今年はできるだけ、花見に出かけることにしている。
「打ちひしがれた気分で眺める桜は、ことのほか美しい…」
と何かに書いてあったが、まぁ、普通にきれいである。
被災地の東北では、これから見ごろを迎えるのだろうか。
東電の清水社長の記者会見を見ていて、この顔どこかで見た
ような…と思っていたら、構造強度偽装事件の「ヒューザー」
の小嶋元社長にそっくりなのであった。
また、似ているのは人相だけではなく、目付きの悪さと、腹
の立つしゃべり方まで似ている。まったく嫌な奴というのは、
とことん似てしまうものなのかもしれない。
もっとも、そういうフィルターで見てしまうのかもしれないが…。
また、この清水社長の昨年の役員報酬だが、なんと年間約7億数千
万円ももらっているそうである。これを聞けば、日本国民のみなら
ず、東電の全社員をも敵にまわしたも同然であろう。
また、東電にはこの額と同様の金額を報酬にしている役員が19名
もいるそうで、単純に合計しただけでもこれだけで、年間約150億
円を超えるのだ。
それにしても、爆発で吹っ飛んだ建屋の安っちいこと、この報酬
とのギャップはなかなかのものである。
そして、このような莫大な報酬は、東京電力が徴収する電気料金
収入なのである。つまり日本の電気料金は総じて高いのである。
2004年公開、役所広司主演の「東京原発」という映画によれば、
日本の電気料金は世界一高く、欧米と比較してもおよそ3~4倍
は高いと述べている。
そして、安い電気コストと莫大な電気料金収入の差額は原発利権と
なり、東電の高額な役員報酬のみならず、様々な機関や専門家・学
者へと分配されているそうである。
その証拠に記者会見などで、東電の社長などに詰め寄るマスコミは
いても、TVや新聞もこの利権に群がる関係上「原発反対」という
声や「原発デモ」は、ほとんど伝えようとしないのである。
まったく何が正しいのか、わからなくなってくる。
また、ボランティアにしても、震災が起きたとき、すぐに現地に駆け
つけることができる人がいる。
こういう人は、「なんでもいいから体を動かせばわかってくる」など
といい、まぁ、人の役に立っていると賞賛される人らではある。
しかし、復興には5年、10年という歳月がかかるのだ。3年後、その復
興を、実は、今何も出来ない人らが支えていたりするのである。
なんでもそうだが物事には、裏と表が必ずある。
つくづく、一方だけを見ていては、いけないなと思う次第である。
「打ちひしがれた気分で眺める桜は、ことのほか美しい…」
と何かに書いてあったが、まぁ、普通にきれいである。
被災地の東北では、これから見ごろを迎えるのだろうか。
東電の清水社長の記者会見を見ていて、この顔どこかで見た
ような…と思っていたら、構造強度偽装事件の「ヒューザー」
の小嶋元社長にそっくりなのであった。
また、似ているのは人相だけではなく、目付きの悪さと、腹
の立つしゃべり方まで似ている。まったく嫌な奴というのは、
とことん似てしまうものなのかもしれない。
もっとも、そういうフィルターで見てしまうのかもしれないが…。
また、この清水社長の昨年の役員報酬だが、なんと年間約7億数千
万円ももらっているそうである。これを聞けば、日本国民のみなら
ず、東電の全社員をも敵にまわしたも同然であろう。
また、東電にはこの額と同様の金額を報酬にしている役員が19名
もいるそうで、単純に合計しただけでもこれだけで、年間約150億
円を超えるのだ。
それにしても、爆発で吹っ飛んだ建屋の安っちいこと、この報酬
とのギャップはなかなかのものである。
そして、このような莫大な報酬は、東京電力が徴収する電気料金
収入なのである。つまり日本の電気料金は総じて高いのである。
2004年公開、役所広司主演の「東京原発」という映画によれば、
日本の電気料金は世界一高く、欧米と比較してもおよそ3~4倍
は高いと述べている。
そして、安い電気コストと莫大な電気料金収入の差額は原発利権と
なり、東電の高額な役員報酬のみならず、様々な機関や専門家・学
者へと分配されているそうである。
その証拠に記者会見などで、東電の社長などに詰め寄るマスコミは
いても、TVや新聞もこの利権に群がる関係上「原発反対」という
声や「原発デモ」は、ほとんど伝えようとしないのである。
まったく何が正しいのか、わからなくなってくる。
また、ボランティアにしても、震災が起きたとき、すぐに現地に駆け
つけることができる人がいる。
こういう人は、「なんでもいいから体を動かせばわかってくる」など
といい、まぁ、人の役に立っていると賞賛される人らではある。
しかし、復興には5年、10年という歳月がかかるのだ。3年後、その復
興を、実は、今何も出来ない人らが支えていたりするのである。
なんでもそうだが物事には、裏と表が必ずある。
つくづく、一方だけを見ていては、いけないなと思う次第である。