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狼魔人日記

沖縄在住の沖縄県民の視点で綴る政治、経済、歴史、文化、随想、提言、創作等。 何でも思いついた事を記録する。

菅義偉官房長官が377票で自民党新総裁に 岸田氏が2位

2020-09-14 18:44:15 | 未分類

 

 

石破茂は、地方で人気、国民に人気と騒ぎ立てまくったマスメディアは説明責任をどうぞ。

いつも政権に対しあなた方が説明責任と追及してるんですから。

本当にマスコミは自分達の希望、願望物語を作りあげて報道するのはやめてほしい。

菅義偉官房長官が377票で自民党新総裁に 岸田氏が2位

配信

毎日新聞
 

自民党の新総裁に決まり、議員たちの拍手に応える菅義偉官房長官=東京都内のホテルで2020年9月14日午後3時21分、宮武祐希撮影

 安倍晋三首相の後継を決める自民党総裁選は14日、両院議員総会で国会議員らによる投票が行われ、菅義偉官房長官(71)が第26代総裁に選出された。 【写真特集】自民総裁選、投票日当日の3氏  菅氏は377票を獲得、岸田文雄政調会長(63)は89票、石破茂元幹事長(63)は68票にとどまった。  15日に党役員人事を行い、翌16日召集の臨時国会で第99代首相に選出される。同日中に新内閣を発足させる予定だ。

 

【関連記事】

【おまけ】

マスコミが、大嫌いな菅官房長官デタラメ情報で叩きまくる!

 

 

菅官房長官の経歴は虚偽だと左翼マスコミが時系列を無視したでっち上げ叩きを始めてしまう


ポスト安倍を決める自民党総裁選の投開票まであと3日。「菅総裁」が選出され、7年8カ月に及んだ安倍政権の居抜き内閣が誕生するのは確実な情勢だ。5派閥の支持を得た菅官房長官は国会議員票394票の8割を固め、地方票141票も半数超えを確保する勢い。世論の支持も広げつつあるが、「苦労人」「庶民派」のイメージには偽りアリだ。

  ◇  ◇  ◇

 毎日新聞によると、菅氏は地方票の過半数を確保して80票を超える勢い。石破茂元幹事長は30票弱、岸田文雄政調会長は10票あまりにとどまっているという。マスコミ各社の世論調査でも、菅氏の支持率は国民人気の高い石破氏を抜き去り、支持が広がらない岸田氏を尻目にトップに躍り出ている。「令和おじさん」で知名度を上げたとはいえ、つい最近まで支持率3%だった男が、あっと言う間に支持率トップになるのは異例だ。好感度アップに、つくられたプロフィルが寄与しているのは間違いない。

■「苦労人」「庶民派」イメージで支持拡大

「雪深い秋田の農家の長男として生まれ、地元で高校まで卒業いたしました。卒業後、すぐに農家を継ぐことに抵抗を感じ、就職のために東京に出てきました。町工場で働き始めましたが、すぐに厳しい現実に直面をし、紆余曲折を経て2年遅れで法政大学に進みました。いったんは民間企業に就職しましたが……」

 8日の所見発表演説会で菅氏が口にした経歴だ。ライバルの石破氏と岸田氏は政治家一家に生まれた3世議員。政界のサラブレッドである。対する菅氏は、政治とは無縁の貧農に生まれ育ち、食うや食わずの中で上京し、苦学して政治の道を志したかのようなイメージだが、それは大間違いだ。

 菅氏が生を受けたのは、秋田県雄勝郡秋ノ宮村(現・湯沢市秋ノ宮)。父・和三郎氏は南満州鉄道に勤めた地元エリート。終戦で秋田へ引き揚げた。

「冬には出稼ぎに行く農家が多かったため、和三郎氏は地域振興のためイチゴ栽培に取り組んだ。それが見事に成功し、菅家は貧農というより、むしろ豪農と言った方がいい」(永田町関係者)

 名士となった和三郎氏は雄勝町議を4期務め、姉2人も大学に進学して教職に就いたという。菅氏の学歴についても、「夜間部卒」と一部で報じられているが、実際は昼間の「法大法学部政治学科卒」。“集団就職”も作り話だ。議員バッジを付けるまで恵まれない環境にあったというわけではない。

 高千穂大教授の五野井郁夫氏(国際政治学)は言う。

「実質的に自民党総裁イコール首相です。国民が直接選ぶことはできませんが、世論の反応は無関係ではありません。総裁候補がどういう人生を歩んできたかは国民にとって重要な判断ポイントの一つなのに、総裁選は公選法の対象外だからかメディアの突っ込みは総じて甘い。菅長官を含め、全候補者の発言に大して厳しいファクトチェックが必要です」

 それに、菅氏は弱肉強食を是とする新自由主義の信奉者だ。決して弱い人間の味方ではない。この総裁選でも「自助・共助・公助」を掲げ、国民にまず自己責任を求めている。東北出身の苦労人だから……と、期待したら国民は痛い目に遭うだけだ。

日刊ゲンダイ
20/09/11 13:50
https://www.nikkan-gendai.com/articles/view/news/278591

2:あなたの1票は無駄になりました:2020/09/13(日) 11:56:34.05 ID:gs5q7rF60


町議ごときで名士とかギャグで言ってるのか

 

4:あなたの1票は無駄になりました:2020/09/13(日) 11:59:28.12 ID:mMdVdpA80

>>2

自称名士だろう

48:あなたの1票は無駄になりました:2020/09/13(日) 12:48:41.14 ID:+Z3sDRN70

>>4
自称(笑)
菅氏が言ったわけではなくて
ゲンダイが勝手に言ってるだけだろ。

5:あなたの1票は無駄になりました:2020/09/13(日) 11:59:34.38 ID:qO5AIaKa0


マスコミって人の悪口で飯喰えるんだな

 

6:あなたの1票は無駄になりました:2020/09/13(日) 12:00:26.00 ID:tyLdKo840


戦前の豪農が戦後も豪農もままだったというのはちょっと変なんじゃ
ないのかな。 戦後GHQの方針で小作人を使えなくなった豪農は
没落したんじゃないの?

 

8:あなたの1票は無駄になりました:2020/09/13(日) 12:03:50.69 ID:Q4q3pKIG0

>>6
うちはそれだわ
今ではまさに庶民

121:あなたの1票は無駄になりました:2020/09/13(日) 15:52:49.12 ID:JK6ZFbn50

>>6
うちの本家もそれ。
都内のある町でかなり大規模な土地を持ってて小学校建設のために土地を寄付したりしてたのに

16:あなたの1票は無駄になりました:2020/09/13(日) 12:21:57.06 ID:LgGvHILJ0


満鉄からの引揚者が日本に帰ってきたイチゴ農家をしたので豪農かw

昭和の時代、イチゴ農家で豪農になった農家があるのか?
そもそも、ショートケーキのイチゴを栽培したからって、あの頃のイチゴは
酸味が多い。だから、イチゴ潰しの平底で突起のあるスプーンが売り出され
潰して砂糖を加えて食べていた。今のような甘いイチゴになるのは平成から。

しかも秋田の湯沢市の町議と言うが「ガースー」の選挙区は横浜だw
秋田の田舎町の町議だから、横浜に力があったのかw

完全に誹謗中傷の記事ではないかw
「アベガー」が無くなったので今度は「スガガー」かw

 

17:あなたの1票は無駄になりました:2020/09/13(日) 12:23:54.42 ID:ILWnr4/C0


田舎から努力で上り詰められるいい国ってこと。攻撃してるパヨちんは自分たちと田舎の子供達の将来に蓋をしようとしてることに気づけ。

 

18:あなたの1票は無駄になりました:2020/09/13(日) 12:26:01.15 ID:QmiZclny0


いくら粉飾しても
祖父が村長・父が大臣だった石破茂の方が
圧倒的に恵まれてた事実は揺るがないww

 

28:あなたの1票は無駄になりました:2020/09/13(日) 12:34:45.99 ID:bZVeDTHQ0


ゲンダイのバカボン記者はイチゴ農家の辛苦も知らんのかね

 

31:あなたの1票は無駄になりました:2020/09/13(日) 12:36:08.10 ID:29+/hXry0


イチゴ農家として成功したのも町議になったのも菅が成人した後だろうが

 

32:あなたの1票は無駄になりました:2020/09/13(日) 12:36:25.60 ID:LgGvHILJ0


しかし,日刊ゲンダイの記事に煽られるアホも多いのだろね。駅の売店ぐらいしか置いてない
風俗広告で食っているような大衆紙w

ガース―は「秋田の農家の生まれ」は言ったが「貧農の出とは言っていない」w
しかも、イチゴ農家がビニールハウス化するのは昭和の終わりから平成にかけてで
イチゴが今のような甘い果実になったのも平成から。
秋田の町議だからというがガースーの選挙区とは全くの無縁w
ガース―は横浜の小此木彦三郎の秘書を11年やって横浜市議を2期8年やって
代議士になった。
でも、アホはそれでも扇動っされるのだろうなあw

 

39:あなたの1票は無駄になりました:2020/09/13(日) 12:42:25.98 ID:68+e+iEZ0


夜学は間違いで、昼間みたいよ。
社会人で学費自腹なら、夜学の方が楽なはずだけど。

 ⇒最初にクリックお願いしま

 

53:あなたの1票は無駄になりました:2020/09/13(日) 12:53:01.30 ID:68+e+iEZ0


貧農上がりなんてイメージを持たれて、一番困るのはスガなのかもよ。
庶民重視の政策でなければ、反発で支持率なんてすぐ下がるだろうから。

 

54:あなたの1票は無駄になりました:2020/09/13(日) 12:54:24.47 ID:/Ox3iPyD0


スガはブルジョアだ!
みたいな非難の仕方は時代遅れじゃないか?
革命起こす気なのか?

 

60:あなたの1票は無駄になりました:2020/09/13(日) 13:01:11.08 ID:40WeRtz90


豪農とは何をもって豪農

イチゴ農家が豪農????
イチゴ栽培は一瞬の収入だよ。路地栽培では無理
しかもビニールハウスは絶必要
ビニールハウスが普及したのは 平成に入ってから
この記事 最初から最後まで嘘まみれ。
バカな庶民を騙すな。アホンダラ

 

70:あなたの1票は無駄になりました:2020/09/13(日) 13:24:32.92 ID:79CagjlO0


イチゴ農家が成功したとしてもイチゴ農家以上の何かでもなし、十分庶民やろ

 

82:あなたの1票は無駄になりました:2020/09/13(日) 13:40:07.81 ID:VuUonE7Y0


菅さんは庶民アピールはしてるけど貧乏自慢はしてないよねw
夜学じゃなく全日だったとか細かすぎ工場で働いてたのは事実なんだから
成り上がりでいいんじゃないの矢沢永吉みたいでカッコいいじゃん

 

97:あなたの1票は無駄になりました:2020/09/13(日) 14:17:25.04 ID:en7zLv4E0


ゲンダイに続いて毎日新聞か、左翼マスコミは何とかして菅義偉を貶めたい、何とかして立民を持上げたいらしい

 

98:あなたの1票は無駄になりました:2020/09/13(日) 14:26:21.88 ID:Yo2hypFA0


共産党の前のトップ・不破哲三が豪邸に住んでるのは有名だし、
社民党トップの福島瑞穂が大臣になったときの公開資産が2億4999万円だし、
イメージと違う例はいろいろあるわな。

 

112:あなたの1票は無駄になりました:2020/09/13(日) 15:26:52.20 ID:YlICkHCW0


時系列が逆だと指摘されてもパヨクメディアはフェイクニュースを流し続ける

 

123:あなたの1票は無駄になりました:2020/09/13(日) 15:55:37.01 ID:JK6ZFbn50


で、地方の農家の出とは言ってるけど
貧農って勝手にこの記者がイメージしただけだよね?
あと本当に豪農の名士だったら地元から立候補してただろ
何のために横浜から立候補したんだよ

 

125:あなたの1票は無駄になりました:2020/09/13(日) 16:06:53.25 ID:W5tj8nG/0

>>123
本当だよね。

前の日に勝手に盛っといて、次の日にはそれは虚偽だって叩く
パヨのクレーマーは、本当うっとおしい。

127:あなたの1票は無駄になりました:2020/09/13(日) 16:19:35.72 ID:l8cIpJOc0


>>1
えー父親が町会議員やってたくらいで二世扱い?マジでこの記者大丈夫??底辺貧民以外はダーティ!とか言いたいの?逆にどんな選民思想だよ

 

131:あなたの1票は無駄になりました:2020/09/13(日) 16:53:43.18 ID:AyuwwnMn0


ゲンダイも飛ばしまっくってるな~(笑)
豪農とかいうのは完全に嘘。
湯沢に親戚もいるし菅氏とクラスメイトだったおじさんから聞いたが金持ちなんて話はドコにもない
そもそも秋田県湯沢市、「豪農」なんている土地柄ではない。調べてみるといい
ひたすら地味なまったく目立たない高校生だったらしいよw

 

135:あなたの1票は無駄になりました:2020/09/14(月) 00:22:09.05 ID:bM7Ru3bG0


元町議とかそんなんで叩くなら石破のハニトラ疑惑も追求しろよ

 

 
コメント
  • 1 名前:匿名 2020/09/14(月) ID:MjkyMTQ0O

    でもこういうのの積み重ね繰り返しで、団塊辺りは結構な数がガンガン扇動されるんだよなあ…正直菅氏がこういう怒涛の攻撃に耐えられる気がしない

  • 2 名前:匿名 2020/09/14(月) ID:MjY5MzUwO

    携帯料金下げないとテレビの電波料金値上げするって言ったから、三文記事で必死に叩いてんな。携帯料金下げりゃ良いだけだろ。余程甘い汁の餌場を離れたくないんだろうな、害虫共は。

  • 3 名前:匿名 2020/09/14(月) ID:NTE4Njg0M

    >国民にまず自己責任を求めている
    自分で責任を取れないのに、なりふり構わず、めちゃくちゃされても...。
    おまえの言うことに対して、何故『最初』に社会が責任取らんと行けないんだ?

  • 4 名前:匿名 2020/09/14(月) ID:MTE1OTk2O

    菅氏が当初3%だったのは単に
    総裁選に出馬するとは思われてなかったからだと思う。

  • 5 名前:匿名 2020/09/14(月) ID:MTE1OTczM

    アンチではないが常に否定的なことばが飛び出す石破さんを国の代表にしたら、国の運気が下がる気がする、最近は顔付きが不気味になったし

  • 6 名前:匿名 2020/09/14(月) ID:MzA0NDIyM

    石破は国民人気高くないぞ!
    息を吐くように嘘をつく朝鮮人。嘘をついても罪悪感ゼロ

  • 7 名前:匿名 2020/09/14(月) ID:MTE1OTczM

    ゲンダイは親分の小沢を裏切った石破の味方か(笑)

  • 8 名前:匿名 2020/09/14(月) ID:MjYxMzM4M

    鳩山ポッポの時には良い家の出も政治家一家なのも褒めたたえてたのにな。

  • 9 名前:匿名 2020/09/14(月) ID:MTQxNTE3M

    韓国人は時系列と言う概念が理解できないから

  • 10 名前:匿名 2020/09/14(月) ID:MjgyNTM4M

    小池都知事の学歴詐称疑惑はどうなったんだよ。マジで問題だと思うのならずっと言い続けないとダメだろ。

  • 11 名前:匿名 2020/09/14(月) ID:MzYxMzU1M

    時系列を無視して事実を歪曲するなんてまるでアチラの国みたいじゃないか。
    おっと、ヒュンダイか、あちらの国の雑誌だったな。

  • 12 名前:キンケイド 2020/09/14(月) ID:Mjk3MTc3N

    マスコミは腐敗した特権階級である。

  • 13 名前:名無し 2020/09/14(月) ID:NDk1NTk3N

    どう見ても当時は普通の「大きめの自作農」だな。子供をなんとか大学に行かせることは可能だけど、カネは持っていない。東京オリンピックの時にはテレビが無かっただろう。で、農家継ぐのがイヤで東京に飛び出した。
    読者諸君の祖父もそういうの多いだろ。つまり、ごくごく普通の東京人(埼玉神奈川千葉等含む)。たまたま後に実家がイチゴで当てただけ。

  • 14 名前:匿名 2020/09/14(月) ID:MzI5NTkyN

    そもそも鳩山とかはサラブレッドとか言って擁護してたくせに、今更何言ってんだか

コメント (4)

フジTV「報道2001」 「慰安婦」と「集団自決」で大バトル!

2020-09-14 12:03:34 | ★集団自決

 

 
集団自決の報道といえば、沖縄2紙や沖縄のローカルテレビの専売特許であり、在京の大手テレビが報道することはめったにない。
 
ところが200年、フジTV「報道2001」が全国放送で、集団自決と慰安婦問題を取り上げた。
 
フジTVが集団自決を放映した2007年といえば、その年の高校歴史教科書の
「軍の命令による集団自決」との文言を「削除せよ」、との文科省検定意見で沖縄中が大騒ぎした年である。
 
その年2007年の9月25日には、全国的に悪名高い大幅水増し大会「11万人集会」が、開かれた。 ちなみに「11万人集会」の正式名は「高校歴史教科書の検定意見撤回を要請する県民大会」。実際の参加者数は、会場の面積から積算して、多くても2万人前後である。この時の文科省検定意見は撤回されず現在でも有効である。
 
沖縄戦再検証のため過去ブログ「報道2001」 「慰安婦」と「集団自決」で大バトル!2007-04-08

を編集・再掲します。

               ★

「報道2001」がホットな歴史テーマ「慰安婦問題」と「集団自決」を取り上げた。

出演者 

秦郁彦・元千葉大教授、

中西輝政・京都大学教授、

古森義久・産経新聞ワシントン駐在編集特別委員

姜尚中・東大教授、

藍谷邦夫・弁護士、 

高嶋伸欣・琉球大学教授

詳しい文字お起こしは他のブログにお任せして、感想だけを述べたい。

◆「慰安婦問題」

印象に残った発言は秦教授が安倍首相の「狭義の強制云々」の発言を捉え下手な説明だとし、こう述べた。

「軍の強制を示す証拠は出ておらず戦後60数年たった現在でも出ていない」

「もう軍の強制はなかったと断定してよい

 

これに対し

高嶋教授:「証拠資料がないからといって強制がなかったというわけではない」

「終戦時に慰安婦に関わる証拠資料は全て廃棄した

秦教授:「そちらの方々はすぐそのように言うが、最初は証拠資料がないのは『よく探してないから』と言っていた」

「丁寧に調べても見つからないと、今度は廃棄したから言い出した」

「日本軍は全ての命令を書類で残す。何十万にも及ぶ書類の中から慰安婦関係だけを選んで廃棄するのは不可能

「仮に完全に廃棄していたとしても誰かが記憶している筈だが、これも皆無」

「それに20万にも及ぶ大量の性奴隷を誘拐していたら親戚、や近所の人の目撃証人があるはずだが、これも皆無

「それにそんな大量の朝鮮女性を誘拐していたら当時の朝鮮の男性が黙って見過ごしていたはずがない

これに対する反論はなかった。

 

◆「集団自決問題」

秦教授が決定的証拠として、

宮村幸延氏(座間味村援護係、宮里助役の弟)の梅沢元隊長宛の侘び状のコピーを見せた。 

「同侘び状で宮村氏は、隊長命令説は援護法の適用を受けるためにやむを得ずつくり出されたもの、と明記され昭和62年3月28日付けの親書もある」

これに対し高嶋教授は、

「宮村幸延氏は侘び状を書いた記憶がなく、同氏が作成・捺印したものではないと述べている。仮に同氏が作成したものであるとしても、泥酔させられて書いたので同氏の認識や意思に基づくものではない」

と反論した。

しかし、沖縄の「市民団体」の激しいバッシングを避けて密かに座間味島を訪れた梅沢氏の立場は言わばサッカーで言う「アウェイ」の状態。

其処で宮村氏を記憶がなくなるほど梅澤氏によって泥酔させられたとは考え難い。

こう考えるのが妥当だろう。

宮村氏は、(『鉄の暴風』の誤記により)死んだと思われていた梅澤氏が現れたので驚愕し、良心の声に耐えかねて一旦「侘び状」を書いたが、その後の「市民団体」のバッシングや「裏切り者」と言った声に「泥酔して書いたので記憶にない」と言わざるを得なかった。

因みに当日記のように沖縄では珍しく保守意見を発信するブログにも「沖縄人のくせに」とか「裏切り者」と言った感情的な書き込みがあるくらいだ。

昨年同じように「軍命の存在」を否定する証言をした照屋昇雄さんも証言をする際当初、「匿名にしないと沖縄では生きていけない」と言っていたくらいバッシングは激しい。

「集団自決問題」の口火を切った曽根綾子氏も沖縄側からの激しいバッシングを受け剃刀の刃を郵送された事もあったという。

◆援護法社会

0歳児までも軍の協力者として「援護法」の申請をしたといわれる沖縄は「援護法社会」というらしい。(石原昌家・沖縄国際大学教授)

◆参考:政府が「軍命に書き換え」指導

援護法適用のために「軍命に書き換えた」当時の琉球政府・援護課の役人をしていた照屋昇雄さんの証言

◆【動画】軍命はなかったhttp://kakutatakaheri.blog73.fc2.com/

 

 

照屋さん終戦直後の昭和20年代後半から琉球政府で軍人・軍属や遺族の援護業務に携わった人。

琉球政府社会局援護課で旧軍人軍属資格審査委員会委員を務め渡嘉敷島の調査を担当した。

照屋さんは「遺族たちに戦傷病者戦没者遺族等援護法を適用するため、軍による命令ということにし、自分たちで書類を作った。当時、軍命令とする住民は1人もいなかった」と証言した。 

◆参考:

渡嘉敷島の集団自決 「大尉は自ら十字架背負った」

       

 

 

「軍命令は創作」初証言 渡嘉敷島集団自決

 

         ◇

 

近所に慰安所」 沖縄戦で住民証言

 

証言や研究成果について聞く参加者ら=7日、宮古島市中央公民館

 【宮古島】「宮古島の日本軍『慰安婦』について証言を聞く会」(宮古島の日本軍「慰安婦」問題を考える女たちの会主催)が7日、宮古島市中央公民館で開かれた。沖縄戦当時、朝鮮人慰安婦がいる慰安所に日本軍が出入りしていたことを住民が証言した。
 沖縄戦時、上野村野原に住んでいた与那覇博敏さん(73)が「小学5年のころ、家の近くに朝鮮人の女性たちがいる慰安所があった」と証言した。
 与那覇さんは「最初はどこの女性かなと疑問に思ったが後で朝鮮人と知った。日本軍の兵隊が出入りしていた。最初に見たのは1944年の早い時期。終戦間際までいたので、1年数カ月は慰安所として利用されていたと思う」と話した。
 県内各地の沖縄戦当時の慰安所について調査研究している早稲田大学大学院アジア太平洋研究科博士課程の洪允伸(ホンユンシン)さん(28)は、慰安所が宮古島に10カ所、伊良部島に1カ所の少なくとも計11カ所確認されていることを説明した
 洪さんは過去2回の宮古島の調査で、宮古の場合は慰安所が住民の生活圏と密接に関係を持っていたことを指摘。「宮古は米軍上陸がなく、沖縄の中でも比較的被害が少なかったと言われるが、被害の大きさは死者数なのか」と疑問視した。
 さらに「日本政府は『狭義の意味で強制はなかった』とあいまいな立場を取るが、沖縄からこうしたことについて考えないといけない。性を売ることを押しつけたのは誰か何のために必要だったのかという人道に対する罪を宮古だからこそ問える」と強調した。
 洪さんは宮古島で3回目の調査を5月に予定しており、証言者を募っている。問い合わせは宮古島の日本軍「慰安婦」問題を考える女たちの会0980(72)2774。
(琉球新報 4/8 10:19)

                   ◇

≪「小学5年のころ、家の近くに朝鮮人の女性たちがいる慰安所があった」と証言した。・・・日本軍の兵隊が出入りしていた。≫

慰安所があった事も、それを軍が利用していた事も歴史的事実。

今更早稲田大学大学院アジア太平洋研究科博士課程の洪允伸さんが宮古島まで出向いて、

証言を集めなくとも誰も異論は唱えないと思うのだが、

新聞の大見出しで

「近所に慰安所」

<沖縄戦で住民証言>

日本軍が出入り

・・・と書かれると、何か隠されていた新事実の発見のような印象操作を感じる。

 

≪ 性を売ることを押しつけたのは誰か≫

それは直接的には女衒であり、結局は貧困でしょう。

日本軍のせいにするのなら、現在も世界中に蔓延る売春も全てが日本軍のせいになる。

 ⇒最初にクリックお願いしま

コメント (4)

★自著を否定する宮城晴美氏  証言者の葛藤

2020-09-14 06:21:02 | ★改定版集団自決

 

 

沖縄戦の再検証のため過去ブログ自著を否定する宮城晴美氏  証言者の葛藤2007-10-28 

を編集して再掲します。

             ★

当たり前のことではあるが、

「集団自決」の一番の被害者は「自決」した本人である。

「自決」が軍の命令や強制だったのか、それとも鬼畜と恐れた米兵の上陸直前のパニック状態での「自決」だったのか。

戦後60数年も経った今も集団自決をめぐる「軍命の有無」が争われている。

だが、「集団自決」を生き残った故宮城初枝氏と戦後生まれた娘の晴美氏親子もある意味で「集団自決」に翻弄された不幸な犠牲者だといえる。

初枝さんは島の長老から、「梅澤隊長から自決の命令があったと証言するように」と求められた。しかし、初枝さんは証言できないと断った。だが、「島の人たちを見殺しにするのか」という長老の怒りに屈して、自決命令があったと証言したのである≫(世界日報)

これを契機に、「梅澤隊長自決命令」説が広まっていく。

いや、広まっていくというより、どうしても軍による「自決命令」がなければ困る人々が居たのだ。

援護法による援護金の受給者たちだ。

しかし、「集団自決」を生き残った人たちは苦しい心の葛藤を負わされる。

ある人は「自決する」家族を見殺しにして生き残った。

生き残ったこと自体が心の葛藤になる。

軍の命令や強制だったら生き残ること自体が矛盾になる。

軍の命令や強制で「自決」を拒否して生き残ることは、本来不可能なはずだから。

又自分の親兄弟の自決や他人の自決を「手伝った」生き残りは、「軍の命令だった」と言い続けなければ戦後生きてはいけなかった。

又ある人は自分の軽薄な言動がパニックを引き起こし「自決」の引き金となった。

その責任を逃れるためにも「軍の命令だった」と言わねば戦後生きてはいけなかった。

敵艦に島を囲まれ艦砲射撃の嵐の中、袋のネズミ状態でパニック状態で起きた彼らの行動を責めることは出来ない。

だが、生き残ったものたちは自分で自分を責めた。

彼らを救うのは唯一つ。

「軍の命令だった」「強制だった」、と言い続けること。

「自決」は軍の責任でやむえなかったのだ。

これに「遺族年金」が絡むと問題は更に複雑になってくる。 

                   *

2007年11月9日。

係争中の裁判で注目の大江健三郎氏の証人喚問行われ、愈々この裁判のクライマックスを迎える。

これまで証人喚問に応じた被告側証人には金城重明氏、宮城晴美氏がいる。

皆本、知念、金城の三証人はいずれも「あの日、あの島」に居た証人で勿論三人とご高齢である。

証人の中でただ1人戦後生まれでまだ50代の宮城氏だけが「あの日、あの島」に居なかった。

だが実母である故宮城初枝氏書き残した「証言」を証言するという特異な証言者だった。

宮城氏が特異な証言者だというのはこれだけではない。

母初枝氏の「証言」を宮城氏がまとめて出版した『母の遺したもの』が、原告側の証拠として法廷に提出されていたのだ。

                     *

自著が敵対する原告側の証拠として提出された。

その一方本人は自著の内容の「母の証言」を否定するため被告側の証人として証言台に立つ。

これがドラマなら緊迫の法廷場面だろうが実際はどうだったのか。

原告と被告の間に立つ『母の遺したもの』について「世界日報」は次のように書いている。

沖縄戦の悲惨の極限『集団自決』の中を生き、『真実』を秘めたまま母は他界した。それから10年――いま娘は、母から託された『真実』を、『集団自決』の実相とともに明らかにする」
 第二十二回沖縄タイムス出版文化賞正賞を受賞した『母が遺したもの』(平成十二年十二月発行)の宣伝文句である(世界日報25日付)

 

 宮城氏の法廷での証言はどうだったのか。


 「戦隊長による命令があったかどうかは分からない。しかし、住民の『集団自決』は軍の命令や指示によるもので、その最高責任者は部隊の指揮官である梅澤氏だ」七月二十七日、大阪地裁で証人尋問に立った宮城晴美氏(57)は、それまで梅澤隊長の自決命令を否定する立場だったが、今年六月二十四日、座間味村の宮平春子さん(80)に取材して認識を変えたと語った。
 春子さんから、兄で兵事主任だった宮里盛秀助役(当時)が「軍からの命令で敵が上陸してきたら玉砕するように言われている」との発言を聞き、これを軍命令の「決定的な証言」と受け止めたという。
 だが、この証言は目新しいものでもなければ、決定的でもない。なぜなら宮城氏は、この証言を既に知っている。それは、宮里助役の父、宮村盛永氏の自叙伝(昭和三十一年十月起稿)にある。
(世界日報 10月26日付)

 

「母の遺言」を書き変える娘 揺れ動く「証言」より、その経緯を抜書きして以下に再掲する。

                   ◇

 


宮城さん、原告を批判/「集団自決」訴訟で報告会

自分のついたウソの証言に自責の念にかられた宮城初江氏は「真実」を綴ったノートを娘に託した。

娘はそれを『母の遺したもの』として出版した。

それが係争中の裁判の原告側の証拠として提出された。

娘は故人となった母の代わりに証人尋問の証人として出廷し証言した。

だが、「平和活動家」になっていた娘にとって「母の遺したもの」は「不都合な事実だった。

ちなみに証言者宮城晴美氏はサヨク学者安仁屋教授の教え子である。

証言者は、亡き母の証言を否定し『母の遺したもの』の内容を書き変えて改訂版を出版すると言う。

                    *

宮城氏の証人尋問で次のことが明らかになった。

①宮城氏が、軍による自決命令があったと見解を変えたのは、わずか1月前の本年6月だということ。

②そして宮城氏自身が今も、梅澤さんが自決命令を出したと主張しているわけではなく、

軍に責任があり、そうであるなら部隊長の梅澤さんに責任があると考えるようになったに過ぎない>と言うこと。

 

宮城氏は戦後生まれであり、本来なら「集団自決」の証言者の資格はない筈。

だが、母である初枝氏が座間味島「集団自決」の唯一の生き残証人でその証言を死ぬ前にノートに綴っており、

それを娘の宮城氏が『母の遺したもの』として出版した為、証言者となった。

従って、本人の証言というより「母の証言」についての証言者である。

証人尋問で唯一本人の意見としての証言は

「母が言及している時間帯における梅澤隊長の命令が無かったとしても、以外の時間で梅澤さんの命令があったかも知れず、梅澤さんの責任はあると思うし、そもそも軍としての命令はあったと思う」という証言。

「そもそも軍としての命令はあったと思う」と言うことはその場に居なかった者の推量であり証言とはいえない。

しかも、そう考える(推量する)ようになったのはわずか1ヶ月前の事。

『母の遺したもの』の中で実際に自決を命令したと記述のある村の助役の妹が一月前、自分の兄である助役を庇う証言をした。

それを聞いて宮城氏は自説(母の証言)をいとも簡単に変えたのである。

助役の妹の証言とは、県議会の現地調査の時に出てきた証言である。

これにについて、裁判長が「本当にその証言でよいのですか」と聞き返したことは「母の遺したもの」の母の証言を、裁判の僅か一ヶ月前に翻したことへの不信感の表れなのでしょう。

ちなみに宮城氏が証言を変えた助役の妹の証言の出た県議員団の「現地調査」が、

いかにデタラメな噴飯物だったかは次のエントリーに詳しい。

 

【新聞が報じない現地調査の実態!】 県議団調査団の醜態

この調査には沖縄タイムスの「ねつ造記事」に対する「お詫びと訂正」というオマケ迄付いたいわくつきの調査である。

 

 沖縄タイムスの「大きな捏造記事」と「小さな訂正記事」

又しても沖縄タイムスが捏造記事訂正 証言続出の「集団自決」

                     *

ところで宮城証言の根拠である『母の遺したもの』の母初江氏の証言はどうなっているのか。

時間をしばし巻き戻そう。
 
 「集団自決」から37年後の、昭和57年6月。

元座間味守備隊長梅澤さんが座間味島で宮城初枝氏(宮城晴美氏の母)に再会した。

その際、初枝氏は、長年一人で抱え続けて来た苦しい胸の内を一気に吐き出し次のように語った。

「隊長は、自決してはならん、弾薬は支給しないと明言しました。そのことを知っている唯一の生き証人です。」

そして初江氏は、梅澤さんに何度も謝罪した。


そして、その翌月の7月。

初枝氏から梅澤さんに、次のような手紙が送られた。

<真実の歴史を残すためには此れから私のやるべき事が残っております。
あの悪夢のような二十五日の晩のでき事は五人の中、私一人が生存しその内容を知り、語り伝えるための宿命だったかも知れません。
後、一人は生きていて欲しかったのでございます。
誰と話す事なく一人で悩んでいる訳でございます。
私の戦後は終っておりません。

今後、下谷さんが悲劇の座間味の本を再発行する事になりましたので好い機会ですので訂正させて頂き度いと思います。当時の島のふん囲気の軍命を出し、誰がも(誰もが)知れない真実を自分一人で知り乍ら、忠魂碑の前集合は住民にとっては軍命令と思いこんでいたのは事実でございます。

何時も私の心境は梅沢様に対して済まない気持でいっぱいでございました。しかし、村の方針に反する事はできませんでした。
お許し下さいませ すべてが戦争のでき事ですもの。>(沖縄集団自決冤罪訴訟を支援する会より)

その後、更に初枝氏から梅澤さんに、『とっておきの体験手記』と題する手記の写しも送られて来た。

それには、弾薬を渡すよう村の助役が申し出たことに対し、梅澤さんがはっきりと拒んだことが書き綴ってある。

又集団自決を命じた村の助役の実弟宮村幸延氏が、梅澤元隊長が命令したと証言したことに対して梅澤氏に詫びており、詫び状まで書いている。

                       ◆                 

 

母の証言をまとめて『母の遺したもの』を著した娘晴美氏は皮肉にも母の証言を否定する立場で証言台に立った。

彼女が選んだ選択は、自著の表現が未熟であり、関係者に誤解を与えてしまった、座間味島における「集団自決」は梅沢隊長の命令によると証言し、被告側を支援するという道である。

結果的に彼女は自著を否定することになった。

≪果たして彼女はその選択を、一体いつ決めたのだろうか。自らの主体的な意思で選んだのか。母初枝さんは昭和三十一年、村の長老の半ば脅迫じみた言辞に証言を拒めず、しぶしぶ、虚偽の証言をしてしまった。宮城晴美氏もまた、かつての母と同じように、関係者の「圧力」を受けたのだろうか。≫(世界日報より引用)

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「QUAD」もう一つの「安倍外交の成果」、4カ国の中国包囲網

2020-09-14 00:13:48 | 外交・安全保障

 

もう一つの「安倍外交の成果」、4カ国の中国包囲網
9/13(日) 6:01配信


JBpress
2015年12月12日、ニューデリーで首脳会談を行ったインドのモディ首相と安倍晋三首相(写真:AP/アフロ)

 (山田 敏弘:国際ジャーナリスト)

 8月28日に安倍晋三首相が辞意を表明した直後から、メディアでは史上最長の7年8カ月にわたって総理の座にいた安倍政権の総括に力を入れた。

 そこでの安倍政権の実績に対する評価は、メディアによって賛否が分かれたものが少なくなかった。国内で言えば、消費増税や共謀罪の成立などがそうだ。加えて、「森友・加計」や桜を見る会の問題については、「十分に説明責任を果たせていない」という批判が全般的に根強い。

 外交・安全保障にかかわる分野についても国内メディアの評価はさまざまだが、実は海外からの評価は極めて高い。

 日本版NSC(国家安全保障会議)の設立や集団的自衛権の行使容認、特定秘密保護法制定などについて国内では批判する向きもあるが、米国などからの評価は相当高い。また安倍首相は、世界が「扱いに困っている」ドナルド・トランプ大統領と良好な関係を築いたことで、その外交手腕は世界中から注目されていた。日本が米国との良好な関係なくして存在できない事実を踏まえれば、安倍首相の対トランプ外交は日本でももっと評価されるべきである。

 そして安倍政権には、もう一つ評価されてしかるべき「外交的なレガシー」がある。安倍政権がイニシアティブをとり関係国に声をかけてスタートさせた対中戦略が、ここにきて一気に活性化する兆しが見えているのだ。「QUAD(クアッド=日米豪印戦略対話)」である。

 この「QUAD」とはいったい何か――。

■ 対中国の4カ国連携

 この戦略対話とは、日本、アメリカ、オーストラリア、インドの4カ国の非公式の枠組みのことを指す。QUADは、2007年8月、第一次政権時の安倍首相が、インド国会で演説した際に提唱、日本とアメリカ、オーストラリア、そしてインドとの多角的な協力関係の構築を呼びかけたことに端を発している。

 安倍首相はその後、間もなく退陣してしまうことになるが、この方針は後を受けた麻生政権にも引き継がれ、そして民主党政権を経た後の第二次安倍政権でもこの4カ国の枠組みの維持が図られてきた。

 QUADは、自由で開かれたインド太平洋戦略のための「4カ国イニシアティブ」とも呼ばれ、安全保障における協力関係を強化することを目的にしており、これらの国による海軍合同演習も行なわれてきた。
 言うまでもないことだが、この枠組みは中国を意識した連携だ。そのため、これまで各国もそのときどきの政権によっては、この枠組みとの距離を置こうとする動きもあった。そのため本格的な連携関係にはなってこなかったのが実情だ。

 それが今、再び注目されている。きっかけは、8月31日の米印戦略フォーラムにおける、米国務省のスティーブン・ビーガン副長官によるQUADについての踏み込んだ言及だ。

■ ゆくゆくはNATOのような枠組みに

 ビーガン国務副長官の発言は以下のようなものだった。

 「トランプ政権が続こうが、トランプ大統領が敗れようが、新しい大統領の新しい政権だろうが、QUADを4カ国ではじめることは非常に重要なきっかけになるだろうし、この連携の行方を探っていくのは非常に価値があることだ。ただこのイニシアティブを、中国に対する防衛のため、または、中国を封じ込めるためだけの目的にしないように気をつけるべきだ。それ以上のものにしたほうがいい」

 要するに、ビーガン国務副長官が米政府として今後のQUADの連携強化を求めたのである。

 「中国を封じ込めるためだけではない」と言ったのは、参加国がそれぞれの事情で中国との関係性があることを踏まえたからだと考えられる。安倍首相が提唱してから現在まで、QUADと距離を置く国があった背景には、中国との2国間関係が作用したという経験がある。それはインドも同じであり、もともと同盟を重視しない非同盟主義を貫いてきたインドへのメッセージであるとも取れる。

 ビーガンはさらにこう続けた。

 「同時に、あまりに野心的になりすぎないようにもしたほうがいいだろう。インド洋・西太平洋地域のNATO(北大西洋条約機構)なんて声も聞いている。だが忘れてはいけないのが、NATOですら、最初は比較的に期待感は大きくなかったし、第二次大戦後の欧州でNATO加盟について多くの国が中立を選んだ。NATOの加盟国は現在では27カ国だが、もともとは12カ国だけだった。つまり、少ない規模ではじめて、加盟国を増やしてゆくゆくは大きくなることができる」

 要は、NATOのような枠組みで結束して中国に対抗していこうという牽制でもある。米国には、対抗意識を隠そうとしない中国の姿を見て、インドも仲間に呼び込みたいという思惑が見える。

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コメント (1)

米中対立、準戦争に突入!中国 米外交官の国内活動に制限 米中報復の応酬続く

2020-09-13 07:35:18 | 外交・安全保障
中国 米外交官の国内活動に制限 米中報復の応酬続く

中国 米外交官の国内活動に制限 米中報復の応酬続く

アメリカのトランプ政権が中国の外交官に対してアメリカ国内で地方自治体の関係者と面会する際などに政府からの許可を義務付ける措置を取ったことに対抗して、中国政府は、香港を含む中国にあるアメリカの在外公館の外交官などの活動に同等の制限を求める措置を取ったことを明らかにしました

アメリカのトランプ政権は、中国国内でアメリカの外交官の活動が不当に制限されているなどとして、9月2日、中国の外交官に対し、アメリカの大学への訪問や地方自治体の関係者との面会の際に国務省の許可を取ることを義務付ける新たな措置を発表しました。

これに対し、中国外務省は11日「アメリカ側の間違ったやり方を早期に撤回させるため、香港を含む中国にあるアメリカの大使館と総領事館の外交官と職員の活動に同等の制限を取った」として、具体的な内容には触れず、対抗措置を取ったことを明らかにしました。

アメリカと中国は、互いの在外公館を閉鎖させたほか、アメリカが中国人記者の人数や取材ビザの有効期間に制限を設けたのに対し、中国はアメリカの有力紙の記者に記者証を返還させるなど、報復の応酬を続けています

              ★

 

BBCニュース

米中関係はどうなる

現状はかなりまずい。1972年にリチャード・ニクソン大統領(当時)が中国共産党との関係正常化に動いて以降、最悪の状態だ。その責任は両国にある。

習氏が2013年に国家主席に就任し、前任者たちよりずっと積極的で権威主義的な方法を取るようになってから、現在の傾向がみられるようになった。中国は、厳格な香港国家安全維持法の制定と、新疆ウイグル自治区でのイスラム教徒少数派の弾圧によって、アメリカとの緊張を一段と高めた。それを受け、アメリカは制裁措置を発動している。

中国政府と、トランプ政権の「アメリカ・ファースト」の自国第一主義との衝突は、ポンペオ氏の中国に関する最近のスピーチにみられるイデオロギー的な世界観が、その形をいっそうはっきり示している。ポンペオ氏は冷戦時代を思わせる表現で、中国指導者層について、世界の覇権を求める暴君だと非難。米中の対決は、自由と圧政の間の、生存をかけた戦いだと訴えた。

中国政府の関係者の多くは、トランプ政権の目的について、中国が経済力でアメリカに追いつくのを防ぐことだと考えている。そして、中国の通信技術の利用を阻止しようとする動きに対して、特に怒っている。

しかし、懲罰的措置のエスカレートには、懸念と困惑もみられる。中国の王毅外交部長は最近、アメリカに対し、一歩引いて両国が協力できる部分を探るよう願い出ている。

どこ向かう?

短期的には、不安定な緊張状態が米大統領選までは続くと考えられる。中国が状況悪化を望んでいるとは思われない。また、トランプ氏も深刻な対決を求めていないし、軍事的な衝突はもちろん望んでいないと、専門家の見方は一致している。

だが、現在はアジア・ソサエティ・ポリシー・インスティテュートの副代表を務めるラッセル氏は、予想外の衝突に対する注意が必要だと述べる。「米中関係においてバッファー(緩衝材)としてこれまで機能してきた、ゴールはエスカレートを緩め問題を解決することにあるという前提は(中略)なくなってしまった」。

長期的には、11月の大統領選で誰が勝つのかによって変わる。ただ、民主党候補のジョー・バイデン前副大統領の方が協調ルート復活に前向きだろうが、そのバイデン氏でさえ今は対中強硬姿勢を強調して選挙運動を展開している。中国への強硬姿勢は、大統領が誰かを問わず、超党派でまとまっているごく異例の合意を反映した、大衆受けするテーマだからだ。

保守系の米シンクタンク、ヘリテージ財団の国家安全保障問題の専門家ジム・キャラファノ氏は、中国による「かく乱」行為に対抗することは、状況悪化ではなく、安定化につながると主張する。「これまでアメリカは、中国がどの分野でアメリカの国益を侵しているのかを明確にせず、中国はそのまま続行してきた」とBBCに述べた。

しかし、共和党の政治家で、民主党のビル・クリントン政権で国防長官を務めたウィリアム・コーエン氏は、米政界全体が中国を敵視しているのは危険なことだと考えている。

中国が軍事、経済、テクノロジー分野で勢力を拡大したことで、アメリカは「これまでのようにはビジネスができない」と中国に言うはめになったと、コーエン氏は指摘した上でこう述べる。

「それでも私たちはビジネスをしなくてはならない」

コメント (4)

コロナ詐欺!沖縄タイムス社員、給付金100万円を不正受給 社内調査の結果、同じ関連会社の社員も虚偽申請発覚

2020-09-13 05:02:46 | マスコミ批判

沖縄タイムス社員、コロナ給付金100万円を不正受給 社内調査の結果、同じ関連会社の社員も虚偽申請発覚

 
  •  
1: うずしお ★ 2020/09/13(日) 00:38:07.64 ID:XILnwnyZ9

沖縄タイムス社(那覇市)は12日、総務局付で関連会社に出向中の40歳代男性社員について、新型コロナウイルスの影響で経営不振に陥った事業者を支援する国の持続化給付金100万円を不正受給していたと発表した。副業があると偽って申請しており、沖縄県警那覇署の事情聴取を受けているという。

 同社によると、外部からの指摘で12日に発覚した。男性社員は社内の聞き取り調査に対して事実関係を大筋で認め、7月頃に100万円を受給したと説明した。11日に那覇署へ申し出たという。

 また、社内調査の結果、同じ関連会社の30歳代男性社員も虚偽申請したことが確認され、2人は12日付で自宅待機となっている。

 沖縄タイムス社は「警察の捜査に協力させながら社内調査も徹底し、全容が明らかになった段階で厳正に対処する」としている。

 持続化給付金は中小企業に200万円、個人事業主らに100万円を上限に支給される。

https://www.yomiuri.co.jp/national/20200912-OYT1T50365/

ネットの声

4: 不要不急の名無しさん 2020/09/13(日) 00:40:03.57 ID:Fy/m2A4C0
>>1
実名報道しなよwwwwww

 

2: 不要不急の名無しさん 2020/09/13(日) 00:39:11.96 ID:v6/lkZna0
オキタイやってしまいましたなぁ

 

7: 不要不急の名無しさん 2020/09/13(日) 00:40:19.02 ID:1XZN6PHG0
沖縄左翼なんてこんなもんよ

 

8: 不要不急の名無しさん 2020/09/13(日) 00:40:29.85 ID:ePQK8zeD0
詐欺罪で逮捕しろよ
税金を騙し取ったんだぞ

 

10: 不要不急の名無しさん 2020/09/13(日) 00:41:50.71 ID:cZ2Hhe0+0
ナンクルナイサで終わり

 

13: 不要不急の名無しさん 2020/09/13(日) 00:42:58.93 ID:ykFAu9E30
人から貰うの大好きだもんね

 

15: 不要不急の名無しさん 2020/09/13(日) 00:43:05.21 ID:ia4bKd470
沖タイの不正受給は綺麗な不正受給

 

16: 不要不急の名無しさん 2020/09/13(日) 00:43:16.72 ID:px0G1L4A0
でも、結局は安倍が悪い

 

18: 不要不急の名無しさん 2020/09/13(日) 00:43:49.82 ID:nWKqP6nX0
どうせ左翼新聞は懲戒解雇しないでしょ
何故か安部のせいにしそう

 

37: 不要不急の名無しさん 2020/09/13(日) 00:49:43.66 ID:lHfJSS540
>>18
安易に100万円を受給させる方が悪いとか開き直りそう

 

19: 不要不急の名無しさん 2020/09/13(日) 00:43:54.34 ID:1VxXzjlK0
他の社員も調べろ。
家宅捜索しろ!

 

20: 不要不急の名無しさん 2020/09/13(日) 00:43:55.27 ID:ppPTKsFA0
日本を罵倒して沖縄独立を煽りながら、日本国から金をせびる沖縄タイムスw

 

23: 不要不急の名無しさん 2020/09/13(日) 00:44:21.89 ID:zfMvxG5w0
だからバレルんだと言ってるのに
口座晒してるんだからモロバレなのよ
頭悪すぎるわ

 

25: 不要不急の名無しさん 2020/09/13(日) 00:44:43.81 ID:Gl9aoMy40
詐欺じゃん

 

28: 不要不急の名無しさん 2020/09/13(日) 00:45:24.25 ID:ia4bKd470
>>25
失敬な
うっかりです

 

29: 不要不急の名無しさん 2020/09/13(日) 00:45:52.35 ID:TX8tnQz90
マスゴミ関係者なんか
総会屋みたいなもんだろ
こんなもんじゃね?
30: 不要不急の名無しさん 2020/09/13(日) 00:45:58.65 ID:EffF3Bak0
あれ?もしかしてみんなやってるの?

 

32: 不要不急の名無しさん 2020/09/13(日) 00:46:31.05 ID:35et0t9O0
室井町山津田石井村本はどう擁護するのかな?

 

33: 不要不急の名無しさん 2020/09/13(日) 00:47:05.48 ID:px0G1L4A0
出向社員ということは
社内でも問題児だったのかな?

 

35: 不要不急の名無しさん 2020/09/13(日) 00:47:35.66 ID:+ht6n6FH0
阿部批判しつつ貰えるものは嘘をついてでも貰う抜け目のなさ

 

38: 不要不急の名無しさん 2020/09/13(日) 00:49:46.69 ID:DmkMNMpY0
>>35
あべとも批判しておった連中が
コロナ禍で自分のお友達が大変なんです!!
とTVで言いまくっておったしなw

 

36: 不要不急の名無しさん 2020/09/13(日) 00:48:14.52 ID:kDcsL1QP0
全容がわかったら詳細と実名報道してね それが社会的責任だよね

 

39: 不要不急の名無しさん 2020/09/13(日) 00:49:47.28 ID:QKDOisCx0
沖縄自体が色々インチキし過ぎ
なのに、調査されないのが不思議

 

44: 不要不急の名無しさん 2020/09/13(日) 00:51:04.05 ID:lC17e3a00
緊急国難に便乗して不正を行うのは詐欺じゃなく反社テロ

 

45: 不要不急の名無しさん 2020/09/13(日) 00:51:27.92 ID:7/H73PPG0
やったもん勝ちを許すな
不正受給は全員逮捕しろ

 

46: 不要不急の名無しさん 2020/09/13(日) 00:51:38.43 ID:ia4bKd470
週明け沖縄タイムス関係者は大量欠勤だなあ…

 

48: 不要不急の名無しさん 2020/09/13(日) 00:52:21.61 ID:Y+yNYiis0
犯社会タイムス

 

49: 不要不急の名無しさん 2020/09/13(日) 00:52:37.02 ID:zBg7HM7R0
これはずさんなチェックだけで支給決定した政府が悪い
社員は被害者

 

52: 不要不急の名無しさん 2020/09/13(日) 00:53:48.92 ID:LLdU8+6L0
反日のくせにもらいものは貰うんですね

 

54: 不要不急の名無しさん 2020/09/13(日) 00:54:45.50 ID:Lvi+0sh40
マスゴミ関係者一斉調査したらどんどん出てきそうだぬ

 

56: 不要不急の名無しさん 2020/09/13(日) 00:55:19.55 ID:iky5uaGw0
虚偽体質の社にも問題があるのではないか?

 

引用元: https://asahi.5ch.net/test/read.cgi/newsplus/1599925087/

 

コメント

  1. 匿名 より:

    これは詐欺事件だな。沖縄県警は実名を発表しろよな。

  2. 匿名 より:

    名前出せよ。沖縄タイムスは身内に忖度か

  3. 匿名 より:

    組織的にやってるな
    徹底調査が必要だな

コメント (8)

青汁王子が悪徳メディアの仮面を剥ぐ!沖タイ記者の捏造記事?菅官房長官と安倍政権が「沖縄」に対してやってきた、これだけのこと

2020-09-12 08:24:32 | マスコミ批判

 

上記のユーチューブ動画は、週刊現代がトップユーチューバーの青汁王子について捏造記事を書き、青汁王子の反撃を食らって撃沈した状況を、青汁王子本人が公開している様子。

従来、週刊誌のデタラメ記事に対して反撃する手段を持たない個人は泣き寝入りするのが常だった。ところが、今回はユーチューブと言う有力な反撃手段を持つ相手・青汁王子を見くびっていたようだ。

「悪徳週刊誌vsユーチューバー」の今後の戦いに注目したい。

             ★

安倍首相辞任に伴う国民の反応は天敵の朝日新聞ですら、「72%が評価する」との世論調査を発表せざるを得ないほど、国民の評価は高い。

ところが、国民の高評価とは裏腹に、「安倍・菅内閣」に対して、捏造記事で批判するメディアがある。

沖縄タイムス、琉球新報の沖縄2紙だ。

次の記事は現代ビジネスの沖縄関連記事だが、執筆者が捏造記事でお馴染みの沖縄タイムスの記者と知ると、納得できる。

週刊現代と現代ビジネスは兄弟誌である。

沖縄タイムス記者も金を払って、現代ビジネスに捏造記事を依頼・掲載して貰ったのだろうか。

例えば「菅官房長官と安倍政権が「沖縄」に対してやってきた暴挙」などと捏造してBコースで掲載とか。

ちなみにきょう9月12日の沖縄タイムス2面トップはこれ。

デニー知事が記者会見で首相候補について、問われこう答えている。

次の首相「小沢氏に」

総裁選質問に知事

政治の師挙げる

 

 

 

                ★

菅官房長官と安倍政権が「沖縄」に対してやってきた、これだけのこと
9/11(金) 7:01配信


現代ビジネス
沖縄には怒りと不満が渦巻く
写真:現代ビジネス

 自民党総裁選でぶっちぎりの展開を見せ、そのまま首相の座を射止めようとしている菅義偉官房長官は、安倍晋三政権において、沖縄基地負担軽減担当相を兼務してきた。全国の7割以上が集中する沖縄県の米軍施設・区域を縮小し、負担を軽減することが役割である。

【写真】安倍総理が恐れ、小池百合子は泣きついた「永田町最後のフィクサー」

 第2次安倍政権発足後、初の改造となった2014年9月に新設のポストで、それ以来6年間務める。

 沖縄の米軍基地は2014年3月の2万2729ヘクタールから、一部の土地が返還されたことで、今年3月には1万8483ヘクタールに縮小されている。菅氏の就任以来、沖縄の米軍基地面積の約19%が返還されたことになる(使用していない米軍基地を単純返還したため、全国の米軍専用施設面積に占める沖縄の割合は、73・8%から70・3%と3・5ポイント減にとどまる)。

 菅氏はこうした変化を、常々「安倍政権の成果」と胸を張ってきた。安倍晋三首相の沖縄問題への関心が薄かったことや、実務を担う防衛相、外相の顔ぶれが何度か変わったことを考えると、たしかに一貫して陣頭指揮を執ってきた「菅氏の成果」とも言える。

 しかし、問題はその手法である。沖縄県内では菅氏の思うように評価されていないどころか、むしろ怒りや不満が渦巻いている。

 県民から反発を受けている象徴的な二つの政策が、沖縄県民の7割以上が反対する沖縄県宜野湾市の米軍普天間飛行場を、同じ沖縄県で50kmしか離れていない名護市辺野古へ移設する計画と、人口140人の沖縄県東村高江の集落を取り囲む六つの米軍ヘリパッドを建設する計画だ。いずれも住民の反対運動などで20年近く滞っていたが、安倍政権が推し進めた。

 菅氏は「安倍政権だからできた」と主張する。県民の反発に遭っても、後々評価されると考えている。

 菅氏の向き合う「負担軽減」と、苛烈な沖縄戦から75年、米軍基地の過重な負担を受けながら歴史を刻んできた沖縄の人々との思いには隔たりがある。

 菅政権が誕生すれば、沖縄の米軍基地問題の混乱は続き、本土と沖縄の関係はぎくしゃくしたままで、沖縄県内で新たな分断を生み出しかねないといった懸念がつきまとう。いや、それ以上の悪夢になるかもしれない。
普天間飛行場についての認識のズレ
普天間飛行場〔PHOTO〕Gettyimages

 「負担軽減」の原点の認識にも差異がある。

 安倍氏や菅氏は、「普天間飛行場の危険性の除去は喫緊の課題」と説明する。人口10万人を超えた宜野湾市のど真ん中に位置する普天間飛行場を、人口が少なく、海に突き出た場所に移す計画になぜ反対するのだ、と言わんばかりである。

 翁長知事や玉城知事は反論した。1945年の沖縄戦で上陸した米軍が、本土への出撃拠点とするために建設したのが普天間飛行場だ。役場や学校があり、8800人が暮らした集落を奪い取りながら、そこが古くなった、危険になったから他の土地をよこせというのは理不尽で、政治の堕落だ、と訴えてきた。

 普天間飛行場の面積は480ヘクタールで東京ドーム102個分にもかかわらず、沖縄の米軍基地全体の2・5%にすぎない。そっくりそのまま返っても、97・5%が残るのに、なぜ沖縄県内に移設しなければいけないのか。海兵隊は必ず沖縄に駐留しなければいけないのか、といった疑問がぬぐえないことも、沖縄県民が辺野古移設に反対する理由につながる。

 安倍氏や菅氏が、沖縄が本土に復帰した1972年以降で最大の米軍基地返還と強調する米軍北部訓練場の一部返還も、その条件であった六つの米軍ヘリパッドを建設するために、東京や大阪から機動隊員800人を集め、抗議する住民を強制排除したのが実態だ。

元副知事から菅氏への信頼
 その強引さと裏腹に、菅氏は気配りも見せてきた。政権ナンバー2で、スポークスマンでもある官房長官が東京を離れることは異例だが、在任中、沖縄を何度も訪れている。道の駅の駐車場整備といった細かな事業も肝いりで進め、基地の返還式典では跡地利用に意欲を見せてきた。

 辺野古移設反対の翁長知事の側近だった当時の安慶田(あげだ)光男副知事とは会談を重ね、信頼関係を築いた。安慶田氏は宮古島で生まれ、石垣島で幼少期を暮らし、琉球大学に進んだ苦労人だ。秋田県のイチゴ農家から集団就職で上京し、働きながら法政大学へ進学した菅氏と境遇が似ていた。食事の際にサツマイモを残した安慶田氏に「私も昔、食べ過ぎたせいか、嫌いになりました」と語り掛けたことで、安慶田氏は心を許すようになっていった。

 安慶田氏は菅氏と連絡を取り合い、翁長氏の死去後には、後継の玉城知事と距離を置き、新たな保守系グループの結成を模索。菅政権が誕生すれば、安慶田氏の存在感が増す可能性がある。

 菅氏は9月3日の記者会見で、沖縄の米軍基地問題と沖縄振興は「結果的にリンクしているのではないか」と語った。歴代政権は沖縄振興について、沖縄戦の甚大な被害や、その後の27年間の米国施政権下で日本の政策が適用されなかったこと、離島の多い沖縄の特殊事情などを理由として、「米軍基地とはリンクしない」というのが公式見解だった。

 日米関係と沖縄を研究してきた故・宮里政玄さんは「沖縄は基地政策にちょうどいい大きさと人口で、そこに日米両国は目を付けた」と捉えていた。二つ以上の飛行場と補給施設を運用でき、適度に遊ぶ施設もある。そして、最大の利点は、ちょっとした振興策で基地を受け入れてくれる人口規模という。

 辺野古新基地建設では、埋め立て予定海域で見つかった「マヨネーズ並み」といわれる軟弱地盤を改良するため、防衛省は玉城知事の承認を得なければならない。玉城知事は承認しないとみられ、国と沖縄県の新たな対立に発展するのは間違いない。2年後には知事選も控える重大な局面での菅首相の登場となる。

 これまで以上に基地政策と振興策をリンクさせる「アメとムチ」を露骨に持ち出せば、新型コロナウイルスの影響で経済の落ち込んだ沖縄県内では、分断がさらに加速するのではないか。心配の種は尽きることがない。

福元 大輔(沖縄タイムス記者)

 

【おまけ】

【辺野古】警備費 1日3000万円超 市民の抗議弾圧に

      1: クロ ★ 2020/09/11(金) 15:48:38.45 ID:CAP_USER9
 防衛省沖縄防衛局が辺野古新基地(名護市)建設に関し、埋め立て工事の約10年の期間中に、1173億円の警備費を計上していることが、縦覧により公開された設計変更申請書から分かりました。単純計算すれば1日あたり3000万円を超えます。

 長期にわたり、新基地建設への市民の抗議行動の弾圧に異常な額の税金が支出されることになります。

 変更前は、埋め立て工事費に警備費は含まれておらず、「仮設工」などの費目から回していました。申請書によれば、1年次20億円、10年次25億円で、それ以外は毎年115億円~185億円の警備費をあてています。

 新基地建設への抗議行動は、名護市辺野古の米軍キャンプ・シュワブゲート前や海上のほか、土砂が搬出されている同市安和の琉球セメント桟橋ゲート前や、本部町の本部港塩川地区で取り組まれています。変更申請で土砂の採取地を増やすことから、これにあわせて警備体制も増強し、警備費が膨らむものとみられます。

しんぶん赤旗
2020年9月10日(木)
http://www.jcp.or.jp/akahata/aik20/2020-09-10/2020091002_02_1.html

引用元:https://fate.5ch.net/test/read.cgi/seijinewsplus/1599806918/

10: あなたの1票は無駄になりました 2020/09/11(金) 16:07:07.67 ID:WFoiOmsn0
>>1
オマエラが妨害するからやろ

30: あなたの1票は無駄になりました 2020/09/11(金) 16:46:57.13 ID:EpUcQ4bf0
>>1
沖縄振興費からさっ引け

46: あなたの1票は無駄になりました 2020/09/11(金) 17:50:55.73 ID:QhGWsDmg0
>>1
いったいどこが「抗議弾圧」なのかな?
平和的にルール通りに抗議活動をしてれば警備は一切不要なんですがw
22: あなたの1票は無駄になりました 2020/09/11(金) 16:27:52.65 ID:h0qZLlIY0
日額3000万円超って
それは反対派がそれだけちょっかい出してくるってことだよな
通常の作業警備にそんなに掛かるわけないんだから

31: あなたの1票は無駄になりました 2020/09/11(金) 16:53:20.37 ID:0qvl4rr/0
地盤もゆるいしむしろこのまま永久に完成しない方が
関連企業は儲かるよな

32: あなたの1票は無駄になりました 2020/09/11(金) 16:53:57.48 ID:P2Yt+guI0
そろそろ工事を邪魔している奴らに請求してもいいのではないのか?

44: あなたの1票は無駄になりました 2020/09/11(金) 17:39:57.85 ID:B9aINCmm0
こういうのって逮捕して、請求とかできないの?

45: あなたの1票は無駄になりました 2020/09/11(金) 17:47:19.51 ID:QhGWsDmg0
>>44
どんどん公務執行妨害で逮捕すればいいと思うんだけど
なぜか甘いんだよね
 
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コメント (7)

池田信夫「古い脳と新しい脳」

2020-09-12 05:12:43 | マスコミ批判

 

 

池田信夫「古い脳と新しい脳」

2020年09月11日 17:30
  • <iframe class="hatena-bookmark-button-frame" title="このエントリーをはてなブックマークに追加" width="115" height="20" frameborder="0" scrolling="no"></iframe>

ファスト&スロー(上) あなたの意思はどのように決まるか? (ハヤカワ・ノンフィクション文庫)新型コロナ騒動もようやく落ち着きましたが、終わってみると(日本では)インフルエンザ程度の風邪でした。それは驚くことではないのですが、驚いたのは社会の大パニックです。4月ごろまではしょうがないとしても、5月以降、被害は大したことないとわかってからも、マスコミは騒ぎ続けました。

こういうゼロリスク脳は、福島第一原発事故のときと同じパターンで、そこには何かの法則性があると思われます。それは論理や事実の問題ではありません。どちらも科学的事実ははっきりしており、コロナも福島の処理水も生命を脅かすようなリスクではありません。

ではなぜ人々はこのように強い恐怖を抱くのでしょうか。それは恐怖が遺伝的にそなわった古い脳の機能だからです。自分より強そうな動物が来たら瞬時に逃げる行動は、犬や猫にもみられる「速い思考」です。これは脳の辺縁系と呼ばれる部分の機能で、他の哺乳類とほとんど変わりません。

それに対して「感染率は上がった死亡率は低い」などと論理的に考える能力は、大脳皮質などの新しい脳の機能で、ここ数百万年に発達したものです。それはエネルギーの必要な「遅い思考」で、情報収集などのコストがかかるので、人はいったん速い思考で決めた結論を変えないことが多い。

このように人間の思考が二重構造になっているという仮説は、行動経済学や進化心理学で広く認められ、多くの実証データが蓄積されています。10月からのアゴラ読書塾「古い脳と新しい脳」では、そういう最新の実例を紹介し、それをビジネスなどの意思決定にどう生かすかを考えます。

授業はすべてインターネット配信するので、全国の(あるいは海外の)みなさんも視聴できます。録画をあとから見ることもできます。

講師:池田信夫(アゴラ研究所 所長)

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集団自決、渡嘉敷島で狂死する老女 昭和45年、那覇空港での出来事

2020-09-11 17:41:08 | ★改定版集団自決

 

沖縄戦の再検証のため過去ブログをサルベージして狂死する老女 昭和45年3月26日、那覇空港での出来事2008-09-15 を一部編集して再掲します。

             ★

 

渡嘉敷島の戦隊長赤松元大尉が、渡嘉敷島で行われる25周年めの戦没者慰霊祭に参加すべく、那覇空港に降り立った昭和45年3月、空港で展開された“沖縄の青年たち”と赤松氏とのいざこざについて大江健三郎氏は『沖縄ノート』で次のように記している。

《那覇空港に降りたった、旧守備隊長は、沖縄の青年たちに難詰されたし、渡嘉敷島に渡ろうとする埠頭(ふとう)では、沖縄のフェリイ・ボートから乗船を拒まれた。かれはじつのところ、イスラエル法廷におけるアイヒマンのように、沖縄法廷で裁かれてしかるべきであったであろうが、永年にわたって怒りを持続しながらも、穏やかな表現しかそれにあたえぬ沖縄の人々は、かれを拉致しはしなかったのである

◆実際に現場に立ち会ったと思われる人物の書いた「非核の島の記憶 『沖縄の近い昔の旅』」(森口かつ著 凱風社)には次のような過激な表現もある。http://blogs.yahoo.co.jp/fwapy7777/48129761.html

「非核の島の記憶 『沖縄の近い昔の旅』」(森口かつ著 凱風社=P150ーP153)

赤松元隊長は、住民329人が死んだ集団「自決」の下命人として、遺族がまとめた 戦記にその名をとどめてきた元大尉である。
その男が、戦後25年たった春ひょっこり沖縄にやってきた。
渡嘉敷島で行われる「自決」者たちの慰霊祭参列のためだという。
ところが、彼は那覇空港でたいそう手荒な出迎えを受けることになった。

「何しに来たか!帰れ」

「お前は沖縄人を何人殺したんだ!」

「渡嘉敷島のあるおばあさんは、赤松がきたら発狂するから来てくれるな、と言って いるんだ」

「帰ってくれ。慰霊祭にでてもらいたくないし、あなたが来島すること自体、県民は 耐え難いのだ」

男を取り巻いたのは教員、歴史家、キリスト教牧師、平和運動家ら50人。
「虐殺者、帰れ!」
と書いたのぼりが立ち、抗議のシュプレキコールが夕闇迫る空港 ターミナルに響いた。

厳しい追及に男は終始口をつぐんでいたが、抗議の人たちの口から「軍国主義」「日本の右翼化」という言葉が飛び出すと、

「わたしのところは平和だし、、、、わたしが来島したからといって、、、、」と切 り出した。

この一言が、取り巻いた人たちをいっそう刺激した。沖縄は戦後このかた他国の軍事 基地に圧迫され、事件・事故の絶える事がない,「平和」とはおよそ無縁の島である。
その人たちを前にして「私のところは平和だし、、、」と言ってのけるヤマトンチュ とは何だろう。

・・・・・・

「彼が島に来たら発狂する」老女さえいる渡嘉敷島の人たちがこの元守備隊長に求め ているのは、「以前のままの赤松」からの脱皮であり、久米島の人たち同様、真摯な 反省と謝罪、そして軍の論理の放棄である。(P150ーP153

引用終了

 

何と、赤松元大尉が渡嘉敷島を訪問したら島の老女が発狂するというのだ。

あなたが来島すること自体、県民は 耐え難いのだ」

空港で待機した左翼集団が「県民」を代表していないことは同行の沖縄タイムスは百も承知のはずだがそれは伏せて、敢えて県民の遺族代表のように報じた。(後述)

このような捏造された「物語」が次々と一人歩きして島の住人たちは赤松元大尉を「発狂するほど憎悪している」という神話が地元新聞を通じて沖縄地元の人々さえ「鬼の赤松」を信じるようになっているのである。

だが、実際は空港に集結した「団体」の中に渡嘉敷島の人は一人もおらず、島の外部の「民主団体」だったことは昨日エントリーの村長の手記が物語っている。

 

◆昭和45年3月の那覇空港での出来事を客観的に記した『Media Watch: 悪意の幻想 ~ 沖縄戦「住民自決命令」の神話』から引用して当時の状況を振り返って見る。http://www2s.biglobe.ne.jp/~nippon/jogdb_h18/jog472.html

(前略)

■7.「もし本当のことを言ったらどうなるのか」■

昭和45年3月26日、赤松元大尉と生き残りの旧軍人、遺 族十数名が、渡嘉敷島で行われる「25周年忌慰霊祭」に出席 しようと那覇空港に降り立った。  空港エプロンには「渡嘉敷島の集団自決、虐殺の責任者、赤 松来県反対」の横断幕が張り出され、「赤松帰れ! 人殺し帰 れ!」とのシュプレヒコールがあがった。「何しに来たんだよ!」 と激高した人々に取り囲まれて、直立不動の赤松元大尉は 「25年になり、英霊をとむらいに来ました」と答えた。  結局、赤松元大尉は渡嘉敷島に渡るのを自粛したが、部下達 は慰霊祭に参加し、地元の人々と手を取り合って往事を偲んだ。  那覇から大阪に帰る前の晩、記者会見が開かれた。その席で 赤松・元大尉の責任を問う記者たちに、部下の一人はこう言っ た。  

責任というが、もし本当のことを言ったらどうなるのか。 大変なことになるんですヨ。・・・いろいろな人に迷惑が かかるんだ。言えない。[『沖縄戦・渡嘉敷島 集団自決の真実』,p38]  ≫

冒頭で紹介したように、赤松元大尉が「遺族が援護を受けら れるよう、自決命令を出したことにして欲しい」と依頼されて 同意した事実が明らかにされたが、赤松元大尉が真相を語らな かったのは、それによって援護を受け取った遺族たちに迷惑が かかるからだった。  遺族たちのために、赤松大尉は「住民自決命令を出した悪魔 のような軍人」という濡れ衣を着せられながら、戦後ずっと弁 明もせずに過ごしてきたのだった。

 

■8.「悪意の幻想」と闘う裁判■

 赤松・元大尉が「おりがきたら、一度渡嘉敷島に渡りたい」 と語っていたという新聞記事を読んで、大江健三郎は『沖縄ノ ート』にこう書いている。

人間としてそれをつぐなうには、あまりにも巨きい罪の 巨塊のまえで、かれはなんとか正気で生き伸びたいとねが う。かは、しだいに希薄化する記憶、歪められる記憶に たすけられて罪を相対化する。つづいてかれは自己弁護の 余地をこじあけるたに、過去の事実の改変に力を尽くす。 ・・・  このようなエゴサントリック(JOG注:自己中心的)な希 求につらぬかれた幻想にはとどめがない。「おりがきたら」、 かれはそのような時を待ち受け、そしていまこそ、そのお りがきたとみなしたのだ。[『沖縄ノート』,p210]  ≫

さすがはノーベル賞作家である。新聞記事を読み、「おりが きたら」というたった一言から、自己弁護のために「過去の事 実の改変に力を尽くす」「幻想にはとどめがない」人物として 赤松・元大尉を描いて見せたのだった。しかし、「幻想にはと どめがない」のは大江氏自身である。  現地を訪れもせず、直接の体験者の話も聞かず、いかにも見 てきたように赤松元大尉を悪魔的な人物として描いた『鉄の暴 風』と、この大江氏の『沖縄ノート』は、赤松・元大尉を糾弾 することによって、日本軍を、ひいては日本国家を貶めようと した「悪意の幻想」の産物なのである。  この「悪意の幻想」から、赤松元大尉と日本軍、そして日本 国家全体の名誉を救い出すために、岩波書店と大江健三郎に対 する裁判が闘われているのである。[4] (文責:伊勢雅臣)

引用終了

  

 ◆草莽崛起さんは更に詳しくこう記している。http://prideofjapan.blog10.fc2.com/blog-entry-1023.html

 やがて赤松元大尉の耳にも、シュブレヒコールが聞こえる。「赤松帰れ!」「人殺し帰れ!」 聞こえて来るのはシュプレヒコールばかりではない。

「今ごろ沖縄に来て何になる!」

「県民に謝罪しろ!」

「お前は沖縄人を何人殺したんだ!」

赤松氏は立ち止まる。直立不動の姿勢になり、彼は人々の怒号にさらされた。

 那覇市職労の山田義時氏が、(★)抗議団平和を守る沖縄キリスト者の会、歴史・社会科教育者協議会、日本原水爆禁止協議会沖縄県支部、日本平和委員会沖縄県支部、日本科学者協議会沖縄県支部)を代表して「渡嘉敷島の集団自決と虐殺の責任者赤松元陸軍大尉の来県に抗議する」という抗議文を読み上げる間、元大尉はじっと無言で立ちつくす。 (★渡嘉敷島の住民は一人もいなかったー引用者注)

 やがて朗読が終わり、抗議団から再び声があがる。

「三〇〇人の住人を死においやった責任はどうする」

「罪のない住民をスパイ容疑で惨殺したのにオメオメと来島できるか」

そこでやっと赤松元大尉は口を開く。

「事実は違う。集団自決の命令は下さなかった。捕虜になった住民に死刑を言い渡した覚えもない。」

このような那覇での抗議のため、赤松元大尉は渡嘉敷島には渡れなかった。その渡嘉敷島での様子は、『琉球新報』

に次のように書かれている。

この日の渡嘉敷村は平日と変わらない静かなたたずまい。赤松元大尉が来島できなかったことや、その部下が初めて来島したことにも反応は少なく、道陣が詰めかけたのが、異様にさえ感じているような冷静さ。

赤松元隊長が本島まで来ていることを知らされても、『肉親を失ったことは忘れられないが、いまさら古傷にふれても仕方がない

と言った言葉が返ってくるだけ。本島でくり広げられた『赤松帰れ!』の騒ぎはウソのような『悲劇の島』二五回忌の慰霊祭-」

この新聞記事は、実に正直に、島民達が抗議団体の人達よりも冷静に、赤松隊の慰霊祭出席を受け入れていることを報道している。それはそうであろう。

命令はなかったのだから。そして、関係者は皆、放っておいて欲しかったのだ。

しかし『沖縄タイムス』は、こう書く。

・・・赤松氏の来島によって戦争の傷跡が鋭くえぐり出された。『いまさら傷にふれても仕方がない』と遺族の人達は言う。しかし筆者は、遺族にとっては酷な言い方であろうが、あえて言う。

傷痕から目をそらせず凝視してほしい。血を吐くような苦痛を伴うだろうが、その痛みに耐えてほしい。身悶えするような苦悩をするだろうが、それと真剣に戦ってほしい。

なぜなら、そこからしか真の反戦平和の思想は生まれてこない。戦争の傷痕こそ反戦闘争の原点であるから。(後略)」

真実より何より、反戦闘争ありきなのがよくわかる。ちなみに、曾野さん以外の多くの人が取材もせずに赤松元大尉の糾弾記事を書けたのは、元となる三つの資料があるからで、そのうちの一つはこの沖縄タイムス社編の『鉄の暴風』である。

このような「反戦」活動に熱心な、抗議団体やジャーナリスト、作家達が、赤松元大尉だけでなく、真実を知りながら口にできない島民の方々のことも苦しませてきたのだ。

引用終了

 

◆そして、その当時の渡嘉敷島の村長はこのような手記を書いていた。(昨日のエントリーより抜粋)

遺族会発足当時を想ふ     

渡嘉敷村遺族会長 玉井 喜八


(前略)  渡嘉敷島の戦闘状況とりわけ自決命令云々については、これまで文献等に記述されたが、島に残った人々は各自異なった体験を語っており、当時の混乱した状況が偲ばれるみみである。
 おもふに戦争の残した傷跡は簡単に償えるものではないが、個人が心の安らぎを得る機会は与えるべきであるとして、当時の隊長が慰霊供養のため島を訪問したいとの希望があり、遺族会に諮ったところ、当時の国策遂行のためになされた戦争行為であり、個人の意に副ふようにとのことで受入れをすることで一致した。ところが意外に村民以外の民主団体に来島を阻止され、他の隊員は島に渡ったが隊長は目的を果たすことができなかった。
 後で聞いた話では別の船をチャーターして渡嘉敷港の軍桟橋で弔花を届けて引返したとのことである。本人は既に故人となり、今にして思えばその当時、故人の望みをかなえてやれなかった事に心残りもあるが、時の社会状況からして止むを得ないことであった。
 昭和53年の33回忌は隊員との合同で行われた。慰霊祭に隊長夫人が参加し、村民や遺族と親しく語り合ったことが何よりの慰めになったことと思われる。
 3戦隊戦友会は、本村に駐留した復員者で組織された会で、村や遺族会と緊密な連携がなされ村民との融和がはかられている。学校の記念事業等に積極的に協力すると共に戦跡碑の設置塔を実施し、
村との信頼関係を確立している。
 昨年(平成6年3月28日)数え年による50回忌の慰霊行事を実施した。村民や遺族の他本土から戦友会員100余名参加して盛大に行われたその状況が、NHKのニュースで全国に放映されたことは最も印象に残ることである。
 

 昨年、戦友会員や隊員の遺族が大挙して島を訪れ50回忌の慰霊祭が行われた。その際に会を代表して皆本義博会長から永代供養基金として一金三百万円が村遺族会へ送られた、想えば当時紅顔の少年たちも既に70の坂を越しており会員は減少するのみである。この基金の果実により戦友会として今後の供花費用に充て永久に弔って行きたいといふ心づかいである。(略)

                   ◇

巷間流布する「神話」が、いかにデタラメであるかを知る上で、「昭和45年3月26日の那覇空港での出来事」は後世、メディアリテラシーの絶好の教科書として永遠に語り継がれるだろう。

発狂しそうになった老女は「赤松夫人や赤松元大尉の部下が大挙島を訪れた」のを知って、

「たたりじゃ!」とでも叫んで、

きっと狂死したのでしょうね。(爆)

 

【おまけ】

自分たちに都合の悪い人物が、島を訪れようとすると、ビラを配って「帰れ!」と罵り、いかにも島の「民意」のような素振りを演ずる・・・・それを沖縄タイムスが記事として報道。

どこかで見た光景だと思ったら、タイムスはこんなことをしていた。

沖縄タイムスさん!誤報事件の教訓って?

これもメディアリテラシーの教科書して永久保存版だね。

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集団自決、1970年3月27日沖タイ、捏造記事の出発点、赤松帰れ!県民の罵声 

2020-09-11 07:24:19 | ★改定版集団自決

 

 

沖縄戦「集団自決」の謎と真実
秦 郁彦
PHP研究所

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沖縄戦再検証のため過去ブログ沖縄戦を歪曲した沖縄タイムスの大罪2009-08-28 

を編集・再掲します。

                 ★

筆者は沖縄戦に関しては沖縄2紙の中でも特に、沖縄タイムスが多くのデマを流し沖縄戦を歪曲したことを書いてきた。

沖縄タイムス出生の秘密が米軍のプロパガンダとして、『鉄の暴風』の出版を目的として発刊された節があるからだ。

沖縄タイムスの歴史歪曲の罪は大きい。

『うらそえ文藝』が、過ちを訂正して謝罪せよと告発に踏み切ったのは、良識ある県民の意志を肌で感じたからであろう。

タイムスの沖縄戦歪曲を象徴する報道が二つある。

一つは1950年(昭和25年)に出版された『鉄の暴風』。

■沖縄タイムスが正体を現した象徴的記事

もう一つは『鉄の暴風』発刊の20年後、社会面のトップを飾った捏造記事である。

1970年3月27日付沖縄タイムスは社会面トップを次のような衝撃的見出しで飾った。

集団自決に関し、戦後一貫して沈黙を守っていた渡嘉敷島、座間味島の両隊長が、「自決命令をしていない」と積極的に発言し始めるのは、実はこの1970年の沖縄タイムス記事以降のことである。

勿論、座間味島の戦隊長梅澤裕氏は『鉄の暴風』の1980年改訂版発刊までは、死亡とされていたが、1980年度版以降「隊長梅沢少佐のごときは、のちに朝鮮人慰安婦らしきもの二人と不明死を遂げたことが判明した」などの侮辱的文言は一言の謝罪文もなく削除されている。

従って、梅澤氏の発言と赤松氏の発言には凡そ10年のタイムラグがある。

『鉄の暴風』については、多くの研究者がそのデタラメな内容を論じ尽くしているのでここでは省略し、今から約40年前の沖縄タイムス記事について触れてみよう。

1970年3月27日といえば、大江健三郎氏の『沖縄ノート』や曽野綾子氏の『ある神話の背景』の両誌もまだ発刊されておらず、『鉄の暴風』が沖縄戦のバイブルのようにいわれて時期である。

その日は渡嘉敷島で25回目の戦没者慰霊祭の当日で、沖縄タイムスは、前日の26日、慰霊祭に参列のため那覇空港に降り立った渡嘉敷島の元戦隊長赤松嘉次氏と空港で待ち受けた約40名の「抗議団」とのトラブルを大きく報じている。

その日1970年3月27日の沖縄タイムス社会面トップを飾った大見出しはこうだ。

忘れられぬ戦争の悪夢

<赤松元海軍大尉が来島>

空港に“怒りの声”

抗議のプラカードを掲げた抗議団。 それに取り囲まれた赤松氏の写真と共に、タイムスは約40名の抗議団の赤松氏に対する「怒りの声」を報じている。

1970年3月27日付沖縄タイムス
I「忘れられぬ戦争の悪夢  <赤松元海軍大尉が来島>  空港に“怒りの声”」の画像検索結果
 

赤松元陸軍大尉のことを、「元海軍大尉」と大見出しで事実誤認(実際は元陸軍大尉)を報じる沖縄タイムスの無知はさておき、その記事から「県民の声」を一部拾うとこうなる。

「赤松帰れ」

「今頃沖縄に来てなんになる」

「県民に謝罪しろ」

「300人の住民を死に追いやった責任をどうする」

慰霊祭には出てもらいたくない。 あなたが来島すること自体県民にとっては耐えがたいのだし、軍国主義を全く忘れてしまったとしか思えない。 現在の日本の右傾化を見ろ」

この紙面構成を見ると、読者は「(渡嘉敷村民を軍命で集団自決に追い込んだ)鬼の赤松の来県に抗議する渡嘉敷島の住民」という印象を刷り込まれてしまう。

わずか40名の左翼団体の抗議を、あたかも県民代表あるいは渡嘉敷住民の代表であるかのように報じた沖縄タイムスは沖縄戦を歪めた首謀者であり、その罪はきわめて重い。

実際はどうだったか。

実際の抗議団は那覇市職労を中心にした左翼団体であり、赤松氏に抗議文を突きつけたのも渡嘉敷村民ではなく那覇市職労の山田義時氏であった。

■渡嘉敷村民は赤松氏を歓迎していた

肝心の渡嘉敷村は赤松氏の慰霊祭出席を歓迎しており、村民を代表して玉井喜八村長が出迎えのため空港に出向いていたくらいだ。

『うらそえ文藝』編集長の星雅彦氏は、偶々そのときの那覇空港の「騒動」の一部始終を目撃していた。

結局赤松氏は那覇に足止めを食い、赤松氏と同行の元部下たち一行は那覇市松山の大門閣ホテルに一泊し、翌27日、船で渡嘉敷に向かうことになるが、星氏は同じ船に便乗し慰霊祭にも参加した。

星氏は偶然目撃した前日の空港での左翼団体の暴挙と、これを県民の意志であるかのように報道する地元マスコミの姿勢をみて、沖縄で流布する集団自決の「定説」にますます疑問を持つようになった。

星氏は元赤松隊一行と共に渡嘉敷に向かうが、船の中で赤松隊一行は持参の経文に書かれたお札のようなものを広げてずっとお経を唱え続け、渡嘉敷港が近づくと持参の花束とお経のお札を海に撒いていたという。

慰霊祭の最中に「赤松が上陸する」との知らせを受け、マスコミと「民主団体」が現場に飛んで行ったが、赤松氏は個人で舟をチャーターして島に接岸したが、結局弔文と花束を島民に託して上陸することなく島を去ったという。

■沖縄戦史を歪曲した記事■

1970年3月27日のタイムス記事は、以後沖縄戦史を「タイムス史観」ともいえる歪な方向へ県民を扇動ていくマイルストーン的役割りを果たすことになる。

先ず、この記事を見た県民は、

住民に自決を命じ、自分はおめおめと生き残った卑劣な鬼の赤松隊長を追い返す渡嘉敷住民

といった印象を強烈に刷り込まれることになる。

またこの記事を見た大江健三郎氏は作家としての想像力を強く刺激され、本人の述懐によると『鉄の暴雨風』などによる沖縄戦の即席勉強と共に、新川明氏らタイムス記者のブリーフィングによるにわか仕込みの知識で、現地取材もすることなく、作家としての想像力を駆使して『沖縄ノート』を書くことになる。

戦後起きた沖縄戦のセカンドレイプともいえる第二の悲劇は、まさに『鉄の暴風』に始まり、「1970年3月27日付タイムス記事」によって決定的になったいっても過言ではない。

■金城重明氏がメディアに初登場

そのときの記事には、金城重明氏が首里教会の牧師という肩書きでマスコミに初登場して証言しているが、金城氏はその後、集団自決の証言者の象徴として、マスコミ出演や著書出版、そして全国各地の講演会などで八面六臂の活躍をするのは周知のことである。

それでは、当時の渡嘉敷村民の真意はどうだったのか。

そのとき赤松氏を迎えるため空港で待ち受けていた玉井渡嘉敷村長は、後にその心境を渡嘉敷村のミニコミ誌で吐露している。(渡嘉敷村民が赤松氏を歓迎していた事実を、沖縄タイムスらマスコミは「不都合な真実」として決して報道しない。)

以下は、『終戦50周年祈念「いそとせ」』(沖縄県遺族連合会 平成7年12月30日発行)に寄稿された玉井元渡嘉敷村長の随想の一部抜粋である。

遺族会発足当時を想ふ     渡嘉敷村遺族会長 玉井 喜八

(略)
 遺族会発足当時は主として戦没者の援護法適用について、県当局や遺族連合会との連携をはかることが主な活動であった。
 幸いにして、国は島における戦闘状況に特殊事情があったとして理解を示し、戦没者全員が戦闘協力者として法の適用が認められたことは唯一の慰めであった。(略)
 渡嘉敷島の戦闘状況とりわけ自決命令云々については、これまで文献等に記述されたが、島に残った人々は各自異なった体験を語っており、当時の混乱した状況が偲ばれるのみである。
 おもふに戦争の残した傷跡は簡単に償えるものではないが、個人が心の安らぎを得る機会は与えるべきであるとして、当時の隊長が慰霊供養のため島を訪問したいとの希望があり、遺族会に諮ったところ、当時の国策遂行のためになされた戦争行為であり、個人の意に副ふようにとのことで受入れをすることで一致した。ところが意外に村民以外の民主団体に来島を阻止され、他の隊員は島に渡ったが隊長は目的を果たすことができなかった。
 後で聞いた話では別の船をチャーターして渡嘉敷港の軍桟橋で弔花を届けて引返したとのことである。本人は既に故人となり、今にして思えばその当時、故人の望みをかなえてやれなかった事に心残りもあるが、時の社会状況からして止むを得ないことであった
 昭和53年の33回忌は隊員との合同で行われた。慰霊祭に隊長夫人が参加し、村民や遺族と親しく語り合ったことが何よりの慰めになったことと思われる。
 3戦隊戦友会は、本村に駐留した復員者で組織された会で、村や遺族会と緊密な連携がなされ村民との融和がはかられている。学校の記念事業等に積極的に協力すると共に戦跡碑の設置塔を実施し、村との信頼関係を確立している。(略)
 昨年、戦友会員や隊員の遺族が大挙して島を訪れ50回忌の慰霊祭が行われた。その際に会を代表して皆本義博会長から永代供養基金として一金三百万円が村遺族会へ送られた、想えば当時紅顔の少年たちも既に70の坂を越しており会員は減少するのみである。この基金の果実により戦友会として今後の供花費用に充て永久に弔って行きたいといふ心づかいである。

引用者注
玉井喜八⇒1921年10月生まれ1953年12月17日33歳で渡嘉敷村長就任。以後32年間1985年12月まで村長の職にあった。2000年8月79歳で没

3戦隊戦友会⇒赤松隊戦友会

赤松氏の慰霊祭参加を歓迎する村民を代表して、那覇空港に出迎えた玉井村長は「村民外の『民主団体』」が来島を阻止したことに驚きを隠せないようだが、

33回忌には赤松夫人が参加し、村民や遺族と親しく語り合ったことを喜んでいるようである。

沖縄タイムスは村民と元隊員とは敵同士であるかのような報道しかしないが、赤松隊員と村民の信頼関係が深いことが記述されているし、手榴弾証言の富山眞順氏は別のミニコミ誌で、本土旅行の際は元赤松隊員に連絡し、空港等に迎えに来てもらい、一緒に観光するといった元赤松隊員との和気あいあいとした交流の模様を寄稿している。

これらは沖縄タイムスには決して載ることのない村民の本音であり、村内でのみ読まれるミニコミ誌にのみ掲載されている。

赤松氏がマスコミに初登場するのは、上記1970年の沖縄タイムス記事の二年前の1968年発行の週刊新潮4月6日号誌上であるが、

そのときは「部下を戦死させたのに生き残った卑怯な隊長」、

あるいは「スパイ容疑で住民虐殺した残虐な隊長」という主旨の追及に答えている。

「住民虐殺」については、意外にもその事実をあっさり認めている。 

だが「集団自決の隊長命令」については記者の質問もなければ、当然赤松氏の言及もない。

ところが週刊新潮の記事を見た琉球新報の関西支局が、赤松氏を神戸市加古川の自宅を訪れ、そのインタビュー記事を同年4月6日付けで掲載した。

その琉球新報記事で、記者の

「集団自決は命令したのか」との質問を受け、

赤松氏は「絶対に命令したものではない。自決のあったあとで報告を受けた」と答えている。

ところが、前記1970年の那覇空港における「鬼の赤松vs渡嘉敷村民」という印象操作記事以降、

赤松氏は「軍命は出していない」と自ら積極的に発言するようになる。

その後、奇しくも『鉄の暴風』が梅澤氏の「死亡記事」を密かに削除した1980年(昭和55年)の初頭、赤松氏は無念のまま没する。

実弟の赤松秀一氏がその意志を継いで梅澤氏と共に、「集団自決訴訟」を起こしたことは周知のことである。

【おまけ】

1970(昭和45年)3月26日、赤松氏が那覇空港で、左翼集団に取り囲まれて渡嘉敷島には渡ることを阻止されたことは再三書いたが、親族関係者の話で次のことも判明した。

赤松氏は、空港で、抗議集団にもみくちゃにされ、背広のボタンも引きちぎられる酷い有様だったという。

このような激しい抗議に遭って赤松氏は、普通の定期船では到底渡嘉敷島に渡ることができないと判断し、渡嘉敷行きは諦めかけていた。

ところが、翌慰霊祭当日、伊礼蓉子氏(旧姓古波蔵、戦時中、渡嘉敷村女子青年団長)のご主人が、迎えに来てくれ舟を出してくれた。

たが、結局、赤松氏はさらなる騒動を避け、島には渡ることはせず、島の入り口まで行って、慰霊祭への花束だけを村民に託したという。

渡嘉敷の住民は赤松氏の来島を大変歓迎していたが、マスコミや抗議集団との混乱を避けるため渡嘉敷上陸は断念した。

なお、伊礼蓉子氏の娘さんは、赤松氏宅にも訪問したことがあり、赤松氏の家族と今も交流が続いているという。 
     
この事件を、沖縄タイムスをはじめ全国の新聞、雑誌が騒ぎ立てて、これを機に赤松氏の悪評が一気に広がった。

赤松氏の地元では、地元紙である神戸新聞の記事を見た人が多く、赤松氏の長女は後にクラスメートからこのことを教えられたという。 

なお、赤松氏を渡嘉敷に送る舟を手配した伊礼蓉子氏(旧姓古波蔵)は、星雅彦氏の手記「沖縄は日本兵に何をされたか」(雑誌「潮」1971年11月号に掲載)の中で証言者として登場している。

村の指導者たちやその家族や防衛隊の幾人かは、そろって無事で、その集団にまじっていた。みんなひどく興奮していて、狂人のようになっていた。村長は狂ったように逆上して「女子供は足手まといになるから殺してしまえ。早く軍から機関銃を借りてこい!」と叫んだ。その意志を率直に受けて、防衛隊長の屋比久孟祥と役場の兵事主任の新城真順は、集団より先がけて日本軍陣地に駆けこみ、「足手まといになる住民を撃ち殺すから、機関銃を貸してほしい」と願い出て、赤松隊長から「そんな武器は持ち合わせてない」とどなりつけられた。(注・比嘉喜順、伊礼蓉子らの証言。その点、米田惟好は米軍に決死の戦闘を挑むつもりだったと、異議を申し立てている)(雑誌「潮」1971年11月号・星雅彦)》

 

赤松氏は当時の渡嘉敷村長の了解の下に沖縄訪問をしたわけだから「“大規模な歓迎”を受けたと、抗議が意外だった心情を吐露している」という赤松氏の心情は事実であった。

赤松氏に罵声を浴びせる組合員の中には赤松氏を出迎えにきた玉井喜八渡嘉敷村長がいた。

組合員の暴力的な実力行使で、結局赤松氏は慰霊祭に参加を断念するが、玉井村長は次のようなコメントを沖縄タイムスに伝えている。

「赤松氏は三年ほど前から慰霊祭に出席したいと連絡していた。ことしも村から慰霊祭のスケジュールを送ったらぜひ行きたいという返事があり、喜んでいたところだ。」 

集団自決論争が問題解決を困難にしている理由は次の点にある。

①「事件」が60数年前のことであり、体験者はほとんどが物故している。

②数少ない証言も、当時子供だった証人の曖昧な証言に頼らざるを得ない。

③物的証拠は一つもなく、証言あるいは証言記録のみを証拠としているの。

④意識的嘘の証言は論外としても、証言の「思い違い、記憶違い」等も考慮に入れなければならぬ。

これらに親族、地域社会などの人間関係、経済的要素の呪縛や、イデオロギーの呪縛が絡むと証言の信憑性の検証はますます難しくなる。

2007年の「11万人集会」の前後、沖縄紙は夥しい数の証言者を紙面に登場させ、連日「体験者証言」と大々的に報じたが、そのほとんどが、「毒おにぎり証言」の例のように客観的検証に耐える証言ではなかった。

卑近な例で、意図せざる「記録の過ち」を一つ例示しておこう。

玉井喜八渡嘉敷村村長がミニコミ誌に寄稿した『遺族会発足当時を想う』と題する手記の中に、玉井村長の記憶違いが見られる。

手記はここ⇒沖縄戦を歪曲した沖縄タイムスの大罪

同手記には昭和53年赤松夫人が三十三回忌の慰霊祭に渡嘉敷訪問したとある

だが、これは玉井村長の記憶違いで、赤松夫人が慰霊祭に参加したのは昭和53年ではなく、正確には昭和59年に戦隊員や遺族の方々に同行し、赤松氏の遺品を寄贈したという。

これは赤松氏の遺族関係者からご指摘を受けた。

玉井村長のような重要人物でさえこのような記憶違いを手記に書くくらいだから、故人が残した証言の記録が全て正しいとは限らず検証が必要なことは言うまでも無い。

実際に赤松夫人が渡嘉敷島を訪れたのは、手記にある昭和53年ではなく、昭和59年であるというから、赤松夫人は次の記念写真のどこかに写っているものと思われる。

元赤松隊の一行

和やかに記念撮影に収まる元赤松隊の一行

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コメント (5)

琉球新報「基地上空のドローン飛行を許可制にしたのは憲法違反だ!戦前の日本を彷彿とさせる」

2020-09-10 19:09:50 | マスコミ批判

 

琉球新報「基地上空のドローン飛行を許可制にしたのは憲法違反だ!戦前の日本を彷彿とさせる」

  •  
1: 名無しです 2020/09/10(木) 12:00:43.68 ID:7MUoLpEC0● BE:844481327-PLT(13345)
<社説>ドローン取材規制 基地の実態伝えられない

戦争中の広島県呉市を描いたアニメ映画「この世界の片隅に」で、絵が好きな主人公すずが段々畑から見える呉湾をスケッチしていると、憲兵にスパイ行為だと厳しく言い寄られる場面がある。呉は軍港である。
海岸線の写生や写真撮影は禁止されていた。

アニメが舞台にした時代の日本を彷彿(ほうふつ)とさせる法律が改正ドローン規制法だ。
テロ防止などを理由に、6日から米軍基地やその周辺で小型無人機(ドローン)による飛行が原則禁止された。同時にドローンを飛ばす場合、30日前までに米軍の同意が必要になる。
これでは基地内で発生した出来事に対応できず報道の自由が侵害される。
国民の知る権利に応える報道は、高い公共性を有し、憲法によって保障されている。
取材規制によって、国民に基地の実態が伝えられなくなる。知る権利を侵害しないよう法律の改正を強く求める。

以下ソースで
https://ryukyushimpo.jp/editorial/entry-1187901.html

引用元: ・https://hayabusa9.5ch.net/test/read.cgi/news/1599706843/

 
8: 名無しです 2020/09/10(木) 12:03:23.98 ID:ORNBcJ4n0
琉球新報の会社内でドローン飛ばしてもいいってことか?

9: 名無しです 2020/09/10(木) 12:03:26.22 ID:wbyX3Ddv0
防衛って言葉の意味わかってるか?

11: 名無しです 2020/09/10(木) 12:04:00.82 ID:3nWLxlRm0
今まで許可なしだったことが驚き

12: 名無しです 2020/09/10(木) 12:04:01.56 ID:0ZmI2s5s0
個人の知る権利と軍事情報という国益を理性をもって天秤にかけられないのは悲しいね

14: 名無しです 2020/09/10(木) 12:04:50.01 ID:lJU3aa6z0
中国行ってドローン飛ばして軍事施設の取材してみて

15: 名無しです 2020/09/10(木) 12:04:56.43 ID:pFhgBufF0
スクランブル発進した飛行機にぶつける気だな

21: 名無しです 2020/09/10(木) 12:07:30.35 ID:7c4yuAfn0
沖縄が親中になっても相手は親沖縄にはならんぞ。

24: 名無しです 2020/09/10(木) 12:09:36.78 ID:GLxqXSso0
戦前って湾岸戦争ですか
それともイラク戦争ですか

25: 名無しです 2020/09/10(木) 12:09:39.22 ID:UoBuv7hQ0
当たり前だ。
軍事基地上空撮影など許されない。

35: 名無しです 2020/09/10(木) 12:11:15.34 ID:jtJiAKaY0
国内だと許可なしで飛ばせる所の方が例外的だろう
何で基地だけ無許可にできると思ったんだ?

36: 名無しです 2020/09/10(木) 12:11:24.49 ID:Ec3KS5on0
琉球新報の敷地内はドローン飛ばし放題だってさ

38: 名無しです 2020/09/10(木) 12:12:01.40 ID:vcPA2hGx0
基地じゃなくても空港周りで勝手にドローン飛ばすなんて危なすぎだろ

40: 名無しです 2020/09/10(木) 12:15:08.43 ID:ax6/BU9D0
今時無許可で飛ばせるところの方が少ないわ

43: 名無しです 2020/09/10(木) 12:16:46.26 ID:JFvfYJcF0
中国で同じ事やってきたら言い分を聞いてやる

45: 名無しです 2020/09/10(木) 12:17:24.89 ID:zP0mm2S30
琉球新報の社内は誰でも立ち入りできるってこと?

47: 名無しです 2020/09/10(木) 12:17:51.26 ID:uhLW4fFj0
スパイですって自白してんのか

68: 名無しです 2020/09/10(木) 12:24:58.55 ID:EMbGjnDx0
てか軍とか以前の問題じゃねこれって
民間の空港だって駄目だろ

しかも米軍が同意すりゃ飛ばしていいんだし

72: 名無しです 2020/09/10(木) 12:26:45.93 ID:BlS8orS/0
もう工作機関である事を隠そうともしないなw

77: 名無しです 2020/09/10(木) 12:30:34.10 ID:UbT4lP9N0
スパイ防止法急げ

78: 名無しです 2020/09/10(木) 12:30:35.60 ID:q4G+szBG0
報道の自由って言ったら何でも許されるって思ってる内容だなww

109: 名無しです 2020/09/10(木) 12:53:34.12 ID:NAXubUVW0
支那からそう書けって指示されたのかな?

110: 名無しです 2020/09/10(木) 12:53:35.81 ID:1ad2eOmD0
琉球本社をずっと監視するドローン飛ばしてやれば?

56: 名無しです 2020/09/10(木) 12:20:26.16 ID:hGK05qXY0
堂々とスパイ活動させろと言うのがすごい

コメント

    • 1. qqq 
    • 2020年09月10日 17:34
    • 規制して当然だが?w(唾)
    • 2.   
    • 2020年09月10日 17:40
    • キ〇ガイに刃物
      改め
      キ〇ガイにジャーナリズム
    • 3. ななし 
    • 2020年09月10日 17:40
    • すずさんと違って、ガチのスパイの問題じゃん
    • 4. あ 
    • 2020年09月10日 17:41
    • こんな誰でもわかるような事でも正しい認識出来ないとかどれだけカス記者なんだよw
    • 5. 名無しさん 
    • 2020年09月10日 17:41
    • 意味が判らない。
      中国や米で同じ事をやってみなよ。
    • 6.   
    • 2020年09月10日 17:46
    • 許可とればええだけやん(笑)
    • 7. 名無しさん 
    • 2020年09月10日 17:49
    • あのな琉球新報の記者よw
      ドローン規制では下記が規制対象だw
      (A) 空港等の周辺(進入表面等) の上空の空域。
      これが基地だな?
      ただそれと同じ禁止区域に
      (C) 人口集中地区の上空
      ってのがあってな。
      普天間基地の周りの宜野湾市はこれにあたるんだがw
      どっちも許可取ればいいだけだw
    • 8. 名無しさん 
    • 2020年09月10日 17:51
    • 「知る権利」が「どこでも好きにラジコン飛ばしてもいい権利」になるのはパヨクの脳内だけだよ
    • 9.   
    • 2020年09月10日 17:58
    • しっかしこいつら、ヒトラーとか戦前って言葉使わんと記事も書けないのか?
    • 10. ん 
    • 2020年09月10日 17:59
    • 軍事機密盗む気満々でワロタwww
    • 11. 
    • 2020年09月10日 18:00
    • あーはいはい。しねばいいのに。
    • 12. ななし 
    • 2020年09月10日 18:18
    • 中国のスパイ活動に加担するつもりかw
    • 13.   
    • 2020年09月10日 18:18
    • ・・・バカなの???
    • 14. 名無しさん 
    • 2020年09月10日 18:24
    • ヘイト規制法案は憲法違反なんですけどね(笑)
    • 15. ななし 
    • 2020年09月10日 18:37
    • オスプレイの住宅街上空の飛行も許さないとw
    • 16.   
    • 2020年09月10日 18:59
    • 本当に沖縄2新聞に腹が立つ、本当に逮捕して欲しい。

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コメント (3)

集団自決、カミングアウトする加害者たち

2020-09-10 07:13:42 | ★改定版集団自決

 

沖縄戦の再検証のため過去ブログカミングアウトする加害者たち2008-06-17 

を一部編集して再掲します。

               ★

集団自決の証言者で、本人や身内のものが「殺人者」だったことを実名を出して告白する人は、

金城重明氏の他には見当たらなかった。

だが、控訴審を一ヶ月後に控えた5月25日の沖縄タイムス記事で、宮城晴美氏は、自分の祖父が「人殺し」であったことを告白した。

どういう作戦の変化があったのか、

今朝の沖縄タイムスは一面トップで「義父が身内を殺した」事実を告白する証言が掲載された。

集団自決訴訟の控訴審を2週間後に控え、これが沖縄タイムスの被告側に対する本格的援護射撃なのか。

今朝の朝刊の一面トップに、その特集記事を持ってきた。

刻む  沖縄戦「集団自決」

このワッペン記事の第一回。

沖縄タイムスは「第一部 語りだす人々①」の最後を次のように結んで、この裁判に対する“当事者”としての並々ならぬ決意を表現している。

この国では沖縄戦や「集団自決」を美化する動きがある。 軍の強制を示す記述を削除させた文部科学省の検定意見は撤回されず、元戦隊長らが提訴した訴訟の控訴審が始まる。 沖縄戦をどう刻み、次代に継承するか、悲惨な体験を語り、伝え、動き出した人を追う。>

よく言われることではあるが、現在の感覚で過去を判断すると歴史を誤る。

平和な時代に生きる我々にとって、手榴弾という軍用品は、手にすることはおろか、見る機会さえなく一生を終える人がほとんどだろう。

集団自決が発生した当時は、米軍上陸を直前にした、戦時中でも最も緊迫した空気が流れていた時期である。

しかも島に駐屯していた軍人たちは島の民家に分宿しており、手榴弾などの軍備品は、現在よりはるか身近な存在だったはずだ。

しかも住民の中には防衛隊員として対米軍上陸に備えあらかじめ手榴弾の支給を受けていた。

そして、「戦後民主主義」の洗礼を受けて育った深見裁判長は、軍用品である手榴弾による自決を「深い軍の関与」とした。

沖縄タイムスなどの地元マスコミは、「軍用品⇒手榴弾⇒住民への支給⇒軍の関与⇒軍の強制」という公式で隊長命令を喧伝している。

だが、軍の命令で手榴弾が住民に配布されたという証言は全てが伝聞証言であり、推定の域を出た客観的証言は皆無である。

何よりも、手榴弾を入手出来た「幸運な人」は住民の一部であり、集団自決実行者のほとんどが農具やカミソリ、棍棒といった軍用品とは関係ないもので実行している。

座間味島の場合は、手榴弾で死んだ人は数人であり、それも他の人が誤って放り投げた手榴弾が、偶々傍に落ちての不幸な誤爆死だったという。(宮平秀幸さん談)

さらに「幸いにも」手榴弾を手に出来た人も、その使用方法が分からず不発だった例が多い。

手榴弾の支給が軍の正式な命令で行われていたとしたら、使用法も良く周知させずに貴重な軍備品を配布したことになり、当時の物資不足の状況から考えると「軍命説」は説得力に欠ける。

この辺で「集団自決=手榴弾=軍の強制」という公式を再検討してみる必要がある。

さて、タイムスの一面トップに戻るが、特集記事の見出しは次のようになっている。

幼子抱え「玉砕場」へ

夜道を義父らと7人で

手榴弾不発 死に方探す

「二度とあんなことは」

今回証言をしたのは渡嘉敷村の阿波連ビーチで売店を営む内原静子さん(82)。

当時19歳の静子さんは10ヶ月の長男を抱え、区長で地域のリーダーであった義父の家に住んでいた。

どのように命令が出たのかよく分からないが、身を寄せていた義父は区長で、地域のリーダーとして早く動き始めたようだ。 「渡嘉敷にいかないと大変」と義父に言われ、義母とその娘3人、静子さん母子の7人でよるの山道を急いだ。 「捕虜になったら強姦され、男もひどい目に遭わされ殺される」とずっと聞かされていた。 米軍に捕まるわけにはいかない。

今では玉砕場と呼ばれる場所で村長が「天皇陛下万歳」と叫び、あちこちで

手榴弾が爆発した。 が、静子さんたちが囲んだ義父の手榴弾は不発だった。 人々は切羽詰まり死に方を探した。  「信管を抜いてにおいをかいだり、なめてみたり。 どうしたらしねるかねって・・・」。 隣では、男性が家族の首を一人ずつ、ひもで絞め殺していた。 

義父は、いつの間にか立ち木を切った太い棒を、義母や娘たちに振り下ろしていた。 静子さんは待ちきれず「私も子供も、早く殺して・・・」と懇願。、義父の手が伸び、気を失った。 その後、義父はどうやって命を断ったか分からない。 

7人家族のうち、静子さん母子と末娘の三人が生き延びた。

「義父は、まだ幼い孫と末娘を強く打てなかったのだと思う」と静子さんは述懐する。

自分の妻や子を手にかけた義父は「どうやって命を断ったかはわからない」が、結局自分の命も断って果てた。

誤解を恐れず言わしてもらうと、ある意味で義父は「自決」に成功して幸いだったのだろう。

自分の肉親を手にかけていながら自分は生き残っていたら、

もっと悲惨な人生を過ごしたのかもしれない。

そう、自分の肉親はおろか他人の命にまで手にかけていながら、自分は生き残ってしまい、「軍の命令で仕方なかった」と言い続けている金城重明氏の心の内は理解できなくもない。

だが金城氏は当時未だ少年であり、静子さんの義父のような地域のリーダーではなかったから、いくらかは贖罪意識から救われる。

静子さんの義父のように区長として地域のリーダーであって、尚且つ生き残っていたら悲惨な人生だったことは予測できる。

だが、区長どころか村のリーダーたる村長として、住民を自決に導き、尚且つ本人が生き残っていたとしたらその罪の意識は常人の想像に絶するものがあっただろう。

静子さんの証言にも出てくる「天皇陛下万歳」を叫んで、

住民を自決に追い込んだ古波蔵村長は、幸か不幸か、生き残ってしまった。

戦後古波蔵から米田に改姓した村長こそ、最も「軍の命令」が必要だと思った人かもしれない。

そんな非人間的命令を発するには「鬼の赤松」の存在がどうしても必要だったのだ。

米田村長の証言には村のリーダーでありながら判断を誤った男の苦渋が滲んでいる。

渡嘉敷村長の証言 
                                                       米田(?歳・村長)
 集団自決

    私たちは、米軍が上陸すると恩納川原に向っていた。恩納川原には恰好な陰れ場所があった。また一つ山越せば頼みとする日本軍が陣どっていた。恩納川の下流は細く二手に分れていて、左右は絶壁である。
 ここからは、米軍は上っては来れまい。この谷間は全体が完全に死角になっていて、そこには十・十空襲後、村では、唯一の隠れ場所として小屋も二、三棟建ててあった。

 安里喜順巡査が恩納川原に来て、今着いたばかりの人たちに、赤松の命令で、村民は全員、直ちに、陣地の裏側の盆地に集合するようにと、いうことであった。盆地はかん木に覆われてはいたが、身を隠す所ではないはずだと思ったが、命令とあらばと、私は村民をせかせて、盆地へ行った。
  まさに、米軍は、西山陣地千メートルまで追っていた。赤松の命令は、村民を救う何か得策かも知らないと、私は心の底ではそう思っていた。

 上流へのぼって行くと、私たちは、そこで陣地から飛び出して来た防衛隊員と合流した。その時米軍はA高地を占領し、そこから機関銃を乱射して、私たちの行く手を拒んでいるようであった。

 上流へのぼると、渡嘉敷は全体が火の海となって見えた。ぞれでも艦砲や迫撃砲は執拗に撃ち込まれていた。盆地へ着くと、村民はわいわい騒いでいた。
 集団自決はその時始まった。防衛隊員の持って来た手榴弾があちこちで爆発していた。(略)

    私は防衛隊員から貰った手榴弾を持って、妻子、親戚を集め信管を抜いた。私の手榴弾はいっこうに発火しなかった。村長という立場の手まえ、立派に死んでみせようと、パカッと叩いては、ふところに入れるのですが、無駄にそれをくり返すだけで死にきれない。
  周囲では、発火して、そり返っている者や、わんわん泣いている者やら、ひょいと頭を上げて見ると、村民一人びとりがいたずらでもしているように、死を急いでいた。そして私は第三者のように、ヒステリックに、パカバカ手榴弾を発火させるために、叩いていた。

  その時、迫撃砲は私たちを狙っていた。私は死にきれない。親戚の者が盛んに私をせかしていた。私は全身に血と涙をあびていた。すぐうしろには、数個の死体がころがっていた。

  私は起き上って、一応このことを赤松に報告しようと陣地に向った。私について、死にきれない村民が、陣地になだれ込んでいた。それを、抜刀した将校が阻止していた。着剣した小銃の先っぼは騒いでいる村民に向けられ、発砲の音も聞こえた。白刃の将校は、作戦のじゃまだから陣地に来るな、と刀を振り上げていた。

  (略)  私自身、自殺出来ないことが大変苦痛であった。死ぬことが唯一の希望でもあったが、私は村長の職責をやっぱり意識していた。今に、日本軍が救いに来るから、それまで、頑張ろうと生き残った人たちを前に演説していた。

 (略)  私には、問題が残る。二、三〇名の防衛隊員がどうして一度に持ち場を離れて、盆地に村民と合流したか。集団脱走なのか。防衛隊員の持って来た手榴弾が、直接自決にむすびついているだけに、問題が残る。私自身手榴弾を、防衛隊員の手から渡されていた。

  この問題を残したから、死に場を失って、赤松隊と自決しそこなった村民とがこの島で、苦しい永い生活を続けることになった。

 赤松と私

 集団自決以後、赤松が私に対する態度はいよいよ露骨に、ヒステリー症状を表わしていた。私を呼びつけ、命令ということを云い、おもむろに腰から軍刀をはずし、テーブルの上に、右手で差し出すように立って、「我が国の軍隊は…」と軍人勅諭をひとくさり唱えて、今日只今から村民は牛馬豚のを禁止する、もし違反する者は、処刑すると云い放っていた。

                                                 (「沖縄県史10巻」から)

村長という村のリーダーの最高責任者でありながら判断を誤って、集団自決というとんでもない悲劇に村民を導き、しかも自分は生き残ってしまった。 

村長の責任感が強ければ強いほど、その反動としての贖罪意識は深く大きい。

その分だけ「鬼の赤松」の存在は必要であり、上記証言の最後の部分にも村長が求める「鬼の赤松」の片鱗が見え隠れする。

上記証言で、死に切れなかった村長が

今に、日本軍が救いに来るから、それまで、頑張ろうと生き残った人たちを前に演説していた

というくだりは村民に死を強制する残虐非道な日本軍とはどうしても重ならないし、

死に切れなかった村長や村民が軍基地に押しかけて「殺してくれ」と迫るくだりも、

軍は、圧倒的敵の艦砲射撃の前になす術を知らず、住民の集団自決にかまっておれる状況ではなかったことが伺える。

「軍隊は住民を守らない」は左翼の合言葉になっているが、彼らは守備隊の装備をしていない特攻隊でありとても守れる状態ではなかったのが真相だろう。

そのような状況では住民の行動は村のリーダーたちが自発的に決めていたのではないか。

米軍が座間味、渡嘉敷両島に殺到して猛攻撃を開始する約二ヶ月前の「沖縄新報」(昭和19年12月8日)に次のような記事がある。

けふ大詔奉戴日

軍民一如  叡慮に応え奉らん

一人十殺の闘魂

布かう滅敵待機の陣

戦時の新聞なので見出しと記事がやたらと勇ましいのは何処の新聞も同じだが、

沖縄新報の見出しによると、特に昭和19年の大詔奉戴日は10月10日の那覇大空襲の後だけに、

県庁、県食料営団、県農業会などの各団体が主催して沖縄各地で関連行事が行われた様子が報じられている。

ちなみに大詔奉戴日とは日米開戦の日に日本各地の行政機関を中心に行われた開戦記念日のことをいう。

真珠湾攻撃の翌月の1942年1月8日から、戦争の目的完遂を国民に浸透させるために、毎月8日が記念日とされた。

そして、同記事では「鬼畜米英」についても各界の体験者の談話を交えて、次のような大見出しを使っている。

米獣を衝く  暴戻と物量の敵を撃て

お題目で獣性偽装

野望達成で手段選ばぬ

昔も今も新聞が国民を扇動するのは同じこと。

新聞が舞い上がって県民を鼓舞しているのが分かる記事だが、慶良間島からも県庁で行われた「大詔奉戴日」式典には島のリーダーたちが参加している。

村長を始め村のリーダーたちはこの雰囲気に煽られて、島に帰った後数ヶ月で目前に迫った米軍上陸にパニックを起こし判断を誤ったのではないのか。

島のリーダーたちにとって、「鬼畜米英」の話は単なる新聞記事の見出しだけではなく、その数ヶ月まえの7月ににサイパン陥落の際、鬼畜米兵から逃れた多くの日本人が、崖から身を投げた「集団自決」があり、その大部分は慶良間出身の沖縄県人であったという。 

米軍の投勧告に従って投降した婦女子の悲劇を世界日報は次のように帰している。

<「虐待しない」という米軍の宣伝を信じて投降した婦女子が全員素っ裸にされてトラックで連行された。 老人子供は火の海に投げ込まれた。 発見された赤ん坊は両足から真っ二つに引き裂かれて火の中へ投げ込まれた、という目撃証言もある。 不運にも犠牲者の半数以上が沖縄出身者であり、しかも慶良間諸島(座間味、渡嘉敷)の多かったとされる。 米英はまさに『鬼畜』として受け止められていたのである。>(Sunday世界日報 2008年3月30日)

そう、座間味、渡嘉敷両島の集団自決は、島中を米艦隊に取り囲まれ逃げ場を失った住民に対し、「鬼畜米英」の恐怖を「体験者から」じかに聞いた島のリーダーが判断を誤って起こした悲劇であった。

そして、生き残った生存者は贖罪意識から「軍の命令」を必要とした。

後に、「援護法」の問題が起きると、更に「軍の命令」は島全体にとって必要かくべかざるもの担っていく。

そして、真相を語ることはいつしか島のタブーとなっていった。

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「もうやめなさい!」 パニックに瀕した長老たちの悲劇

2020-09-09 15:28:17 | ★改定版集団自決

 

沖縄戦の再検証のため過去ブログ「もうやめなさい!」 パニックに瀕した長老たちの悲劇2008-07-14 

を一部編集して再掲します。

               ★

昭和61年沖縄で開催された「海邦国体」は、全国1巡目の最後の国体であった。

その翌年の昭和62年、2巡目のトップとして「京都国体」開催された。

前年の沖縄国体の熱がまだ覚めやらなかったのか、沖縄の老人会グループが郷土の選手団の応援に京都国体を訪れた。

その中の一人の座間味島の戦争体験者の長老がいた。

長老は、戦時中座間味島に駐屯していた旧軍人を訪ね、懐かしい昔話に花を咲かせた。

そのときの長老の談話が聞き取りされている。

「昭和19年の11月3日か12月8日のこと、(日付がどちらかは不明確)那覇市の護国神社で決起大会があり、そこで在郷軍人(沖縄出身の武勲者)たちが主となって、県民鼓舞の大演説をぶち上げた。 中でも印象に残ったのが直前まで那覇市長を勤めていたT氏は演壇で日本刀を振りかざし、『米軍が来たら、戦国時代の落城と同じ、女子供は自決させるべし』と演説をし、『決議』となり、それを参加していた座間味村三役がそれを帰島後、村民に伝えた」

座間味島に駐屯していた軍人たちはこの民間主導の決起大会には参加しておらず、この事実も戦後40数年を経ってから京都国体に応援に来ていた島の長老から初めて聞かされた事実だったのだ。 ちなみに抜刀して大演説したT氏とは戦後、米軍民政府に琉球政府の主席に任命された人物だという。

試しに昭和19年の11月3日前後と、12月8日前後の「沖縄新報」を調べてみたら、11月3日前後の新聞自体が県立図書館などには保存されていないが、12月8日付けの新聞は保存されていた。

以下は過去エントリー「カミングアウトする加害者たち」よりの一部抜粋です。

 

米軍が座間味、渡嘉敷両島に殺到して猛攻撃を開始する約二ヶ月前の「沖縄新報」(昭和19年12月8日)に次のような記事がある。

けふ大詔奉戴日

軍民一如  叡慮に応え奉らん

一人十殺の闘魂

布かう滅敵待機の陣

戦時の新聞なので見出しと記事がやたらと勇ましいのは何処の新聞も同じだが、

沖縄新報の見出しによると、特に昭和19年の大詔奉戴日は10月10日の那覇大空襲の後だけに、

県庁、県食料営団、県農業会などの各団体が主催して沖縄各地で関連行事が行われた様子が報じられている。

ちなみに大詔奉戴日とは日米開戦の日に日本各地の行政機関を中心に行われた開戦記念日のことをいう。

真珠湾攻撃の翌月の1942年1月8日から、戦争の目的完遂を国民に浸透させるために、毎月8日が記念日とされた。

そして、同記事では「鬼畜米英」についても各界の体験者の談話を交えて、次のような大見出しを使っている。

米獣を衝く  暴戻と物量の敵を撃て

お題目で獣性偽装

野望達成で手段選ばぬ

昔も今も新聞が国民を扇動するのは同じこと。

新聞が舞い上がって県民を鼓舞しているのが分かる記事だが、慶良間島からも県庁で行われた「大詔奉戴日」式典には島のリーダーたちが参加している。

村長を始め村のリーダーたちはこの雰囲気に煽られて、島に帰った後数ヶ月で目前に迫った米軍上陸にパニックを起こし判断を誤ったのではないのか。

島のリーダーたちにとって、「鬼畜米英」の話は単なる新聞記事の見出しだけではなく、その数ヶ月まえの7月ににサイパン陥落の際、鬼畜米兵から逃れた多くの日本人が、崖から身を投げた「集団自決」があり、その大部分は慶良間出身の沖縄県人であったという。

                  ◇

「集団自決は軍の居た所にのみ発生した」という「軍命あり派」の主張は読谷村チビチリガマやその他の例で否定されている。

集団自決実行の分岐点は避難時のグループリーダーの判断の如何だった述べた。

自決実行の間一髪。

子供の泣き声で我に返ったリーダーの一瞬の判断で集団自決を免れたグループ。

その目撃談を紹介しよう。

座間味国民学校上級生(今の中学2年生)の宮里米子の体験談である。

忠魂碑の前に集まった宮里米子の家族は敵の砲弾を受けて逃げ惑う。

<『潮だまりの魚たち』クリエイティブ21刊より引用

轟く艦砲の恐怖と寒さに震えながら、米子の家族は避難所を探して近くの山を目指して歩いていきました。 丘の斜面を登っている途中、砲弾のうなり声の合間から、ひそひそと人の声がもれてくるのに気がつきました。話がよく聞き取れないので、敵か見方かはっきり分かりません。おそるおそる声の方に近づいていきました。そして気づかれないように、雑木の間からのぞいてみました。すると、月明かりの下でひとつの家族が寄り添っているのが目に止まりました。年寄りと子供たちのようでした。うつむいた人たちの髪に雲間からもれてくる月が淡くさしています。 そしてすぐ側に銃を持った一人の兵隊が立っていました。米子は「どうするんだろう」と、息を殺して見ていました。長い沈黙をやぶったのは、群れの中の男性の悲壮な声でした。

「トー、ナマヤシガ(さー!今だよ)」

するとその日本兵はおもむろに家族の方に銃を構えました。腰には弾丸を詰めたベルトが重そうに巻かれています。銃身が月影に鈍く光ります。引き金に指をかけた時、一人の子が緊張に耐えられなくなったのか、突然わめき出しました。その瞬間、兵隊の指が引き金から離れました。泣き出した子どもは抱きしめている母親の両腕から抜け出ようと、もがきます。 母親も泣き声でさとしながら必死になって止めています。突然、この親子の姿を見ていたおばぁさんらしい人が、銃を向けていた兵を止めました。

「ナー、シムサ、シムサ(もう止めなさい、止めなさい)」

兵隊は間をおいて、銃を降ろしました。そして、その家族から目を背けるように、こちらを向きました。兵隊の姿をしていたのは、何と村役場の職員一人でした。>(『潮だまりの魚たち』クリエイティブ21刊、P149、150)

生きるか死ぬかの緊迫の瞬間。

この家族の生死を分けた分岐点は「軍命令の有無」ではなく、その家族のリーダーの判断だった。

そのリーダーの判断に従った村役場職員は、銃の引き金から指を離した。

ところがこの哀れな村役場職員、別の壕で自決して果ててしまう。

<息も絶え絶えに着いたところは産業組合の壕でした。 そこは村の三役などの避難所で、書類や食料なども保管されています。村で一番大きな防空壕でした。そこにはちょうど誰もいません。ほっとした疲れがどっと押し寄せてきて、米子の家族はいつの間にか深い眠りに落ちていきました。「新神里の家族は出てください。新神里の家族は出てください。ここは役場の家族が入ります。出てください」  何度もそう繰り返されて目が覚めました。 その声の主を見ると、先程、銃を構えていたあの役場の男の人でした。 当時の役場の職員といったら、とても怖い存在だったので、米子たちは何も言わずに、素直に従うしかありませんでした。(略)米子たちが出た後、役場職員の家族を中心に大勢の人たちが、その壕の「集団自決」をしたのです。生き残った者は一人もいませんでした。>(p151、152)

村役場の職員は軍人より怖い人が多かったという証言があるが、

助役が腰には弾薬帯を巻いて三八銃を持ち歩いていたという証言と役場には常に2~3丁の三八銃があったという証言から、

座間味島の助役が、渡嘉敷島の金城兄弟のような役割りで銃で自決の「手助け」をして回ったことも推測できる。

>「トー、ナマヤシガ(さー!今だよ)」

>「ナー、シムサ、シムサ(もう止めなさい、止めなさい)」

いずれもグループリーダーのとっさの判断である。

「軍命の有無」なんて彼らにとってはどうでもよかったのだ。

繰り返し述べよう。

野生の動物でも人間でも、グループのリーダーはパニックに瀕すると往々にして判断を過つ。

 

ここにもパニックで判断を誤った長老(リーダー)の悲しい話がある。

子供を殺し自分は生き残った長老と伯父。

金城重明氏は特殊な例ではなかったのだ。

慶良間島の集団自決には他にも沢山の「金城重明」がいたのだ。

ただ、彼らは「軍の命令」と責任転嫁することなく自分で贖罪の十字架を背負って生きた。

ここが、金城重明氏と他の「金城氏」との大きな違いである。

 整備中隊の壕 -3- (沖縄タイムス8月23日朝刊総合3面)
「父さんも来るんでしょ」
(40)子どものために伯父「自決」

 四月一日朝、座間味村阿護の浦に米軍の船団が近づいて来るのが見えた。「大変だ。速く逃げよう」。壕入り口に出ていた宮村文子(81)は、奥でひざを抱え一塊に座っている人々に呼び掛けた。
 伯父は「私は逃げない。やーん、死にぃー?(あんたも死ぬね)」。「いーいん、わんねぇ死なん(嫌だ、私は死なないよ)」。親にも家族にも会えずに、死ぬわけにはいかない。文子は即座に断った。

 一方の伯父は家族を失っていた。自らが手にかけた妻や二人の子の遺体は壕入り口に毛布を掛けて横たえられていた。伯父はポケットを探り、黒砂糖を取り出した。「これを食べて、お母さんに会いなさい。会ってから死ぬんだよ」と、文子に渡した。

 伯父は文子に「子どものためにも、自分はどうしても死ななければいけない」と話した。幼い息子に手をかけようとした時、「お父さんも来るんでしょ」と問い掛けられたのだという。伯父は「絶対に行くから」と安心させていた。伯父は子どもたちの遺体の場所を示し「僕が死んだら、そばに寝かせて」と言った。

 伯父はいつの間にか、壕の天井の丸太に掛けたひもを、自分の首に巻きつけていたようだった。文子を挟んで隣に座っていた老人にひもの先を押し付け、「おじー、へーくな、ひっぱてぃ、ひっぱてぃ(おじいさん、早くこの綱を引っ張ってください)」と懇願した。

 伯父が本当に死のうとしていることに文子は驚いた。「やるな、やるな」。老人を押し留めようと強くつねった。しかし返事をしなかった。

 暗闇の中、急に隣にいた伯父の体がパーッと上がっていく気配がした。「うっ、うっ、うっけけけけけ…」。うめき声が壕内に響いた。二、三分して声が途切れると、ひもが緩められたようで、伯父はドサリと地面にたたきつけられた。「なんで、そんなことするか」。文子が怒ると、ひもを引いた老人は「わんにん、なーふりむんなってぃよ、わきんわからんどぅやんどー(私はもう頭がおかしくなっている。訳も分からないんだよ)」と、泣き続けた。老人も伯父同様に、妻や子どもたち、親族たちを手にかけていたのだった。

 文子らは壕を出て、ユヒナの浜へ急いだ。老人を急かすと、「わんねぇーふりむんなとぉくとぅ、あっちんしーうさんろー(頭がおかしくなって歩くこともできない)」。老人は苦しげにうめいた。=敬称略(編集委員・謝花直美)

                      ◇

(私はもう頭がおかしくなっている。訳も分からないんだよ)」と、泣き続けた。老人も伯父同様に、妻や子どもたち、親族たちを手にかけていたのだった。

パニックで判断を誤り妻子や親族に手をかけ、なお且つ死に切れなかった人たち(別の「金城氏」)の心中は平和な時代に生きる我々の思慮の到底及ばない世界である。

 

「おまけ」

『WILL』増刊号発売以来、当日記コメント欄を含めて「悪逆非道な日本軍」をお題目に掲げるグループのヒステリックな反応が見られる。

中にはひがみ根性丸出しで、こんな沖縄人もいるのかと、赤面したくなるような恥さらしのコメントもあるが、

今後のエントリーで恥ずべき例として利用するため、

しばらくはそのまま晒しておく。

再度言うが、

「痛いところを突かれるとヒステリックになる」という人間の心理学的理論を目の当たりに実体験できて興味深い。

しつこく、『WILL』の目次を貼り付けておく。

なお「ヒステリックな反応」の効果のせいか売れ行きは快調とのこと。

 

雑誌『WILL』 緊急増刊号 7月9日発売!
 

沖縄戦「集団自決」
狙われる沖縄
 
 緊急特別対談 
■田久保忠衛×櫻井よしこ
「沖縄的なるもの」の正体

■渡部昇一
歴史教育を歪めるもの

 梅澤少佐独占手記 
■梅澤裕 (聞き手・鴨野守)
私は集団自決など命じていない

■藤岡信勝
教科書記述問題の決定版
文科省再検定で大膨張する反軍記述

■曽野綾子
強制された死か、個人の尊厳か

■鴨野守
村民多数を手にかけた
「悲劇の証人」金城牧師

 【特集】大江健三郎に問う! 
■曽野綾子
神の座に就いた作家と裁判官
■藤岡信勝
大江健三郎“勝訴”の深見判決を斬る
■徳永信一
ノーベル賞作家のまやかしのレトリック
■松本藤一
大江健三郎と岩波書店は不誠実だ
■松本藤一
沖縄の言論封鎖で住民は再び殺される
■飯嶋七生
母の「遺言」はなぜ改変されたか

 「反日」の沖縄 
■藤岡信勝・鴨野守
沖縄タイムスの「不都合な真実」
■皆本義博
渡嘉敷島、中隊長が語る「集団自決」の現場
■奥 茂治
沖縄タイムスを使った米軍の住民洗脳工作
■勝岡寛次
米軍の「心理作戦」で日本軍は沖縄の敵となった
江崎 孝
偏向ウォッチング これは沖縄の言論封殺だ

■グラビア特集
沖縄の「戦争」

                     ◇

★WILLの目
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きょう第2次孔子廟訴訟 第1回 口頭弁論

2020-09-09 00:06:07 | 翁知事国連演説訴訟

狼魔人日記

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■本日の催物

第二次 孔子廟訴訟 第1回 口頭弁論
    那覇地裁 101号法廷 9月9日13時30分

現在最高裁に上告中の「第一次孔子廟訴訟」に続いて提訴された「二次訴訟」の第一回口頭弁論です。(一次訴訟については【おまけ】参照)

第二次訴訟の要旨は、以下の三点です。

1) 那覇市は、一般社団法人久米崇聖会所有の久米至聖廟(孔子廟・明倫堂)の設置許可処分を取り消し、または、同契約を解除し、その撤去を求めよ。

2) 那覇市は、久米至聖廟(孔子廟・明倫堂)にかかる地代相当の金5,767,200

円の金員を請求せよ。

3)那覇市は、那覇市長に対して、一般社団法人久米崇聖会から徴収すべき久米至聖廟(孔子廟・明倫堂)にかかる固定資産税一年間相当の金員を請求せよ。

               ★

久米2丁目に平成24年に新設された松山公園は、市民が子供達を安全に遊ばせる事の出来る環境を有した数少ない公園となるはずだった。

孔子廟は、そもそも政教分離に違反しているとして、平成26年5月に第一次訴訟を提訴し、平成30年4月地裁差し戻し審・住民逆転勝訴判決平成31年4月18日控訴審を勝訴したものの判決内容に不満があり、上告致しております。

高裁判決から既に1年を経過するものの、那覇市は改善の為の協もせずに、いたずらに時間を浪費し、市民の要請に向き合おうともしていません。

⇓のURLに 監査請求書と監査委員からの回答書をアップ致しております。https://nahaaction.web.fc2.com/kume.html

                  原告 金城照子、上原義雄

             ★

 

■支援金のお願い■

 当日記管理人は、沖縄県らを相手取って複数の裁判を係争中です。 代理人弁護士には手弁当でご協力いただいていますが、訴訟費用の資金難で交通費、宿泊代などの実費支払いも厳しい状態です。

直近の裁判です。

※9月16日(水) 11時30分

玉城デニー・徳森りま官製談合訴訟 第3回口頭弁論
    那覇地裁 101号法廷 

 
 
皆様の支援金ご協力をお願いいたします。(事務整理上一口1000円以上をお願いしますが、勿論金額の多寡は問いません)

 

支援金お振込先

お振込先  ゆうちょ銀行から振り込む場合

  • 金融機関:ゆうちょ銀行
  • 名義:沖縄県政の刷新を求める会
  • 記号:17010
  • 番号:19246121
  •  

ゆうちょ銀行以外からお振り込む場合の振込先 

  • 金融機関:ゆうちょ銀行
  • 金融機関コード:9900
  • 預金種目:普通
  • 名義:沖縄県政の刷新を求める会
  • 店名:708(ナナゼロハチ店)
  • 店番:708
  • 番号:1924612

 沖縄県政の刷新を求める会   

【おまけ】

孔子廟無償提供 大法廷へ、政教分離 憲法判断2020-08-01

孔子廟訴訟最高裁大法廷裁定は、日本の国運を掛けた判決となる

那覇市松山公園内に建設された一般社団法人久米崇聖会(クメソウセイカイ)所有の孔子廟は以下の5点に於いて政教分離違反に抵触しております。

1.久米崇聖会は、会則により琉球王府時代に渡来した福建省出身の末裔である事、また、男子であることと定められております。(誰でも会員になれるわけではありません=公益性がありません)

2.1975年建設された若狭の孔子廟の時代から、孔子廟香炉の灰を学業成就のご利益の札にして販売しておりました。(平成25年12月に原告が指摘するまで)

3.孔子祭「セキテン釈奠祭礼」は、沖縄県民や那覇市民には全く知られていませんでした。久米崇聖会会員の中で執り行われてきたものです。これを観光資源として売り出そうとしたのが、当時中国共産党と親密な関係にあった那覇市長の翁長雄志氏でした。

(盆踊りやエイサー、ハーリー等のように宗教色がなくなったものとは明らかに異なります)

4.原告が情報公開を求め第1回の監査請求するまで孔子廟の敷地を無料(減免措置)する公式な文書は存在していませんでした。それ故、監査請求が2回に渡りおこなわれ、請求金が数か月分で留まらざるを得ませんでした。(年間約600万円を請求は、約200万円)

5.那覇市は、この団体だけに特別な優遇を行っている。年間600万円もの土地代を無償で貸し(賃料を取らないというのだからくれてやったも同然)、孔子廟・明倫堂などの建物が登記されておらず、固定資産税を一度も徴収していない。更に、孔子廟の建設された土地と周囲の歩道だけ公園よりの約70cm高く盛り土をしており、このため、孔子廟の敷地は、公園の敷地面積の1/3を占めている。

最高裁で大法廷を開くと言う事は、それまでの判例を覆すと言うことが予想されます。

(北海道砂川政教分離訴訟=空知太神社訴訟)

https://ja.wikipedia.org/wiki/%E7%A0%82%E5%B7%9D%E6%94%BF%E6%95%99%E5%88%86%E9%9B%A2%E8%A8%B4%E8%A8%9F

差し戻し裁判の一審、二審判決が最高裁で覆されれば、これは単に政教分離の憲法判定にとどまらず、中国共産党と結託した当時の那覇市翁長 雄志氏等の売国行為を最高裁が認めることになります。習近平主席の国賓来日を認めることと同等な亡国の結果をもたらします。

儒教の開祖を祀る那覇市久米至聖廟(孔子廟)が政教分離の憲法に違反しているとして平成26年から争われてきた那覇市住民訴訟は、このほど最高裁の大法廷へ移されました。

この裁判は、単に一般社団法人久米崇聖会所有の孔子廟を那覇市の市民公園に建設させたことが憲法の政教分離に違反すると言うだけの問題ではありません。

そもそも、数百メートル離れた那覇市若狭の久米崇聖会が1,975年に沖縄戦で焼け落ちた孔子廟を再建した法人の敷地にあったものを中国共産党との関係が密になった当時の那覇市翁長 雄志氏が平成24年に現在の松山公園に移した、極めて政治的思惑の強い、那覇市と福建省の末裔により市民に隠すように行われた事業です。この背後に中国共産党がある事は明らかです。

経緯は以下の通りです。

平成256月沖縄タイムスが紙面で 巨大龍柱建設の予定と報じた

高さ15メートルの龍柱一対をクルーズ客船(大型旅客船内では、中国人民に沖縄は中国の領土だったと洗脳している)が着岸するバースの玄関口に建設する予定であることを報じたことから始まりました。この事業は那覇市長だった翁長雄志氏が福建省福州市との友好都市締結30周年記念事業として久米至聖廟と同時に計画したものです。

 

この四本爪の龍柱が建つということは、中国の属国を意味することから沖縄県内の保守派の有志等は、建設阻止を試みました。

 

ところが、この建設は那覇市議会が決済を与えており、情報公開により公文書を請求し監査請求を行うも法廷で戦いえる十分な証拠を固めることが出来ませんでした。(極めて黒に近い灰色の証拠は、山ほどあります)

 

そこで、憲法違反の疑いのある久米至聖廟を最初に住民訴訟で争う事になりました。

 

この時、原告になる人がなかなか見つかりませんでした。

原告は被告が那覇市であるため那覇市民であることが不可欠です。

当初那覇市民の上原正稔さんに原告を依頼したのですが諸般の事情により最終的には金城テルさんにお願いしました。

那覇市を相手に裁判する事も勇気が必要ですが、久米崇聖会には、県内の有力者が多数会員としておられました。また、1975年に若狭地域に孔子廟再建に尽力したのは、沖縄県知事をされていた仲井真弘多氏の亡き父親だったからです。

このような状況下で原告となられた那覇市民の金城テルさん(現在92歳)は、40数年前に沖縄の祖国復帰運動を保守派として決死の覚悟で戦った一人でした。

平成25年から公文書の情報公開を求め平成265月に提訴。平成2812月第一審敗訴。平成296月控訴審地裁差し戻し判決。平成304月地裁差し戻し審勝訴。平成314月控訴審勝訴。住民側(判決内容が原告の主張を十分にくみ取っていない)、那覇市・久米崇聖会の双方とも判決を不服として上告。

令和2729日、大法院へ裁定が移されることになった。

 

全力で最高裁が間違った判断をしないようにしなければなりません。

 

*詳しくは、「翁長市政を糺す那覇市住民訴訟」ホームページをご覧ください。

https://nahaaction.web.fc2.com/kume.html

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玉城デニー・徳森りま官製談合訴訟 第3回口頭弁論
    那覇地裁 101号法廷 9月16日(水) 11時30分

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「指揮権発動」をした菅直人首相、船長釈放「菅首相が指示」 前原元外相が証言 尖閣中国船衝突事件10年 主席来日中止を危惧

2020-09-08 15:07:36 | 外交・安全保障

 

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船長釈放「菅首相が指示」 前原元外相が証言 尖閣中国船衝突事件10年 主席来日中止を危惧

配信

産経新聞
 

インタビューに答える前原誠司元外相=3日、東京・永田町の衆院第一議員会館(酒巻俊介撮影)

 前原誠司元外相が産経新聞の取材に対し、10年前の平成22年9月7日に尖閣諸島(沖縄県石垣市)沖の領海内で発生した海上保安庁巡視船と中国漁船の衝突事件で、当時の菅(かん)直人首相が、逮捕した中国人船長の釈放を求めたと明らかにした。

旧民主党政権は処分保留による船長釈放を「検察独自の判断」と強調し、政府の関与を否定してきたが、菅氏の強い意向が釈放に反映されたとみられる

【写真】尖閣諸島沖で海保の巡視船「みずき」に衝突する中国漁船

 前原氏によると、国連総会に出席するための22年9月21日の訪米出発直前、首相公邸に佐々江賢一郎外務事務次官ら外務省幹部とともに勉強会に参加。その場で菅氏が公務執行妨害容疑で勾留中の船長について「かなり強い口調で『釈放しろ』と言った」という。

 前原氏が理由を聞くと、菅氏は同年11月に横浜市でアジア太平洋経済協力会議(APEC)首脳会議があるとして「(当時の中国国家主席の)胡錦濤(こ・きんとう)が来なくなる」と主張。中国側は船長の釈放を要求し、政府間協議や人的交流の中止などさまざまな報復措置をとっていた。釈放しない場合、胡氏が来日しなくなることを懸念したとみられる。

 前原氏は「来なくてもいいではないか。中国が国益を損なうだけだ」と異を唱えたが、菅氏は「オレがAPECの議長だ。言う通りにしろ」と述べた。前原氏はその後、当時の仙谷由人官房長官に「首相の指示は釈放だ」と報告した。

 当時の外務省幹部も「菅首相の指示」を認めた。菅氏は産経新聞の取材に「記憶にない」と答えた。

 事件は22年9月7日、尖閣諸島沖の日本の領海内で発生。中国漁船が海保の巡視船2隻に相次いでぶつかり、海保は8日未明に船長を逮捕した。その後、中国側はレアアース(希土類)の対日輸出停止や中国内での邦人拘束といった対抗措置をとり、那覇地検は24日、勾留の期限を5日残して船長を処分保留で釈放することを決定。那覇地検は理由として「日中関係を考慮」などと説明した。

 

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  • 安積明子

     | 政治ジャーナリストオーサー報告

    この事件は日中関係に重大な影響を与えた歴史的なものです。当時の総理が「記憶にない」はずはなく、具体的説明が必要。公文書問題のみならず、歴史的証言も保存と検証が必要です。当時の政権にはその責任があります。国民のみならず、後の歴史に対しても。

    為政者ならその覚悟が必要。権力を握ることだけが為政者ではありません。

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