ふっ と想うこと

山・雪・風・人、徒然なるままに--

2月に観た映画

2024-02-28 05:55:28 | 映画

静かな、素敵な映画。互いにちょっとした障害をもちながら、とても優しい周りの人達に囲まれて。そしてプラネタリウム、星空のファンタジーがそれを盛り上げて。
観終わって清々しさを感じた素敵な、心が温まる映画。

色々とあった東出昌大さんのドキュメンタリー。猟師となって生き物をから“生”を受けて自分達が”生きる“ということ。映画では捕えた鹿、猪を捌き、内臓を取り出す場面がたくさん出てきます。その世界で“生きること””死ぬこと“を。そしてなんと言っても、東出昌大さんという人の“人の良さ”。週刊誌の記者でさえ俳優と猟師の二つの顔を持った東出昌大さんに惹かれていく。多分、別れた奥さん、きつすぎたのかもしれません。この”will“とは、別れた子供への“遺書”の意味。2時間の映画ですがあっという間に。

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暖かさを感じる名古屋の週末

2024-02-26 09:00:54 | まち歩き
三連休の世間。
愛知県では“トヨタカレンダー”で就業している企業も多く、今回は連休無し。トヨタカレンダーは基本的には土日休み、でも、お盆、年末年始は長期の休みとなるので寧ろ歓迎する人達も多いですね。

土曜日は嫁さんも出展している華道展へ行くために名古屋の街をブラブラと。寒さは戻っていますが風がないので陽光があたると気持ちよく。
既に菜の花は満開
河津桜も満開。朝早くなので観光客も少なく。
嫁さんも出展している華道展へ

展示会場のデパートを出て休日の官庁街へ。途中、名古屋城のお掘りを通って。名古屋城のお掘りの中は、かつて電車が走っていました。瀬戸電気鉄道。瀬戸物で有名な瀬戸市から名古屋の街中を流れている堀川まで。瀬戸物を運ぶために。“お掘り電車”の愛称。堀川からは水運で瀬戸物を運んでいました。瀬戸電気鉄道は後に名古屋鉄道、通称”名鉄“に。
その名残がかつてお掘りの中にあった駅跡に残っています。
名古屋は水が豊かで、そのために多くの酒蔵が。そのうちのひとつ、大曽根にある”金虎酒造“さんへ。
新酒のときには緑色だった杉玉も茶色く
先週から販売された“寒造り、しぼりたて”を。
あっさりとしたキレのある美味しいお酒。以前、蔵の方とお話をしたところ越後杜氏の流れをくんでいるとのこと。いつも美味しくいただく上越のお酒に近いものが感じられます(あくまでも個人の感想)
夜は美味しくお酒をいただいて。

日曜日は朝から雨。近所の八事興正寺、普門園へ。期間限定でその時折の季節の催しを。今回は”桃花の室礼“。桃の花にちなんで、春の訪れを楽しむ催事。

人数制限の時間ごとの完全予約制なのですが、この時間は我が家だけ。スタッフの方と色々とお話をしながら静かに春の訪れを

このお雛様、座っておらず立ち上がっています。それは向いた方角に掛け軸があって、何か楽しそうな掛け軸なのでそれを見ようとしている、という設定だそうです。



座敷に作られた“釣り釜”
お茶の先生でもある嫁さんに聞いたら、釣り釜は扱いが大変だそうです、ユラユラと揺れるので。


スタッフの方が”桜湯“を。桜の花びらが、なんともいえない味を。

半世紀前のお雛様。当時の流行りの装いだそうです
この展示物、和服ではなくて、和服を掛けている調度品がメインだそうです。漆塗りに蒔絵が施されています。鮮やかな中に、しっとりとしたものを感じます

奥の茶室へ行くと五人囃子が




昔の和ガラス、微妙な歪み、光の屈折が中庭の雰囲気をまた独特に。
明と暗が見事な調和に

廊下から裏手の竹藪。
すると、雨音のなかから鶯の鳴き声が。今年、初めての鶯

この廊下を見ていたらふっと柱に飾りが。スタッフの方にお伺いしたら
“訶梨勒”(かりろく)という御香だそうです。このスタッフの方は、香道の専門家の方で色々と貴重なお話を。


スタッフの方たちとお別れをして外へ。梅の花が満開。五重塔を背景。

催事にはお寺の喫茶店”ライブラリー喫茶店“での季節のお菓子とお茶が半額て。
抹茶と季節の和菓子をいただきながら静かな時を。
雨の降る日曜日の午前中の静かなひとときを。














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春のような野沢温泉、そして色々と

2024-02-19 08:28:39 | スキー
生暖かい朝の長野県飯山

信濃川(千曲川)に川霧。これは春の訪れを表すもの。まだ2月なのに
雪も道路にはありません。
野沢温泉のゴンドラから妙高山方面。快晴です


ゴンドラ降りてゲレンデに立つと頸城の山々が一望できます。

今回も灯籠木峠から七ケ巻(ならまき)へ。顔なじみになった温泉街のコンビニのおじさんと話しをしながら、最近雪が降ったから新雪かも?と。

少なく固まった雪の上に降った新雪を気持ちよく歩きながら。

うさぎの足跡がアチラコチラに。ウサギの運動会のように縦横無尽に。

水尾山山頂。2週間前よりも雪は少な目
やはり洗濯板のような、段々畠のような雪の少なさ。その上にパウダーが。なにかパウダーがもったいない、そんな気がします
奥志賀林道へ降りると遠くに苗場山、八海山などが。

奥志賀林道の道標も2週間前よりもしっかりと出ています
稜線から七ケ巻へ向かう途中、妙高山、火打山が綺麗に。
でも雪が少ない!

写真撮っていると、迎えの山の鍋倉山方面からスノーモービルの爆音が山あいに響き渡っています。静かな自然を楽しむ気持ちをブチ壊しますね。暫く経つと爆音も聞こえなくなりました。
滑りにくい斜面

昔のツアーの看板も朽ちて、木に取り込まれて一体化しています。もう、このクラシカルツアールートも歴史の中に消えていきます。

滑りやすいところを探しながら滑っていたら、通常のルートを外しました。このルートは尾根が3つに分かれ、真ん中が正解。20年近く来ていると何回か間違えたことも。今回も慌てずに。そして、負け惜しみではありませんが、木が大きくなって藪漕ぎする通常のルートよりも滑りやすかったです。

予定通り七ケ巻(ならまき)へ。
千曲川の対岸から飯山線の踏み切りの音。暫くするとディーゼルが単行で。そういえば昔は飯山線は列車の窓よりも高く雪が積もって、雪の回廊の中を通ったものです。そして国鉄で一番の積雪を記録したのは北海道、東北ではなくてこの飯山線。昔はよく自衛隊の隊員の方達が除雪していました。
そんな豪雪も昭和の思い出



七ケ巻(ならまき)で1日3便のバスを待ちます。ポカポカとして気持ち良い(ですが雪が無い)

昼過ぎに宿に戻り、温泉街から外れて一番高いところにある滝之湯へ。
誰も入っていないので嫌な予感、熱くて足を入れるとジンジンと。
逆に誰もいないので自撮り。
野沢温泉の外湯、寒いと寒さの寒気と人が入って撹拌されて温度が下がります。でも、暖かい気温、誰も入っていない、ということで熱く。

嫁さんは熱くて入れなかった、桶でお湯を浴びただけ、と。
宿に戻る途中、河原湯へはしご。温泉街の中にあり多くの人が入るので適度な温度

夜は先々週に続いて昔からあるお好み焼き屋さんへ。日本人は我が家だけ。お店の人と話しをすると、スゴイことになりましたね!と。昔はもう少しノンビリとできましたが、と。ゆっくりしていって下さいよ、とは言われましたが外に外国人が並んでいるので店を出ました

夜は硬い雪のバーンを滑ったので足も痛く、温泉効果、夜のお好み焼き屋+ビール、そして朝寄ったお店で買ったワンカップの地酒でバタンキュー。

野沢温泉といえば外湯。
朝起きて近くの外湯へ。
振り向くとモルゲンロートの妙高山

部屋に戻ると頸城の山々が朝の光に輝いています

いつもの”みゆき商店“さんで“道祖神饅頭”と添加物ゼロの野沢菜漬けを。添加物無いので日持ちはしませんが、絶品
お店の横には山形県の羽黒山からの昔ながらの道標。ここは昔からの道で羽黒山へ参拝した参詣者が湯治に来たそうです。

東京経由名古屋へ

北アルプスもくっきりと



山々には早くも真っ赤な蕾を付けた杉林。一面、真っ赤です
見ているだけで鼻がムズムズしてきます。

横川SAでは”おぎのや“さんの釜飯。牡蠣入りと鮭のはらこの釜飯

不思議なのはそれぞれ包装紙に描かれた“創業◯年”の数値が違うこと。多分、古い包装紙を使ったのですね。新たに作らずに無駄なことしていないのが好感持てます。

東京の用事を済ませて神奈川県登戸の父の墓参り
お寺さんの梅も良い香り

夜に名古屋へ。
週末、名古屋→野沢温泉→東京→名古屋と900km。

日曜日の朝の野沢温泉、バスターミナルには多くの外国人が荷物を持って集まっています。もう、外国人スキー客も終わりかな、と。
ところで、土曜日の夜、温泉街を歩くと、ここは日本か?と、思うくらい外国人。そして外国人で溢れているスタンドバーが。

野沢温泉は、まだ、村の管理がしっかりしている方なので良いですが、外国人リゾート会社、外国人資本の入った所は色々と考えさせられます。
ニセコヒラフに40年近く通っていて、のどかな時代→オージーの裕福な人達が増え始めた時代→外国人相手に商売をしようと来日した外国人→オージーのバブル崩壊→アジア系の買占め。

結局、そこに住んでいた日本人の人達は元々は農業と宿の経営で生業収入を立てていましたが、高騰する地価、跳ね上がる固定資産税で殆どがいなくなりました。

そこへ投資目的で大量の不動産購入、そして”世界的な“リゾート地へ。これも、ひとえに昔と違ってインターネットの力も大きいと。その結果、日本人が泊まることのできないようなコンドミニアムばかり。
海外のリゾート会社にすれば“貧乏な1億3000万人=日本人”よりも”1万人の金持ち=外国人“のほうが優先されます。野沢温泉のように管理できていればまだ歯止めできますが、もう無法地帯。しかも日本にはお金が落ちない巧妙な仕組み。国税庁がいくらでも調べてもお金の流れがつかめない、その一方でライフラインの向上は日本に要求する。

外国人の土地規制ができず、日本以外の殆どの国が“相互主義”を採用しているのに、日本だけがそれを行っていないのは何故だろうか、と。
莫大な利権が絡んでいるのでしょうね。
結局は、日本人が住めず、雇用も日本人ではなくて海外からの人を使うと。よく、日本の行政は、リゾート開発をすれば税金増え、雇用が増える、と。まやかしだと。
今、全国各地が”第2のニセコ“を目指して海外のリゾート開発会社を受け入れ始めています。新潟のとある地域でも。
そして、日本人が手を出せないリフト券高騰、宿泊費高騰となり、スキーが大衆スポーツではなくなります。世界的に見ればスキーはやはり金持ちのスポーツ。でも少なくとも“昭和”の時代は”私をスキーに連れてって“という映画のように大衆のものでした。

これからもっと酷くなるのかな?


























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メテレスキー!、でも春はすぐそこに?

2024-02-13 08:11:05 | スキー

三連休は妙高赤倉へ
斑尾山からの日の出
妙高山は日の出で紅く染まっています


今年のゲレンデはここ数年の中でピステンの整備がしっかりとしてしています。朝一番のまっさらの、きちっと整備されたピステンのあとのゲレンデの滑走、ものすごく気持ち良い!


三連休なので混んで来たので早めにゲレンデを撤収。そして美味しいお昼をぽん太郎さんで。

美味しいランチの後は、上越高田、金谷山スキー場へ

一本しか無いのに何故”第2リフト“と思って係員さんの方とお話をすると、“昔、高田平野に向かってジャンプ台があってそこにあったリフトが第一リフトだったのですよ”と。なるほど、昔は、ジャンプ台ありました、今はなくなっていますが。
のんびりと、シングルリフトでカタカタと。



日本海もよく見渡せます

この金谷山、日本のスキーにとっては歴史的な場所。
八甲田山死の彷徨として有名な(悪名高き)日本の山岳遭難の歴史で最大の犠牲者を出した陸軍の大量遭難、そしてその後の日露戦争と”冬の戦争“のために“スキー”の必要性を感じた陸軍。そこでオーストリアからレルヒ少佐を招聘、陸軍にスキーを導入のための訓練
1911年、明治44年1月12日。
ここで発せられたレルヒ少佐の
”メテレスキー!“(スキーを装着せよ!)
これが日本のスキーの歴史の始まり
ちなみに次に発せられた命令は
“オテレスキー!”(スキーをぬげ)

最初にレルヒ少佐が訓練をしたのはスキー場の反対側、高田平野を望む斜面。ちなみにこのレルヒ少佐の銅像は高田平野を見下ろし、更に故郷オーストリアを向いているそうです
レルヒ少佐、その後北海道にわたり、倶知安駅近くの旭山スキー場で、軍事訓練を行っています。このときには少佐から中佐に、そして倶知安にあるレルヒ公園の銅像は恰幅が良くなっています!
夜は久しぶりに外国人だらけの赤倉、柴田食堂さんへ。おばちゃんも元気そうでした
連休中日。
天気悪く視界も無く、更に朝から駐車場が満車になるくらいのスキー客。こんなときにはスキーをしても楽しく無いし、なにしにろ怪我をしたくないので自然の中へ

いもり池の周りをステップソールで








野鳥も沢山。

ゲレンデの喧騒から逃れて静かな冬を。



モンスターのような木。これも冬の雪のいたずら?

天気が良いと妙高山が見えるいもり池。ですがスキー場がよく見えるので、せっかくの妙高山も台無し。
でも妙高山は見えなくてもガスでスキー場が隠れて静かないもり池。

お昼はぽん太郎さんで大好きな”牡蠣フライ“。
夜は知人達と“うどんの歩”さんで。
美味しい料理と美味しいお酒、そしておじさん、おばさん、知人達と楽しく赤倉の夜を。

連休最終日も朝は天気悪いので妙高赤倉から名古屋まで高速道路使わずに国道18号、19号を抜け道使って名古屋へ南下
いつもの木曽上松のお蕎麦屋さん”越前屋“さんへ

江戸時代からある歴史的な蕎麦屋さん。皇女和宮、十返舎一九、その他の名だたる歴史上の人達も食した蕎麦屋さんです。


この冬の時期だけの“すんき蕎麦”
”すんき“とは木曽地方の冬の保存食。赤カブを発酵させたもので酸味が強く、蕎麦に加えると独特の味に。そして最後に蕎麦湯を入れると蕎麦湯のまろやかさとすんきの酸味が美味しい蕎麦のつゆと相まって美味しい味に。

お店の方と話をしていると、外には春が来ていますよ!、と。

お店の周りにはもう、初春の花、福寿草が咲いています

今年は冬らしくなく、既に春が。
今年のすんき蕎麦、期間が短そう。




















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ブナ林の原生林の中を。雪の少ないスキーツアー

2024-02-05 08:45:25 | スキー
野沢温泉スキー場へ

飯山市の中は雪は殆ど無し
来週の雪まつり、毎年街なかにある雪の灯籠もなく、雪まつりの会場にも全く雪は無し。何年か前にも似たような事がありました。雪の多い年、少ない年もありますが、最近は年々雪が少なくなっている、そんな気がします。

野沢温泉の街なかも雪が少ないです
灯籠木峠から昔ながらのスキーツアーコースへ。

ブナの原生林が綺麗


水尾山山頂。雪が無いと来ることのできない山頂。

水尾山から奥志賀林道めがけて滑りましたが、新雪でパウダー!
でも、雪が極端に少なくて、まるで“洗濯板”の上を滑っているような、段差だらけ。

やっとの思いで、奥志賀林道。
例年雪に埋もれている道標が露出
普段見ることのできない立て札も

奥志賀林道、雪が少ないので、いつもは感じない登りの傾斜を感じます



林道から分かれて七ケ巻(ならまき)へ。その途中、不思議な木を。
きれいに折れています。
段々畑のような斜面をなんとか。

もう20年以上通っているルート。昔は小さかった木々も大きく。そして雪が少ないので藪になり始めています
昔、七ケ巻にあったスキー場の名残。リフト降り場跡

七ケ巻へ少し藪漕ぎをして到着
七ケ巻には人の背丈ほどの段々畑
バス停近くでビール🍻
このルートは奥志賀林道から七ケ巻へ向かうと大きく二つ、細かくいうと更に二つ、3つの尾根に分かれます。正しいルート以外でもたどり着けますが、かなり手強い。昔、ルート外して、1日3本しか無いバスに乗り遅れてタクシーを。バスではふたりで600円、タクシーでは10年前で6000円。とにかくバス停近くまできてようやく乾杯🍻

バス停は”七ケ巻“。昔からの呼び方は“ならまき”。でも数年前には国道のローマ字表記が”なながまき“。バス停は一昨年までは“ならまき”、でも昨年から”ならまき“と。こうやって歴史の中に埋もれていいくのですね


地元の方の倉庫がバス停。

懐かしい岩城滉一さんのケンメリスカイライン。
“バス”が到着。昔は普通のバス、そのうち小型バス、そして最近はワンボックスカー。
昼過ぎに野沢温泉着
野沢温泉といえば外湯。一番奥にある滝乃湯へ。とても熱いことも。嫁さんは熱かった!と。男性風呂は前の人が水で薄めたのか、少し熱めでした。
夜は外で。40年近く通っている民宿もおじさん、おばさんの高齢化で夕食は無しに。
昔からある近くのお好み焼き屋さんへ。インバウンドで外国人が増えてからは大変なことに。お店では我が家以外はすべて外国人。日本人は我が家だけ。

美味しいお好み焼きは昔ながら。
そしてボリューム満点

外へ出るとお店の前には10人位の列。温泉街への中を歩くと、夕食難民の外国人、そして日本人が物凄い数。そして、えっ、この店に!というお店にまた長蛇の列。
顔なじみになったお店の方と話をすると、結局のところお店に入れず、カップ麺を食べる人が多いとのこと。わざわざ野沢温泉に来てカップ麺とは。これが今の日本政府が求めている”観光立国“なのですかね!
朝、寄ったコンビニ兼酒屋へ。夜の部屋で呑む地元のお酒を。そして顔見知りになったおじさんと色々と。この日もバックカントリーなのか遭難救助で4人ほどが、と。
なんの知識もなく、しかも複雑な地形の野沢温泉一帯の山。困ったものですね。
ちなみに我が家は常にGPSは当たり前、ビーコン、そしてCOCOHELIと。勿論、GPS以外は未だにお世話になったことはありませんが。いつものルートは雪崩の危険は少ないし、仮にビンディグ壊れても歩いてたどり着けます、昔、ビスが外れて片足で降りてたことも。ただバスの時間に間に合うようにひたすら下って必死でしたが。

朝早かったこと、藪を避けながら踏ん張って滑ってきて足がパンパンだったこと、そして美味しいお好み焼き、ビール、部屋でのワンカップ、そして何よりも温泉で心地よく早めに眠りに。

翌朝は朝風呂。
野沢温泉に来たら朝風呂に。
ただ朝は熱いので気をつけないと。昔、朝の熱い外湯に飛び込んだ馬鹿な客が火傷して野沢温泉を訴えました。それ以来、“強制的に”水で薄めるようにはなっています。ちなみに、朝風呂に飛び込んだ当の本人は、野沢温泉に初めて来たのではなく、何度も来ていたそうです。
この日は東京経由で名古屋へ。
野沢温泉で個人的には一番美味しいと思う”みゆき商店“さんの“道祖神饅頭”。上品な餡にチーズが入っていて絶妙な味。勿論、他のお店の温泉饅頭も美味しいのが野沢温泉の温泉饅頭。

豊田飯山インターから東京へ
軽井沢インター近くの、トンネルの上にあった巨岩の撤去作業中。

いつも寄る横川SA。釜飯出有名なおぎのやさんのおむすび。昨年は無かったので今年からですかね。美味しかったです。

ただ残念だったのは、いつも、横川SAで楽しみだった”下仁田ネギ“がとんでもなく高くなったこと。昨年までは結構な量があってお手頃価格でしたが。人手不足なのか温暖化なのか、はたまた経費増なのか。名古屋で買ったほうがお得になってしまいました。そして名古屋の近所のお店にあるものも。
あとはひたすら練馬へ

東京の荻窪のラーメン屋さんの横を。子供の時からある、なんの変哲も無い醤油ラーメン屋さん。美味しいお店ですが、ここまで並ぶのかなと。東京は人口が多いこと、また、SNS等でお店に行く人も多いのでしょう。いつも思うのは、東京の人は食べるのに並ぶ、その“無駄な”時間、いつもは時に追われているのに。本当に時間の無駄遣い、そして情報に振り回されている、疑問の多い生活を送っていますね!
子供の時に学校帰りに遊んだ神明社、天祖神社。

梅の花

通った小学校の隣の屋敷森は近くの病院の新築のためにその面影は無くなっています。
わずかに残った木々もあと僅か。
思い出がまた、一つ、消えていきます
東京出用事を済ませて神奈川県登戸の善立寺にある父の墓参り

ずっと咲いていた冬桜も最後に。

あとは名古屋へ、来週が三連休のためか高速道路も空いていて順調に。


























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