「中国が沖縄の新聞に資金提供」 報告書の記述撤回 米国シンクタンク「戦略国際問題研究所」
米有力シンクタンク「戦略国際問題研究所」(CSIS)は24日までに、中国が沖縄の新聞に資金提供しているとした報告書の誤った記述を撤回した。発言を引用された慶応大の細谷雄一教授が修正を申し入れていた。
細谷氏の発言を引用し「中国は日本に影響を及ぼすため間接的な手法を採用している。例えば沖縄独立と米軍撤退を追求するため沖縄の新聞に資金提供し、影響を及ぼすことを通じて沖縄の運動にも影響を及ぼすような非公然ルートがある」と記述していた。
修正版ではこの部分から「沖縄の新聞」「資金提供」を削除し「沖縄の世論に影響を及ぼすことを通じて沖縄の運動にも影響を及ぼすような」と書き換えた。報告書本文やCSISウェブサイトには修正の事実は明示されていない。
★
「集団自決」が軍の命令や強制だったのか、それとも米兵の上陸でパニック状態の結果の「自決」だったのか。
戦後75数年も経った今も集団自決をめぐる「軍命の有無」が争われている。
ちなみに集団自決の軍命説を立証する客観的証言・証拠は一件もない。
そのため、2020年、8月現在、公的には「軍命説」は否定されている。文科省の検定意見でも「軍命説」は削除を求めている。
しかし、沖縄2紙を筆頭に沖縄教職員ら左翼団体は頑なに「軍命」を主張している。
★
言うまでもないが、「集団自決」の一番の被害者は「自決」した本人である。
しかし「集団自決」を生き残った故宮城初枝氏と戦後生まれた娘の晴美氏親子もある意味で「集団自決」に翻弄された不幸な犠牲者だといえる。
≪初枝さんは島の長老から、「梅澤隊長から自決の命令があったと証言するように」と求められた。しかし、初枝さんは証言できないと断った。だが、「島の人たちを見殺しにするのか」という長老の怒りに屈して、自決命令があったと証言したのである。≫(世界日報)
これを契機に、「梅澤隊長自決命令」説が広まっていく。
いや、広まっていくというより、どうしても軍による「自決命令」がなければ困る人々が居たのだ。
「集団自決」を生き残った人たちは苦しい心の葛藤を負わされる。
ある人は「自決する」家族を見殺しにして生き残った。生き残ったこと自体が心の葛藤になる。
集団自決が軍の命令や強制だったなら、生き残ること自体が矛盾になる。
軍の命令や強制で「自決」を拒否して生き残ることは、本来不可能なはずだから。
又自分の親兄弟の自決や他人の自決を「手伝った(殺害した)」生き残りは、「軍の命令だった」と言い続けなければ戦後生きてはいけなかった。
又ある人は自分の軽薄な言動がパニックを引き起こし「自決」の引き金となった。
その責任を逃れるためにも「軍の命令だった」と言わねば戦後生きてはいけなかった。
敵艦に島を囲まれ艦砲射撃の嵐の中、袋のネズミの状態でパニックで起きた彼らの行動を、平和な時代に生きる我々が責めることは出来ない。
だが、生き残ったものたちは贖罪意識で自分で自分を責めた。
彼らを救うのは唯一つ。
「軍の命令だった」「強制だった」、と言い続けること。
「自決」は軍の責任で止むを得なかったのだと。
これに「遺族年金」が絡むと問題は更に複雑になってくる。
*
2007年11月9日。
係争中の大江・岩波裁判で注目の大江健三郎氏の証人喚問行われ、愈々この裁判のクライマックスを迎える。
これまで証人喚問に応じた被告側証人には金城重明氏、宮城晴美氏がいる。
皆本、知念、金城の三証人はいずれも「あの日、あの島」に居た証人で勿論三人とご高齢である。
証人の中でただ1人戦後生まれの宮城晴美氏だけが「あの日、あの島」に居なかった。
だが実母である故宮城初枝氏書き残した「証言」を証言するという特異な証言者だった。
宮城氏が特異な証言者だというのはこれだけではない。
母初枝氏の「証言」を宮城氏がまとめて出版した『母の遺したもの』が、原告側の証拠として法廷に提出されていたのだ。
自著が敵対する原告側の証拠として提出され、その一方本人は自著の内容の『母の証言』を否定するため被告側の証人として証言台に立つ。
これがドラマなら緊迫の法廷場面だろう。
実際はどうだったのか。
原告と被告の間に立つ『母の遺したもの』について「世界日報」は次のように書いている。
「沖縄戦の悲惨の極限『集団自決』の中を生き、『真実』を秘めたまま母は他界した。それから10年――いま娘は、母から託された『真実』を、『集団自決』の実相とともに明らかにする」
第二十二回沖縄タイムス出版文化賞正賞を受賞した『母が遺したもの』(平成十二年十二月発行)の宣伝文句である。(世界日報25日付)
宮城氏の法廷での証言はどうだったのか。
「戦隊長による命令があったかどうかは分からない。しかし、住民の『集団自決』は軍の命令や指示によるもので、その最高責任者は部隊の指揮官である梅澤氏だ」。七月二十七日、大阪地裁で証人尋問に立った宮城晴美氏(57)は、それまで梅澤隊長の自決命令を否定する立場だったが、今年六月二十四日、座間味村の宮平春子さん(80)に取材して認識を変えたと語った。
春子さんから、兄で兵事主任だった宮里盛秀助役(当時)が「軍からの命令で敵が上陸してきたら玉砕するように言われている」との発言を聞き、これを軍命令の「決定的な証言」と受け止めたという。
だが、この証言は目新しいものでもなければ、決定的でもない。なぜなら宮城氏は、この証言を既に知っている。それは、宮里助役の父、宮村盛永氏の自叙伝(昭和三十一年十月起稿)にある。
(世界日報 10月26日付)
「母の遺言」を書き変える娘 揺れ動く「証言」より、その経緯を抜書きして以下に再掲する。◇ |
自分のついたウソの証言に自責の念にかられた宮城初江氏は「真実」を綴ったノートを娘に託した。
娘はそれを『母の遺したもの』として出版した。
それが係争中の裁判の原告側の証拠として提出された。
娘は故人となった母の代わりに証人尋問の証人として出廷し証言した。
だが、戦後「平和活動家」になっていた娘にとって『母の遺したもの』は「不都合な事実だった。
ちなみに証言者宮城晴美氏はサヨク学者安仁屋沖国大教授の教え子である。
証言者は、亡き母の証言を否定し『母の遺したもの』の内容を書き変えて改訂版『新版・母の遺したもの』を2008年に出版した。
*
宮城氏の証人尋問で次のことが明らかになった。
①宮城氏が、軍による自決命令があったと見解を変えたのは、わずか1月前の本年6月だということ。
②そして宮城氏自身が今も、梅澤さんが自決命令を出したと主張しているわけではなく、
<軍に責任があり、そうであるなら部隊長の梅澤さんに責任があると考えるようになったに過ぎない>と言うこと。
宮城氏は戦後生まれであり、本来なら「集団自決」の証言者の資格はない筈。
だが、母である初枝氏が座間味島「集団自決」の唯一の生き残証人でその証言を死ぬ前にノートに綴っており、
それを娘の宮城氏が『母の遺したもの』として出版した為、証言者となった。
従って、本人の証言というより「母の証言」についての証言者である。
証人尋問で唯一本人の意見としての証言は
「母が言及している時間帯における梅澤隊長の命令が無かったとしても、以外の時間で梅澤さんの命令があったかも知れず、梅澤さんの責任はあると思うし、そもそも軍としての命令はあったと思う」という証言。
「そもそも軍としての命令はあったと思う」と言うことはその場に居なかった者の推量であり証言とはいえない。
しかも、そう考える(推量する)ようになったのはわずか1ヶ月前の事。
『母の遺したもの』の中で実際に自決を命令したと記述のある村の助役の妹が一月前、自分の兄である助役を庇う証言をした。
それを聞いて宮城氏は自説(母の証言)をいとも簡単に変えたのである。
助役の妹の証言とは、県議会の現地調査の時に出てきた証言である。
これにについて、裁判長が「本当にその証言でよいのですか」と聞き返したことは『母の遺したもの』の母の証言を、裁判の僅か一ヶ月前に翻したことへの不信感の表れなのでしょう。
ちなみに宮城氏が証言を変えた助役の妹の証言の出た県議員団の「現地調査」が、いかにデタラメな噴飯物だったかは次のエントリーに詳しい。
【新聞が報じない現地調査の実態!】 県議団調査団の醜態この調査には沖縄タイムスの「ねつ造記事」に対する「お詫びと訂正」というオマケ迄付いたいわくつきの調査である。 |
又しても沖縄タイムスが捏造記事訂正 証言続出の「集団自決」
*
宮城晴美氏が著した「母の遺したもの」の初版(左)と新版
ところで宮城証言の根拠である『母の遺したもの』の母初江氏の証言はどうなっているのか。
時間をしばし巻き戻そう。
「集団自決」から37年後の、昭和57年6月。
元座間味守備隊長梅澤さんが座間味島で宮城初枝氏(宮城晴美氏の母)に再会した。
その際、初枝氏は、長年一人で抱え続けて来た苦しい胸の内を一気に吐き出し次のように語った。
「隊長は、自決してはならん、弾薬は支給しないと明言しました。そのことを知っている唯一の生き証人です。」
そして初江氏は、梅澤さんに何度も謝罪した。
そして、その翌月の7月。
初枝氏から梅澤さんに、次のような手紙が送られた。
<真実の歴史を残すためには此れから私のやるべき事が残っております。
あの悪夢のような二十五日の晩のでき事は五人の中、私一人が生存しその内容を知り、語り伝えるための宿命だったかも知れません。
後、一人は生きていて欲しかったのでございます。
誰と話す事なく一人で悩んでいる訳でございます。
私の戦後は終っておりません。
今後、下谷さんが悲劇の座間味の本を再発行する事になりましたので好い機会ですので訂正させて頂き度いと思います。当時の島のふん囲気の軍命を出し、誰がも(誰もが)知れない真実を自分一人で知り乍ら、忠魂碑の前集合は住民にとっては軍命令と思いこんでいたのは事実でございます。
何時も私の心境は梅沢様に対して済まない気持でいっぱいでございました。しかし、村の方針に反する事はできませんでした。
お許し下さいませ すべてが戦争のでき事ですもの。>(沖縄集団自決冤罪訴訟を支援する会より)
その後、更に初枝氏から梅澤さんに、『とっておきの体験手記』と題する手記の写しも送られて来た。
それには、弾薬を渡すよう村の助役が申し出たことに対し、梅澤さんがはっきりと拒んだことが書き綴ってある。
又集団自決を命じた村の助役の実弟宮村幸延氏が、梅澤元隊長が命令したと証言したことに対して梅澤氏に詫びており、詫び状まで書いている。
◆
母の証言をまとめて『母の遺したもの』を著した娘晴美氏は皮肉にも母の証言を否定する立場で証言台に立った。
彼女が選んだ選択は、自著の表現が未熟であり、関係者に誤解を与えてしまった、座間味島における「集団自決」は梅沢隊長の命令によると証言し、被告側を支援するという道である。
結果的に彼女は自著を否定することになった。
≪果たして彼女はその選択を、一体いつ決めたのだろうか。自らの主体的な意思で選んだのか。母初枝さんは昭和三十一年、村の長老の半ば脅迫じみた言辞に証言を拒めず、しぶしぶ、虚偽の証言をしてしまった。宮城晴美氏もまた、かつての母と同じように、関係者の「圧力」を受けたのだろうか。≫(世界日報より引用)
2008年、宮城晴美氏は「母の遺言」を踏みにじり『新版・母の遺したもの』を発刊。 梅澤氏が軍命を下したと嘘の証言をした。
【おまけ】
宮城晴美『母の遺したもの●沖縄・座間味島「集団自決」の新しい証言』(高文研 2000/12) isbn:4874982492 http://www.koubunken.co.jp/0250/0249.html
(立ち読み) http://www.koubunken.co.jp/0250/0249sr.html
母はこの『悲劇の座間味島』と, ノートを私の目の前に開き, どこがどう違うのか説明をはじめました. 事実と違う, あるいは書けなかったことを, 今回は書いたという部分が八カ所ありました. 村の指導者の行動や, 自らが米軍の「捕虜」となったときの取り調べの内容など, 本には載ってないことが具体的につけ加えられていました.
とりわけ, 本に収録された手記にあった, 当時の座間味島駐留軍の最高指揮官, 梅澤部隊長からもたらされたという, 「住民は男女を問わず軍の戦闘に協力し, 老人子供は村の忠魂碑前に集合, 玉砕すべし」の箇所の削除を指示する母の表情には, 険しさが感じられました. 「座間味島の“集団自決”は梅澤裕部隊長の命令によるもの」という根拠の一つとされ, 母の戦後の人生を翻弄した数行だったのです.
事実はそうではなかった. 母は自分の“証言”がもとで, 梅澤元部隊長を社会的に葬ってしまったと悩み, 戦後三五年経ったある日, 梅澤氏に面会して「あなたが命令したのではありません」と"告白"しました. しかしそのことが思わぬ結果を招き, 母は心身ともに追いつめられることになるのです.
改めて事実を記した手記を出版することで, 母は"証言"をくつがえそうとしました. しかしそれだけでは, また別の意味で誤解を生じさせかねません. そこで母は, 私にノートを手渡しながら, 「これはあくまでも個人の体験なので, 歴史的な背景や当時の住民の動きを書き加えてから発表してね」と言い, 私も軽く引き受けたのです.