだことを受けて、2009年にWHOの年次総会に初めてオブザーバーとして参加しました。

しかし馬英九政権のあと、中国が独立志向が強いと見なす民進党の蔡英文政権が発足すると、中国との関係は悪化し、2017年以降、台湾はWHOの総会に再び参加できなくなります。

ことしに入って新型コロナウイルスの感染が拡大すると、台湾は素早く検疫を強化するなど独自の対策を講じ、感染の抑え込みに成果を挙げました。

感染防止対策に国際的な協力が求められる中、ことし5月のWHOの総会では、アメリカや日本などから台湾のオブザーバーとしての参加を支持する声が上がりましたが、中国は反対する姿勢を崩さず実現しませんでした。

アメリカ 中国 台湾 外交関係の経緯

中国大陸では、共産党と国民党の内戦の末、共産党が勝利して、1949年に中華人民共和国の建国を宣言する一方、国民党は台湾に逃れ、みずからが正統な政権だと主張しました。

当時、アメリカは東西の冷戦を背景に国民党を支持して台湾と外交関係を結び、中国とは国交がない状態が続きました。

しかし、その後、中国とソビエトの対立が深まる中、米中両国は接触を重ね、1972年、当時のニクソン大統領が電撃的に中国を訪問し、米中の関係は大きく改善します。

そして1979年に、アメリカは中国と国交を樹立し中国を唯一の合法的な政府だと認める一方、台湾とは断交して外交関係を絶つことになりました。

ただ、アメリカは断交したあとも、台湾の防衛のため、台湾関係法という法律を根拠に武器の供与を続けています
 
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コロナ対策の決め手は「指定感染症」の解除

2020-08-12 04:41:26 | 未分類

 

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コロナ対策の決め手は「指定感染症」の解除

2020年08月11日 18:30
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「国民全員PCR検査」を提言して批判を浴びた小林慶一郎氏が、同じく政府のコロナ対策分科会のメンバーになった大竹文雄氏とともに、東洋経済オンラインで「重症ベッドを増設せよ」と提言している。

今年4~5月の自粛と休業によって年間で日本の経済成長率はおおよそ5%程度低下したと考えられる。[…]これから病床が逼迫して、緊急事態宣言の再発出という事態になれば、4~5月のように経済活動が萎縮し、10兆円規模の経済損失が発生することになる。

この10兆円の経済損失を防ぐために、1兆円かけて重症ベッドを増やしても元がとれるというのだが、この計算はあやしい。

次の表はコロナ患者の病床占有率だが、たしかに全国では33%、東京では50%を超え、沖縄では100%を超えてパニックになっている。しかしこれは一般患者数であり、重症患者は全国で162人しかいない。集中治療室をそなえたICUベッドは約1万7000床あるので、不足することは考えられない。


コロナ患者の対策病床占有率(新型コロナウイルス対策ダッシュボードより)

問題は重症患者ではなく、軽症・無症状の検査陽性者がベッドを占有していることだ。その原因は、症状がなくても指定感染症の患者は入院が必要だからだ。しかも患者を扱えるのは、大病院などの感染症指定医療機関に限られる。上の表の分母(4万1345床)は、指定医療機関のベッド数である。

日本は人口あたりベッド数の世界一多い国であり、全国に165万床もある。ボトルネックを解消するには「重症ベッド」を増やす必要はない。政令を改正して指定感染症の指定を解除すればいいのだ

今はコロナは感染症法の2類相当の扱いになっているが、インフルエンザと同じ5類にすれば一般病院でも収容できる。病院のベッドはガラガラで経営危機に瀕しており、その経営再建策にもなる。

経済の回復には恐怖を取り除く必要がある

指定解除に反対する人は「感染が拡大しているとき解除すると対策がとれない」というが、それは逆である。指定感染症は致死率の高い感染症を指定医療機関で隔離する制度であり、コロナのように何万人も軽症患者のいる病気には指定医療機関だけでは対応できないのだ。

致死率も高くない。7月のコロナ検査陽性者数1万7242人のうち、死亡したのは36人。致死率は0.2%で、インフルの0.1%とほとんど変わらない。

コロナは医療スタッフがワクチンで予防できないので院内感染のリスクが大きいが、それを防ぐ設備投資を公費で支援すればいい。大部分は軽症・無症状なので、その規模は大竹・小林論文の提言する1兆円の重症ベッド補助金よりはるかに安くすむ。

「経済が回復すればGDPが10兆円増えて元がとれる」という彼らの計算は、捕らぬ狸の皮算用だ。こんなバラマキで経済がV字回復する保証はどこにもない。

経済が回復しない最大の原因は、コロナが「死の病」だという人々の恐怖にある。それをなくすには過剰な自粛をやめ、コロナをインフル並みに格下げする必要がある。そのために政府のとれる決め手が、指定感染症の解除である。

これはコロナ対策の大転換なので、官僚にはできないだろう。そういうとき今までの経緯にとらわれないで、偏在している医療資源を効率的に再配分する方法を考えるのが経済学者の仕事である。

 

 

 

【追記】

堀江貴文氏が怒、機内でノーマスク不問はクレーマー対策?ずらす人に注意「マジ苦痛」

配信

デイリースポーツ
 

堀江貴文氏

 実業家の堀江貴文氏が11日、ツイッターに新規投稿。「JALはマスク付けてないと注意されないけど、付けててマスクずらすと注意されることが判明」と切り出し、日本航空を利用した際に感じたマスク着用の有無に関する対応についての不満を連続投稿した。  

堀江氏は「感染拡大防止が主目的ではなく、コロナ警察対策のノイジーマイノリティ対策でしかない」と指摘し、「だから、腹立つんだよな。本質的な対策ではなく、クレーマーに文句言われるのが嫌だから対策するフリをしてて息苦しさを感じる客の事などどーでもいいと思ってる経営体制」と怒り心頭。

 さらに、同氏は「きっとマスクしてる人にずらしてるの注意したら聞いてくれるけど、そもそもつけてない人に注意すると大騒ぎになるから注意しない運用だと思われる。ほんとクソ」「普通にマスクしてない人に注意してたらまだわかるけど注意しないんだよ笑。おかしくない?」と、つづった。

 堀江氏は「結局マスクはクレーマー対策ってことがよくわかった。ほんとJALクソ対応。もっと考えた方がいい。座席に前向いて黙って座ってるだけだったらなんの問題もないのにちょっと息苦しくてずらしただけで鬼の首をとったように注意されてマジ苦痛」と、改めて強調した。

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