ふっ と想うこと

山・雪・風・人、徒然なるままに--

2月に観た映画

2025-02-28 14:36:56 | 映画

デンマークの実話から過酷なひとりの生き様。原題は”The basterd“(私生児)。英語では“The promised land”。私生児として生まれた庭師が30年近くかけて大尉に。そしてデンマークの1/3の不毛の地”ヒース“の開拓に。
どんなに過酷な境遇でも彼と関わった人達が幸せになる、新しい人生を。とても重い重厚な映画。

1985年の爆風スランプの“大きな玉ねぎの下で“にインスパイアされた映画。爆風スランプは年齢は自分と同じ年ごろ。スマホで思いを簡単に伝えられる時代。なのに思いが伝わらない、そのもどかしさを平成と現代をラップさせながら。スマホの無かった時代に相手を思う気持ちの伝えることの難しさ、でもそれ故にその気持ちが強くなる、当時の若者の気持ちをうまく。会ったこともない相手と“文字”だけで思いを伝える、そんな懐かしい思い。
半世紀近く前の学生時代、東北新幹線のできる前に、仙台へ戻る最終の特急で泣きながら別れていたカップル、そんな事を思い出しました。

北海道余市を舞台にした親子、孫との家族の関係を“内なる思い”。聴覚過敏性の娘を持つ亡くなった息子の嫁。その“音“を、そしてその音をもとにした内なる思いを互いに向け合い、前へ進む姿。
とても素晴らしい映画。なんと言っても升毅さんの存在から出てくる静かな迫力、聴覚過敏性の娘を大切に思うが故の過度な娘への愛情を示す田中美里さんはもちろん、聴覚過敏性の娘の日高麻鈴さんの素晴らしさ。その姉を思う妹の宮本真凛さん。それぞれがそれぞれ独立して前を向かう、素敵な映画。大手の流通に乗っていないので名古屋でもたった2周間の興行。まだ、2月ですが今年見た20作品近くの中では最高の映画。もっと大々的に興行されればヒットする素晴らしい映画。

韓国映画のリメイク。
阿部寛さんの迫力に圧倒。原作と同じく”平和ボケした現代社会“に対しての警鐘。韓国ならば北朝鮮なのでしょうが、これが日本になると何かと。答えは多分、現在の日本には合法・非合法を入れて300万人以上の外国人が。そして毎日のように外国人の犯罪が多く報道され“安全な日本”という神話は崩れています。この外国人300万人という数値。実は鳥取県と島根県の人口を合わせて100万人、香川県の人口が100万人という方からもいかに大きな数なのか。更に今の政府は移民を増やそうと。これからは今までのような安全安心な日本は過去のものと。スリリングなやりとり、阿部寛さんの演技で現代への警鐘している映画。

タイムトラベルラブストーリー。なんと言っても松たか子さんの年齢を感じさせない素晴らしい演技。夫が不慮の事故、自らの命をかけて他人を救う、その結果命を落とす、それを何とか防ごうと。バック・トゥ・ザ・フューチャーのように、車の運転で過去へ。何度も戻っているうちに、同じ結果(夫がなくなる)でも、その間の夫婦の気持ちも持ち方が変わる、そんな素敵な映画。

諏訪大社の四季の神事とそこに住む人達との関係を。600年ぶりに復活させた冬の神事“御室神事”。

”鹿なくてハ御神事ハすべからず候”

鹿と諏訪大社、諏訪の地域に住む人達の関係。鹿を敬い、食し、関係を作る。
そのために”鹿食免“(しかじきめん)という殺生を禁じた神仏の教えの中での狩猟を#許す免罪符を日本で唯一出している諏訪大社。
明治時代の神仏分離以降、ようやく神仏混合の、儀式を。

諏訪大社の協力のもと2年以上かけて作られたドキュメンタリー。

諏訪大社、会社に入社した時、1年間同じ部屋で過ごした同僚のおじさんが下諏訪大社の神官だったためよく諏訪大社の話を聞きました(覚えていませんが)。
そして以前、環境省のパークボランティアのフォッサマグナの研修で訪れた新潟県糸魚川。そこには“奴奈川姫”伝説のある根知の”白池“。
大国主大神(おおくにぬしのおおかみ)と奴奈川姫 そして、大国主大神と奴奈川姫との間に生まれた子が建御名方神(たけみなかたのかみ)が諏訪大社の祭神になったと。確かに現地、白池へ行くと”諏訪大社“と書いた道標があります。それだけ諏訪大社の力は大きかったと。そんな事を思い出しながら見た厳かな映画

岐阜県関市の全く肩に力を入れること無く観たご当地映画。よくあるご当地映画とは異なりかなりくだけた内容。でも関市の企業をさりげなく出演させたり、関市の見どころ、刀鍛冶、鵜飼なども。
それにしてもそうそうたる役者さんが出ていて、思わず微笑んでしまった映画。

名バイプレーヤーともいえる金田明夫さん主演の21の1話4-5分のショートストーリー。監督は俳優でもある宅間孝行さん。昭和の時代ならばこうだろうなという話も。最近はトラブルがあっても無感心、それどころか救おうとはせずにスマホカメラを向ける無節操。そんな時代に”正しい事をする“という昭和の感覚を。ただ最後の21話で救われた、そんな映画。刑事ドラマではニガ虫を潰したような、金田明夫さんの別の面を。素敵な映画

戦場にかける橋。泰緬鉄道のクワイ河にかかる橋。現実には木造ではなくてコンクリート、しかも爆破はされず現在も残っています。また、蒸気機関車は日本のC56。ただギリス軍捕虜の過酷な労働は事実。何年か前にようやく泰緬鉄道クワイ河鉄橋で旧イギリス軍と旧日本軍との和解の式典も(イギリス軍側では頑なに出席拒否した人も)。そんな事を思いながら。

1972年に起きたミュンヘンオリンピック選手村テロ。よく覚えています。でも、テロが身近に感じたのはその1974年の三菱重工爆破、あさま山荘事件。そして近所の交番で起きた爆破テロ。三菱重工の時には亡き父が隣のビルにいて危うく、近所の交番テロは深夜勉強中に爆発音を。その10年近くあとに大学に入学したとき日本でも数少ない過激派の活動が盛んで入学式が実施されない数少ない大学。校内には血痕が点々としていたことも。
この映画では報道することによりテロに加担してしまう事になる事に悩む報道。半世紀後の今、こんな悩みをする報道は皆無、暴き立てる事を”知る権利“と言う視聴率稼ぎ。過激派についても、昔とは異なり地下に潜伏するのではなくて表に。世界的過激派の子供がテレビのコメンテーターになり、過激派幹部が地方自治体の長、議員に。半世紀前よりも物騒な今。色々と考えさせられる映画。

骨と腱の難病になった双子のピアニストの実話。腕と指に負担をかけない独特の演奏方法。しかも一つの楽曲を二つに分けてそれぞれが弾いて一つの曲にするというこの二人だけの演奏方法。勿論、病状のこともありフォルテのような強く弾く事は難しいですが。それにしても一つの曲を二つに分けてそれぞれが演奏をしてあたかもひとりが演奏しているように弾くこと、これは昔10年ピアノを弾いていた経験からもかなり難しいと。でもこのようなデュオがいることに驚いた、そんな映画。





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下諏訪大社へ。映画の世界を

2025-02-23 18:51:07 | 旅行記

先日、映画”鹿の国“を。そこでは、復活された冬の神事と合わせて、鹿を中心とした生贄の世界と神の世界、そしてそこに密接に人々生活と繋がっていることを。冬の寒さの厳しい時にぜひとも諏訪大社へ。以前、上諏訪大社へ訪れたので今回は下諏訪大社の秋宮と春宮へ

諏訪湖







秋宮へ

大きな狛犬








拝殿の彫り物はこの下諏訪大社秋宮と春宮はそれぞれ違う流派の宮大工の作品。これは江戸時代の建て替えの時に高島藩が同じ設計図で秋宮、春宮それぞれを異なる宮大工に任せて競わせたそうです。
諏訪立川流が秋宮。諏訪大隅流が春宮

御柱
大国主大神と奴奈川姫の子供が建御名方神(たけみなかたのかみ)が糸魚川の姫川をさかのぼって諏訪の地に入り諏訪大社の祭神となったと言われています。
出雲を支配していた大国主大神、翡翠は勾玉として神的に重要なもの。翡翠の産地の糸魚川の奴奈川姫と結ばれたと。

安産祈願の願いが沢山

この地方の清酒

秋宮の一角に“さざれ石”


鹿を神事に使っていたこと、また、昔の人々の生活のために鹿を捕らえること。これは殺生を禁じた信仰とは相反するもの。そのために諏訪大社は日本で唯一、鹿を、そしてその後、鹿以外の獣の狩猟を赦す”鹿食免(かじきめん)“を出しています。
ではなぜ“鹿”なのか?これは”タマツヒメノミコト“という女神が生きた鹿の腹を割いてその血に稲の種を浸した。すると一夜にして苗が育ったとの神話からのようです(映画“鹿の国”のパンフレットから)

マンホールも諏訪大社
秋宮の前には昔の宿坊あと。

少し離れた春宮へ









秋宮とは異なる宮大工による拝殿






万治の石仏。春宮へ奉納する石像を掘り出した石工。ところがノミをいれると血が流れ出しそのまま放置した石仏

作法に従って3回まわって祈りを。
嫁さんは何を祈ったのかな?

春宮の横にはどんなに大雨で川の水が増えても絶対に沈まなかった中州。そこにも祠
春宮から少し歩くと絶景の場所。富士山が左に。甲斐駒ヶ岳の頭が右側に

下諏訪大社から車で30分のところにある神長官守矢史料館へ。かつて諏訪大社で行われていた生贄による神事の史料を。一子相伝の神官の屋敷跡を茅野市が整備して展示。












諏訪大社ではその年に捕らえられた鹿の頭を神事として祀られた儀式がありました。





今は、さすがに鹿の生贄の儀式はありません。ただ、鹿に模したものに矢を打ち込む神事が愛知県新城市の神社で行われています。諏訪湖を水源とする豊川、新城市はその流域にあります。




八ヶ岳も

諏訪から名古屋へ。木曽路を南下。木曽上松でいつも寄らせていただいているお蕎麦屋さん“越前屋”さんへ

創業400年。
店の中には立ち寄った人々の名前も。十返舎一九、皇女和宮、他
冬の木曽地方の食べ物”すんき“を使った“すんき蕎麦”。漬物を発酵させたもので、酸味が独特。はまるとクセになります。
夜のおつまみようにお土産のすんきを。

すぐ近くの小野の滝

寒さで氷結しています

あとは国道19号線で名古屋へ。
外は寒いですが、陽が当たると温かみを感じる連休中日。






















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久しぶりにロンリースキー

2025-02-20 20:49:31 | スキー
嫁さんはお仕事。
旦那はプー太郎。
久しぶりにひとりで近場にスキーへ。

名古屋から中津川まで中央高速、あとは国道19号線。名古屋から2時間ほどで、”スキーヤー限定“の“木曽福島スキー場”へ。
ここは火曜日と木曜日には50歳以上はリフト券が割引(70歳以上は更に)。駐車場に着くと駐車場は結構多くの車。周りの方と話をすると皆さん自分よりも年上。つまりバブル期にスキー三昧だった人達。まさに”私をスキーに連れていって“の時代に青春を謳歌した人達



山頂からは周囲の山々が。今日は残念ながら雲が多くて隠れている山も沢山。

御嶽山も雲に

ゲレンデは見事にピステンで整備されていて、木曽地方のスキー場特有の硬いバーン。高速滑走となりテレマークスキーでは脚がパンパンに。駐車場には車は多かったのですがひとりの人が多く、思ったほどゲレンデには人が溢れているわけではありません。しかも、かつてはスキーに明け暮れしていた時代を過ごした人達、皆さん颯爽と滑走。”私のスキーはどこへ連れていってくれるの?“という初心者のスキーヤーやボーダーが溢れているそこら辺のスキー場よりもずっと安全、安心。
もちろん、外国人はひとりもいません!
硬いバーンをテレマークスキーですっ飛ばしていたのでいつもよりも気持ちよく、そして脚がもたなくなってきました。

昼前にはあがってお土産を。
地元木曽福島でも作られている、木曽地方のの冬の保存食“すんき”とその”すんき“を使ったビール。“すんき”とは漬物を発酵させたもの。酸味が独特の味覚。
お昼を木曽上松の日本蕎麦屋さんへ行ったらお休み。仕方ないのでそのまま国道19号線で名古屋へ。途中中津川でお昼ご飯



梅のトロトロのあんをかけたオムレツと鶏の唐揚げ、エビフライをのせて。とても美味しかったです。
お店にはこんな注意書き

とても雰囲気の良いお店でした。

あとはのんびりと名古屋へ。

結婚する前に、新入社員の時にはひとりで毎週スキーに出かけて、そのうち会社の先輩達に誘われて長野、新潟、そして北海道と。

久しぶりにひとりでスキー










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スキーの1週間(3)野沢温泉、飯山雪まつりそして名古屋でクラシック

2025-02-11 11:00:14 | スキー
天気はよくないものの新雪を。

ゴンドラの中では日本に初めてスキーに来たオーストラリアからの若夫婦と一緒に。お互いに写真を撮りあっていたので、お二人の写真撮りましょうか?と言うと、とても喜んでくれました。互いに写メをしました。

山頂のやまびこゲレンデは何も見えず、風も強く。なので短いリフトですが人が少ないゲレンデで新雪を楽しむことが。
ただ今年の雪は水分が多くて重いです。

パフパフの雪を

奥志賀林道の支線の看板。ここはインスタ映えのするところ。誰もいなかったので年甲斐もなく思わず。
お昼は上ノ平ゲレンデへ。
昨年営業していなかった太郎小屋が少し雰囲気変えて営業していました。
1962に開業した太郎小屋、2023年に閉業。しかし野沢温泉に移住した若者たちが復活。外国人による買い占めによる地域の崩壊を防ごうとクラウドファンディングしたようです。
数年前に野沢温泉に移住した若者が中心に。





発酵食品を中心にして。
とても美味しかったです

中心の若い人と話をしていて、この野沢温泉村は農業でとても美味しい作物も多くて、なんとかそれを皆に知ってほしいと。


これからも若い人達の頑張りに期待したいですね

夜は40年近く前から通っていたお好み屋さん。当時は昼によく利用させていただきましたが今は夜だけの営業。
営業時間前に並んでいるとどんどんと外国人が集まってきます。

とても美味しいお好み焼き
でも日本人は我が家だけ。

翌日はさらに天候の悪化予報。野沢温泉では地吹雪も。
ということでシャトルバスで雪まつりをしている飯山へ。
飯山線の線路も雪に

高橋まゆみ人形館へ
スタッフの方が作られた雪像

素朴な懐かしい人形達。半年ごとに人形の入れ替え。ここへ来るといつもほっこりとします。
スタッフの方に、近くで雪まつりを、やっているので是非ともと。
飯山城址で雪まつり

大谷君かな?









街なかにも雪像





雪像の並んだ飯山市内


町中華へ
バスで来ているのでやはり、ビールと餃子、そして暖かいラーメン。とても美味しかったです。 

昼過ぎに飯山駅のシャトルバス乗り場に。この日は上越新幹線の事故、大雪で北陸新幹線のダイヤは大混乱。

飯山線も戸狩野沢温泉駅までの折り返し運転。十日町までは不通。
飯山駅からのシャトルバスも遅れている新幹線に合わせるためか遅れ気味。
30分ほど待っている間にオーストラリアからのご年配のご夫婦と。年齢をうかがうと殆ど同じ歳。
妙高、志賀高原と行ったそうですが、野沢温泉が最高と。雪質、ゲレンデ、そして美味しい食べ物。そして外湯最高と。
ニセコに行ったことあるかと聞いたら、行きたくないと。外国人で溢れていて、せっかく日本に来たのに日本人と話をすることがきない、と。こうやって我が家と話ができて良かったと。
野沢温泉のあとは金沢へ行って戻るそうです。

円安もあるのでしょうが、年配の外国人が海外に出かけることができること、日本がそこまで余裕があるようにはなっていないのが残念。日本の国力が落ちていることを痛感します


民宿街にある外湯。ここは空いていていつも利用します。この日も野沢温泉に戻ってきた夕方には誰もおらず。ひとりで湯船を占領。
外湯に来ると嫁さんに声をかけて出ます。
“出るよ!”
”いいよ!“


“やしょうま”
米粉で作ったこの地方の食べ物。
ゴマとシソのものを飯山雪まつりで購入。宿のおばちゃんに聞くと昔はよく作ったものだ、と。亡くなったおばあちゃんがよく作っていたよ、と。
夜はこれにつまみを買ってきて地酒でまったりと(外へ出て夕食難民にはなりたくないので)

翌朝は宿近くの外湯で。
野沢温泉の魅力は豊富な数の外湯

朝食前にホッコリと。
この日は朝食後に名古屋へ
田んぼ、畑を持っている宿。お土産に名古屋ではとんでもなく高くなったキャベツをいただきました。野沢温泉では秋に採れた野菜などを雪の中に保存しています。甘みが増しておいしくなります。
昨日、一応除雪しましたが、ひと晩で30cm近く積雪。
車を掘り出して。スバル車なので比較的簡単に脱出。

いつも温泉饅頭を買う“みゆき商店”さんへ。ここの温泉饅頭は、チーズ入りで、個人的には一番好きな温泉饅頭。”道祖神饅頭“の商品名


バナナ1本、生クリー厶とカステラでできた“バナナボート”。名古屋への途中でのおやつに。

地吹雪の飯山市。
若者たちのワンボックスカー、ハイエースがバスも通る上り坂のど真ん中で斜めになってスタック、チェーンをかけていてバスも含めて渋滞。そもそもハイエースは荷物運搬車として後輪上に重量をかけないと駆動輪が空回りするのですが若者たちはそれを理解していないようです。隙間をすり抜けることができました。
その後またもやおかしな車。外国人が外車のレンタカーで。しかもノーマルタイヤでスノーソックス。もがいていたので様子を見に行くと、ここからさらに魚沼を通って越後湯沢へと。この日大雪で関越道が閉鎖なので。無理だよ、と言うと、自分も無理だと諦めて帰る事を考えていたと。なんということかな?

横なぐりの雪、スバルのアイサイトはカメラ方式なので問題なく。でもレーダー、レーザー方式は雪が詰まって使えずに立ち往生してくる車も多数。

豊田飯山インターからひたすら名古屋へ

現役時代に仕事上の関係で知り合った方が団員の名古屋市民管弦楽団のコンサート。毎年、年に数回のコンサートに行きます

今回はコープランド、ガーシュイン、バーンスタインと全てアメリカの曲。欧州のクラッシックとは異なり、ジャズの要素、そしてリズミカルなアメリカのクラッシック。
演奏されている団員の方、指揮者、独奏者も楽しそうに。
ピアニストのアンコールはガーシュインの”アイ・ゴット・リズム“。
リズミカルな演奏。
そして、アンコールは指揮者の方の“アメリカといえばこの行進曲。皆さん、どんな曲と思いますか?”
星条旗よ永遠なれ、ワシントン・ポスト?
なんと”帝国軍のマーチ“、つまりスターウォーズ。楽しい素敵な演奏会でした。

土曜日に名古屋→東京→上越→野沢温泉→名古屋と。
1,300kmのスキー旅



















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スキーの1週間(2)メテレ・スキー

2025-02-07 14:47:33 | スキー
火曜日はガスが凄くてリフトも見えない状況。怪我したくないのでこの日はスキーを止めて上越高田へ

昔ながらの中華料理屋さん。

中は懐かしいお店



子供の時の懐かしい味
高田の街の雁木

“日本スキー発祥の地記念館”のある金谷山へ。





















スキーの歴史を色々と
1911年にオーストリーハンガリー帝国のレルヒ少佐が軍事技術としてのスキーを日本に伝えるためにこの金谷山で最初にスキーを教えたのが日本のスキーの始まり。
その時に最初にレルヒ少佐の発した掛け声”メテレ スキー“。
“スキーを装着せよ”
それがこの上越高田の金谷山

夜は新赤倉の”居酒屋ぽん太郎“さんで
美味しくいただきました。
水曜日は雪がちらつくものの視界は先日よりも良いのでスキー













昼前にスキーを切り上げて直江津の知人のお店へ



“ザ・ライツ”
妙高高谷池ヒュッテの良き時代のときのスタッフだったオギさんの”タイ料理“のお店








本当に美味しい、素敵なタイ料理。直江津の人は幸せだなぁ〜。
夜の宴会用のおつまみを作ってもらいました。

赤倉に戻る途中、新井の酒屋さん“やまぎし酒店”さんへ
なんとここで数年会っていなかった知人にバッタリと。
驚きました!
夜のタイ料理に合いそうな日本酒と我が家の家飲み用の日本酒を
夜は知人の家でオギさんのタイ料理を、つまみに。

木曜日も朝のうちにスキーを。暖かいのでかなり湿った重い雪







しばらく滑って昼過ぎにスキーのエキスパートの知人が、初めてスキーの板を触った初心者にレッスンをするのを見てから野沢温泉へ



野沢温泉へ着いたら、一番奥にある滝之湯へ





野沢温泉は外湯が、気持ち良いですね。
それにしてもウィークデーということもありますが野沢温泉、ここは日本?と、思うくらいに外国人が溢れています。

外国人で溢れている野沢温泉、夜は”夕食難民“が。
そのために妙高からの移動中に夕食を。そして野沢温泉で長年訪れている酒屋さんで地酒を。

温泉のためか気持ちよくすぐに寝ました











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