お盆終わる…。
とは言え、今年はお盆ですら例年とは随分違う風景に変わってしまっていた。それに加え、この暑さ。38度や39度は暴力的な暑さで、体力、気力を奪っていく。子供のころ、早起きしてラジオ体操に出かけると、まだ空気がひんやりしていたのが懐かしい。夏といっても40年くらい前は、今よりも10度くらい気温が低かったような気がする。今は早朝からすでに30度を超えていて、ひんやりどころか、熱気で蒸し暑い。もしこれが温暖化が原因だとすれば、世界はそう遠くない未来に滅びてもおかしくないと本気で思う。
渡哲也、亡くなる。
タイムリー世代ではないので、特別な思いはない。けれど、渡哲也で思い出すのは、「日暮れ坂」という曲。多分、この歌、「大都会」というドラマの挿入歌かエンディングで流れていた曲だったと思う。演歌か昭和歌謡という感じの曲で間違っても子供が好むような歌ではなかった。
あれは小学生2年生のころだったか、我が家に初めてダブルカセットデッキがやって来た。それは2台分の録音と再生を1台に内蔵し、テープどうしのコピーができるカセットデッキだった。さらにそのカセットデッキはラジオのほか、すべてのテレビ番組の音声まで拾えるもので、まだステレオやコンポが無かった我が家にとって最新のオーディオ機器だった。
ある日、学校から帰ると、ダブルカセットデッキにカセットテープが入っていた。それは二つ上の兄が初めて録音したテープで、そこに入っていたのが、くだんの「日暮れ坂」だった。テレビからではなく、デッキから直接、大都会の再放送の途中かエンディングのタイミングで録音したもので、ノイズもなく、比較的きれいに録音されていた記憶がある。フォークソング好きだった兄が渡哲也を好んだはずもなく、多分、試し録りだったと思うが、その後に録音した曲は、「日暮れ坂」の後に録音してあり、結局、「日暮れ坂」は消されることなく、いつまでもそのテープに残っていた。なぜ、兄は消さなかったのだろう?今もってわからない。
私はそれ以後、渡哲也というと、なぜか「日暮れ坂」という曲が頭の中に流れてくるようになってしまった。
ここ数日、朝のワイドショーでは、度々、渡哲也が出て来る。すると、私の中で「日暮れ坂」が流れる。
それが、ちょっと辛い。
とは言え、今年はお盆ですら例年とは随分違う風景に変わってしまっていた。それに加え、この暑さ。38度や39度は暴力的な暑さで、体力、気力を奪っていく。子供のころ、早起きしてラジオ体操に出かけると、まだ空気がひんやりしていたのが懐かしい。夏といっても40年くらい前は、今よりも10度くらい気温が低かったような気がする。今は早朝からすでに30度を超えていて、ひんやりどころか、熱気で蒸し暑い。もしこれが温暖化が原因だとすれば、世界はそう遠くない未来に滅びてもおかしくないと本気で思う。
渡哲也、亡くなる。
タイムリー世代ではないので、特別な思いはない。けれど、渡哲也で思い出すのは、「日暮れ坂」という曲。多分、この歌、「大都会」というドラマの挿入歌かエンディングで流れていた曲だったと思う。演歌か昭和歌謡という感じの曲で間違っても子供が好むような歌ではなかった。
あれは小学生2年生のころだったか、我が家に初めてダブルカセットデッキがやって来た。それは2台分の録音と再生を1台に内蔵し、テープどうしのコピーができるカセットデッキだった。さらにそのカセットデッキはラジオのほか、すべてのテレビ番組の音声まで拾えるもので、まだステレオやコンポが無かった我が家にとって最新のオーディオ機器だった。
ある日、学校から帰ると、ダブルカセットデッキにカセットテープが入っていた。それは二つ上の兄が初めて録音したテープで、そこに入っていたのが、くだんの「日暮れ坂」だった。テレビからではなく、デッキから直接、大都会の再放送の途中かエンディングのタイミングで録音したもので、ノイズもなく、比較的きれいに録音されていた記憶がある。フォークソング好きだった兄が渡哲也を好んだはずもなく、多分、試し録りだったと思うが、その後に録音した曲は、「日暮れ坂」の後に録音してあり、結局、「日暮れ坂」は消されることなく、いつまでもそのテープに残っていた。なぜ、兄は消さなかったのだろう?今もってわからない。
私はそれ以後、渡哲也というと、なぜか「日暮れ坂」という曲が頭の中に流れてくるようになってしまった。
ここ数日、朝のワイドショーでは、度々、渡哲也が出て来る。すると、私の中で「日暮れ坂」が流れる。
それが、ちょっと辛い。