狼魔人日記

沖縄在住の沖縄県民の視点で綴る政治、経済、歴史、文化、随想、提言、創作等。 何でも思いついた事を記録する。

二階大臣と「中国兵法書」

2006-03-21 10:20:30 | 県知事選

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虎の巻というと、中学や高校の頃を想いだす。

筆者にとって虎の巻とは、教科書にある問題の解答などが書いてある参考書で、先生にはあまり見られたくなかった。

沖縄では虎の巻で通っていたが、地域によっては「あんちょこ」、「とらかん」とも呼ばれているらしい。

あんちょこは東京で良く使われているようだが、「安直(あんちょく)に答えが判る」のあんちょくが訛ったという。

又とらかんは、虎巻そのままの音読みから来ている。

この虎の巻と言う言葉は元々中国の兵法書から来ている。

中国の兵法では「孫子」が良く知られている。

が、虎の巻は「孫子」ではなく「六韜(りくとう)」の虎韜(ことう)の巻の日本語読みらしい。

中国の兵法の秘伝書には単なる兵法のみならず、今でいう外交の権謀術策も述べられている。
  
権謀術策と言えば筆者などは反射的にマキアヴェリズムという言葉を連想する。

マキアヴェリはその著書君主論で、君主は「良くない人間になりうること」を学ぶ必要があり、必要が命ずるときはそれを実行しなければならないと言う。

このマキアベリにも負けない外交の権謀術策が「六韜」には秘伝として述べられている。

その中で特に有名なのが次の部分である。

  ≪交渉の為に隣国から使者が来て、
  もしその者が有能ならば何一つ与えず返せ。

  交渉の為に隣国から使者が来て、
  もしその者が無能ならば大いに与え、歓待せよ。

  そうすれば、隣国では無能な者が重用され、有能な者が失脚する。
  そしてやがては滅ぶ≫

これを読むと最近の冷え切った日中関係と二重写しになる。

膠着状態の雰囲気の中で、先月日本の二階経済産業大臣が中国を訪問した。

小泉首相を始め誰も会ってくれない日本の閣僚に中国の温家宝首相は面会の栄誉を賜ったのだ。

温首相が日本の閣僚と会うのは久しぶりのことで、中国側の対応の変化をうかがわせた。

昨年7月、二階大臣の前任の経済産業大臣の中川昭一は、「中日間の中界線」の日本側海域で、日本の帝国石油に採掘権を与える決定をした。

東シナ海の情勢はたちまち一触即発の状態になった。

1月14日、二階大臣は日本の石油企業向けて、中国の顔色をうかがったのか、東シナ海海域における天然ガス採掘の許可はできないと前任者の発言を取り消した。

二階経産相はかつて、中国の江沢民・前国家主席の講話を刻んだ石碑を地元に建てようとした媚中派だ。

二階経産相の就任を中国が好感し、日本に歩み寄る可能性もある、と期待する向きも国内にはあった。

だが、その後行われた実務者協議でも中国は日本の開発中止要求を拒否した。

現在もガス田とガス田をつなぐパイプラインの敷設を完了させるなど、着々と開発を進めている。

二階大臣を無能な閣僚と判断した結果だ。

中国は兵法秘伝書「六韜」の教えを現代の外交交渉に忠実に再現して見せた。

手強いと見る小泉首相、中川前産経相そして麻生外務相には面会を拒否し、御し易しと見た媚中派の二階に面会の栄誉を与えた歓待した。

中国メディアの「Eastday.東方新報]は兵法書に忠実に、次のように関係閣僚を論評した。

≪小泉は「固執」、麻生は「無責任」、二階は「理知的」≫と。

ところで二階大臣って中国の大臣?

それとも、中国に何か弱みでも握られているのか、写真とか。

嘗て中国の「女スパイ」との「親密交際疑惑」で話題になった橋本前首相と中国の胡錦濤国家主席が近く会談する予定だという。

胡錦濤は現役の日本の首相との面会は拒否している。

その一方で「女スパイ」でたらし込んだ媚中派の前首相は組し易しと読んだ。

「兵法書」の指南通り、中国の日本分断工作は着々と進んでいる。

げに恐るべきは、現代に生きる中国兵法秘伝の書。



         ◇         ◇         ◇

◆「Eastday.東方新報] (2006 -3 - 3 9:50 )

理知的に、実務で中日関係を改善

 中日の政治関係は日本の小泉純一郎首相が靖国神社参拝に固執しているため、膠着状態に陥っている。麻生太郎氏は新任の外相として、その職務からして、努力して中日の政治関係の膠着状態を打開する方法と道を探すべきだが、就任以来、次から次へと無責任な発言をしており、中日関係をさらに悪化させている。

 このような雰囲気の中で、日本の経済産業大臣の二階俊博氏は、中国を訪問した。昨年10月に小泉首相が五回目の靖国神社参拝をしてから、初めて訪中した自民党内閣の閣僚である。

 喜ぶべきことに、今回の二階大臣の訪中は、この春の日、中日関係に暖かさをもたらした。

 二階大臣は訪中期間に、中国の商務部長・薄煕来氏や関連部門の指導者と中日の東シナ海の天然ガスと経済協力などの問題について広範な討論を行った。温家宝総理と唐家旋国務院委員達は二階大臣と会見し、両国の関係と共通して関心ある話題についてお互いに意見をかわした。

 なぜ二階氏の訪中が中日関係に暖かさをもたらすことができたのか。肝心な点は、同氏が理知的で、実務的な態度で中日関係に対応し、両国関係を改善する方法を探し求めており、火に油を注ぐこともなく、天下の混乱を望むこともないからである。

 昨年7月、前任の経済産業大臣の中川昭一氏は、まだ論争がある「中日間の中界線」の日本側海域で、日本の帝国石油に採掘権を与える決定をした。東シナ海の情勢はたちまち一触即発の状態になった。

 今年1月9日、中国の外交部のアジア局局長・崔天凱氏は、日本アジア太平洋局長・佐々江賢一郎氏と資源エネルギー庁長官の小平信因氏らと共に、東シナ海の天然ガスの開発について、「中日の東シナ海問題の非公式会談」を行って、双方はいくつかの原則的な共通認識が成立した。小平氏は日中双方共に開発するのがよい解決案だと語った。

 1月14日、二階氏は中日両国の東シナ海の天然ガスの開発問題を協議する際、日本の石油企業向けて、深刻な論争がある東シナ海海域における天然ガス採掘の許可は決してできないと明確に表明した。さらに「国内のある人は、日本には道理があり堂々と採掘できると言うが、私はそうすべきではないと思う、そういう話にどんな意味があるのかと指摘した。中国と衝突しても、問題は解決できず、東シナ海の天然ガス開発問題については、中国と粘り強く交渉を行うべきで、双方の相違を解決してこそ、両国関係の発展に利益がある」と述べた。

 二階氏の上述した立場は理知的で、歴史の流れに合っており、立場も実務的なものだ。このような立場から出発する限り、中日両国の利益にかなう解決方法を探し出せるかもしれない。

 現在、経済のグローバル化はすでに各国の相互依存、相互協力の状況を絶えず深めており、平和、発展と協力は時代のテーマになって、他国を傷つけ孤立させようとすれば、きっと自国も損失を受けるのである。

 このため、最近、アメリカの国務次官・ゼーリック氏は中日米三国が歴史問題についての「共通の対話」構想を提起した。アメリカ企業研究所が主催した中日関係のシンポジウムで、アメリカの前国務副長官は明確に、中日米三カ国は対話の体制を作り上げ、三カ国間の関係改善を希望すると発言した。また、日本が中日両国の信頼を促進させるために、もっと多くの措置を取るべきで、アメリカも米日同盟の強化を望むが、この過程は「中国に対してできるだけ透明であるべきで、中国の誤解を免れるようにする」ことを希望すると語った。

 グローバル化の歴史の流れの中で、相互対話を通して、矛盾を解決することは理知的な態度であると明らかに強調している。

 もちろん、中日両国には2千年の友好往来の歴史があり、50年の戦争の歴史もある。中日関係にはいろいろな曲折もあった。しかし、歴史が証明しているように、仲良くすれば両方に利益があり、仲が悪くなれば両方とも傷つく。中日両国間に、問題や意見の食い違いが起こることは避けがたい。だが、双方が歴史を尊重し、中日共同声明と中日平和友好条約の原則を守りさえすれば、必ず障害を排除し、矛盾を解決し、友好協力の事業を推し進めることができる。

 このような背景の下で、もし堅持して対立立場に対抗するならば、現実的な対立を拡大して、その後の結果は考えるだけに恐ろしいのだ。明らかに、中日両国にとって、更に相互対話を通して、矛盾を解決することを強調しているべきで、これでやっと実務に励む態度である。

 二階俊博大臣はその理知、実務に励む態度で中日関係に暖かさを与えてきたが、中日関係に徹底的に冷たい現状を回転して暖かさを取り戻させるのは、まだ小泉首相が根本的に中国に対して態度を転換して、まず靖国神社を参拝することを放棄するのだ。

(作者は上海社会科学院アジア太平洋所・副所長、交通大学環太研究センター・主任である )
(実習編集:楊麗俐)



◆読売新聞

[ガス田協議]「宥和姿勢だけでは前進しない」

 中国が開発を中止せず、共同開発のめども立たないのなら、日本も、試掘に向けた環境を整えるしかない。協議の継続が開発の既成事実化につながってはならない。

 東シナ海の天然ガス田開発を巡る日中実務者協議が、5か月ぶりに北京で行われた。日本は前回協議で、排他的経済水域(EEZ)の境界と主張する「日中中間線」にまたがる海域でのガス田共同開発を提案した。

 中国は新たな提案を示したが、その内容は明らかにされていない。日本案とはかなりの開きがあったとされる。

 中間線の中国側で進めるガス田開発についても、日本の開発中止要求に激しく反発し、「日本と争いのない中国近海で行っている」と、これまでの主張を繰り返した。

 中国がEEZの境界を日中中間線だと認めるなら、開発海域は中国のEEZとなるが、中間線を認めない現状では係争中の海域だ。関係国に「合意への到達を危うくし又は妨げないためにあらゆる努力」を求めた国連海洋法条約に反する行為であるのは明らかだ。

 日中両国は、対話による解決を図ることで一致した。だが、協議を重ねるだけで前進を図れるかどうか疑問である。

 二階経済産業相は「試掘の道は取らない」と言う。二階経産相はかつて、中国の江沢民・前国家主席の講話を刻んだ石碑を地元に建てようとした親中派だ。二階経産相の就任を中国が好感し、日本に歩み寄る可能性もある、と期待する向きも国内にはあった。

 だが、今回の協議でも中国は開発中止要求を拒否した。前回協議の後、ガス田とガス田をつなぐパイプラインの敷設を完了させるなど、着々と開発を進めている。宥和(ゆうわ)的な姿勢だけでは、事態の打開は期待できない。

 今回の協議も、本来なら昨年10月に開くはずだった。中国は、小泉首相の靖国神社参拝というまったく別の問題を持ち出し、協議をここまでずれ込ませた。

 中国の姿勢に開発の既成事実化を図る意図がうかがえる。日本も、当然の主権の行使として、日本側海域で試掘に向けた準備を粛々と進めるべきだ。

 自民党は、試掘の際の安全確保を目的とした法案を今国会に提出する考えだ。民主党も先の国会で海洋権益関連法案を提出している。双方が歩み寄って、できるだけ多くの賛成で法案を成立させるのが望ましい。

 主権と権益を守る日本の意志を明確に示すことが、国際ルールに反した行動を中国に自制させることにつながる。



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友有り遠方より来る

2006-03-20 19:21:31 | 未分類
昨夜は久し振りに「ピザハウス」に夕食に出かけた。

WBC韓国戦に勝ったお祝いをした訳ではない。

大学時代の友人が奥様、娘さんと三人で沖縄観光に来たので、愚妻も一緒に5人で会食をしたのだ。

定年を機に故郷の函館で奥様と二人で悠々自適の生活をしているという。

早めに行けば予約も必要ないと思ったのだが、念のため予約をしておいてよかった。

6時20分に着いたのだが、空いている席は殆ど予約で1杯。

先に入った二人連れ客は断られていた。

流石は半世紀の歴史を持つ老舗の貫禄。

程なく満席になり、帰る9時頃には空席待ちの客が10人程控えていた。

定年を終えた夫婦に、「ピザハウス」のメニューは一寸重いのでは・・。

・・・とも思ったが、新鮮魚介類の本場とも言える函館からの客だ。

沖縄で和食もどうかと思い、復帰前の沖縄のレストランの雰囲気を味わってもらう事にした。

そこで敢えて「ピザハウス」に決めた。

結果は大正解。 

社員旅行で沖縄は二度目という娘さんが特に大満足。

シェフが客席の側でやる「炎の調理」のパフォーマンスに大喜びであった。

                 *

町のレストランでも、ファーストフーズの店でも、ウエイトレスと言えば若い女性と相場が決まっている。

その点「ピザハウス」は昔からウェイトレスは中年女性が看板だ。

偶に若いウエイトレスを見かけて店の方針が変わったのかと思ったりしたが、ヘルプの子で年増ウエイトレスにこき使われていた。

復帰前からのレストランで泡瀬ボートハーバーに「サムズバイザシー」がある。

此処のウエイトレスは「ピザハウス」とは正反対だ。

セーラー帽子にセーラー服がユニフォームの若いウエイトレスが売り物。

見たところ殆どが10代の若い子だ。

四、五年前、家族で「サムズ・・」に行った時のこと。

一人のウエイトレスが我々の目を引いた。

そのウエイトレスはユニフォームの短目のスカートのセーラー服で満員の客席の間を飛び廻っていた。

・・・が、件のウエイトレスはどう見ても60代、・・いや、少なめに見ても50代に見えた。

いくらなんでも10代のピチピチしたウエイトレスに混じって同じセーラー服の50代はないだろう。

暗めの照明のせいで少し老けて見えるだけなのかも知れない。

偶然にもそのウエイトレスが我々の席の係りで注文をとりに来た。

近くでしっかり顔を見れば、いくら老けて見えても若さは隠せまい。

メニューの字が読めない振りをして彼女を側に近づけた。

そして彼女の顔を間近で仰ぎ見た。

驚いた。 

紛れも無く60歳前後のセーラー服姿であった。

しかし、彼女の動作は軽やかであった。 

メニューの字も裸眼で判別していた。

若いセラー服の間を縫って、注文をキッチンに伝えに飛ぶように去っていった。

あの年増のセラー服の彼女、・・・未だ元気で客席の間を、風のように行き来しているだろうか。


ところで明日はWBCの決勝戦。

先発松坂が本来の力を出せば日本の勝利は間違いない。

・・が、人間は機械では無い。

万が一松坂が打たれ出したら迷わず早めにサブマリーン・渡辺俊介にスイッチすべし。

「世界一低いところから投げる投手」の異名のように、地上高推定10cmのリリースポイントはキューバ打線も度肝を抜かれるであろう。

ん? その心配は杞憂か。  

そう、松坂はけして打たれない。

                  *

★蛇足1:アメリカ占領時代から続くステーキとマリンフーズの老舗。
メニューはメキシコ料理や中華等バラエティに富む。 独特の雰囲気が売り物。

★蛇足2:泡瀬のヨットハーバー脇にある海がテーマのステーキと海鮮専門店。
この店もアメリカ占領時代の古き良き沖縄のイメージが特徴。

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WBC野球 韓国の怒り

2006-03-20 09:32:32 | 県知事選
一夜明けて、怒りが納まらない韓国国民の心を韓国各紙は伝えている。

例えば「中央日報」は「4勝3敗の日本と5勝2敗のキューバが決勝進出 …異変の大会」
と題して、韓国が6勝1敗で決勝に出れないルールの不備に怒りを表している。

「朝鮮日報」の見出しにも「日本に負けたとは思わない」とか「ルールが間違っている」と悔しさを隠そうとしない。

「日本に負けたとは思わない」という意味は今大会で日本とは三度戦って2勝1敗と勝ち越しているからだ。

更に同紙は風刺漫画で今大会の「異常なルール」を次のように皮肉っている。

   ≪WBC準決勝に進出した日本とキューバ戦の審判が困った顔をした漫画で、

    【予選3敗の日本が決勝へ 】、

    キューバ
    「1回だけ負けた韓国が脱落して、3回負けた日本が決勝の相手って本当?」

    審判
    「ややこしいなあ」≫

又3月15日の同じ「朝鮮日報」は【口は災いの元】という題で、風刺漫画を掲載している。

   ≪日本
    「“向こう30年は日本に手は出せないな”という感じで勝ちたいと思う」

    メキシコ
    「韓国野球なんて知らない」

    アメリカ
    「日本とメキシコだけ警戒」
    「50球で仕留めてやる」

    <他国代表チーム>
    「韓国にむやみに威勢のいいこと言ったらおしまいだ。わかったな!!」 ≫

コラム欄では今大会の特別ルールや「疑惑の審判」に付いても手厳しく皮肉っている。

≪・・・略・・・ワールドベースボールクラシック(WBC)も米国がなければ不可能だった。ところで米国はまた無理をした。必ず優勝しなければならないという強迫観念に、あちこちでてこ入れしてみるや2つの国が1大会で3度も対戦するという笑えない寸劇が起こった。

シカゴ・カブスの外野手だったアンドレ・ドーソンは審判の判定に抗議して1000ドルの罰金を払ったことがある。小切手のメモ欄にドーソンはこう書いた。「視覚障害者のための寄付金」。4強から脱落した米国代表チームが罰金を払わなければならないのなら、小切手にこんなことを書かなければならないのではないか。「自業自縛の謝礼金」。
(李勲範(イ・フンボム) WEEK&(ウィークエンド)チーム長 )     ≫

確かに韓国の今大会のルールや審判に対する不満は良く判る。

最近ではスキー、スケート、古くは水泳の例で判るとおり国際試合ではルールを作った国が有利なのは当然。

今大会では全てアメリカがルールを作った。

しかし何はともあれ、日本は首の皮一枚で繋がっていた命をメキシコに助けて貰った。

当分はメキシコの方に足を向けては寝られない。 

         
         ◇         ◇         ◇


★中央日報 2006.03.19 18:03:23

<WBC>4勝3敗の日本と5勝2敗のキューバが決勝進出 …「異変の大会」

第1回ワールド・ベースボール・クラシック(WBC)は結局、‘異変の大会’だった。

19日(日本時間)の準決勝で、選手全員がアマチュアのキューバが、メジャーリーガー34人が布陣するドミニカ共和国を3-1で破って決勝に進出した。

米国がメキシコに敗れたことで奇跡的に準決勝に進出した日本も、第1・2ラウンドでともに敗れた韓国を6-0で破り、決勝に進んだ。

第1・2ラウンドでともに2位と、辛うじて残ったチームの間で優勝を争うことになったのだ。

キューバは第1ラウンドC組でプエルトリコに敗れて2位(2勝1敗)で第2ラウンド(8強)に進出、同ラウンドでも2勝1敗と同率のドミニカ共和国より失点が多く、2位で準決勝に上がった。 しかし準決勝でドミニカ共和国を破り、優勝をねらうことになった。

7試合で5勝2敗のキューバよりも成績の低いチームが日本だ。 日本は第1ラウンドA組で韓国に次ぐ2位(2勝1敗)、第2ラウンドでは韓国と米国に敗れたが、同率の米国・メキシコよりも3チーム間の失点が少なかったことで、準決勝に進出する幸運をつかんだ。 そして同カード3試合目で韓国を破り、4勝3敗という成績で決勝に進出した。

サンディエゴ=成百柔(ソン・ベクユ)記者 <carolina@joongang.co.kr>


★『スポーツ朝鮮』 2006/03/19 20:17

【WBCコラム】世にも珍しい試合方式で消えた優勝

 三球三振させられなかったせいで、すごすごと帰り支度をしなければならないのか。2ストライク1ボールならまだ投手が優位だ。それなのにサヨナラホームランを打たれたかのような気分なのが悔しい。

 哀惜の念に耐えられない。いや、張り裂けんばかりの憤りさえ感じる。6試合勝って、たった一度負けただけなのに。口惜しさを胸にしまい、WBC韓国代表チームが見せてくれたこれまでの苦労に拍手を送りたい。

 アメリカが主導した今回のWBC。世にも珍しい試合方式のせいで韓国は最大の犠牲者となった。韓国は1次リーグ(アジアラウンド)で日本に3-2で勝った。ベスト8に入った2次リーグでもう一度戦って2-1で勝利した。韓国の2次リーグ成績は3勝。1組の1位として準決勝に進出。一方、日本は1勝2敗で脱落が予想されたが、2次リーグ最終日に米国がメキシコに敗れる波乱があり最小失点の原則によって漁利の利で準決勝に上がった。

 ほとんどすべての国際大会では組を2つに分けて進行し、ベスト4が決まったらクロストーナメントで決勝に進む2チームを決める。しかし大会初めての年に無理に欲を出した米国は、同じ組のチーム同士を再び準決勝で戦わせる日程を採択した。2組の最強チーム、ドミニカ共和国に決勝戦まで会わなくて済むように、という意図以外に説明のしようがない。

 その結果、韓国は準決勝で日本とまた戦うことになった。1つの大会で同じチームと三度も戦うという、失笑するしかないようなことになった。すでに二度勝った韓国だ。もう一度勝ってあたりまえ、負ければ脱落という滑稽なプレッシャーを抱えて三度目の対日本戦を行った代表チーム。

 日本は韓国よりプロ野球の歴史が50年も長い。高校だけで約4700チームもある日本と、50前後しかない韓国では、基本的な資源からして相手にならない。だから客観的な戦力に優れた日本に二度連続で勝ったことさえも奇跡のような出来事だった。

 奇跡は三度はやって来なかった。2次リーグ以後2勝2敗の日本が決勝でキューバと試合をすることになった。欲をかいた米国はベスト4にも上がれずに恥をかき、大会最大の波乱を巻き起こして興行を引っ張った韓国は悔しいことに帰り仕度をする羽目になった。WBCの制度的な矛盾が韓国野球100年史の快挙の足を引っ張ったことになる。それでも幸いなことは、韓国野球の隠れた底力は今や全世界から認められたのだ。
(キム・ナムヒョン特派員)


◆日本経済新聞  春秋(3/20)

 1960年10月13日。ワールドシリーズ覇者を決める第七戦で、ヤンキースは同点の九回にサヨナラ本塁打を喫しパイレーツに敗れる。ヤンキースの4番マントルはピッツバーグからニューヨークまで帰る機中を泣き通した。大リーグ史に残る逸話だそうだ。

▼ワールド・べースボール・クラシック(WBC)で韓国に負けた夜、イチロー選手がヤケ酒で「荒れまくった」との記事を見て、マントルの話を思い出した。ところが野球は分からない。翌日には、失点率なる数字で0.01米国をしのいで奇跡的に準決勝に進み、昨日、WBC3度目の対決でようやく韓国を破った。

▼うれしい誤算の日本と対照的に、米国は当てが外れた。大リーグ野球が世界王者であることを証明すべく、決勝が「米国対大リーグ選手主体の国のいずれか」となるよう予選の組分けや日程、審判員の選定に工夫を凝らしたのに、決勝戦に出るのは日本と、米国の仇敵(きゅうてき)キューバ。出場する大リーガーは2人だけだ。

▼2分冊の大著『野球術』(G・F・ウィル)には、野球は最高の打者でも65%はダメな「失敗のスポーツで」「それゆえ人を謙虚な気持ちにさせてくれる」とある。野球発祥の本家本元にして唯一の超大国米国がWBCの結果を見て、謙虚な気持ちになってくれるなら、ありがたいではないか。



◆産経新聞 産経抄 平成18(2006)年3月20日[月]

 野球の神様ありがとう。正直いうと野球には関心がない方だが、きのうのWBC準決勝で日本が韓国を破った瞬間、そんな言葉さえ浮かんだ。勝利に向け、これほど一丸となったチームは最近見たことがなかった。ベンチの緊張感がテレビを通してひしひしと伝わってきて息をのんだ。

 ▼曲折はあったが、とにかく王ジャパンはアジア野球の盟主の座を守った。韓国に連敗したあと「これほどの屈辱を味わったことはない」と唇をかんだイチローの笑顔が表していた喜び、それでも穏やかに「熱い声援のおかげでやっと勝てました」と語った王監督の誠実さ。美しいシーンだった。

 ▼とはいえここにたどり着くまでを振り返れば、言いたいことはやはりある。なんといっても米国の大会運営に対する不誠実さである。米国人審判による相次ぐ誤審や自国優遇の日程、リーグ分けなど、これは主催国としてのプライドが欠如していたとしか言いようがない。

 ▼それなのに米国は準決勝に残れなかった。他国をあなどっていたこともあろうが、大会に対する意識が低かった。その点、三試合目にして日本に敗れ、決勝進出は逃したものの韓国の戦いぶりは見事だった。

 ▼勝利への意欲を少しも隠さず、選手個々の力を比べれば劣ると言われながら、一時は日本を崖(がけ)っぷちにまで追い込んだ。それが日本チームを目覚めさせた、と言えなくもない。「国を背負って戦う」意識を吹き込み、皮肉な言い方をすれば日本に勝利を呼び込んでくれた。

 ▼いずれにしろ日韓の戦いは今大会のハイライトであろう。国際大会に欠かせないのは国の誇りを背負った闘志であることも、改めて教えてくれた。決勝戦では、韓国選手が見せてくれた闘志にも報いる試合を期待したい。



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WBC決勝進出! 次は優勝だ!

2006-03-19 17:27:18 | 県知事選
イチローが吼えた、そして走った。

松中がヘッドスライディングをした、そして福留が韓国の驕りを打ち砕いた。

燃える日本チームの前に敵はいなかった。

「疑惑の審判」の出る幕は無かった。

アメリカはカナダ、メキシコを格下と侮った。

・・が、彼等にも敗退し、世界はおろか「アメリカ大陸内」でも最下位の屈辱を味合わされた。

西暦2006年、日本流の「ヤキュウ」は米国流の「ベースボール」を凌駕した。




         ◇         ◇         ◇


◆米国敗退で、アジア野球のレベルの高さを認識=米紙
2006年3月19日(日) 15時19分 スポーツナビ

 ワールドベースボールクラシック(WBC)2次リーグ・メキシコ戦でまさかの敗戦を喫し、姿を消した米国。野球大国の敗退は、米国内で大きな波紋を呼んでいる。

 ニューヨーク地元紙『ニューヨーク・ポスト』は18日(現地時間)、ベースボールは「もはやアメリカだけのゲームではない」とし、野球の国際化を伝えた。

 アレックス・ロドリゲスやチッパー・ジョーンズらメジャーの強打者をそろえた米国は大会前、優勝候補の筆頭に挙げられていた。しかし、17得点を挙げた南アフリカ戦を除く5試合で、わずか16得点と貧打にあえいだことが最大の敗因となり、開催国が2次リーグで姿を消した。

 同紙は、日本と韓国の強さに基本に忠実なプレーを挙げ、試合前に何度も繰り返し基礎を練習していたことを紹介するとともに、パワーも兼ね備えているとアジア野球のレベルの高さに注目。米国が立ち向かうには早めに集合し、合宿をするなどして真剣に調整する必要があると指摘した。

 野球の国際化を強くアピールする目的を持つ今大会で、その実力を見せることなく敗退した米国。今後も米国内でさまざまな議論を呼びそうである。

-Kotaro Okada-

[ 3月19日 16時15分 更新 ]
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野球はもはや米国のものではない

2006-03-19 09:02:23 | 県知事選
子供達にとって野球選手は何時の世でもヒーローだった。

古くは赤バット、青バットの川上、大下そして長島、王。

最近ではゴジラにイチロー。

これが野球の本場アメリカでは如何だろう。

野球のヒーローは偶像となり伝説にさえなる。

ベーブルースと病床の少年の逸話は太平洋を越えて日本の少年にも伝わる。

手術を受ける勇気を持てない少年に憧れのベーブルースがホームランを約束する。

約束通り試合にホームランを打って少年は自分も勇気を貰い手術を受ける。

そう、メジャーリーグは日本の人気野球漫画『巨人の星』でも「大リーグボール」として日本の少年達の夢にも生きていた。

が、何時の頃かからか、アメリカンヒーローには汚れたイメージが纏わり付き始める。

憧れのマクガイヤーやボンズは薬物に塗れ、サミー・ソーサはバットに仕掛けをした。

輝けるアメリカンヒーローは薄汚い落ちた偶像に成り果てた。


◆「米国は自分が開いたパーティに参加できなくなった。もはや、野球はアメリカのものでは無い」とニューヨーク・ポスト紙は伝える。

第一回ワールド・ベースボール・クラシックはルールも組み合わせ抽選も、全てアメリカの主導で行われた。 正にアメリカ主催のパーティである。

パーティの主役はアメリカで無ければならなかった。

が、主役はベストフォーにも残れなかった。

WBCは第一回だけで終了だと言う話さえ伝わる。

「ワールド・ベースボール・クラシック」の日本語訳が新聞等にも無い、と言うコメントをyambaruqueennaさんから頂いた。

試に「クラシック」を辞書検索してみた。

「クラシック」には、日本人が知る「古典」というイメージの他に、

「伝統的な」, 「由緒深い」、「規範的な」といった意味の他に(スポーツの)「伝統的行事」, 「由緒ある試合」といった意味がある。
(話)「すごい, 最高におもしろい」という意味もある。

「クラシック」という言葉には、地に落ちた本場の野球をベーブ・ルースやタイカップ、ルー・ゲーリックの時代の「規範的な」野球に戻したい、というアメリカの良心が込められていたような気がする。

そのアメリカで3時間後、日韓が決勝進出を賭けて激突する。


         ◇         ◇         ◇

◆河北新報 河北春秋 2006年03月19日日曜日


 米国には一本の精神的支柱があった。フェアネス(公平)。フェアかどうか、ことあるごとに問う。ハリウッド映画の名作を見よ。ありとあらゆる不公正や差別を糾弾してきたからこそ、国や人種を超え、不朽であり続ける▼伝来のフェアネスが近ごろ怪しい。野球のワールド・ベースボール・クラシックを見よ。世界一をフェアに決めるべき大会なのに、審判は米国人だけ。米国の命運のかかる対日本戦と対メキシコ戦で“誤審”が続いた

 ▼2度も続くと、ミスとは思えない。確信犯的身びいき? 自国の勝利のためなら、堂々と誤審を犯す蛮勇をふるったのかもしれない。それでもホスト国の米はベスト4に進めなかった。米のいら立ちを垣間見る▼たかが野球というなかれ。米国は野球で精神を培ってきた国でもある。球界のフェアネスがか細くなったとしたら、他の分野でも必ずやそうなっている

 ▼イラク戦争を見よ。開戦の大義だった大量破壊兵器は見つからなかった。単独行動主義は失敗した。フェアな審判のいない場で米が暴走したに等しい▼開戦から3年。内戦の危機続くイラクを見よ。民間人3万の命がアンフェアに奪われた。その悲嘆を忘れてはなるまい。せめて誤審と同じ程度の関心と憤りを戦争の演出者に向けなければ、フェアではない。



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続・「100年目の呪」、リンカーンとケネディ、そしてニクソン

2006-03-18 08:47:49 | 県知事選
◆「100年目の呪」にはもう一人の大統領が絡んで来る。

ニクソンのケネディ暗殺に関わるもう一つの因縁話。

リチャードニクソンはケネディと大統領選挙を争って負けた男。

選挙前のテレビ討論会でテレビはケネディに味方した。

画面に映るカッコいいケネディに対しニクソンの悪党面が大量の票を失う原因だった云われている。

そのニクソンがケネディ暗殺の日の三日前の11月20日の夜、暗殺現場のダラス入りをしている。

記録によるとニクソンは、ダラス来訪の目的は自分の法律事務所が代理人をしているペプシ・コーラ社の取締役会に出席のためと語っている。

だが、ニクソンがダラスのラブフィールド空港からニューヨーク行きのアメリカン航空82便に乗って帰路についたのは11月22日の午前9時であった。

この同じ空港に二時間後、ケネディを乗せた「空軍1号機」が着陸している。

そして、ニクソンが空港を飛び立った3時間半後の11月22日午後12時30分、ケネディはダラス市内でパレード中に頭部を撃たれ非業の最期を遂げる。

ニクソンが直接の犯人ではないことは言うまでもない。

しかし、元副大統領で、ケネディの大統領選のライバルだった人物が、ダラスの空港で僅か二時間の差で行き違った事実、・・・これはその日に起きた暗殺事件を考えると、何か因縁めく。

マフィアとの関係も噂される悪役ニクソン。

だが、ケネディとのダラス空港でのニアミスは、本題とは何の関係ない単なる偶然だた。

だったら、こんな所で勿体ぶって寄り道するなよって?

ハイ、スミマセン。

◆百年目の呪は続く。

★呪その9:
リンカーンの秘書の名はケネディー。

ケネディーの秘書の名はリンカーン。

★呪その10:
二人を暗殺した人物はともに南部出身。

★呪その11:
二人の後任大統領もともに南部出身。

★呪その12:
二人の後任の名はともにジョンソン。

★呪その13:
リンカーンの後任となったアンドリュー・ジョンソンは1808年生まれ。
その百年後に ケネディーの後任となったリンドン・ジョンソンは1908年生まれ。

★呪その14:
リンカーンを暗殺したジョン・ワイルクス・ブースは1839年生まれ。
ケネディーを暗殺したリー・ハービー・オズワルドは1939年生まれ。

★呪その15:
二人の暗殺者は、ともにフルネーム(個人名、ミドルネーム、 姓)で知られる。

★呪その16:
二人の暗殺者の名はともに15文字。

★呪その17:
ブースは劇場から逃げ、倉庫で捕まった。

★呪その18:
オズワルドは倉庫から逃げ、劇場で捕まった。

★呪その19:
ブースもオズワルドも、裁判が行われる前に暗殺された。

世にも恐ろしきリンカーンの「百年目の呪」は愈々最後の究極の呪に入る。

★最後の呪(リンカーンの嫉妬の呪)20:
リンカーンは、撃たれる1週間前、メリーランド州はモンロー入りしていた。
ケネディーは、撃たれる1週間前、マリリン・モンローに入っていた。

かくして恐怖の呪は一瞬にして、冒頭のアメリカンジョークに落込むのである。


◆一昔前のこと、日本語の殆どわからないアメリカ人と食事をして一杯飲むことになった。

何か目的があるときは筆者のつたない英語でも何とか用を済まして来た。

が、食事をしながら一杯やるというのには話題に困った。

笑いに洋の東西は無いだろうと、親父ギャグをそのまま英語で連発してみた。

以下は勿論英語の会話。

「ポール ニューマンというハリウッドスターを知っている?」

「勿論知ってるよ。 私、アメリカ人だよ」

「彼が童貞(cherry boyで通じた)だって知っている?」

「知らんね。 何故?」

「彼は性体験が無いんだって」

ここで必殺のオヤジギャグを飛ばした。

[性体験]を[sexperience]とダジャレて見たのだ。

件のアメリカ人、一瞬考えたが、ニャリと笑ってくれた。

が、すぐ「何故、性体験が無い?」と反撃してきた。

そこで取って置きの技で決めに行った。

「だって、彼はポールのニューなマンでしょう」

見事に決まって、笑ってくれた。

云うまでもないがpole(棒、さお、息子を連想)とPoulのダジャレだ。

・・・が、それはジャパニーズジョークか、という問いには返事に困った。

酔った勢いで「sexercise」や[sexperimente]等々下品な語呂合わせをした記憶がある。

欧米人は「音を遊ぶ」親父ギャグより「考え落ち」のアメリカンジョークを好むようだ。


◆ポールニューマンが出たついでに、ポールとコンピュータに関わる小話。

『パスワード』

コンピュータが得意の彼女、いやな上司のコンピュータ設定を手伝っていた。

この上司、セクハラオヤジで社内の嫌われ者であった。

彼女は上司に、ログインに使用するパスワードは何にするかと訊いた。

この上司は、彼女を困らせてやろうという魂胆で、[my-pole]と入力しろと言った。

平然と、彼女はこのパスワードを入力した。

彼女は、コンピュータの反応に必死で笑いを堪えた。

「パスワードは無効です。短すぎます。」


◆アメリカンジョークに対抗して日本伝統の落語ネタから、一席・・・・。

『誰かが覗いている!』

義眼の男、寝る時は何時も枕元に水の入ったコップを置き、それに外した目玉を入れて寝るのが習慣であった。

酔って寝込んだある夜のこと、のどの渇きに枕もとのコップの水を一気に飲み干した。

翌朝、糞ズマリで腹痛を起こし七転八倒。
近所の医者に駆け込んだ。

「ナニ、何、フンズマリだって? 浣腸をするからズボンを下ろして此処に四つん這いになりなさい」

慣れた調子で男の紅門、・・いや、後門、・・じゃなく、肛門を覗き込んだ医者・・・
思わず、驚愕の声を発した。

「ゲ・・・! 誰かが向こうからも覗いている!」

      
          ◇          ◇         ◇


◆アメリカンジョークの原文

Lincoln vs. Kennedy

Abraham Lincoln was elected to Congress in 1846.
John F Kennedy was elected to Congress in 1946.

Abraham Lincoln was elected President in 1860.
John F. Kennedy was elected President in 1960.

The names Lincoln and Kennedy each contain seven letters.

Both were particularly concerned with civil rights.
Both wives lost their children while living in the White House.
Both Presidents were shot on a Friday.
Both Presidents were shot in the head.

Lincoln's secretary was named Kennedy.
Kennedy's secretary was named Lincoln.

Both were assassinated by Southerners.
Both were succeeded by Southerners.
Both successors were named Johnson.

Andrew Johnson, who succeeded Lincoln, was born in 1808.
Lyndon Johnson, who succeeded Kennedy, was born in 1908.

John Wilkes Booth, who assassinated Lincoln, was born in 1839.
Lee Harvey Oswald, who assassinated Kennedy, was born in 1939.

Both assassins were known by their three names.
Both names are comprised of fifteen letters.


Booth ran from the theatre and was caught in a warehouse.
Oswald ran from a warehouse and was caught in a theatre.
Booth and Oswald were assassinated before their trials.

And here's the kicker...

A week before Lincoln was shot, he was in Monroe, Maryland.
A week before Kennedy was shot, he was in Marilyn Monroe.


 
 


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神風が吹いた世界野球!

2006-03-17 18:42:41 | 県知事選
メキシコよ、良く頑張ってくれた。

日本戦で世紀の誤審をやってくれたあのデービッドソン審判の「再誤審」にメキシコは奮い立った。

「アメリカの、アメリカによる、アメリカのための野球」を、という「カリフォルニアの陰謀」は木っ端微塵に打ち砕かれた。

メジャーリーガーなど各国の一流選手が出場しているWBCだが、審判員は登録37人中22人が米国人。

世界最強を誇ったはずの選抜チームも各参加各国にメジャーリーガーが散った後は抜け殻と化した。

2次リーグでよもやの敗退劇といい、重なる審判団の誤審といい、野球王国アメリカの威信はこの大会で一気に地に落ちてしまった。

こうなれば、先ず打倒韓国。

そして、目指すは世界の王ジャパン!

       
          ◇         ◇         ◇


◆(2006年3月17日(金) 17時2分 夕刊フジ )

日米決戦で物議のデービッドソン審判がまたまた誤審

 【アナハイム(米カリフォルニア州)=米沢秀明】あのデービッドソンがまたやった!! ワールド・ベースボール・クラシック(WBC)2次リーグ1組の米国-メキシコ戦で、メキシコの本塁打を二塁打とする誤審があった。右翼ポールを直撃した明らかな本塁打を誤審したのは、12日の日米決戦でも“世紀の誤審”をしたあのボブ・デービッドソン審判だった。

 「野球の世界一決定戦」と銘打った大会で、1度ならず、2度までも起こった米国人審判によるあまりにも地元びいきの判定に、大会運営の大リーグ機構には各国から批判が集まりそうだ。

 これが、野球の世界一を決める大会を裁く審判なのか。米国が2失点以上でメキシコに敗れれば、日本が準決勝進出を果たす一戦で、またも疑惑の判定が行われた。

 三回裏のメキシコの攻撃。先頭の8番バレンズエラが米国先発のメジャー通算341勝右腕、クレメンス(元アストロズ)の外角高めの直球を鮮やかに流し打つと、打球はぐんぐん伸び、ライトのウェルズ(ブルージェイズ)がジャンプしながら差し出したグラブの、はるか上を通過して黄色いポールを直撃した。

 誰が見ても確かにポールを直撃したはずだったが、判定を行うデービッドソン一塁塁審は本塁打を表す腕を回すジェスチャーをしない。マウンド付近で審判団が集まって協議し、責任審判のデービッドソン塁審は二塁打をコールした。

 エンゼルスタジアムは騒然となり、メキシコ側は執拗(しつよう)に抗議。03年に21勝、奪三振王のタイトルに輝いたメジャー屈指の右腕ロアイザ(アスレチックス)も、「ポールに当たった跡があるじゃないか」と言いたげに黄色い塗料が付いたボールを審判に示したが、判定は変わらず、メキシコの先制ホームランは幻と消えた。

 テレビ中継をしたESPNも、そのシーンをスローモーションVTRで何度も繰り返し、打球がポールを直撃している様子をクローズアップした。

 判定を下したデービッドソン審判は12日の日本-米国戦でも誤審している。3-3の同点で迎えた八回1死満塁で、岩村(ヤクルト)のレフトフライでタッチアップした西岡(ロッテ)は楽々と生還して日本が勝ち越したかに思われた。

 米国のアピールに対して、三塁付近にいた二塁塁審がいったんはセーフと判定したが、この試合で主審を務めていたデービッドソン審判が「離塁が早い」とした米国・マルチネス監督の抗議を受け入れ、アウトと判定を覆した。

 日本代表の王監督は「いくら抗議があったとはいえ、判定を変えるということは日本で長年野球をやっているが見たことがない」と抗議したが、デービッドソン審判は「(三塁走者の離塁は)判定を下すのは球審だ」として却下した。この誤審で決勝点を奪われた日本は結局、米国に9回サヨナラ負けを喫した。

 この判定には、米国の新聞も「カリフォルニアの陰謀だ」と見出しを付け、韓国の朝鮮日報(電子版)は「厚顔無恥な詐欺劇」と日本を全面的に支持するなど、各国のメディアも批判的な論評を繰り広げた。

 デービッドソン審判は99年までメジャーでジャッジをしていたが、現在はマイナー所属。ただ、メジャー当時は98年にカブスのサミー・ソーサと本塁打争いをしていたカージナルスのマーク・マグワイアの66号アーチと思われた打球を、二塁打と判定。全米から「史上最低の審判」と猛バッシングを受けた“前科”もある。

 「野球の世界一決定戦」と銘打ち、メジャーリーガーなど各国の一流選手が出場しているWBCだが、審判員は登録37人中22人が米国人。そのほとんどがマイナーリーグに所属しており、世界一を決める大会の審判として適任かどうかは疑問符がつく。2次リーグでよもやの敗退劇といい、米国の威信は一気に地に落ちてしまったのか-。

[ 3月17日 17時2分 更新 ]
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「100年目の呪」、リンカーンとケネディ

2006-03-17 07:35:29 | 県知事選
一昔前、「三年目の浮気」という歌が流行った。

軽快なディュエットのメロディーでカラオケで歌った覚えががある。

「三年目の浮気ぐらい大目に見てよー」と言う一節があった・・・。

しかし、これが三年目の浮気ならぬ「100年目の呪」であったら話は穏やかではない。

暗殺によって非業の死を遂げたリンカーンの呪いが、100年の時空を越えてケネディに乗り移ったと言う話がアメリカにある。

メリーランド州ロックビル市モンロー街。

リンカーンは暗殺の一週間前メリーランドのモンローに居たという。
(A week before Lincoln was shot, he was in Monroe, Maryland. )

一方、ケネディも暗殺の一週間前マリリンモンローの中に居たという。
(A week before Kennedy was shot, he was in Marilyn Monroe.)

リンカーンが1週間前にいた"場所"であるメリーランド州モンローに対して、ケネディが1週間会っていた"人物"モンローを持ち出すおかしさについてはわざわざ説明する必要もないだろう。

オリジナルでは「ケネディは(With Marilyn Monroe )マリリン・モンローと一緒にいた」と表現されている。

実はこの部分は本来、リンカーンの「In Monroe(モンローにいた)」のフレーズと韻を踏んで「ケネディはIn Marilyn Monroe (マリリン・モンローの中に居た)」と表現されるのが大笑いのオチになる訳だ。

オチを説明する愚を敢えて冒すと、この部分はケネディとマリリン・モンローの“親密”な関係を茶化した"アメリカンジョーク、・・・いや、オヤジギャグなのだ。

だが、検索してみると、実際はマリリン・モンローは ケネディ暗殺の約1年前の1962年8月に死亡 している。

いかにプレイボーイのケネディと言えども、暗殺された“1963年の11月”に 「イン・モンロー 」な関係が可能な筈はない。

何だ、モンローを掛けた唯のオヤジギャグ、いやアメリカンジョークか、と云ってしまえば話はここで終わってしまう。

しかし、本当のリンカーンの百年目の呪いはこれから始まる。

モンローとケネディの浮気ジョークは「100年目の呪い」の序章に過ぎなかったのだ。

★呪その1:
アブラハム・リンカーンが連邦議会入りしたのは1846年。
その100年後の1946年、ジョン・F・ケネディーが連邦議会入りした。

これは唯の偶然だろう。 偶々両者の議会入りが100年目に重なったに過ぎないと誰でも思う。

が、これがケネディの大統領就任の年がリンカーンの大統領就任後100年目となるとエッと考え始める。

★呪その2:
アブラハム・リンカーンが大統領になったのは1860年。
その100年後の1960年、ジョン・F・ケネディーが大統領になった。

★呪その3:
リンカーン(Lincoln)もケネディー(Kennedy)も7文字。

★呪その4:
二人とも、公民権に深く携わった。

★呪その5:
二人の夫人はともに、ホワイト・ハウスに住んでいる時に子供を亡くしている。

★呪その6:
二人とも、大統領在職中に撃たれた。

★呪その7:
二人とも、撃たれたのは金曜日。

★呪その8:
二人とも、撃たれたのは頭だった。

呪いの3,4,5となるとやはり偶然か強引なコジツケと考えてしまう。

しかし、単なる偶然もそれが重なると偶然とは言い切れなくなってくる。

「100年目の呪」はまだまだ続く。


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沖縄ソバの風景Ⅱ 『半ソバ物語』

2006-03-16 07:37:52 | 年金・老人・身辺雑感
我が家の近くに「学園通り」と称する大通りがある。
その通り沿いには小学校が2校、中学校、高校が各一校ある。
四つも学校が在るので「学園通り」と呼ばれても不思議ではない。 
タクシーの運転手にもその名は知れ渡っている。

しかし、学園通りのイメージにそぐわない店がこの通り沿にやたらと目に付く。
居酒屋が何故か多い。 
暇に任せて数えてみたら十数軒もあった。
この街も姿を変えコンビニと居酒屋の街に成り果てるのか。

ところで、この近くに私のお気に入りのソバ屋がある。 
日本蕎麦も好物だがこの店はウチナースバ(沖縄ソバ)の店だ。 
メニューに「学生ソバ」と言うのがある。
値段が安く設定されている割には量が多く、近所の学生がよく食べに来ているようだ。
冗談に,私も学生だから学生ソバが欲しいと言ってみたら、老いた女店主は「ごめんなさいネー、学生ソバは奨学金の補助をうけているのよー」と訳の分からん返事が返ってきた。

突然記憶の回路が遠い昔の噂話を検索した。
ソバにまつわる似たような話を思い出したのだ。
未だ沖縄が米軍占領下の頃、学生たちは何時もひもじい思いをしていた。
その頃、ソバにまつわる心温まる話があった事を想いだしたのだ。

現在、首里城がある首里高台には戦火で破壊された城跡があった。
首里城は未だ再建されておらず、そこには琉球大学が建っていた。
その頃沖縄ではアメリカドルが使われていた。

大学近くに年老いた母と娘の二人で経営する大衆食堂があった。
食堂とはいってもお客が注文するのは殆どがソバだけだった。
ソバは20セントだったが、他に「半ソバ」10セントがあった。
「半ソバ」とは小腹がすいた時、ソバでは量が多すぎると言う客の為のおやつ代わりのメニューである。

食堂は小腹どころか空きっ腹の学生たちで大繁盛、母も娘もいつもてんてこ舞いだった。
学生たちは何時も半ソバを注文して、食べ終わると何故か必ず半ソバのお代わりをするのが常だった。

学生たちの間には「耳寄りな話」が噂となって流れていた。
「あの食堂のオバーは★ローマーらしい。 計算がわからんみたいだ」
でもソバを作るのはお婆さんですが、お金のやり取りは娘がやっていた。
娘は半ソバのお代わり分も含めて20セントをちゃんと受け取っていた。

ソバにはそれぞれ三枚肉と蒲鉾が2枚ずつ具として乗っていた。

「あそこの半ソバ2杯は普通ソバの1倍半か2杯分近くある」

「おまけに半ソバにも普通ソバと同じ大きさの三枚肉と蒲鉾が同じ量入っている。」

「普通のソバ1杯食べるより、半ソバをお代わりして食べた方が肉も蒲鉾もソバも多く食べられるんだ」

「それをあの★ローマーオバーは気が付いていない」

「損をしているのに、2度手間で忙しいばかりで気の毒だ」

「でも金は無いし、背に腹は替えられない。 気が付くまで知らん顔しよう」

しかし、貧乏学生以外の客はごく普通に「普通ソバ」を注文し食堂は相変わらず大忙しだった。

空きっ腹の学生達には、何故大人たちが半ソバのメリットに気がつかないのか、考える心の余裕はなかった。


   ◇         ◇          ◇


時が流れ30年後のある日の事。

今では大会社の社長になったあの貧乏学生の1人が、あの食堂を訪ねた。
お婆さんは既に亡くなっていたが年老いた娘が食堂の後を継いでソバ屋をやっていた。 大衆食堂はソバ処と看板は変わっていた。
時はドルから円の時代に変わっていた。

半ソバはメニューから消えていた。
ソバー500円、ソバ(大)600円に替わっていた。
元貧乏学生は今では店主となった娘に懐かしそうに話し掛けた。

「あの頃はオバーに随分世話になりました。年寄りと娘がやっているのを良い事に
随分損をさせたような気がします」

「ああ、半ソバの事ですか」

「そうですが・・・、オバーは気が付いていたのですか」

「勿論、ちゃんと全部判っていましたヨ」

「『お金のない学生さんがひもじい思いしている。 仕方が無いさー』そう母は何時も言っていました」

「でも他のお客さんは気がつかなかったのですか」

「他のお客さんも皆事情を判っていましたヨ。 でも半ソバをお代わりする人は誰もいなかったですヨ」

元貧乏学生は恥ずかしさで赤面した。

あの頃、みんな判っていて知らん顔をしていてくれたのだ。

自分たちだけが利口のつもりで、計算に弱い店主を出し抜いていたつもりが、何と言う事だ。

自分たち以外,他の客も「半ソバお代わり」の秘密を承知していたのだ。

今では忘れてしまった人情の温かさに胸が熱くなってきた。

そのソバ屋のメニューに翌日から「学生ソバ 250円」が加わった。

あのオバーの半ソバと同じ出血大サービスのお徳用メニューが顔を見せていたのだ。

ただ昔と違って、皆がこれを注文すると困るのか、注文は学生に限るとの但し書きが付いていた。

お客さんの人情も時代が変えてしまっていた。

半ソバは死語になっていたが、時をを越えて学生ソバと言う名前で蘇っていた。

その後、[学生ソバ]が奨学金で支えられていると言う奇妙な噂が流れたが、誰もその真偽を確かめる事は出来無かった。

                    *

「学生ソバ四つ!」

弾けるような学生の声で半世紀前の半ソバ物語から一瞬にして我に返った。

近くの高校の女学生集団が部活の休憩に乱入したもようだ。

食べ終えたソバの丼には食べ残しの三枚肉の皮が一つ寂しげだった。

ここは浦添、学園通り界隈。 半ソバの首里とはかなり離れている。

半ソバの心は時空を越えて学園街に学生ソバとして受け継がれているのだろうか。

出掛けに丼の三枚肉の皮を口に放り込みガムのように噛みながら店をでると、ランニングしながら声を掛け合う学生の一団がソバ屋に向かって来るところだった。




★蛇足:ローマとは沖縄方言で、老耄(ろうもう)の訛ったもの。 老いて耄碌(もうろく)したこと。

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たかが・・・いや、やはり野球だ!

2006-03-15 09:19:03 | 県知事選
WBC野球の誤審問題は今朝の全国紙でも燻っている。

全国5紙のコラムで今日までにこの問題を取り上げたのは3紙。

昨日(14日)読売はいち早く「編集手帳」でこの問題を、取り上げた。

が、早すぎたのか消化不良の感を否(いな)めない。

今朝は毎日と産経が「余禄」と「産経抄」で夫々「誤審」を取り上げた。

毎日はホームタウンデシジョン(身内ヒイキ判定)と評し、この大会が「米国が勝つまでやる大会」の疑惑を持たれてはミもフタも無い、と厳しい。

産経はよっぽど腹に据えかねたのか、怒りをためこんだ表現で次のような書き出しで始まる。
≪あまりに腹が立って、きのうは罵詈(ばり)雑言書き連ねそうで、小欄に取り上げるのは一日延ばした。≫

         ◇         ◇         ◇

スポーツ新聞は絶好の話題にWBC取材班の署名記事が多い。

その中から拾い読みで、関係者の発言を記録してみる。

≪14日の日刊スポーツは「王ジャパン、アメリカに“判定”負け…準決勝でリベンジだ!」の見出しで王監督の発言を載せている。

★世界の王が5分間の猛抗議。だが再び判定が覆ることはなかった。
「一番近くで見てる審判のジャッジを変えるということは、私は日本で長年野球をやってきて、見たことがありません。野球がスタートした国でこういうことがあってはならない」

「世界中の人が見ているのに。アメリカのためにもならんよ」と怒気を強めた。


だが、指揮官は帰り際、不可解な屈辱より、野球大国・米国を追いつめた戦いの内容に重きを置いた。

「もうその(審判の)話は横に置いておこうよ。アメリカとの真剣勝負の中でよくやった。イチロー、松井(秀)が、活躍するという環境に今、日本があるということをアピールできた」

「韓国、メキシコに勝ってもう一回アメリカとやろう!」

日頃から温厚で紳士的な王監督としては精一杯の抗議であったのだろう。

その王監督に中日監督時代、熱血のあまり拳を突き出した星野仙一も現場球場で観戦していた。

この緊迫の場面で「燃える男」はどのような発言をしていたのか。

≪★現地で観戦した阪神・星野仙一SD
「球審に権限があるなら、二塁塁審がセーフと判定した瞬間に『いや! アウトだ』と言わなければいけない。米国の抗議でなぜ変わるのか。残念を通り越して情けない。これからは第3国の審判がやらないと」

★「残念を通り越して情けない。会見で(王監督とイチローの)2人の顔を見たら、涙が出た。審判の権限以前の問題や」
「完ぺきにセーフ。俺が日本人だから言っているのではない。野球人として言っている」。熱くなったSDの怒りは収まらない。

「世界大会でマイナーの審判はおかしいし、第三国が審判をやるべき」と運営方法も批判。

(会見では通訳が王監督やイチローの発言の一部を省略したのに対し)
「『野球発祥の国』とか『全員が納得していない』という部分を訳さなかったようだ。
世界のメディアに伝えるのだから、しっかり訳さないと」。(デイリースポーツ)≫

嘗て闘将と言われた熱血漢は何もかも腹立たしかったようだ。


◆今、こうしてパソコンを打っている側でテレビが日本対メキシコ戦の開会の模様を中継している。

件の燃える男が画面で中継の問いに答えていた。

「現場で見て誤審をどう思いますか」という問いに、

「同じ指揮官の経験者として王監督の気持ちを思うと涙が出る」

「貴方が指揮官だったら球審を殴っていましたか」の問いには、

「・・いや、殴っちゃいけませんよ。でも、私なら退場ギリギリの抗議のパーフォーマンスをしていましたヨ」

ム.ム・・・流石は燃える男、星野。

冷静な王監督に燃える星野仙一。

日本の野球は指揮官でも既にアメリカを凌駕している。

たかが野球ではない。

やっぱり野球なのだ。

   ◇         ◇         ◇

◆読売新聞 3月14日付・編集手帳

 「野球石器時代」という言葉を教えてくれたのは、淡路島を舞台にした阿久悠さんの長編小説「瀬戸内少年野球団」(文芸春秋)である◆国民学校の3年生で終戦を迎えた主人公の少年、竜太は手づくりの用具で野球に明け暮れた。綿入れの軍手のようなグラブがあった。霜焼けの手にグルグル巻きの包帯をしたようなミットがあった◆「原始人が石を削り、石を磨いて斧(おの)をつくったように道具の発見から彼らの野球は始まったのだ」と。すばらしい用具が何でもそろう海の向こうの野球王国を遠い日に仰ぎ見た石器世代の少年たちは、きのうのテレビ中継に格別の感慨をもって見入ったことだろう◆スター選手を集めた王国の面々が予期せぬ劣勢に青ざめる。野球の国・地域別対抗戦「ワールド・ベースボール・クラシック」(WBC)で、日本は勝利にあと一歩のところまで米国を追いつめた◆日本の勝ち越し点が微妙な判定で幻に終わる後味の悪さも残したが、リーグ戦はつづく。すっきりした形の勝利を米国に許さなかった、その自信を胸に次の試合に臨んでほしい◆世界の頂上で活躍する選手たちがまなじり決して力と技を競う姿は、いまの子供たちにも何ごとかを語りかけるだろう。野球石器世代が胸にともした情熱の灯を受け継ぐ少年が、ひとりでも増えてくれることを。

(2006年3月14日1時31分 読売新聞)


◆産経新聞 産経抄 (2006年3月15日)

 あまりに腹が立って、きのうは罵詈(ばり)雑言書き連ねそうで、小欄に取り上げるのは一日延ばした。いうまでもない。ワールド・ベースボール・クラシック(WBC)の日本対米国戦のことだ。

 ▼岩村のフライをレフトが捕球したタイミングとタッチアップした三塁走者、西岡の離塁のどちらが早かったのか。繰り返し放映されたビデオ映像を見れば、誰の目にも明らかだ。微妙な判定どころではない。本当に「ホームタウンデシジョン(身内びいきの判定)」はなかったのか。

 ▼平成九年にディミュロ帰国問題というのがあった。セ・リーグが招いた米国人審判が、ストライクの判定をめぐって、中日の選手に胸をつかれコーチに囲まれて、「身の危険」を感じたことが決定的な要因といわれた。

 ▼「日本は審判の権威を認めない」「大リーグに五十年遅れている」。あのときプロ野球の後進性を言い立てた識者も、お手本とすべき本場の審判の判定によって、王監督が頭を抱える姿は想定外だったろう。

 ▼二組八チームで争う二次リーグで、同一グループの一位、二位で準決勝を行うのも不自然だ。米国が別グループの強豪ドミニカ共和国やプエルトリコとの対戦を避けた、との推測は説得力がある。少なくとも大会運営に、映画「フィールド・オブ・ドリームス」で、繰り返し語られた米国人の野球への崇高な愛が感じられない。

 ▼それにしても「(王監督が)納得しなければ、ぼくはグラウンドに戻る気はなかった」と指揮官の猛抗議をあくまで支える姿勢をみせたイチローはさすがだ。やられたらやりかえせ、の大リーグに生きる男の強さをみた。WBCのうさんくささを察知して不参加を決めたのだとしたら、松井はもっとすごいけれど。



◆毎日新聞 余禄 2006年3月15日 0時08分

誤審

 「29対4」は、1896年に横浜公園で行われた日本野球史上初の本格的な“日米対決”のスコアだ。間違っては困るが29点あげたのが日本側である。対戦したのは東京の第一高等学校と、横浜のアマチュア米国人チームだった▲よほどくやしかったのか米国側は、その後寄航中の米艦隊から選手を補充して再戦、再々戦を申し入れた。が、一高は大差で3連勝する。とうとう元大リーガーの補充に成功した米国側はその独立記念日に満を持して4度目の試合に挑んだ▲結果は元プロの活躍により、米国が14対12で一高を降した。すると今度は一高が再戦を申し込んでも、米国側は一向に受け入れようとしない。いわば勝ち逃げである。ただこのシリーズ、横浜のゲームでは米国人が、東京では日本人が審判をつとめたが、トラブルは記録されていない▲それから110年、国別の実力世界一を競うWBCで実現した日米激突は、1点を争う好ゲームにあって、「誤審」が勝負の流れを決める残念な結果になった。米国人審判の不可解な判定がホームタウデシジョン(身内びいき)の疑惑を招いたのは、すべての大会関係者にとっての不幸だ▲もともと米大リーグ機構と選手会とで進められたWBC構想である。米国における興行としての成功が重視され、各国から審判を出し合って基準を統一するような手間はかけられなかった事情もあろう。だが各国ファンから「米国が勝つまでやる大会」と思われてはミもフタもない▲横浜での日米対決の昔から、国別対抗試合は野球ファンの夢だ。曲がりなりにも実現した野球世界一決定戦の夢は何とか次につなげたい。さしあたり王ジャパンには2次リーグを勝ち抜き、最後の決着を気持ちよいものにしてほしい。




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たかが野球 されど野球 アメリカンスタンダード

2006-03-14 10:53:31 | 県知事選
一時「日本の常識は世界の非常識」という言葉が流行った事が或る。

米国留学経験者のある、サル有名評論家が流行らしたらしい。

そもそも「世界の常識」って誰の常識?

そんなモノ「世界」にはありやしない。

最近ではこれが「グローバルスタンダード」という言葉に置き換えられる。

では「グローバルスタンダード」って誰が何処で決めたの?

「グローバルスタンダード=アメリカンスタンダード」、これがアメリカの常識。


◆資本主義社会では消費者は王様だ。

消費者の要求は何ものにも優先する。 お客様は神様だ。

が、アメリカにとって「アメリカンスタンダード」は何ものにも優先する。

消費者の日本が狂牛病を恐れて検査基準を出しても、アメリカ独自の検査基準で押し通そうとする。

狂牛病肉は健康・生命に関わる事なので大きな問題になっているが、牛肉だけではない。

この広い地球上(グローバル)でアメリカだけでしか通用しない常識(スタンダード)が無数にある。



◆そもそも、モノを計る基準からしてアメリカ独善がミエミエだ。

mile(マイル、1マイル=約1.6キロメートル)、
Fahrenheit (華氏、摂氏に直すときは(F-32)×5/9で計算)、
gallon(ガロン、1ガロン=約3.8リットル)、
lb.(ポンド、1ポンド=約450グラム)。

戦後アメリカの影響を強く受けた沖縄では今でも1リットルの牛乳と並んで1クォート・サイズ(945ml)の牛乳が売られている。

アメリカ繁栄のシンボル自動車だってそうだ。

アメリカは左ハンドルのアメ車を日本やヨーロッパに売りつけてきた。

それを横目で見ながらトヨタやホンダはお客様たるアメリカの基準に合わせた左ハンドル車をアメリカに売ってきた。

そしてグローバル、・・いや、アメリカンスタンダードの権化GMはトヨタに援助を求める屈辱的事態にまで経営不振に陥ってしまった。

ビジネスの世界だけない。

アメリカンスタンダードは遂に・・・スポーツの世界まで。

嗚呼!野球よ、お前もか!


◆ここまで読んでくれた読者に感謝しつつ、長い前ぶりが続いたが、今から本論に入る。

話題はWBC野球の審判問題。

長年、野球はアメリカの国技とも言われアメリカの文化とも云われてきた。

日本の野球はアメリカの野球をお手本に切磋琢磨して来た。

プレー技術も。 審判技術も。

一方日本の国技相撲の審判制度を見ると・・・。

チョンマゲ頭に羽織袴の検査役は時代遅れの保守的審判制度を連想させる。

が、その保守的見かけの背後で近代的メカニズムがこれを補佐している。

勝負の瞬間をあらゆる角度から捉えたビデオ画像をビデオ室でチェックするビデオ審判員がいる。

物言いがついた一番は当然ビデオ室の意見を参考にして勝負判定をする。

誠に現代的で合理的だ。 相撲が国際化してもグローバルスタンダードになり得る。

ところが日本野球はアメリカに倣ってか、この合理的「ビデオ参考制度」を採用していない。

サッカーの例を待つまでも無く、スポーツの国際試合には審判員は当事国以外の国の審判員が行うのが「グローバルスタンダード」。

ところがWBC野球の試合では37人の審判のうち27人がアメリカ人人審判員だという。

ここにも「俺の決めた法は正しいが、お前等の決めた法には従えない」というアメリカの驕りが垣間見える。

話が突然飛んでしまうが、米軍人が犯した犯罪を日本の法に委ねずに米軍法会議に委ねる、「地位協定」。

これも背後にはアメリカの「聞く耳持たない」精神が宿る。

最後に韓国・中央日報の李泰一(イ・テイル)記者の熱血記事を引用してアメリカの驕りに対する鉄槌としたい。 日本の記者はおとなしすぎる。

≪・・・判定覆しと米国に有利な判定は、ワールド・ベースボール・クラシック(WBC)を‘世界最高の野球祭り’から‘米国の、米国のための、米国による祭り’に転落させるという論難を招いた。≫

紳士的な王監督や大人しい日本のファンだから「次はリベンジ」で済んだが、これが「アメリカ対ブラジル」のサッカー試合であったら暴動でも起きていたであろう。

たかが野球という無かれ。


          ◇          ◇         ◇


◆判定変更の手順に不手際?=日本の野球規則委員らが指摘-WBC
2006年3月13日(月) 20時30分 時事通信

 日本が米国に敗れた試合で8回、西岡のタッチアップをめぐる判定が変更されたことに、日本の球界関係者も首をかしげた。プロ野球コミッショナー事務局の丸山博規則委員によると、判定を下す過程に不手際があった可能性があるという。
 走者数などの状況ごとに審判のカバー範囲を定めた「大リーグ審判マニュアル」では、満塁時に左翼方向へ打球が飛んだ場合、三塁タッチアップは球審が確認することになっている。しかし、問題の場面では二塁塁審がいったん「セーフ」のジャッジをした。
 一方で、野球規則9・02(c)は、判定を下した審判員から相談を受けた場合を除き、審判員は他の審判員の判定に批評を加えたり、変更を求めることはできないと定めている。今回のケースでは、米国側からの抗議を受け、球審が塁審と協議して判定が覆った。
 丸山規則委員は「二塁塁審がアドバイスを求めたのかどうか。そうでなければ、球審の越権行為になる」とみている。また、事前に行う各審判の責任範囲の確認が不十分なら、審判団チーフの責任は重いという。 

[ 3月13日 20時30分 更新 ]



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日本の民意 岩国の民意

2006-03-13 10:46:25 | 普天間移設
昨日(12日)の「報道2001」に「国家の品格」の著者御茶ノ水大教授・藤原正彦が出演した。

数学者である教授は皇室典範の話題で世論について歯切れ良く斬り捨てた。

(皇室に関わるような伝統的な事柄については)

「世論に従う必要は無い」。

「世論はその時々で変わるもの、伝統はその時々で変わるべきものではない」。

流石は数学者。 論理が明快だ。

「世論」とか「民意」と聞くと政治家やテレビコメンテーターは急に態度が弱くなる。

まるで黄門様の印籠の前にひれ伏す悪代官のように。

「世論」や「民意」を批判したら政治家は「唯の人」になってしまうし、テレビ局は視聴率の低下で打撃を受ける。

彼等は論敵を攻撃する時「民意」を錦の御旗として掲げる。

「国民は貴方が思うほど馬鹿ではない」。

この常套句一言で相手は狼狽し言葉に詰まる。

「世論」や「民意」は日本伝統の皇室問題には馴染まないとテレビで断じた藤原教授の論理には目からウロコの感がした。


          ◇         ◇          ◇

「ゴミ処理場は必要だが、わが町に建設するのは反対」。

古くて新しい問題である。

人間は古代ギリシャの時代から「民意」を求めて試行錯誤を繰り返してきた。

「民意」にこだわれば衆愚政治に陥り、「民意」を無視すれば独裁政治となる。

小泉首相は出来るものは「官から民へ」移して「小さな政府」を目指すという。

いくら官から民へといっても、如何しても譲れないものに外交と安全保障がある。

昨日、岩国市は住民投票で、米空母艦載機移駐計画の賛否を問う住民投票で「民意」問うた。

結果は移駐反対票が賛成票を大きく上回った。

新たな基地負担を避けたいという感情が住民の間に強いことはこれ自体「民意」だろう。

今朝の中央5紙でこの問題を社説で取り上げたのは読売新聞一紙だけ。

その中で勇敢にも「民意」に挑戦した。

≪岩国市の条例は、「市の権限に属さない事項」は住民投票の対象外と定めている。

住民からも、「移駐計画は国の専管事項で、住民投票条例にはそぐわない」との声が上がっていた。

・・・いたずらに政府と対立し、混乱を招くことがあってはなるまい。≫

当然の如く朝日新聞は署名入りで「初の民意、国に重圧 」と民意至上の解説記事を掲載している。

同じ問題を抱える沖縄の地元二紙が岩国市の民意を見守っていた。

沖縄タイムス社説は未確認だが、琉球新報社説も(民意が)「ノーと突きつけた」と、得意の論調で「民意」の勝利を高らかに謳い上げている。

しかし住民投票で「民意」を問うならば「外交・安全保障問題を住民投票に委ねる」、それ自体の賛否を住民投票にかけるべきであろう。

それにしても「民意」にうろたえて「やれ産婦人科医だ、今度は基地移設反対」と防衛庁内で揺れ動く島袋名護市長には同情させられる。(琉球新報コラムand3月7日「沖縄のローマ市長)

いや、民主主義の根幹に触れる問題で一番悩んでいるのは名護市長なのかもしれない。

 
          ◇         ◇         ◇


◆3月13日付・読売社説(1)
 [岩国住民投票]「それでも在日米軍再編は必要だ」

 山口県岩国市の住民投票で、在日米軍再編に伴う米空母艦載機移駐計画に「反対」とする票が多数を占めた。

 投票率は59%で、移駐反対票が賛成票を大きく上回った。新たな基地負担を避けたいという感情が住民の間に強いことを示すものだろう。

 投票結果には、法的拘束力はない。だが、米軍再編を円滑に進めるため、政府として、地元の理解を得るよう最善の努力を尽くすのは当然だ。

 日米両政府が合意した計画では、神奈川県・米海軍厚木基地の空母艦載機57機と米兵1600人を米海兵隊岩国基地に移駐する。その代わりに、岩国基地の海上自衛隊機17機と隊員700人を海自の厚木基地へ移す。

 在日米軍再編は、北朝鮮の核開発、中国の軍事大国化という安全保障環境の変化や、国際テロなどの新たな脅威に対処するのが目的だ。日米同盟を強化し、日本の安全保障を、より強固なものとする上で、極めて重要な課題だ。

 住民投票自体には、様々な問題が指摘されていた。

 岩国市の住民投票条例では、投票率が50%に満たない場合、住民投票は不成立となる。そのため、移駐反対派は「反対」の投票を呼び掛け、“移駐容認派”は「棄権」するよう訴えていた。投票が成立すれば、圧倒的な反対多数の結果になることは当初から予測されていた。

 岩国市の井原勝介市長は、地元の意思を国に示す必要がある、として自ら住民投票を発議した。

 しかし、岩国市の条例は、「市の権限に属さない事項」は住民投票の対象外と定めている。住民からも、「移駐計画は国の専管事項で、住民投票条例にはそぐわない」との声が上がっていた。

 岩国市は20日に周辺7町村と合併し、4月には、新・岩国市の市長選が行われる。住民には、住民投票自体が市長選への選挙運動だ、という指摘もあった。移駐に理解を示す周辺町村もある。合併直前に岩国市だけが住民投票を実施したことに疑問の声も出ていた。

 こうした事情を考慮すれば、今後、岩国市側も、いたずらに政府と対立し、混乱を招くことがあってはなるまい。

 政府と地元自治体は、住民の利益に十分配慮しつつ、しっかりと国益を守るよう、誠実に協議することが大事だ。

 沖縄の米海兵隊普天間飛行場移設問題など、地元との調整でなお難題は少なくない。日本側の事情で再編計画が遅れては、日米の信頼関係が損なわれる。政府は、月内を目標とする日米最終合意に向け、全力を挙げなければならない。

(2006年3月13日1時46分 読売新聞)


朝日新聞 解説記事 (2006年3月13日)

◆米軍受け入れ、反対87% 岩国住民投票 投票率58%

 厚木基地(神奈川県)の米空母艦載機の岩国基地への移転計画の賛否を問う山口県岩国市の住民投票が12日に実施された。投票率は58・68%で即日開票され、反対が87%を占めて有権者数の半数を超えた。投票結果に法的拘束力はないが、井原勝介市長は「重く受け止め、移転案の撤回を求めたい」と語った。近く、住民投票の結果を直接政府に伝える。
(略)

◆(解説)初の民意、国に重圧

 米政府と昨年10月に合意した在日米軍再編計画の詳細を詰め、地元同意を得たうえで3月末に日米両政府で「最終報告」をまとめる――。こんなシナリオを描く日本政府にとって、山口県岩国市の住民投票での「反対多数」は厳しい結果となった。全国各地で受け入れの是非が問題になっている米軍再編で初めて直接示された民意は重い。
(略)
 今後の焦点は、沖縄の普天間移設問題で、政府が地元の合意を取り付けることができるかどうかだ。

 移設先の名護市との調整は難航。先週、稲嶺恵一沖縄県知事や島袋吉和同市長が額賀防衛庁長官らと会談し、調整の兆しが見え始めたばかりだ。

 政府には「岩国でこういう結果になったうえ、名護でも地元とこじれると神奈川や東京だって、おいそれと受け入れを表明するわけにはいかない」(政府関係者)との声がある。普天間で失敗すれば、「反対の連鎖」は全国に広がりかねない。政府の普天間での取り組みは、米軍再編全体を左右する「試金石」となる。

 米側との協議も難航している。期限を設定して合意を急ぐ手法に米側が疑問を呈しているとの見方も政府内にある。強引に進めるより、期限を延ばしてでも地元調整を尽くす姿勢が政府には求められている。(津川章久)


◆琉球新報 社説 (3/13 9:53)

岩国住民投票・国内移転の無理が分かった

 米海兵隊岩国基地の地元・山口県岩国市で12日、米海軍厚木基地(神奈川県)の空母艦載機受け入れの是非を問う住民投票が行われ、反対が多数を占めた。住民の生命と暮らしを脅かしかねない日米合意に、過半数の意思として「ノー」を突き付けた形だ。
 「米軍再編案は国が決めることとあきらめないでほしい」と訴えてきた井原勝介岩国市長は、投票結果を受け、移転計画の撤回を求めていく考えをあらためて表明した。政府は、住民の選択と市長の方針を重く受け止め、計画を白紙に戻すべきだ。
 岩国市民の選択は、沖縄や神奈川など米軍基地を抱える自治体の動向にも影響を及ぼすだろう。これらの自治体に提起中の移転計画についても、政府は「民意尊重」という政治の原点に立ち返り、見直してもらいたい。(中略)
 再編協議で日本側は当初、沖縄を柱に「負担軽減」を主張していたはずだ。それがいつの間にか、米側の狙いである「東アジアでの抑止力維持」に押され、パズルのような配置換えの結果、基地を抱える地元にツケが回された。
 今回の岩国の選択は、基地機能の国内移転には無理があることを知らしめた、という点でも意味がある。負担軽減を考えるなら、もはや移転先は海外しかない。計画を根本的に練り直す姿勢が日米両政府に求められている。



◆ 琉球新報 金口木舌 (3/13 9:45)

 県立北部病院の産婦人科再開のため、自衛隊医官の派遣を要請した島袋吉和名護市長らに対し、額賀福志郎防衛庁長官は「厳しい」と難色を示した
 ▼要請に同席した小池百合子沖縄担当相は、1月の名護市長選の島袋氏支援の集会で「防衛医官派遣の快諾を得た」と打ち上げ、同病院産婦人科の4月再開に意欲満々だった
 ▼その際、小池沖縄相は「新生児の死亡率は北部地区で2・8%、南部は0・7%。北部は南部の4倍も高い」「北部の産婦人科・小児科の再開・充実が必要」と力説していた
 ▼この間、政府は小泉純一郎首相が1月の施政方針演説で、米軍再編について「抑止力維持と負担軽減」を強調するなど、事あるごとに在沖米軍基地の重要性を訴え「地元の理解」を求めてきた
 ▼「安全保障は国益」というのが政府の考え方だ。普天間飛行場のキャンプ・シュワブ沿岸移設のため、振興策も絡め、あの手この手で地元説得を続ける。一方で担当相が力説した「北部の産婦人科・小児科の再開・充実」は、政府の積極的な動きが見えない
 ▼国民の生命こそ、国益ではないのか。北部の住民にとって産婦人科はライフラインそのものだ。政府は米軍の抑止力維持の前に、国民の生命という「国益」を大事にしてほしい。





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韓国国歌と「満州国の繁栄」

2006-03-12 10:23:30 | 歴史

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日本ほど自分の国歌を疎かにする国は無い。

未だに国歌斉唱時に起立するのを拒否するある種の組織の日本人もいる。

又君が代は「相撲の歌」だと本気で考えていたという笑い話さえある。

そんな中トリノ五輪で荒川静香選手が表彰台で国家を歌ったと云う事が話題になった。

その点韓国における国歌に対する愛着は日本の比ではない。

その韓国国歌が今反日の象徴にされかかっている。

         ◇         ◇         ◇

どの国の国歌も自由にネット上で検索し歌詞やメロデーを転載する事が出来る。

勿論「君が代」も例外ではない。

が、唯一その例外があった。  韓国、いや、大韓民国国歌「愛国歌」がそれ。

最近まで韓国国歌には著作権料が絡んでいたというのだ。

元々韓国の国歌は、作詞者は不明であったが、20世紀初頭から「愛国歌」として蛍の光のメロディーに乗せて歌われ始めた。

その後、作曲家・安益泰(An Iktae。1905~65年)が新たなメロディーを作曲して管弦楽曲「韓国幻想曲」の終曲にベートーベンの第九を倣って合唱曲にした。

1948年の大韓民国独立後に彼が李承晩大統領へこの曲を持ち込んだことにより正式に大韓民国の国歌となった。

そして彼が死んだ1965年、韓国の文化勲章・大統領賞が授与された。

ここまでは韓国の誇る大作曲家が作曲した「愛国歌」が国歌となる経緯としては何の問題も無い。

ところが「愛国歌」は、国歌としては余り他の国に例を見ない経緯を辿って行くことになる。

この十年来、韓国では国歌の現在の著作権者たる安の遺族に対して2015年まで国歌使用料を払い続けることになっていた。

最近、韓国政府がこの著作権を買い取る方針を明らかになり、韓国政府と安の遺族を非難する声が韓国内で沸きあがった。

この動きを見たのか、現在スペイン在住のスペイン人で、安の90歳になる未亡人と三人の遺族は、国歌の著作権を放棄することを韓国政府に申し出た。

その代償として、作曲者・安を韓国の独立活動家と認定して欲しいと要望した。

韓国政府は、この遺族の申し出に感謝するとともに、安を独立義士と認定し、韓国国立芸術大学の音楽ホールを安益泰ホールと改称する意向を表明した。

ここまでは「国民的大作曲家が愛国の「国家」を作り、その権利放棄に伴って「独立義士」として国が称える」・・・という、話である。

韓国好みの美談仕立てに話は終わろうとした。

・・・が、事態は意外な展開を見せる。

中国や韓国が最も嫌うのが13年で消え去った「満州国の繁栄」だ。

その「満州の繁栄」を検証する中から或る事実が浮かび上がってきた。

ベルリンのフンボルト大学で韓国人学生によって一巻のニュースフィルム発見された。

この発見が国歌騒動の発端であった。

1942年の満州国建国10周年記念コンサートが友好国ドイツの首都ベルリンで行われた。

その時、安が作曲した祝賀曲を演奏するベルリン・ラジオ交響楽団を、安が指揮している姿がそのフィルムに映っていたのだ。

安は独立義士だったのか、それとも日帝の走狗だったのか。 

そして韓国の国歌が安の曲「愛国歌」でいいのか、という議論にまで発展する気配だ。

折りしも韓国では親日的人物の子孫から財産を没収するといった「親日・反民族行為者の財産の国家帰属に関する特別法」が立法化されたばかりだ。

          ◇         ◇          ◇

安は平壌生まれであり、1921年正則中学校に入学、その後東京の国立音楽学校(当時の正式名は東京高等音楽学校)でチェロを専攻した。

1930年渡米し、フィラデルフィアのカーチス音楽学校に入学、その後シンシナティー音楽学校でチェロと作曲を専攻した。

1935年か36年に上記韓国幻想曲を作曲。

その後1938年頃にドイツに渡り、ベルリンでリヒャルト・シュトラウスに作曲と指揮を師事します。そして亡くなるまで、主として欧州で音楽活動を続ける。

アジア人で唯一リヒャルト・シュトラウスに学んだ作曲家だ。

1939年、ブダペスト音楽学校に入学し、卒業後指揮者として各国を回り、ウィーン交響楽団、ベルリン交響楽団、ローマ交響楽団、ブダペスト交響楽団で指揮した。

第2次世界大戦後スペインへ移住して現地の女性と結婚、スペイン国籍を取得した。

その間、安は200回以上オーケストラを指揮をしましたが、最後は必ず韓国幻想曲の終曲の演奏で締めくくったという。

         ◇          ◇          ◇

満州国は、1932年から1945年の間、満州(現在の中華人民共和国東北地区および内モンゴル自治区北東部)に存在していた国家である。

第二次世界大戦(大東亜戦争)での日本の敗戦とともに消滅した。

安益泰は1905年に生まれて1965年に死亡している。

満州国成立の年には27歳、満州国消滅の年には40歳である。

音楽家としては最も油の乗り切った時期である。 その間に日本の友好国ドイツに音楽留学もしておりドイツの誇り、リヒャルト・シュトラウスに作曲と指揮を師事している。

当時の韓国・北朝鮮は日本の植民地であり、安の恵まれた音楽経歴は日本人でも珍しいものである。

日本或いは満州国の後援があったと疑われても仕方が無い。


        ◇         ◇         ◇

◆「親日派」糾弾、韓国で活発化 国歌作曲者に満州賛美の疑惑

 【ソウル=黒田勝弘】韓国の国歌である「愛国歌」の作曲者に"親日疑惑"が提起され、一部では国歌変更まで取りざたされている。韓国国歌の作者として知られる安益泰(1905-65年)が戦前、満州国をたたえる交響曲「満州国」を作曲し、これを満州建国10周年の記念コンサートで演奏・指揮したことなどが「日本帝国主義をたたえる反民族的な親日行為だ」として問題になっているものだ。

 韓国で活発な親日派糾弾の"過去ほじくり"がついに国歌にまで及んだものだが、問題が国歌の作曲者だけにマスコミなど世論は今のところ戸惑い半分で、「十分な調査が必要」と慎重な姿勢だ。


 ただ、韓国の戦後史批判など"過去清算"に熱を上げている親北・左派勢力には好材料で、新たな論争点になりそうだ。


 故人の"親日疑惑"は最近、韓国人音楽研究者がドイツ連邦文書保管所で当時の記録フィルムを見つけたとして、韓国の音楽雑誌に論文を寄稿して明らかになった。


 記録フィルムによると、問題のコンサートは1942年、ベルリン・フィルハーモニーの演奏会場で開かれ、安益泰はベルリン放送楽団と合唱団を指揮して自作の「満州国」を演奏した。会場には、満州国旗を左右にして大きな日章旗が掲げられていたという。


 また、交響曲「満州国」の重要な部分には、後に韓国国歌になる「愛国歌」を盛り込んだ安益泰の代表作「コリア・ファンタジー(韓国幻想曲)」の旋律の一部がそのまま使われ、これも非難の対象になっている。


 安益泰は戦前、日本の音楽学校を卒業後、さらに米国フィラデルフィアやウィーンなどで学んだ。スペイン人女性と結婚し、戦後もヨーロッパを中心に音楽活動を続けた。戦後、韓国国歌になった「愛国歌」の作者だったため、最近その著作権が話題になり、スペイン在住の遺族たちが著作権を韓国に寄贈すると発表している。


 韓国では近年、日本統治時代の対日協力者をあらためて糾弾する"親日派狩り"が盛んで、韓国を代表する詩人・徐廷柱や画家・金基昶(いずれも故人)らも戦時中の"戦争協力作品"が問題になっている。


 音楽でも最も人気のあった歌曲「先駆者」が作曲者の"親日疑惑"が指摘され、最近は歌われなくなった。


【2006/03/11 東京朝刊から】(03/11 08:54)



◆韓国で親日派子孫の財産没収、特別法を基に仮処分申請

 【ソウル=平野真一】韓国の検察当局は9日、日本の植民地統治に協力した、いわゆる親日派の子孫から不動産を没収する準備として、これらの不動産の売買などを禁じる仮処分申請を裁判所に提出した。

 国会で昨年末に成立した「親日・反民族行為者の財産の国家帰属に関する特別法」に基づく措置で、親日派の財産没収に向けて仮処分申請が取られたのは初めて。ただ、実際に没収されるまでには、大統領直属の調査委員会が没収対象を確定する必要がある。 日本は1905年に日韓保護条約(乙巳条約)締結を強要し、韓国を保護国化。45年8月15日の日本敗戦まで韓国を植民地統治した。同条約に韓国代表の一人として調印し、日本から爵位や褒賞金を与えられた李完用(イ・ワンヨン)ら大臣5人をはじめとする対日協力者が親日派と呼ばれ、民族最大の裏切り者とされている。

 盧武鉉(ノ・ムヒョン)政権は歴史の見直しを推進。その一環として、与党ウリ党の主導で韓国国会は2005年12月、親日派が対日協力の見返りとして得たり、その子孫が相続した土地などの財産を国家が没収する特別法を制定。法曹関係者ら9人から成る調査委が今年上半期中に発足する運びとなっている。

 今回、検察当局が仮処分を申請したのは、李完用ら親日派3人の子孫が所有する土地など計約5280平方メートル。子孫が特別法制定前に起こした所有権確認訴訟で勝訴が確定したため、善意の第三者に売却された場合に没収できなくなるのを防ぐのが目的だ。

 正確な統計はないものの、親日派の人数は約400人、彼らが対日協力の代価として日本からもらった褒賞金だけで時価にして約1200億ウォン~4200億ウォン(1ウォンは約0・12円)に及ぶと見られている。

(2006年3月9日22時12分 読売新聞)



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黄色軍艦がやって来る

2006-03-11 11:36:57 | 未分類
李外相の常識はずれの発言には、此れも又常識はずれな「尖閣列島近海ガス田問題」を日本の世論から逸らす意図が潜むとの説がある。

領土問題を疎かにすると境界線が一歩一歩自国内に後退させられるのは常識。

尖閣で譲歩したら中国は当然の如く次は沖縄を自国領土だと言い出してくる。

一番気にする筈の沖縄が何故かこの問題にはのんびり構えている。

地元の新聞の論調はむしろ中国を祖国と捉えているような節さえ感じられる。

昨年8月の中国メディアに登場した「沖縄の日本復帰に疑義あり」という論文に中国の本音が見え隠れする。

復帰前の米軍占領下の沖縄には「潜在主権」は祖国日本にあり、と言う考えが議論になった。

尖閣問題の次には「潜在主権は中国にあり」という議論が起きてきかねない。

明治期の「琉球処分」の折、日本人になるのを拒み中国に助けを求めて亡命した琉球人がいた。

彼等は清のシンボルカラー黄色で飾った軍艦が沖縄救援のためやって来ると、本気で信じていたという。(下記沖縄タイムスコラム参照)

彼等は「脱清人」という一握りのインテリではあったが、彼等の清を祖国と考えるDNAは現代の沖縄の一握りのインテリ達に引き継がれている。


◆(時事通信) -2005年 8月1日19時1分更新

【北京1日時事】中国の国際問題専門誌・世界知識の最新号は、沖縄の日本帰属をめぐる歴史的経緯を紹介した専門家の論文を掲載。この中で、「戦後の日本による米国からの琉球接収は国際法上の根拠を欠き、その地位は未確定のままだ」と主張した。

 中国のメディアに沖縄の日本帰属に疑問を呈する論文が登場するのは異例。中国は沖縄県尖閣諸島(中国名・釣魚島)の領有権などを日本と争っている。日本側主張の基礎となる沖縄の帰属についても問題点を指摘し、日本側を揺さぶることが狙いとみられる。 



◆<2005年5月16日> 沖縄タイムス
[大弦小弦]

 黄色軍艦がやってくる…。船体に黄色の龍の文様を描き、黄龍旗を掲げる清国の南洋艦隊は黄色軍艦と呼ばれたという。知人とこの話をしていたら、黄色軍艦が沖縄を侵略すると、勘違いして話がややこしくなった▼実際は逆で、明治の琉球人にとって清国軍艦は援軍だった。武力で琉球国を併合した明治政府に対し、琉球の首脳らは清へ使者を送って救援を求めている。そして、沖縄側はその黄色軍艦を待ちわびたのだった▼一八八六(明治十九)年に大迫貞清県知事が上申した「事変準備ノ件」が残る。清が軍艦を派遣するとの報に対し、政府派遣の知事は、対策十項目を提案。政府も北洋艦隊から戦艦九隻が派遣されると情報を得て、県に指示を出した▼日清戦争時にも清国の援軍は話題になった。それから百余年が経過し、あれほど待ちわびた援軍をも敵と間違うところに今の位置があるのか。林泉忠著『「辺境東アジア」のアイデンティティ・ポリティクス』は当時の言葉を紹介する▼「生きて日本国の属人と為るを願はす、死して日本国の属鬼と為るを願はす」。生きても死んでも日本とは一緒にならないという激しい決意。中国で死んだ幸地朝常が李鴻章へ送った書簡に残る言葉。歴史の反転は大きかったようだ▼百余年前はともかく、少なくとも最近の銃口や占領者を忘れてはいけない。境で揺れる島だからこそ、平和の選択肢を選び取る覚悟も必要だろう。(後田多敦)



◆ 産経抄 平成18(2006)年3月11日[土]

 「春暁」といえば、盛唐の詩人、孟浩然の「春眠暁を覚えず」を思い出す。春の夜明けはなかなか目が覚めない。中国が東シナ海のガス田に、この意味深長な名前をつけたとき、拡張主義のかすかなエンジン音を聞く思いがした。

 ▼これこそがガス田開発への目覚めで、小欄は領海分捕りへ意思表明とみた。一般にガス田や油田は、北海油田や福島沖ガス田のように位置関係を示している。ところが、中国名にははじめから「俺のモノだ」という国家意思がのぞく。日本はといえば、同じガス田に「白樺」と美しい名を冠しただけだ。

 ▼だから、ガス田をめぐる日中の協議で、中国が中間線をまたいで日本固有の尖閣諸島近くまで共同開発を提案してもビックリはしない。試掘もすんだし、日本が係争に持ち込めば、民族感情がからんで複雑になるぞと脅していたからだ。日本近海に軍用機を飛ばし、艦船が領海侵犯したりと傍若無人だ。

 ▼ところが、親中派の二階俊博・経済産業相にはあのエンジン音が聞こえないらしい。自国の業者には「試掘をさせない」などと、どこの国を代表しているか分からぬことをいう。地元に江沢民前主席の銅像を建てようという話もあった方だから、さもありなんか。

 ▼中国側で試掘が始まり、こちらが試掘の放棄では交渉にならない。中国が「二歩」のような将棋の禁じ手を使い、日本に王手をかけたようなものだ。この将棋盤をいったんチャラにして、厳格なルールで協議をやり直すしかない。

 ▼不埒(ふらち)な相手と渡り合うには、こちらも同等以上のカードがいるということだ。エンジン音が傍らに到達する前に、日本側海域でガス田の試掘をすることが肝要だ。「春暁」はいったん目覚めると動きがはやい。





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靖国は外交カードにならない by小泉

2006-03-11 10:02:43 | 県知事選
中国の李外相が小泉首相の靖国参拝を、ナチスやヒットラーに例えて「愚かで不道徳な行為」と非難した。

此れに対して日本の外務省が王在日中国大使を抗議のため呼びつけたら、何かと理由を見つけて出頭を拒否しているという。

一国の首相が自国内のいかなる地域に立ち入っても、それが如何なる理由であれ、他の国から「愚かだの不道徳だの」と非難される筋合いではない。

外務省は引き続き抗議の姿勢を崩してはいけない。

小泉首相は常日頃から、やれ説明不足だの、ワンフレーズ政治だのと冷やかされるが、今回に限りワンフレーズ表現が生きた。

たった一言。 

「靖国は外交カードにならない」・・・と。

変人首相、お見事!

このあたりを今朝の河北新報コラムが見事に表現している。

◆河北新報 河北春秋 2006年03月11日土曜日

ひと言多くて大失敗。そんな苦い思いのよみがえる方も少なくあるまい。中国では「言多令事敗」。言多ければ事をして敗れしむ▼孔子の末裔(まつえい)とされる孔融は、その口が災いし死を賜る。三国志の雄、曹操は米の消費を少なくするため禁酒令を出した。軍費の調達が狙い。そこで立てた理屈が「酒に溺(おぼ)れて国を滅ぼす例は多い」

 ▼孔融は酒の効用を挙げる一方、こうやり込めた。仁義や儒学を大事にし過ぎて国を損ない、女性に溺れて亡国に至った例もある。それなら道徳、学問、結婚も禁止でしょう。なぜ酒だけ? 正直に軍費が欲しいと言ったらいかが―。言葉は戻らない▼こちら中国の李肇星外相。ドイツ政府当局者の言の引用だとして語ったのが「日本の指導者は…愚かで不道徳」。靖国をめぐる話ゆえ、指導者とは小泉純一郎首相。一国の宰相を公の場で愚弄(ぐろう)するとは大人げない

 ▼売り言葉に買い言葉になるかと思いきや、小泉さんはこうあしらった。「靖国は外交カードにならない」。得意のワンフレーズ・ポリティクス。紋切り型も使いようだ▼麻生太郎外相の言も危うい。「台湾は国家」と語った。つい口を突いて出たものだろうが、うかつに過ぎる。この人、口が軽く放言癖もある。関係がいささか険しい日中両国の間柄。言多ければ…を心がけてほしい。

        
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