来月末に、急遽、ギリシャとアルバニアへ行くことになった。
と言っても、身内を案内するアテンド旅行だ。ツアーには乗りたくないが、自力では不安なので案内してくれたら旅費の一部を負担してくれるという話を頂いた。ギリシャには何の興味もないが、自前の旅の資金が枯渇気味なので、つい誘いに乗ってしまった。
早々、航空券を手配する。想像通り夏のヨーロッパは総じて高い。徹底的に安さを求めるならここは北京や広州発で確保して、日本からはそこまで別で購入するのが一番。ただ時間のロスは避けられないので、この辺が悩むところ。今回の主役は私ではないので、やはりある程度効率を考えねばならない。すると、どうしてもモスクワ経由のアエロフロートに落ち着いてしまう。
ギリシャは世界遺産の宝庫だ。依頼主の希望はアテネと具体的にはないが、いくつかの世界遺産と島にも行きたいという。そこでいろいろ調べて思案したのがキルケラ島だ。エーゲ海ではないがアドリア海に面していて、島の旧市街は世界遺産でもある。まさに希望通りだ。また島はヨーロッパ人にはメジャーな場所だが、日本人やアジア人にはあまりなじみのない島でもあるようなので、その点でも良かったと思う。しかもこの島の対岸が、私の行きたかったアルバニアで、船で30分ほどで渡れる。なんといっても、これに尽きる。
なんとかこの機会に、アルバニアの地を踏みたい。
ということで、ちょっと強引だがこの際、どさくさに紛れてアルバニアに連れて行ってしまおうと思っている。
憧れのアルバニア…。
今から29年前、ベルリンの壁が崩れ、年が変わった1990年の春、ベルリンから東欧を巡る旅に出た。東ドイツからチェコスロバキア、ハンガリー、ユーゴスラビア、ルーマニアそしてブルガリアを経てギリシャへ抜けた。ポーランドはルート上、行かなかったが、当時、唯一、入国できなかったのがアルバニアだった。まだ完全に鎖国中で、近隣諸国まで行けば入国に関する何らかの情報もあるのではないかと思ったが、ソ連を親玉とする東欧諸国とは一線を画していて、結局、何の情報も得られなかったのがアルバニアだった。
当時、アルバニアに関するなんらかの本に書いてあったのが、若者があこがれる職業の一番人気がタクシーの運転手という内容だった。というのも、当時のアルバニアのバスも含めた車という車はすべて国の所有物で、一般人が車を所有することが出来なかった。なので自動車を運転するにはタクシーやバスの運転手になるしかなかったと思われる。もちろん政治家の運転手という手段もあったと思われるが…、それはまた、別の話だ。他の東欧諸国には当時でもソ連製のラーダや首都ではメルセデスもバンバン走っていたので、やはりアルバニアだけは別世界だったんだろうなと想像できる。
その後、アルバニアも例に漏れず、社会主義を放棄し民主化が進められたが、国全体がねずみ講に引っかかり、経済が麻痺してしまったのは有名な話だ。
本当なら開国後、すぐに行ければ良かったのだが、あれから29年も経ってしまった。相変わらず、欧州最貧国のひとつらしいけれど、もう、当時を思わせる雰囲気などは期待できないだろうなと思う。
それでも、やっぱり一度は行ってみたい。あの赤色に黒い鷹だが鷲だかの国旗からして、なんだか怪しい感じが漂っているのがいい。
ということで、アルバニアに行ってきます。
(まだまだ先の話ですが…)
と言っても、身内を案内するアテンド旅行だ。ツアーには乗りたくないが、自力では不安なので案内してくれたら旅費の一部を負担してくれるという話を頂いた。ギリシャには何の興味もないが、自前の旅の資金が枯渇気味なので、つい誘いに乗ってしまった。
早々、航空券を手配する。想像通り夏のヨーロッパは総じて高い。徹底的に安さを求めるならここは北京や広州発で確保して、日本からはそこまで別で購入するのが一番。ただ時間のロスは避けられないので、この辺が悩むところ。今回の主役は私ではないので、やはりある程度効率を考えねばならない。すると、どうしてもモスクワ経由のアエロフロートに落ち着いてしまう。
ギリシャは世界遺産の宝庫だ。依頼主の希望はアテネと具体的にはないが、いくつかの世界遺産と島にも行きたいという。そこでいろいろ調べて思案したのがキルケラ島だ。エーゲ海ではないがアドリア海に面していて、島の旧市街は世界遺産でもある。まさに希望通りだ。また島はヨーロッパ人にはメジャーな場所だが、日本人やアジア人にはあまりなじみのない島でもあるようなので、その点でも良かったと思う。しかもこの島の対岸が、私の行きたかったアルバニアで、船で30分ほどで渡れる。なんといっても、これに尽きる。
なんとかこの機会に、アルバニアの地を踏みたい。
ということで、ちょっと強引だがこの際、どさくさに紛れてアルバニアに連れて行ってしまおうと思っている。
憧れのアルバニア…。
今から29年前、ベルリンの壁が崩れ、年が変わった1990年の春、ベルリンから東欧を巡る旅に出た。東ドイツからチェコスロバキア、ハンガリー、ユーゴスラビア、ルーマニアそしてブルガリアを経てギリシャへ抜けた。ポーランドはルート上、行かなかったが、当時、唯一、入国できなかったのがアルバニアだった。まだ完全に鎖国中で、近隣諸国まで行けば入国に関する何らかの情報もあるのではないかと思ったが、ソ連を親玉とする東欧諸国とは一線を画していて、結局、何の情報も得られなかったのがアルバニアだった。
当時、アルバニアに関するなんらかの本に書いてあったのが、若者があこがれる職業の一番人気がタクシーの運転手という内容だった。というのも、当時のアルバニアのバスも含めた車という車はすべて国の所有物で、一般人が車を所有することが出来なかった。なので自動車を運転するにはタクシーやバスの運転手になるしかなかったと思われる。もちろん政治家の運転手という手段もあったと思われるが…、それはまた、別の話だ。他の東欧諸国には当時でもソ連製のラーダや首都ではメルセデスもバンバン走っていたので、やはりアルバニアだけは別世界だったんだろうなと想像できる。
その後、アルバニアも例に漏れず、社会主義を放棄し民主化が進められたが、国全体がねずみ講に引っかかり、経済が麻痺してしまったのは有名な話だ。
本当なら開国後、すぐに行ければ良かったのだが、あれから29年も経ってしまった。相変わらず、欧州最貧国のひとつらしいけれど、もう、当時を思わせる雰囲気などは期待できないだろうなと思う。
それでも、やっぱり一度は行ってみたい。あの赤色に黒い鷹だが鷲だかの国旗からして、なんだか怪しい感じが漂っているのがいい。
ということで、アルバニアに行ってきます。
(まだまだ先の話ですが…)