ふっ と想うこと

山・雪・風・人、徒然なるままに--

3月に観た映画

2023-03-31 15:37:55 | 映画
ユニセフも共同制作に参加。
イタリアの田舎の美しい自然の中に囲まれた小さな本屋さん。
そこには色々な人達が、それぞれの思いで通ってきて、それを静かに受け入れる老主人
移民の子どもを中心にして色々な人達の、直接は交わらない、でも、“本、本屋”を介して交わる、ありふれた日常のいとなみ。
自然の、淡々と、繰り返す美しい四季の移り変わりの中で人々は変わっていく、そんなことを静かに描いた素敵な映画
東日本大震災から10年以上、未だに多くの人達の心に傷が。そして、コロナ禍で自ら命を断つ人達が増えている日本。その“自ら命を断つ”のではなく“生きていくこと”の大事さを表そうとして作られた映画。その趣旨に賛同した俳優さんたちが出演した、オール宮城県ロケ。
苦しんでいる人達に“頑張れ”という事ほど酷いことは無い。でも、生きていくことの素晴らしさを知る、教える事により、自ら命を断つことを防ぐ、その事を描いた静かな映画。
“人は死に向かって生きている”
昨年のプラン75を観ての衝撃に匹敵するくらい、衝撃を受け、考えさせられる映画。
現在の日本では介護者による要介護者の殺人が増えています。
認知症になり、誰か解らないそんな状況になっても自らの命を絶つことを許されない現代。そしてその負担は介護をする家族に。
苦しむ家族のために、または認知症になった本人の尊厳のために殺人を犯す介護士の“正義”と、いかなる理由によっても他人の生命を奪う事を奪う許さない検事の“正義”のぶつかり合い。そして親子の“絆”が親子の“拘束”となる現実。
他人の命を奪うことを認めていない法制度の守護者たる検事が次第にその限界を知り、複雑な心境に。
介護士の松山ケンイチさんと検事の長澤まさみさんの息が詰まる迫真のやり取り。
実家の母親が今、施設に入っているので家庭内での介護、ということはありませんです。しかし、これからは団塊の世代の人達が増える介護の問題、特に都市部では手の施しようがない無いと。自分は年齢的にはその後となりますが、非常に厳しい問題。
なぜ、今の日本は、子供、働いている人達、そして老人達が生活に苦労する国になってしまったのだろうか。
そんなことを考えさせられる、重い映画。

岐阜県飛騨市の古川、神岡でのロケ。時代は1980年代。
片親、ハンディ、その他の色々な家庭、子供の複雑な関係の中で、多感な子供のちょっとした心の揺れを描いた、懐かしい映画。半世紀前の東京で小学校時代を過ごした自分にとっては、これ、あった!というものばかり。子供たちは自分達ではどうしようもない親の影響の中で、イタズラ、という行為で自らを表現、そして仲間と。“あの子とは付き合っちゃだめ”と親に言われながら、子供の世界では親の目の届かない所でしっかりと繋がっていました。
そして、しがらみにまみれた親の正義とは違う、純粋無垢な子供の正義。
そんな懐かしい世界。
それを、今は廃線となった神岡鉄道、昔の国鉄神岡線を、動態保存されているディーゼルカーを走らせて描いています。
その廃線のトンネルは、子供から大人への人生のようなものとして。
今は、廃線の上をトロッコで走る“マンテンレール、ガッタンゴー”として訪れる線路を使って。
全国的に大々的に上映される映画ではないですが、まさに昭和世代へのオマージュのような、おとぎ話のような素敵な映画







コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

天気に恵まれない週末

2023-03-27 10:37:46 | スキー
今シーズンは、春先になると、週末に天気が崩れることが。
そしてあまりにも暖かくて、ゲレンデの雪もみるみるうちに融けて。
視界が悪く、しかも雨が降っているので、こんな時にはスパッとスキー諦めてブラブラと

赤倉観光リゾートスキー場下のカフェには昔の懐かしいホテルの写真

ホテルオークラ時代の、当時では日本のリゾートホテルの草分け的ホテル。
93歳になる母も若い時にデパート勤めのときに、会社の上得意様達を連れてこのホテルに来た、と。




ホテルの中も昔の格式の高さをうかがわせる雰囲気。

みるみるうちに天気はさらに悪化してきたので上越地方を。
以前から気になっていた“TATSUJI”
へ。宿とランチが。
新潟県の旅行支援クーポンが使用できるので少し早いランチに。

中は古民家をとてもセンスよくまとめられた素敵な雰囲気
日本のスキー発祥の地、金谷山の目の前にあるため、レルヒ少佐のレリーフ。お店の前から金谷山のレルヒ少佐の像も見えます
落ち着いた雰囲気

“ポキ丼”
“蟹トマトクリームパスタ”
どちらもとても美味しかったです。
ご飯もお米の粒が大きく、美味しいです。メニューを見たらドブロクを買う農家民宿のお米。ご主人にうかがったら、
“色々食べたが、ここの米が一番美味しかった!”と。
ここは知人のスノーボーダー達もよく来るお店。
食後は、上越高田の街へ
旧い建物が残されている旧今井染物屋さんへ





バテレンレースを作っていた場所
製品が飾ってありました。素敵だなと思って値札をみたら、それなりのお値段でした。

建物の中は古木が歴史を醸し出す趣きが。




急な階段を登ると

旧い梁が目の前に


前二階。


上越高田には旧い建物、そしてお寺が沢山。今度はゆっくりと高田だけの散策をしてみようかと。
上越高田には高田城が
間もなく始まる観桜会。
観桜会が始まると物凄い人出になるのでその前に。


一部は咲いています


桜も開花間近なものばかり。
隅櫓の下では、カタクリとフキノトウの花

この日、開花宣言されました
少し足を伸ばして前島記念館へ。
日本の郵便制度の産みの親“前島密”翁の出生地













後に郵便制度のみならす電話の普及にも尽力されたようです

懐かし切手の数々



こな前島記念館から岩の原葡萄園へ

ワイン貯蔵の岩蔵へ







この岩の原葡萄園のワインは岩の原ワインとして商品化。
この岩の原ワインこそ日本のジャパニーズワイン発祥の地。
先週訪れた“坂口記念館”坂口博士と日本のワインに多大な貢献を。
日本の、というより世界的に酵母研究に大きな影響を与えた坂口博士とワインの開発を進めた川上善兵衛氏の日本の地に適した葡萄の品種改良を。のちにサントリーのワインはここから始まっています。




雨もあがって来たので葡萄畑を

あちらこちらに品種改良された葡萄の木が。




葡萄畑を歩いているとあちらこちらに歴代天皇の訪問の記念石碑も。
ツクシが沢山
高田平野を見下ろす展望台
米どころ上越高田。
その一方で、日本酒、そしてワインと日本の酒文化を担ってきた上越。
改めてその“食と文化”に触れました

せっかくなので、サミットでも出された、この葡萄園で作られたワインを。数年前に北海道小樽で見つけた帆布のワイン入れで。

翌日日曜日はさらに天気悪化
妙高山も雲の中。
そしてまるで4月中ごろのような雪

みるみるうちにガス
この日は東京経由名古屋へ

土砂降りの横川SAの桜。
まだまだ、これからかな


下仁田ねぎももう終わり。
冬の味覚が無くなり寂しくなります

東京も土砂降り

桜は満開


神奈川県登戸の父の墓参り。

しだれ桜もようやく咲き始め

せっかくの桜が満開の週末の雨

ただ、満開になったばかりなので花散らしの雨にはならず。

夜には名古屋へ

























































コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

すっかり春のスキー場

2023-03-21 07:33:54 | スキー
3月にはいると春のような暖かさ。
“三寒四温”という言葉は何処かへ
天気が悪いなか、新潟県妙高へ
途中、駒ケ岳SAで、長野県のご当地グルメ、“牛乳パン”と“ソースカツサンド”。
美味しいです!
姨捨SAからは雲におおわれた善光寺平。
こんな時にはスキーをせずに“お勉強ツアー”
地元の知人達と。
糸魚川の“フォッサマグナミュージアム”
地元で採取される翡翠を。
近くの明星山から小滝川経由で糸魚川の海岸へ翡翠が流れ出ます。
今でも糸魚川の海岸で翡翠を探す人たちは沢山います。
ちなみに、川では翡翠を見つけても持ち帰ることは法律上できません。
以前、環境省のパークボランティアをしていたときにフォッサマグナミュージアムの館長さんにガイドしてもらった時に、教えてもらいました。
翡翠?をバックに。
足を伸ばして、日本で唯一、フォッサマグナに触れることのできる“フォッサマグナパーク”へ。
東日本と西日本の境目
東日本と西日本をまたいで記念撮影

昼は上越直江津の老舗のラーメン屋“亀屋”さんへ。
煮干しをふんだんに使ったとても美味しいラーメン。
美味しいお昼の後は、日本酒、日本のワインの酵母に多大な影響を与えた坂口博士の業績をたたえた“坂口記念館”へ



日本の酵母の発展に尽くされた坂口博士、この方がいらっしゃらなかったら今の日本のワイン、ここまでにはならなかったと。
もちろん日本酒の酵母の研究も。
酵母をお勉強した後、いつもおうかがいする上越高田の八木酒舗さんで日本酒を。旅行支援クーポンで。

夜は赤倉の“うどんの歩”さんへ


久しぶりに鯨の刺し身
美味しい日本酒で。
翌朝、日曜日は朝から好天。
赤倉山、妙高山、神奈山の美しいモルゲンロート
土曜日に知人達と訪れる予定だった妙高、笹ヶ峰へ
杉ノ原スキー場のゴンドラて。

この日が、1番上のリフトの営業が最後ということで、三田原山へ登られる人たちが沢山

ゴンドラを降りてからスキー場の中をユルユルと登って。
登っていたら声をかけられました。知人のこのスキー場のパトロール。近くの山小屋のスタッフでしたが、あまりにも理不尽なことがあって辞められていたので元気な姿に安心しました。
スキー場から池ノ峰方面へ。
原生林と人工林の間を歩けるのは雪のある今だけの素晴らしい宝物

昨日の雪、霧氷が陽が昇ると降雪のようにパラパラと。



ウサギの足跡

ウサギの運動会かな、沢山の足跡

 
笹ヶ峰林道を気持ちよく


新潟焼山
笹ヶ峰牧場も見えてきました

笹ヶ峰牧場入口の記念碑
ここだけ見ると雪は多そうですが、ここだけ吹き溜まっていて、牧場内の柵の杭はところどころ出ていてやはり雪は少ないと


牧場の中を



日本離れした美しい清水ヶ池
池に写った三田原山
南アルプスの麓の大鹿村の鹿肉
脱アルコールワイン
一度造ったワインからアルコール分を除いたノンアルコールワイン。
車で来ているので。
でも美味しい“ワイン”

40年近く通っていた高谷池ヒュッテ、昨年、たった一人のために滅茶苦茶に。山に精通したスタッフが皆辞めてしまい、山小屋の体をなさなくなってしまいました。そのために昨年は訪れず、多分、二度と訪れることはないかと。

そんな崩壊してしまった高谷池ヒュッテが昔の良さを取り戻す事を期待して乾杯🥂
名残り惜しく笹ヶ峰をあとに
往路では見失ったミズナラの古木。
妙高笹ヶ峰へ1986年から通い初めてから40年近く。
この古木はいつも、暖かく迎え受けてくれています。
“おっ、今年も来たな!。元気だったか?”
そんな事を言われているような気がします
もう、高谷池ヒュッテへ通わなくなったので、この古木に会う機会も減ってしまって寂しいです。

杉ノ原スキー場の駐車場には15時に。
時間があるので“春”を探しに

斐太神社隣の鮫ヶ尾城跡のカタクリ

いつも、ここが1番最初に咲き始め
可憐な花をみるとホンワカとした気持ちに。

月曜日は年休をとってスキー。
とても素敵な天気
知人のスキーパトロール
一昨日一緒に
このようなスキーパトロールの皆さんがいてはじめて安心してスキーができます。目立たないですが、それこそ“影の功労者”がスキーパトロール。
このシーズン、皆さんご苦労さまでした!

スキー場内の“山ノ神”に、(まだ残っていますが)今シーズンも怪我無く無事にスキーができたことに感謝のお詣り
シーズン券の特典のコーヒーチケットも使い切り
中よりも外のほうが気持ち良い春のスキー場
雪もグチャグチャになって重くなってきたので昼前にスキー場をあとにして、長野市、松本市を抜け道で抜けて一般道で。ETC割引のない日なので節約で。
木曽の木祖村へ入ると福寿草の群生地
ちょうど満開
週末にはたくさんの人たちがカメラ(最近はスマホかな)を抱えて訪れます。
ウィークデーの午後遅くなので我が家以外は誰もいません

春が来て、スキーシーズンも終わりに。とは言っても我が家は5月まで。

人はそれぞれ、“一年たったな”と思うのはいつなのか?

年末新年?
誕生日?

でも、自分は、スキーシーズンの終わり、桜の花をみると“一年たった”歳をとった“と。

いつの頃からか、春の訪れが嬉しいものから色々と想う季節になってきたのは歳をとったせいかもしれません!


































































コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

初夏のようなスキー

2023-03-14 13:28:47 | スキー
金曜日は5年使っていたスマホが突然立ち上がらなくなり、早めに退社して買い替えを。修理保証の期間が過ぎていたので。
それにしてもとてもスマホの値段、高くなったな。
スマホが無いと日常生活が困ってしまう現代。昭和の時代にはスマホは無かったのですが。
ということで新しいスマホで最初に撮影したのが梓川SAからの北アルプス。
暖かさのためか雪はかなり減りました!
来週には関東では桜の花見、となると今週末がスキーシーズン最後かな、という久しぶりの賑わい。

長野県飯山市に入ると千曲川からの川霧で一面真っ白。
まだ、3月半ばというのに国道沿いには全く雪無し。
野沢温泉スキー場からも妙高の山々は雲の中
かろうじて雲海の上に姿を見ることができます
ゴンドラの中も朝なのに寒さを感じません

灯籠木峠から水尾山へ。
木の周りの雪も溶けて、“根びらき”が。


鬱蒼とした樹林帯


心地よいまさに“春の陽射し”
雲海に浮かぶ越後の山々も遠くに。

手書きの“水尾山”の標識。雪が多いと隠れています。
気持ち良い斜面を奥志賀林道へ向かって滑走すると、“真っ赤になった”花の杉林
奥志賀林道を気持ちよく

ウサギの足跡もアチラコチラに。




雪が少なくなると顔を出す奥志賀林道の道標
クラシカルツアーコースの名残のツアー案内板。完全に木に飲み込まれて、過去のものとなりつつあります。

重くなった雪、木々の間を




七ケ巻(ならまき)にかつてあったリフトの降車場の跡も自然に戻りつつあります
七ケ巻(ならまき)の集落につくと巨大な段々畑
あまりの暖かさで水路は雪溶け

こうしてみると段々畑、大きいです。雪が少なくなると、段々畑を滑ってくることも大変。うまく段々畑を避けながら。

根あけ、も沢山
バス停近くでビール。
温かいを通り越して暑いくらいなので冷えたビールは最高
この日は、鍋倉山で響き渡るスノーモービルの爆音も聞こえず、静かな山あいの風を心地よく。

七ケ巻は本来は“ならまき”
このバス停の表記もかつては“ならまき”と。でも、今は“なながまき”と。こうやって日本の各地の歴史は壊されていくのですね。
バス停は地元の方の倉庫の一角。


中にはアンパンマン
そして、若き岩城滉一さんとケンメリスカイラインのポスター

数少ない“バス”

一日4本
かつてバスに間に合わなくてタクシーを呼んだら、バス料金二人分の10倍の料金でした。
昼過ぎに野沢温泉に。あまりにも温かい春のようなポカポカ陽気に誘われて1番奥にある滝の湯へ
夜は、30年近く野沢温泉へ来ていて初めて飯山で。
野沢温泉からは新幹線の時刻にあわせて連絡バス。“野沢温泉ライナー”。夜遅くまであるので便利。
ネットで初めての飯山でどこが良いかな、と探していて見つけた“六兵衛”さん。地元の人達の御用達のお店のようです。一応事前に予約しておきましたが、この日は“予約で満席”の看板が。予約して良かったです。
カウンターで。

カウンターの下には寒さよけが。
北国のお店らしいです

ここ飯山地方てはジャンプ競技も盛ん

オリンピック選手の写真サイン







出てくる料理はとても美味しいです
そして日本酒も沢山。
せっかくなので地元飯山のお酒を。
週末なので地元のグループがいくつか。どこも賑やか。
とても美味しい料理ですが、多くのグループがいるからか注文してから出てくるのに時間が。
でも、ここは、地元の“飯山時間”にしたがって、のんびりと料理とお酒
何と言っても料金が安い。観光地ではなくて地元のお店だからと。
以前、野沢温泉で夜を食べに行くと、“夕食難民”となり、また、料金も高いです(といってもスキーシーズンの観光地ほど酷くないのが野沢温泉らしさ)。
日本酒で気持ちよくなって涼しい飯山の夜風に当たりながら駅へ。
飯山線のディーゼルがけたたましく夜を切り裂いていきます。
歩いていると、沢山の美味しそうなお店が。
街中へ行くと他にも。
夜は飯山、というのも新たな発見
帰りのバスを待っているときに自販機を覗くと、ラーメンの汁の缶詰。酔っ払った勢いで買ってしまいましたが、シラフで買う人、いるのかな
永年通ってきている民宿
この前にシャトルバスのバス停があるのでそれを利用して。
天気は下り坂。かろうじて妙高火打山も。
まるで春スキーのような暖かさ
外で生ビール
ビールとおつまみ
目の前のゲレンデのスキーヤーを見ながら、気持ち良い風にふかれていました。
日曜なので多くの人は下山、長〜い昼のあとは空いたゲレンデへ。

とはいえ、幅の狭いコースのスカイラインコースは、初心者のボーダーが横になって座り込んでいて、とてもスキーができる状況では無し。ということで広いゲレンデへ。

それにしても、日本語で上級者、英語ではエキスパートオンリー、と書いてあるのに、なんと、日本には上級者が沢山いるのだろうかと呆れてしまいます。
日本語、英語、読めないのかな?
降りてきて外湯
十王堂には温泉卵用の場所があります

蓋を開けて覗くと、卵が。
野沢温泉のお店へ行くと、生卵とネットを売っています。誰でも温泉卵を。でも、時間調整は難しそう
宿からは夕焼けに浮かぶ黒姫山、妙高山、火打山。
雲の様子からは下り坂が。
年休をとった月曜日は朝から土砂降りの“雨”。こういう時に野沢温泉では外湯めぐりが。
平日の朝なので誰もおらず
不思議とこの日は熱くなく、温めでした。前の人が大量に水で薄めたのかな。
2日券だったのですが、土砂降りの雨なので諦めて、帰路へ。
野沢温泉には多くの温泉饅頭あり、どこの温泉饅頭も美味しいのですが、このみゆき商店さんの“道祖神饅頭”はチーズが入っていて、また、餡も甘すぎず、個人的に一番のお気に入り。
高速道路にのって姥捨SAからは雨の善光寺平
リフト券、1日分使わなかったので節約を兼ねて松本からは国道を。

木祖村へ入ると福寿草の群落


雨のせいか、花も閉じています
来週くらいが一面の黄色い絨毯かな
上松では、いつも寄らせていただいている“越前屋”さんへ。
木曽地方の郷土料理“すんき”を使った“すんき蕎麦”。
冬の保存食の発酵させた漬物
酸味がクセになります

食べ終わったあとの“蕎麦湯”。
すんきの酸味とまろやかな蕎麦湯の取り合わせがまた別の美味しさ。

冬の“すんき”が終わると、木曽にも春が。

温かくなってきましたね、とお店の方と話をしたら“花粉が凄くて、大変!”と。
えっ、昔から木曽には杉、ヒノキがあるので皆さん、花粉症にはならないのかと思っていた、と聞いたら
“皆さん、そんな事言うんですよ!
でも、ほとんどの人が花粉症で苦しんていますよ!”
と笑っていました。

もう、春が遅い木曽にも、今年は早い春が。

そう思って名古屋に来ると

桜の花が。














































































コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

春の冬のせめぎ合い

2023-03-06 15:09:43 | スキー
3月になると日が出る時間も早く
同じ時間に名古屋を出ても1週間前とも大きく違うと。冬場には真っ暗な南アルプスも今は紅く。
姨捨SAでは日の出
善光寺平の奥にはモルゲンロートの妙高山
この時期に姨捨から1番美しい朝をみることができます。
先週につづき妙高、赤倉観光リゾートスキー場“アカカン”。
妙高の知人と
カフェも外の方が気持ち良い季節。
まったりと。
と思っていたら、あっという間にガス、そして雪のようなみぞれが。
暖かい冬の終わり、春先の天候
なにもみえなくなったのでお昼へ。
赤倉で個人的に1番美しいと思うランチの”ぽん太郎“さんで。定食とカレー。ぽんさんのカレーは絶品。週末だけですが、ぽん太郎さんのランチは楽しみのひとつ。
食後は、真っ白でなにも見えない赤倉から“春”を探しに。
雪の多かった昨年もカタクリが少し咲いていた鮫が尾城跡へ。でも、昨年よりも雪は圧倒的に少ないもののカタクリは無し。
ということで高田城公園へ
 



薄緋寒桜が咲き始め
今年は3年ぶりに観桜会が通常開催されるので公園内では配線作業があちらこちらで。
久しぶりなので多くの人が来るのでしょうね
上越高田へ来たのでいつもお伺いする八木酒舗さんへ
能鷹と初鮎
旅行支援の電子クーポンが使えるので1本多目に日本酒。
おじさんと色々と楽しくお話しをさせていただいて妙高赤倉へ。
夜は赤倉温泉の”うどんの歩“さんへ
美味しい料理と美味しい日本酒で、楽しく
隣の席のオーストラリアのグループと楽しく会話
“夜、寝るときには日本語でなんというのか?お休み???”
”お休みなさいですね“と
そこから丁寧語の話しになって“ごちそうさま”と”ご“を頭につける、と説明したら、“では、うどんは ’ご’うどんですか?”
”いや、うどんは’お’をつけて’おうどん’“と。
日本語では単語によって丁寧語が違うと、と盛り上がりました。
そして彼等はお店を出るときに
”ごちそうさま、お休みなさい“と手を振ってでていきました
心地良い眠りができました。
山浦さん、いつもありがとうございます。
前の晩は早く寝たので早く目が覚めて、見事な妙高山のモルゲンロートを拝めました。
“早起きは三文の得”
中学校の先輩の定宿には懐かしいポスター。
日本初のリゾートホテル。ホテルオークラ系列。
93歳の母も若いときには東京のデパートで働いていて、デパートの上客はこのホテルに泊まったと。昔は、ソリでホテルへ宿泊客の荷物を運んでいたと。そして昔はホテル前だけのゲレンデと。
数年前に夏にゴンドラに乗ったときに母は、”ホテルの上にゲレンデができたんだ“と。
新潟県妙高赤倉から東京の母のところに。

高速道路は春霞と野焼きの煙でぼんやりと。


冬は駆け抜け、春が近くに
東京の実家の小学校の隣の神社
東京唯一の伊勢神宮の分社“神明社”。でも、子供の時には”天祖神社“と。学校帰りによく鬱そうとした境内で遊んでいました。今は明るい境内に変わっています
梅の花も満開

神社の隣の小学校横にはこの地でも有数の屋敷森がありました。でも、近くの総合病院が改築されてこの場所に移ることに。

既に屋敷森の木々は伐採

一部では病院の基礎工事も
唯一、まだ、土壁が残っていました
ここは大地主、“あいざわ”さんの家だったので、子供の時には”あいざわの森“と。
小学校の校庭から野球をしてこの森に放り込んでしまったらまず、ボールの回収は不可能でした。
その記憶も既に思い出に。
商店街も多くの店が変わっていますが、中には半世紀前にもあったお店も。
そのお店で焼き鳥を。夜の🍶のお伴に

実家の近くの梅も満開。
半世紀以上前からの梅の木。これを見ながら小学校へ。
あとは母に会って神奈川登戸の父の墓参りをして名古屋へ。
土日での走行距離は960Km。
でも、高速道路がメインで、スバルのアイサイトでほぼクルーズコントロールなので楽に。

春がもう、ということは、冬が終わり、スキーも終わり。

スキーを中心に考えると、冬のスキーが終わると“またひとつ歳をとった”と。
あと、何年スキーできるのかな?経済的にも体力的にも。






























コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする