半年に1回の腎臓癌の検診で名古屋大学病院へCTを。
20年近く、通院していて、技術、システムの進歩は、物凄い速さで変化しているのを感じます。
昔は、主治医(助教授)がカルテをパソコンで入力する時間の方が問診時間より長かった、なんていうのも昔話(ワンフィンガーで文字入力していましたから)
また、以前はCT、採血と、問診は、別の日でしたが、今ではCT受診後、1時間以内に3D画像が主治医のパソコンに、しかもカラーで。しかし、システム化が進みすぎると、作業がさらに煩雑になって、入力項目が多くなりすぎ、しかも、少しでも入力ミス(致命的なものではなくても)があるとエラーとなり、より負荷がかかりすぎる、と今の主治医も嘆いていました。
民間の会社も同じ。システムのためのシステム化。
なにか変です。
システム、技術の進歩は、来るたびに驚きます。
でも、その一方で、受診する側のレベルの低下、どうかと思うことも増えてきました。
病院ですから、各種ハンディキャップを、持った人達が集まります。その中で、より健常者の人達と阿吽の呼吸でやりとりすることは当たり前でした。
でも、最近はハンディキャップを、持った人達の横暴さ、目立ちます。今朝も、採血で皆さんが並んでいる列に、杖をついた人が強引に横入り。当然の顔をして。足の悪いお年寄り達も並んでいるのに。
この“弱者”を強調した強引さ、最近よく感じます。バス停でも並んでいる列に、後から来た乳母車の母親が当然のように列の最前線に割り込む、そんなことは日常よく見る光景。
健常者とハンディキャップ者との関係は互いに尊重しながら、接して行く必要があると思います。
世の中、“権利”と“義務”のふたつしかないのではなく、その間にある“気遣い”という、日本古来の良さ、これが失われている、そんな気がします。
何事も白黒をはっきりさせてギスギスした世の中になっている、さみしいですね。