ふっ と想うこと

山・雪・風・人、徒然なるままに--

今年の花は寂しいのか、本当の姿なのか?

2020-04-06 10:39:33 | 日記
東京の外出自粛、今回は本気なのかな、と(でも、後に違うと。危機意識は少ないですね)。


土曜日、梓川SAは相変わらず車は少なく、なんと東京のナンバーは無し。あるのは中部圏の車。


今年、最後のゲレンデスキー

今年からの解放エリアを

なんと、まだまだ雪はありますが、突然、スキー場の営業中止とのこと。日曜日で終了。スキーヤーも減り経営的には厳しかったのかな?
早めに切り上げて春を探しに

高床山からの妙高山。
高床山には雪は無く数組の人達が咲き始めた桜🌸の下でお食事を。春の温かい日差しの元、のどかです。
上越の知人から美味しいラーメン屋さんがあるのでぜひ、とのことで高田へ。

高田独特の雁木の中におもむきがある佇まい。

中も、昔ながらの雰囲気

醤油味で美味しいです。そして大きな餃子。知人によると上越高田のソウルフードとのこと。
納得しました。
高田には夜、夜桜を見に来る予定なので桜以外の花を。

先週も来た観音平古墳群のカタクリを。
先週は天気悪く花は開いていませんでしたが今日は大きく花を開いています。











皆さん、桜の花を見に行っているのか、今日も我が家だけ。と思ったらおばあちゃんが。
”近くに住んでいるけれど初めて来た。凄いね!”
近くには鮫が尾城のカタクリが有名で沢山の人が来ますがここは静かです。車を停める場所が少ないせいかも。
夜は知人と上越高田の夜桜

今年は中国ウイルス(武漢ウイルス)のせいで出店、イベントは全て中止。そのおかげでゆっくりと桜を観ることができました。
















夜はせっかく町へ降りてきたので新井のお店へ

いつもは混んでいて中々予約の取れないお店、今日はガラガラ。



上越地区では感染者出ていませんが影響あるのですね。
代行で新赤倉へ。
夜は雨、そして寒かったのでひょっとしたらと思っていたら



雪が。
スキー場営業終了は勿体ないな。例年は雪がある限り営業しているのですがやはり営業的には厳しいのですね。
ここからは、母親のいる東京経由で。



妙高インターからいつも立ち寄る横川SAまで、車は驚くほど少なく東京ナンバーの車は皆無。



更に、藤岡JCからも信じられないくらいに車はいません。
東京の実家の近所では人は少ないものの結構、人が歩いています。



子供の頃からの近所の桜の老大木も散り始め

桜以外の春の都会の花

小学校の校庭解放も中止。



せっかくの桜も寂しそう。
近くのスーパーでは、緊急事態宣言が近いとの思惑からか前回はあったトイレットペーパーは皆無。または始まったパニック。
東京滞在中は母親以外とは会話せず、極力何ものにも触れず早めに脱出。
神奈川の登戸の父親の墓参り。
ちょうどしだれ桜が。

ここでとんでもないことを!
いつも行く近くのお花屋さんで話しをうかがったらなんと、東京のお金持ちの人達は皆さん東京を、脱出して伊豆の方へ出かけているそうです。特に別荘のある人達は多くの人達が訪れているそうです。
結局、イタリアであっという間に国中に感染が広まった一つの要因に感染地帯から脱出した人達が感染を広めていた、とのこと。日本でもおなじことが。
でも、そんなことあるのかな、と思っていたら帰りの新東名でよくわかりました。
東京方面への上りは御殿場インターあたりで渋滞しますが、さすがに渋滞はありませんでしたが、非常に多くの車。上信越道、関越道では車が少なかったと思っていたら、温かい伊豆方面に多くの人達が押しかけていたのですね。

相変わらず御殿場SAには観光バス無く、高速路線バスのみ。しかも、JR以外の定期高速路線バスは運行中止、若しくは大幅減便。
静岡県の西部地域あたりから名古屋あたりまでは多くの車。何故か中部圏はウイルスの感染者というよりは入院者が少ない影響かもしれません。
それにしても、あちらこちらで目につく桜🌸。日本人はこの花に特別な思いがあるせいかどこにでもあります、そしてこの時期、日本中で一斉に咲き誇ります。そして日本人はその花の元で人々どうし、冬から春への季節の移り変わりを楽しみ分かち合っていました。
今年は、少し事情は異なっています。
でも、これが本当の春の楽しみなのかもしれません。日本人は平和な大平の世を楽しみ、少しは度が過ぎたのかもしれません。
今回、一度立ち止まって、自然の流れを楽しむのもよいかもしれません。
それにしてまで、中国ウイルス、武漢ウイルス、現代のチャイナシンドロームかもしれません。




















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週末は日本の伝統文化に

2019-09-30 12:01:13 | 日記
9月末で退職するので永年お世話になった方へ

最後の近鉄特急に乗って三重県鈴鹿市白子(しろこ)へ。

お客様へ行く前に街中を散策

この鈴鹿市付近は伊勢型紙で有名

着物の模様の型紙、これを利用した栞を購入

記念に。
20年以上のお客様を訪問して色々と。昔はよく、怒られました。
名古屋に戻ると有名なナナちゃん人形

土曜日は越前市武生へ知人の尺八の演奏会。
でも、昼過ぎなのでドライブがてらした道を

1度は行ってみたかった養老の滝

朝早かったので観光客は皆無


濃尾平野が霞んでいます

関ヶ原では西軍の跡地を



大河ドラマの影響か、観光客もそれなりに





やはり敗戦の地は寂しさもあります


彼岸花もものの哀れを感じさせます。

雲に隠れた伊吹山経由越前市へ

越前市では越前そばを


辛み大根の辛さ、刺激的
でも、病みつきになる味。

食後はブラブラと。
越前市武生はいわさきちひろさんの生誕地。


いわさきちひろさんのご主人である故松本善明さんの選挙区の中に東京の実家がありました。1度、ちひろさんに会いました。とても優しかった微笑みだったと記憶しています。描かれた作品に表されている子供の姿、とても素敵です。新入社員の時、先輩のお宅をお邪魔したときに、いわさきちひろさんのファンだった先輩と奥様、お子さんに”ちひろ”という名前をつていたのも、30年以上前の思い出。

そして演奏会

最近は尺八、琴だけではなく、ピアノとコラボしたり、曲も現代的なものも。今回はゆずの曲も。
どちらかというとマイナー基調の日本の古来の音楽が明るいポップ調、西欧的なテンポにも合います。
この頃ではCDでも、若い邦楽演奏家達がこぞって管楽器、弦楽器等とコラボした作品出していますね。
日本古来の音楽、新たな息吹を吹き込まれていけばよいですね。

あとは、名古屋に。
翌日は新たな代車

一体いつ、戻ってくるのかな?
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春の訪れは寂しさを(2)いつから春に寂しさを感じ始めたのかな。

2019-03-19 08:34:57 | 日記
野沢温泉の朝は、外湯でモーニング温泉


春に近くなると、スキー客、外国人も減って野沢温泉本来の静けさ、落ち着きを堪能できます。その分、外湯は熱いですが。
野沢温泉からは妙高山、火打山が。

野沢温泉では、老舗のお店”みゆき商店”さんへ。

このお店だけが温泉饅頭を”道祖神饅頭”の名前で販売。そしてこのお店の野沢菜、混ぜ物がなくとても美味しいです。その分、賞味期限は短いですが。
そして、野沢温泉と言えば木彫り道祖神が有名です。作者は二人いらっしゃったそうですがそのうちの一人が亡くなってしまいました。その方のものも販売しているのもこのお店。

天気は午前中持ちそうなので、飯山へ

飯山は落ち着いた、素敵な町

そしてお寺が沢山あります。

中でもこのお寺の住職さんが上越高田でレルヒ少佐からスキーの教えを受け飯山へ山を越えて戻ったので長野県最初にスキーをした人、とされています。




元々仏壇を作っていた飯山、当時の国の施策によってスキー板の製作が盛んになりました。スキーは元々軍事目的でした。今はなき日本の有名なスキー板製造メーカーは飯山発祥の企業が多かったです。

最近は高橋まゆみさんの人形博物館が有名。

朝、1番に訪れたので静かに、懐かしい光景を楽しむことができました。
飯山に来ると必ず訪れる”正受庵”へ

ここは、別名”阿弥陀堂”、かつて樋口可南子さんが出演された映画”阿弥陀堂巡り”の場所です。

六文銭、ということは真田家の影響下にあったのかな。
丁度、この日は住職さんが雪囲いを外していました



雪の少なかった今年の飯山、春の訪れも例年以上に早く、駆け足で近づいてきています。
後は、急ぐ訳でもなく、国道117号、19号と木曽路経由で名古屋へ

木曽路に入ると雪が。
木祖村の福寿草も気のせいか寒さに震えているように見えます。

上松で、いつもの越前屋さんで蕎麦


日本で2番目に古い蕎麦屋さんだそうです。

冬の木曽路の食べもの”すんきそば”
発酵させた漬け物が、のった、独特の酸味のある、冬の風物詩。
これがなくなると、木曽路も”春”

ところで、歳をとってくると”春”に心踊ることがなくなってきます。

若い頃は”春”=”出会い”
でもいつの頃からか”春”=”別れ”と感じるように。

年齢を重ねると、今までのものを失うことの方が多くなるかもしれません。

もう30年以上、通っていた野沢温泉の民宿もおじさん、おばさんが歳をとって、どちらかがからだを壊したら宿やめるよ、と。

やはり、若い頃から動き回ることが多く、色々な人と出会い、すごしていると、よけいに失うものが多く感じるのかもしれません。

でも、やはり、昔ほどではないですが新たな出会い、新たな経験を求めて行くことが必要かな。

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”列車ホテル”

2018-09-06 19:24:41 | 日記
4日は今年最強と言われる台風21号が近づいている中、岩手県近くの宮城県境へ出張

朝7時前に名古屋駅を。
既に、空は嫌な感じ。
東京駅までは特に問題なく。
そして東北新幹線へ

学生時代すごした仙台もビルが立ち並ぶようになり、昔の面影はないです。
ようやく、大学近くの八木山を。


そして、広瀬川。
車内を見ると

東海道新幹線では見ることのできない、床に新聞紙を敷いて靴を脱いでいる光景。
東海道新幹線と東北新幹線、明らかに雰囲気が違います。
あくまでもビジネスライクな東海道新幹線、観光客も多く、なんとなく日本の昔の雰囲気が感じられる東北新幹線。
個人的な思い込みかもしれませんが!
仕事を終えて、夕方にくりこま高原駅を。


ここはラムサール条約を日本で最初に締結した伊豆沼があります。冬には渡り鳥の写真を撮る人達で静かな駅が賑やかになります。
そして

味噌を紫蘇で巻いた紫蘇巻きも昔ながらの味、お土産に。後は”仙台麩”が有名ですが、売店にはありませんでした!
そして東京駅に着いたら、やはり予想通り

台風の進路から山陽新幹線は運休しても東海道新幹線は大丈夫、と思っていましたが、米原と京都間で架線に飛んできた異物で送電ストップ、更に京都で変電所からの送電線が破断、ということで昼から運休。

運転の再開を待つ人達が改札口の中にも。もちろん、多くの人達が改札口の手前にも。
特にディズニーランドへの観光客も沢山。なんでこんなときにディズニーランドへ遊びに行くのか、理解に苦しみます。そんな人達は自業自得として仕事の人達は皆さん、根気よく再開を。
21時に名古屋行きのこだま、22時にやはり名古屋行きののぞみ。

どうせ、名古屋駅までは運転されると思い、21時のこだまはやり過ごして22時ののぞみへ。
というのも、21時にこだまが運転されるとアナウンスがあると多くの人達が殺到、混乱していたので、気長に次の列車を。
22時ののぞみは臨時列車といいながら、じつは19時半近くの列車番号、つまり特急券の払い戻しの2時間遅れになっていない列車番号を使用。
JR東海もセコい、と思っていたら、二日後の今日6日に特急券返却のメール。

名古屋駅には普段より1時間近くかかって到着

というのも、途中三河地区での豪雨、そして先行列車に病人が出たとのことで名古屋駅手前て30分停車。

ところで、新大阪までの運休が決まったので、名古屋から先へ行く人達のために、”休息用の列車を用意します”とのアナウンス。
いわゆる”列車ホテル”
いつもテレビでは見ていましたが初めてのこと。到着した列車をそのまま使うのかと思っていたら、わざわざ、宿泊用の列車を用意するのですね。
多分、名古屋には、列車を整備する設備があるためかもしれません。

それにしても、翌日には復旧していたので、やはり日本だな!と。

会社人生35年で国内の出張では初めてのこと(海外出張ではよくありましたが!)、サラリーマン人生最後近くでの初めての体験!
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