狼魔人日記

沖縄在住の沖縄県民の視点で綴る政治、経済、歴史、文化、随想、提言、創作等。 何でも思いついた事を記録する。

苔むした古文書・屋良建議書、復帰50年、各世代がその意義を議論

2022-05-02 17:17:54 | 政治

 

 

プロフィール画像

NO!残紙キャンペーンサイト

⇒最初にクリックお願いします

ブラックアウト アメリカ黒人による、“民主党の新たな奴隷農場"からの独立宣言  単行本¥2,530

キャンディス・オーウェンズ (著)

間違いなく今後の米国史を動かし、やがて21世紀の革命家と称されるであろう
黒人女性の記念碑的処女作
日本の若き女性国士にして、最も勇気あるジャーナリスト・我那覇真子(がなはまさこ)を翻訳者に迎え、ついに運命の邂逅(かいこう)。
本書を読まずして、今後の日米関係は一切語れない。

ウクライナ戦争の逆風を受け、壊滅寸前の「オール沖縄」の支援で那覇市長の座を得た城間那覇市長が引退するとのこと。

「オール沖縄」が崩壊するなら引退が当然だろう。

ご苦労様でした。

「基地のない沖縄」求めた思い今も 復帰50年、各世代が屋良建議書の意義を議論

沖縄の日本復帰に合わせ、琉球政府が日本政府に提出した建議書の作成経緯を学ぶ参加者ら=30日、那覇市の八汐荘

 沖縄の日本復帰を前にした1971年、琉球政府の屋良朝苗主席(当時)が日本政府に申し入れた「復帰措置に関する建議書」(屋良建議書)に関するトークイベント「建議書は生きている」(屋良建議書を学ぶ会、ふーちばー企画主催)が30日、那覇市の八汐荘で開かれた。当時の琉球政府職員や戦後史の研究者が「基地のない平和な沖縄」を求めた建議書提出に至る経緯と背景を説明した。これを受け、各世代の参加者らが意見を交わした。

 参加者からは「復帰は喜ばしいことだと感じていたが、沖縄側の視点に立つと実はそうではなく、沖縄の声は届いていなかったんだと分かった」「今大事なことは沖縄県民自身がどういう沖縄にしたいのか考えることだ。一人一人が問われている。自分たちのことは自分たちで決め、行動することが大事だ」などと意見が上がった。

 琉球政府の職員だった平良亀之助氏は、沖縄の人々は「核抜き、本土並み」の復帰を望んだが、日米両政府は基地を置き続けるために情報を積極的に提供しないで手続きを進めたと指摘した。「核抜き本土並みではなかったのかと疑心暗鬼が広がり、急きょ建議書作成が進んだ」と述べた。

 沖縄国際大の秋山道宏准教授は、1960年代のベトナム戦争の激化を受け、嘉手納基地でB52墜落事故などが起きたことを紹介。「建議書に『基地のない平和な沖縄』を盛り込んだのは戦争が生活に入り込んできたからだ。現代でも戦地と結びついている状況は続いている。この理念は今も生きている」と話した。

                ★

ウクライナ戦争の教訓は、護憲主義者や反自衛隊・反米軍基地論者に逆風となって襲い掛かり、「オール沖縄」の中心となっている日本共産党も大きなダメージを受けた。

国際安全保障環境の大きな変化を目の当たりにして、日米安保の強化や安倍元首相の核シェアリング論が真剣に議論されるようになった。

我が国は国境を接して、強権国家ロシア以上の軍備大国・中国が隣国に存在する。

当然、「台湾有事は日本の有事」という安倍首相の言葉が現実味を帯びてくる。

そんな折、まさに時代に逆行する半世紀前の「古文書」のような屋良建議書を沖縄メディアが注目する理由は何か。

「基地の無い沖縄」を主張する屋良建議書など、覇権国家中国が連日のように尖閣海域を侵略している現在の沖縄では平和ボケと言われても仕方がない。

先日行われた沖縄市長選挙ではデニー知事が、支援する革新候補が惨敗し、翁長元知事の遺志を受け継ぐ同志と思われていた城間那覇市長は、10月23日の那覇市長選に不出馬という。

デニー知事の先輩翁長前知事は米軍基地を巡る「建白書」を掲げた東京行動で注目を浴び、一気に知事の座に駆け上った。

最近人気が凋落気味のデニー知事は、第三の「建議書」を作成し、一打逆転を狙っているようだ。 その手段として温厚な性格で現在も県民の人気がある屋良元知事や「あらゆる手段で辺野古阻止」を叫んで沖縄政界のカリスマとなった翁長知事に見習い柳の下の泥鰌を狙う魂胆だ。

ただ、二番煎じはともかく三番煎じでは味も香りも抜け殻でただのゴミだと思うが・・・・

「担ぐ神輿は軽くてパーがよい」

沖縄の将来展望を「宣言」 基地問題の発信は「建議」 2文書作成へ

沖縄はいま

沖縄タイムス
 
 
写真・図版
(資料写真)沖縄県庁

 玉城デニー知事が検討している沖縄の日本復帰50年に合わせた「新たな建議・宣言」について、「宣言」と「建議」の2文書を作成することが8日分かった。複数の関係者が明らかにした。「宣言」は県内外に将来の沖縄の展望を、「建議」は復帰後も解決していない沖縄の基地問題を日米両政府にそれぞれ発信する方針。知事は5月上旬にも「宣言」と「建議」を公表する予定で、「建議」は復帰式典がある5月15日までに、日米両政府に手渡す考えだ。

 関係者によると、知事は平和な沖縄や持続可能な社会の実現など普遍的なテーマを「宣言」の中で重視。その上で、有識者や県民から聞き取った意見を反映させる。

 一方、「建議」は1971年の「屋良建議書」で求めた基地のない沖縄の姿が今もなお実現されていない現状を整理。遅々として進まない整理縮小など基地問題に特化した内容としてまとめる。

 県は、基地問題を県政の最重要課題として位置付けており、復帰50年の節目となる式典でも広く発信したい意向だ。一方、式典には節目を記念する意味合いや県側も国に共催を要望してきた経緯もあり、政府に意見を申し立てる「建議」だけを発信するのは避けた格好だ。

 「新たな建議・宣言」の作成を巡っては、県は「屋良建議書」で求めた「新生沖縄像」と、現状の比較検証を進めてきた。3月までに大学教授や「屋良建議書」作成に関わった当時の関係者らを交えた有識者会議と意見交換(非公開)を実施。また今後50年を見据えた沖縄のあるべき姿について、県民意見を公募した。一連の意見聴取の結果を「宣言」と「建議」に反映させる考え。(沖縄タイムス

⇒最初にクリックお願いします


★真珠湾攻撃より先に日本攻撃をしたアメリカ、フライングタイガースの秘密

2022-05-02 08:24:35 | ●●沖縄の黒歴史

 

プロフィール画像

NO!残紙キャンペーンサイト

⇒最初にクリックお願いします

ブラックアウト

アメリカ黒人による、“民主党の新たな奴隷農場"からの独立宣言  単行本¥2,530

キャンディス・オーウェンズ (著)

間違いなく今後の米国史を動かし、やがて21世紀の革命家と称されるであろう

黒人女性の記念碑的処女作
日本の若き女性国士にして、最も勇気あるジャーナリスト・我那覇真子(がなはまさこ)を翻訳者に迎え、ついに運命の邂逅(かいこう)。
本書を読まずして、今後の日米関係は一切語れない

 

★真珠湾攻撃より先に日本攻撃をしたアメリカ、フライングタイガースの秘密

2021-04-29 

 

 

プロフィール画像

NO!残紙キャンペーンサイト

⇒最初にクリックお願いします

 

アメリカが真珠湾攻撃で第二次大戦に巻き込まれる数カ月前

 

ルーズベルト米大統領は、米陸軍選抜パイロットグループを(特殊任務から)”退役”する極秘大統領令を発行していた。

 

選抜パイロットグループの殺傷能力は、マラヤ、フィリピンその他太平洋地域のどの同盟戦闘機より優れていた。

 

1945年12月、アメリカ上下院合同調査委員会で、陸軍参謀総長ジョージ・マーシャル大将は、共和党H・ファーガソン上院議員に次のことを認めた。

アメリカ軍人は、日米開戦前、すでにフライングタイガー社の社員に偽装して中国へ行き、戦闘行為に従事していた」(『パール判事の無罪論』田中正明著)

「フライングタイガースは米国正規軍だった」

この事実は日本が開戦回避を必死で模索してワシントンで日米交渉を行っていた時、既に米国側は対日参戦にひそかに踏み切っていたことを示しているのである。

ルーズベルトは500機からなる部隊を準備し、中国派遣を命じた。これが「義勇軍」フライング・タイガース(AVG)の実態であった。

陸軍航空部隊長の1941年8月のメモによれば、米国正規軍としてのフライング・タイガース(AVG)の創設はすでに「大統領と陸軍省が承認していた」という。フライングタイガースが米国を出発してビルマに到着したのは昭和16(1941)年春のことであった。

日本への先行爆撃計画「JBー355」を承認したルーズベルト大統領のサイン入り文書

1941年7月23日。 了解-但し、軍事使節団方式を採るか、アタッシェ方式を採るかについては検討されたし FDR」『「幻」の日本爆撃計画』(アラン・アームストロング著、塩谷紘訳(日本経済新聞社)

アメリカが「リメンバー・パールハーバー」と対で使う「SNEAK ATTACK」(卑劣なだまし討ち)は、真珠湾以前に既にアメリカによって行われていたのである。


フライング・タイガース アメリカの「卑劣なだまし討ち」【狼魔人日記】
【真珠湾攻撃、その真実の歴史  ~その3~】
【正しい日本の歴史】より

 

2005年5月28日、アーリントン墓地に約四百人の老いた退役軍人が終結した。


彼らはフライングタイガースの元隊員であった。 

日米開戦の四年前、既に日本と交戦状態にあった中国に航空部隊として参戦した「アメリカ合衆国義勇軍」の事をフライングタイガースと称していた。

この軍戦没者慰霊祭に参列している一人の年老いた東洋系婦人がいた。


元軍人集団の中心にいるこの老婦人はフライングタイガースの創設者シェンノート元少将の未亡人、陳香梅であった。

シェンノート元少将

時は遡る1989年、あるアメリカの航空貨物会社が消滅した。

航空貨物会社「フライングタイガース」が世界最大のアメリカ航空貨物社「フェデックス」に吸収されたのだ。

この会社は大戦終了の年1945年に設立の44年の歴史を誇っていた。
しかしその社名の由来は終戦の年から更に時代をさかのぼり故シェンノートに辿りつく。

この航空貨物会社「フライングタイガース」の名前は1937年誕生のアメリカ合衆国義勇軍(American Volunteer Group,AVG)に由来していた。

日本では天駆ける想像上の生き物として「天馬」があるが中国には飛竜と共に空を飛ぶ虎は無敵であるという故事から「飛虎」という想像上の無敵の動物がいるという。



中国を愛したシェンノートはこの中国の故事に因んでフライングタイガースという名の航空義勇軍を創設した。


因みに写真で見るフライングタイガース戦闘機は頭部に歯をむき出して大口を開けているサメの絵が描かれている。

戦闘機の体形上虎よりサメの方が描きやすかったのだろうが、フライングシャークス、飛鮫では大陸国家中国の空を雄飛するには格好がつかない。その代わり乗務員は翼の生えた虎のマークの入ったエンブレムを背中に貼り付けていたようだ。

フライングタイガースを創設した故シェンノート少将。

アーリントン墓地ではその夫人が約400名の退役軍人にエスコートされ、「中国人の誰もが知っているアメリカ軍将軍」として今でも中国人に愛されている故シェンノート少将といったいどんな人物なのか。

シェンノートは1893年9月6日テキサス州に生まれた。
1937年7月、中日戦争が全面戦争に突入すると、シェンノート大佐は昆明に航空学校を設立して、積極的に中国空軍の対日作戦を支援した。
大佐はパイロットの養成だけでなく、自ら戦闘機に操縦し戦闘にも参加している。

日米戦争が勃発すると、アメリカ政府は積極的に中国を支援する方針を採った。
1942年7月、航空志願部隊は第10航空隊中国特別派遣部隊に編入され、准将に昇進したシェンノート氏がそのまま指揮に当った。
1943年3月、部隊はアメリカ陸軍航空隊第14航空隊に再編入され、シェンノート氏は少将に昇進する。
1941年7月に組織されたアメリカ志願部隊は23戦闘機大隊から第14航空隊に編入されるまで、シェンノート氏は一貫して志願部隊の指揮を執り、自身も退役将校から少将にまで昇進した。
シェンノートン少将の中国に対する思いは深く、中国人を夫人にし、昆明に家を建てて、生涯を中国で過ごすことを希望していた。

1945年7月、日中戦争勝利を目前に、シェンノート少将は8年間暮らした中国を離れ、アメリカに帰国した。

このとき、中国人の群集がシェンノート少将を見送りに集まっている。
人々は彼の乗用車を取り囲み、まるで駕篭を担ぐように乗用車を担ぎ上げ、数時間かけて中心広場まで運んだという。
広場のひな壇はフライングタイガースのエンブレムで飾られ、花束でアーチが築かれていた。
別れを惜しんで握手を求める人々の長蛇の列にシェンノート少将は、感激の涙を流した。

この情景はマッカーサーがに離日した時の日本人のマッカーサーに対する惜別の表現を髣髴とさせるものがある。

日本人には馴染みの薄いシェンノートというアメリカ軍人がアメリカ人による「義勇航空隊フライングタイガース」を中国に創設した1937年という年度に注目して欲しい。

その年シェノートが義勇軍を創設して数ヵ月後に事実上の日中戦争の開始とも言うべき盧溝橋事件が起きている。

そのころの中国大陸は蒋介石率いる国民政府、毛沢東率いる共産政府が分裂し各地で内戦が行われていた。その間を掻い潜るように日本軍が侵略をはじめていた。

シェンノートは中国空軍の訓練教官及びアドバイザーとして国民党政府に雇い入れられた。

当時48歳であった彼は健康上の理由により軍では退役寸前であったが蒋介石は空戦経験の豊富な彼を中国空軍の航空参謀長とし階級も大佐としての待遇を持って国民党政府に招き入れた。

着任したシェンノートはまず重慶の基地を見回り中国空軍内を視察してまわった。

そしてそれまで爆撃機を主軸に活動していた中国空軍に対しシェンノートは蒋介石に「日本軍航空隊に対し中国軍は優れた戦闘機100機とそれを操縦する優れたパイロットを持つことで、中国空軍はこの脅威を退けることが出来るでしょう」とのアドバイスを行っている。

この意見は蒋介石に承認され、アメリカ合衆国と協議の結果、承認された。

アメリカは当時中立政策をとっていたため表面だって中国を支援する事は国民の支持を得にくかった。 「リメンバーパールハーバー」より遡ること四年前の事である。

つまりアメリカは「真珠湾の卑劣な攻撃」の実に4年も前から日本と交戦していたのである。
これ嘘のような本当の話。

フライングタイガーを英雄的に描いた映画

若き日のジョン・ウェインが演じている



1958年7月27日、シェンノート少将はアメリカで死去したが、中国系アメリカ人の陳香梅夫人は今も健在である。


「フライングタイガーズ」のパイロットは、蒋介石の軍事顧問クレア・シェンノート氏によって、当時の新米パイロットの5倍相当に当たる月給600ドルと日本軍機1機撃墜ごとに500ドルという破格の報酬で、全米各基地から集められた。全員は農民や伝道師、エンジニアなどを装ってビルマに集結。蒋介石政権が米国に借金する形で資金を負担、弱体の中国航空部隊を裏で支えた」(読売新聞1991年7月8日)

 さらに驚くべきは、フライングタイガーズが東京や大阪の奇襲攻撃を計画していた。

「作戦には350機のカーチス戦闘機と150機のロッキード・ハドソン長距離爆撃機が参加の予定で、うまくいけば(1941年)9月下旬には東京や大阪に大量の焼夷弾をばらまいて木と紙の日本の家屋を焼き尽くすはずだった。だが、「フライング・タイガース」が集結したビルマの英空軍基地には10月下旬になっても肝心の爆撃機は到着しなかったのである。(中略)需要の多い爆撃機はその年の暮れになっても届かず、41年12月7日の真珠湾攻撃で日米が開戦すると、中国大陸を経由した日本爆撃そのものがほごにされ、計画はやみに葬られた」(産経新聞2000年7月15日)

日米開戦 アメリカ最大のタブー -Japan-US open war America's largest taboo

 

⇒最後にクリックお願いします

 


少女を射殺する日本兵!裏付のない戦争体験!

2022-05-02 07:57:58 | ●●沖縄の黒歴史

 

プロフィール画像

NO!残紙キャンペーンサイト

⇒最初にクリックお願いします

ブラックアウト アメリカ黒人による、“民主党の新たな奴隷農場"からの独立宣言  単行本¥2,530

キャンディス・オーウェンズ (著)

これは、米国政治のキャスティング・ヴォートを握る黒人たちに突きつけられた「保守」からの革命の書だ!
間違いなく今後の米国史を動かし、やがて21世紀の革命家と称されるであろう
黒人女性の記念碑的処女作
日本の若き女性国士にして、最も勇気あるジャーナリスト・我那覇真子(がなはまさこ)を翻訳者に迎え、ついに運命の邂逅(かいこう)。
本書を読まずして、今後の日米関係は一切語れない

■裏付けのない「証言」の乱発

高校教科書の「軍命による集団自決」との記述を削除せよ、という文科省検定意見に反発し、沖縄2紙が大発狂した007年。

その同じ年、琉球新報に長期連載中のドキュメンタリー作家上原正稔氏の「パンドラの箱が開くとき」の「慶良間で何が起きたか」の部分が著者の了解も得ず削除された。

さらにその年は、9月29日には大幅水増しで有名な「11万人集会」は催されると言う異常な年であった。

連日発狂新聞の紙面には集団自決の生き証人と自称する人物が登場し、「残虐非道な日本軍」の悪行を告発し続けた。

だがいずれの証言にも「軍命」を立証する根拠は得られず、その証言自体も客観性に乏しく、中には明らかな嘘とわかるものも多々あった。

壕に避難していた少年に途中から入ってきた日本兵が「毒おにぎり」を食わそうとしたので、少年は壕を逃げ出し命拾いをあいたと言う証言が派手に掲載されたが、食糧不足に悩む当時はおにぎりは滅多に口にすることのないゴチソウであり、その大事なおにぎりにわざわざ毒を塗って少年の殺害を謀るより、銃剣で脅して追い出したほうが容易であることは誰にでわかること。

証言者が嘘をついたか、さもなければ当時の厳しい食料事情を知らない若い記者が、聞き取りのさい歪曲・捏造したことくらい容易に想像がつく。

次に挙げるコラムもその類のいい加減な証言だろう。

<金口木舌>沖縄戦の教訓、今こそ生かせ

2013年6月12日

  自然壕の暗闇の中、赤ん坊が次々に泣き出した。「黙らせろ」。敵に居場所を知られるのを恐れた日本兵が怒鳴った次の瞬間、銃声が響いた。7歳ほどの少女が前へ崩れ落ちた
▼糸満市の仲松庸全さんが沖縄戦で目撃した日本兵による少女銃殺の場面だ。「軍隊は住民を守らない。それどころか住民を殺害したり、死に追いやったりした」。体験から得た最大の教訓という
▼仲松さんが「まさか友軍が」と語るように、県民には当初、日本軍第32軍は守りに来たと見えた。だが目的は本土決戦に向けた時間稼ぎ。このため多くの犠牲を生む。今では周知の史実だが、県民に広く知れ渡るまでには時間を要した
沖縄戦研究者の石原昌家氏によると、戦後の混乱期は県内の識者の間で旧日本軍の行動を批判的に検証する動きは無いに等しかった。1960年代の復帰運動を機に「捨て石」作戦の実相が徐々に知れ渡ったとみる
▼運動の中心を担った教職員らが沖縄戦を捉え直し、県民に発信する役割を担った。生徒の命を奪った戦争を二度と繰り返すまいとの誓いからだ
▼沖縄戦の教訓に思いを致すと9条改定や国防軍創設を掲げる自民党改憲案に不安が募る。国民的議論を欠いたまま、改憲手続きが進み、いつの間にか国民に銃が向けられたり、銃を持たされたりする事態にならないか。不幸な歴史は繰り返してなるまい。

             ☆

>糸満市の仲松庸全さんが

証言者の名前を記すと全てが真実のように受取られがちだが、よく読み返すと嘘は自ずと矛盾が露呈してくる。

壕に潜んでいた母親が、赤ん坊の泣き声が気になり、湿ったオムツを赤ん坊の口に当てて窒息させたと言う悲惨な話は今でも密かに語られている。

それが新聞などで証言となって公開されると、そこに「残虐非道な日本兵」が介在し、「日本兵によって殺された」という話に変化していく。

わが子を自分の手にかけたという贖罪意識のある母親としては、せめて「残虐非道な日本兵に殺された」とでも証言しなければやりきれなかったのだろう。 

お気の毒であるが、この場合日本兵の名前が特定されていないからまだ救える話だ。

だが、「自決命令を下して集団自決に追いやったのは、赤松、梅澤両隊長だった」などと名前を特定されたのが慶良間島集団自決の悲劇である。

そして名前を特定した理由が、当時の厚生省役人の漏らした「軍命があったなら集団自決の遺族も援護法の適用が可能」というひと言だという。

以後「軍命による集団自決」が集団自決のあった座間味村役場の公式見解になったという。

本来なら軍人の遺族にしか適用できない「援護法」を軍人の遺族でもない集団自決の遺族に適用するための「拡大解釈」という厚生省の善意が、仇となって2人の軍人に「集団自決を命じた極悪人」という汚名を着せることになる。

歴史の皮肉である。

上原正稔さんの琉球新報を相手取った戦いの目的は、不当に汚名を着せられた梅澤、赤松両隊長の汚名返上にある。

ちなみに引用の上記コラムの事例が嘘である証拠は、米兵の目を恐れる日本兵が赤ん坊の泣き声は気にするが、射殺した銃声が米兵の耳に入るのを気にしていない。 これなどは戦争体験者の証言ではよくでてくる矛盾であり、誰もが気がつく疑問である。

 

■イタチの最後っ屁

自衛隊を殺人集団呼ばわりした政治家と言えば大浜前石垣市長と民主党政権時の仙石元官房長官の名が脳裏を過る。

だが2人とも国民の糾弾を受け、権力の座から引きづり下ろされ、今では政治家でさえない。

その自衛隊と米海兵隊が尖閣諸島を含む離島奪回作戦の訓練をカリフォルニアで展開中だというのに、尖閣が属する沖縄選出参議院議員の山内徳信氏が米海兵隊を「殺人集団」呼ばわりしたと言う。

山内氏は今期で参院議員を引退するそうだから、国民の糾弾を受けても「辞めればいいのだろう」と開き直るつもりだろう。

その意味では確信犯であり、イタチの最後っ屁とも言える。

こんなイタチ男に貴重な国会質問を委ねる社民党は愈々絶滅間際。 沖縄だけが最後の棲息地になりそうである。

海兵隊基地は「人殺し基地」 社民・山内氏が暴言

2013.6.11 20:46 [社民党]
 社民党の山内徳信参院議員(比例代表)は11日の参院外交防衛委員会で米軍普天間飛行場(沖縄県宜野湾市)の名護市辺野古移設について「辺野古新基地建設は人殺しをする戦争目的の飛行場建設だ。(米国の)海兵隊の使う基地は人殺しのためのものだ」と述べた。

 山内氏はまた、「辺野古移設を断念しなければ日本政府は民主主義国家でも文明国家でもない。野蛮国家だ」と主張した。これに対し、小野寺五典防衛相は「自衛隊も、米軍も基本的に安全保障のための役割を担っているのであり、決して他国の人の命をあやめるためにあるとは思っていない」と反論した。

 7月末に任期満了を迎える沖縄県出身の山内氏は今期限りの引退を表明しており、11日の委員会では特別委60分の質疑時間を与えられた。

                ☆

 山内氏といえば、チュチェ思想の信奉者として知られており当日記でも何度かエントリーしている。

 山内氏に関連するチュチェ思想と沖縄の政治家からの抜粋引用である。

以下、情報源のサイトに掲載された「チュチェセミナー」の常連の沖縄政治家たちの挨拶の部分を抜粋して掲載する。


<参議院議員(社民党)山内徳信>

「苦難のたたかいのなかから生まれたのが『チュチェ思想』であり沖縄の『命どぅ宝』の思想も同じ生きる哲学だと思います。」
「キムイルソン主席生誕100周年を迎える今年、朝鮮の若き指導者キムジョンウン氏のもとで21世紀に輝く国づくりが展開されますことを心から祈念申し上げます」

 

<沖縄社会大衆党顧問 島袋宗康>

「朝鮮ではすばらしい指導者が登場している、南北朝鮮の統一のために力を合わせて頑張りましょう。


<社会民主党沖縄県連合会副委員長 狩俣信子>

「朝鮮女性と連帯する日本婦人連絡会代表の清水澄子氏を団長として訪朝した際、信川博物館を参観して朝鮮戦争でアメリカがいかにひどいことをしたのかをはじめて知ることができた、平和に向けて頑張りたい。」


<元沖縄県教職員組合委員長 石川元平氏>

「キムジョンウン最高司令官の生誕祝賀の集まりに参加できてうれしい。」
「1970年代に初めて訪朝したときに地上の楽園を見た思いがした。」
「日朝友好運動をおしすすめアメリカを追い出しましょう!」


<元沖縄県中部地区労委員長 有銘政夫>

「朝鮮統一のための運動を協力してすすめていきましょう!」

                 ★

拉致の首魁の誕生日を嬉々として祝賀する喜納正春県議会議長や山内徳信参議院議員ら売国奴の面々、そしてこれらのニュースを隠蔽する沖縄マスコミは正に沖縄の恥さらしである。

なおここには登場しないが、山内氏と同じ苦沖縄県選出の照屋寛徳衆議院議員は、2000年、大田昌秀元県知事が率いる百人余の訪朝団の主要メンバーとして名を連ね帰国後、北朝鮮を礼賛した恥知らずである。 

照屋寛徳氏といえば「沖縄独立」を唱え、中国の尖閣侵略には沈黙を守っている。

その一方では同盟国アメリカに憎悪をむき出しにする売国奴である。

その照屋氏が支援する糸数慶子氏が参議員候補に立候補している。

今回の参院戦は、保守革新ともまともな候補者がいないのは一県民として残念である。

参考エントリー

沖縄に蔓延るチュチェ思想

                    ☆

⇒最初にクリックお願いします

 


共産党が自衛隊感謝決議に賛成 支持者に衝撃!

2022-05-02 07:09:56 | 政治

 

沖縄タイムス紙面掲載記事

[フォローアップ]那覇市議会が自衛隊感謝決議 共産賛成 支持者に波紋 自民会派との近さ指摘も

2022年5月2日 05:00有料

 4月25日の那覇市議会臨時会で、自民会派が提出した自衛隊の急患搬送業務などに謝意を示す感謝決議案が、賛成多数で可決された。賛否は20対2(賛成20、反対2、退席15人、欠席2人)。中立の無所属の会2人が反対、市政与党や政権で連立を組む公明も退席する中、自衛隊を「違憲」とする共産党会派全員が賛成し波紋が広がっている。岸信夫防衛相は感謝決議に「謝意」を示す。党員から「どうしてこんなことになったのか」と戸惑う声が漏れる。(社会部・城間陽介)

 決議文のタイトルは「本土復帰50年に際し、市民・県民の生命を守る任務遂行に対する感謝決議」。沖縄の日本復帰で移駐した自衛隊の急患搬送件数が今年4月、累計1万件に達し、航空自衛隊OBの大山孝夫市議(自民)が発案した。大山氏は2020年3月にも提案を試みたが各会派が反発し断念している。

 今回、大山氏は決議案を修正。自衛隊以外に海上保安庁、県のドクターヘリなど人命救助に関わる他機関にも対象を広げ、賛成へのハードルを下げた。それでも一部会派からは「平時の業務に対する感謝というのは決議になじまない」と疑問が相次いだ。

 そんな中、共産会派の5人全員は賛成に回った。共産党市議団の古堅茂治団長は取材に「人命を救ってくれた活動そのものに敬意を表するもの。他意はない」と説明する。賛成の判断は事前に党幹部の了解も得たという。

 共産市議の1人は「最初は(賛成するのは)どうなんだろうと思ったが、自衛隊の活動や実績を知る中で納得できた」。別の共産市議も、自衛隊の段階的解消という党方針には反しないとした上で「県民の命を守ったという一点で市議団の意思統一ができた」と会派としての判断と明かす。

 ただ、可決翌日の26日には共産市議や県議の支持者から「何があったのか」との声が相次いだ。共産党県委員会幹部も「記事を見て目を丸くした」と戸惑いつつ「市議団で完結している話だ」と火消しに走った。

 賛成した要因の一つに市議会内で指摘されているのが、ここ3、4年の間に自民、共産両会派の関係の近さだ。複数の市議が指摘する。現在、議会運営を取り仕切る議会運営委員長(議運長)は自民会派のベテラン。決議や意見書などの案を提出する際、賛否さまざまな意見がある中で、議運長が「まとめ役」として仕切ることが多い。

 市議の1人は「共産党が米軍への抗議文などを提案した際、議運長が各派と文言調整しまとめることもある」と言い、「逆に自民などが提案する別議案では共産側にも譲歩してもらうといった双方の“あうんの呼吸”がある」と説明。「利害の一致」があった可能性に言及する。

 ただ、共産市議団はあくまで「自分たちの意思でまとまった」と強調している。

(写図説明)那覇市議会の「自衛隊感謝決議」賛否の一覧

 

沖縄タイムス紙面掲載記事

城間氏不出馬 与党に動揺 那覇市長選 自民会派、副市長軸に検討

2022年5月2日 05:00有料

 11月の任期満了に伴う那覇市長選に、現職の城間幹子氏(71)が立候補しない方針であることが判明し、城間市政を支える市議会与党に動揺が広がっている。9月に県内政局の天王山となる知事選を控える「オール沖縄」勢力からも「知事選との連動は必至だが、現時点で後継者は見えない。オール沖縄全体で乗れる人選が急務だ」と不安感が漂う。一方の市議会自民会派は、城間市政右腕の知念覚副市長(58)を軸に、着々と擁立の検討を進める。(社会部・城間陽介、政経部・山城響)

 関係者によると、城間氏は2日にも記者会見し立候補しない意向を表明する。現職を支持してきた市政与党会派は城間氏の3期目を期待してきただけに、「寝耳に水」とショックを隠さない。「報道を見て驚いている。3期目もやってほしかった」「今まで支えてきたのに、なぜ報道が先行しているのか」。与党市議には落胆が広がる。

ゼロベース状態

 ただ、複数の与党市議によると、今年に入り、与党として一度も城間氏本人に立候補の意向確認はしていない。「結果的に市長とのコミュニケーション不足。われわれにも確かに落ち度はある」。現状で、候補者選考はゼロベース状態にあることも明かした。

 城間氏は2018年の前回選挙で、玉城デニー知事を支えるオール沖縄勢力の支援を受けた。市長選に向けては、糸数慶子前参院議員の長女でNPO代表の糸数未希氏(49)を推す声もあり、動向にも注目が集まる。県政与党のある県議は「糸数氏の立ち位置は不明だが、市政継続へ分裂は絶対に避けなければならない」と強調した。

「相乗り」けん制

 一方の野党はこの数日の間に、城間氏が立候補しない意向を表明するとの情報をキャッチしていた。野党市議の1人は、副市長の知念氏が有力候補であることを認めた上で、「オール沖縄側からも知念氏を推す声もあるようだが、“相乗り”させるようなことは絶対にしない」とけん制。

 城間氏の3期目に向けた立候補を予想していたと話す自民県連幹部は「現職が不出馬となれば市政奪還へ大きなチャンスだ」と色めく。自民関係者は「三つどもえになれば(オール沖縄勢力の)票が割れる。われわれにとっては追い風だ」とした。