ふっ と想うこと

山・雪・風・人、徒然なるままに--

芸術作品から“物”に変わった自動車

2024-01-08 13:04:20 | 
年始、嫁さんを初釜に送ってから近くのトヨタ博物館へ



少し早めに。
というのも新年は来場者にはカレンダーを配布しているからです。一家族一枚、先着100名(期間中毎日)。とはいっても日は前に博物館を出るときにもまだ配っていました!

2020年以降はコロナ禍のために中止、今年から久しぶりに。
開館前でまだ誰もいなかったのでいつもは素通りする入り口にあるバスを、ゆっくりと








シンプルな運転席。細く伸びたミッションレバー、子どもの時に”折れないのかな?“とハラハラしていたのも思い出



実際にはかなり油で黒かった木の床

この丸いリアも懐かしい!

三連休の中日、会館前には家族連れも多くなってきました。
こんなときには最初に三階へ直行

2000GTとトヨタ800(ヨタ8)の前の椅子へ

山葉発動機のエンジンを積んだ2000GTと水平対向エンジン。
ヨタ8はパブリカのスポーツバージョン。
本当に美しい車。2000GTはエンジンはヤマハ、内装もウッドを多様したヤマハの職人が。ピアノ作りで木の取り扱いはさすが。2000GTはかつて浜美枝さんがボンドガールとして出演した“007”でオープンカーとしても。映画のために、屋根を切り取った世界で唯一のオープンカー。
また、車好きの唐沢寿明さんが自ら所有していた2000GTを寄贈したのも最近。

朝早くはこの車を静かに見ることができます。

カレンダーと実車を

このフロアには他にも魅力的な車が
たくさんある車のうち特に好きな車を

ジウジアーロの素敵なデザイン
この時代のいすゞには魅力的な車が沢山ありました



大学の先輩が乗っていたギャランGTO。学生だったので古い中古車でした、助手席の床に穴が空いていて道路が見えましたが!

ダイハツとダットサンフェアレディ。このダットサンフェアレディは小学校、中学校の同級生のお父さんも開発に。事情があってその後日産を辞めてしまいますが。当時はもう一人有名な方がいらっしゃいましたが、結局、労働組合の強かった日産、組合と手を組まなかった友人の父親が辞めることに。確かに大学では左翼運動をしていた人達は殆どが日産に入社したのも、昔の思い出。

子どもの時に夏休みの旅行のときにはいつも父親が会社の人から車を借りてきていました。その懐かしい車を





今から見ると小さい車。ここに4人で肩寄せ合いながら乗って出かけていったのも思い出。

アメ車、ドイツ車も昔の車はデザイン素敵ですね。










今回はいなかったですが、たまに、若いデザイナーの方が勉強がてらによく昔の車をスケッチしてきることも。


現役時代には長年、自動車の電動化の仕事に携わってきてここにも多くの関与した車も展示されています。ただ今は館内工事中で展示車両も少なく、今回はこの1台だけ。




そしてこの博物館で最も好きな場所”クルマ文化資料館へ“



車の”マスコット“。世界中の昔の車のマスコットが。それぞれの国のお国柄、センスが現れています

スキーのマスコットも





膨大な量のマスコット。それを見ているだけでも楽しいですね。

本当はこれらを見ながらコーヒーでも飲むのが最高ですが。





今は工事中で展示車両も少なめですが、通常の展示車両台数の数倍の車がバックヤードに。
今回は写真に上げませんでしたがT型フォード、プジョー、ケネディ大統領の車、タッカー、など、おどろくのはすべてが動く“動態保存”。

いつ来ても、展示車両は、変わっていて飽きません。

それにしても昔の車はそれぞれ個性的で美しい、芸術作品のようです。現代の”単なる移動手段“とは異なりますね。

近場で静かな正月連休を
















コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

日本の基幹高速道路閉鎖の東京日帰り

2022-09-26 14:56:01 | 
東京日帰りの用事。
早朝、名古屋を出て東京へ向かおうとすると台風の影響で静岡県では東名高速、新東名高速ともに通行止め。
と言うことで、上り下りがあり、曲線部だらけの、使いたくない中央道経由で。
夜明け前の恵那山、雲に覆われていて山頂のみ。
伊那谷では濃霧の中
東京からの下り線は多くの迂回の車でいつもよりも多くの通行量。
すると早朝には普段はあまり見かけない長野県警のネズミ取り。
わざわざ、運転しにくい山梨県を抜けて長野県の岡谷から南区間の比較的運転しやすいところで。
相変わらずの長野県警。いつもながらエゲツナイ。
山梨県に入ると甲斐駒ヶ岳も雲の中、山頂のみ。
今度は東京方面の上り線で事故多数。皆さん、運転しにくい中央道経由、お疲れがみえはじめる頃ですね
当然、富士山も雲の中。
用事を済ませて神奈川県登戸の父の墓参り
しかし、相変わらず東名高速、新東名高速は通行止め。その手前は大混雑。ということで外環道の途中まで一般道で。相模愛川から高速、そして中央道経由

中央道へ入ると東京方面は大渋滞
なんだかんだで朝4時に名古屋を出て夜8時に名古屋へ。走行距離は780Km。スバルのアイサイトで半自動運転なので楽なのですが。この日は少し事情が違っていました。九州方面の長距離トラックが多数。ただでさえ曲がりくねって上り下りのある中央道。大型トラックが追い越し車線へ入ると、すぐに数珠繋ぎ。長距離トラックも普段使い慣れていない中央道。酷い運転も多かったです。
おかげで、ただでさえ上り下りが多くて燃費に影響与える中央高速道路、とりわけこの日の燃費は良くなかったです。
自宅に戻って近所のラーメン屋さんへ。


ほっとしたひととき

つくづく、東名高速、特に新東名高速の運転のしやすさ、痛感しました。と、スバルのアイサイトの便利さも。




コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

中秋の名月を高速バスから

2022-09-13 11:28:37 | 
名古屋東京日帰り。
雨も降らず天気もちそうなので、新東名高速から景色の良い海沿いの東名高速へ
人も少ない由比PAからは目の前に海が見ることができて、上りも下りも必ず寄ります。
潮風、を感じる事が。
すぐ裏手には”薩埵(さった)峠“。
ここから、目の前に富士山、左手から東海道線、東名高速、そして駿河湾と一望できて、写真撮影で有名な場所。誰でも一度は見たことのある写真。


でも、とても哀しい看板も。
東名高速では必ず寄る”鮎沢RA“。隣の足柄SAは多くの観光客でごった返しますが、ここは長距離トラック用に広い駐車スペースがあってゆったりしています。
そして、レストランも、安くてボリューム満点。しかも美味しいです。
嫁さんは、味が濃い、と。トラックの運転手さんの活力源なので味が濃くて、量が多いのかな。ちなみに、ご飯と味噌汁はおかわり自由です。
本当は、目の前に、ド~んと富士山が見えますが、今日は雲の中
東名川崎で下りて神奈川登戸のお寺さんへ墓参り。中部のこの時期の栗きんとんをもって、お寺さんへご挨拶。
なぜか、土曜日なのに東名高速の下り線はガラガラ。いつも、東京から出る車で多いときには御殿場インターから渋滞していますが、今日は横浜インターまで拍子抜けするくらいに車、いません。
母親に会って実家へ、そして車を預けに練馬へ。
車のコーティングのために。前の車でもお願いしたお店へ。
車を預けたので復路は高速バスで。
東京駅発新宿経由名古屋行き。
東名高速バスには、急行、特急、超特急とありますが、このバスはさらに上の“直行便”。東京駅を出ると新宿バスタの他は名古屋まで途中休憩を除いてノンストップ
ネット予約では、”二階“とのことで二階建てバスと思って最前列を予約。ところが
来たのは普通のハイデッカー車。
残念。
高速バスは、コロナのために車内でのアルコール禁止、と言うことでノンアルコールで出発の乾杯
東京駅地下のデパ地下で買ったおつまみと。

国会議事堂を見ながら新宿へ、そして新東名高速
この日は中秋の名月。
バスからお月見。
5時間で名古屋へ。
それにしても、いつもは自分で運転しているのでハイデッカーバスに乗って高いところから見ていると、普段気がつかないことも。東京を出て暫くすると、長距離トラックの運転手さん、スマホ片手に運転する人達、多いですね。どうりで追い越し車線で後ろがつまっていても、そして走行車線が空いていても、ゆっくり走るトラック多いわけですね。スマホ片手に、後ろを見ていないので。

単調な運転に飽きてしまうのは判りますが、怖い





コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

最後の?新車

2022-08-08 10:11:28 | 
スバルの車、レガシィから始まってランカスター、アウトバックとレガシィ、アウトバック6台
今の車の走向距離が28万キロ越え


スバルの(無償の多い)保証延長プランが7年目、三回目の車検で終了。この秋に三回目の車検なので車の買い換えを。今、自動車メーカーによっては半年から1年の納期。純粋なガソリン車で、電装部品が少ないせいか、納期は2カ月半。
20年近く自動車メーカーと車の電動化の仕事に携わっていたので、最後の車は”ガソリン車“と。
還暦を越えていますので、多分、人生最後の車。

新しい車はフォレスター
この車、山へ行ったりしたとき年配のご夫婦の方が乗っていらっしゃるのをよく見ていて、嫁さんとイイねと。
車がどんどん大きくなって、狭い日本では中々扱いにくくなっています。車の売れるのがもはや日本ではなく海外なので大きくなるのは仕方ないと。そして新しいアウトバックもさらに巨大化。メイン市場がアメリカなので仕方ないと。その点この車は、比較的日本の道路状況に合っている大きさ。しかも着座点も高く、年寄りには良いと。
金曜日の夜に荷物の入れ替えをディーラーで。

本当に28万キロ、地球7周分をよく走りました。
大きな事後も無く、楽しい思い出が詰まった車でした。


週末は、慣らし運転も兼ねて、東京経由新潟県妙高赤倉へ。
大型トラックの運転手さん達の御用達の鮎沢PAへ。大型車のスペースも沢山。ゆとりがあります
食事もお手頃価格で、毎回、特別品があるのなど物凄くお得です。唯一の欠点は、“味が濃い”こと。ハードな仕事のトラックの運転手さん達には良いかも知れません!
アクセル踏まず、アイサイトで半自動運転、ディーラーで言われた”3000回転以下“で。
新東名の120Km区間でも2000回転程度。前の車は2500cc、新しい車は1800ccターボ。扱い易い車です。まだ、新車の初めでは燃費は伸びませんが、最初の長距離で、この価はそれなりに良いかな?これからは、学習効果で燃費向上上がっていくので。
東京の父の墓参りと用事を済ませて昼過ぎに新潟県妙高へ。
今、新潟県では、“新潟県民割”を実施していて、一人あたり一泊5,000円の宿泊者補助金とこれも一人あたり2000円のクーポン券を。
新車の慣らし運転の長距離運転、せっかくなので小学校、中学校の先輩の宿へ
この”新潟県民割“、対象地域が愛知県も含まれているのでこれを利用。

夜は赤倉へ

この時期、妙高赤倉には花々が沢山、紫陽花がとてつもない綺麗



素敵な赤倉の夜
北海道、ニセコの“TOSHIRO’s Bar”さん特製のスキットルケースを妙高赤倉の知人に作って貰いました。素敵なケース


翌日は雲は多目ながら夏空の妙高山を見ながら朝食
そしてクーポン券でお買い物。利用出来るお店の中に妙高市新井のヤマギシ酒店さんがあったので夜のお酒を買いに。
あとはひたすら、抜け道を通って長野市へ、そして19号線を松本の街を迂回しながら木曽路へと。
上松ではいつも利用させていただいている”越前屋“さんへ。日本でした二番目に古いお蕎麦屋さんだそうです。店の中には利用した有名人達も。名前を見ると、十返舎一九、皇女和宮とか。


美味しいお蕎麦、特に夏の暑い時期には掛けそばは、冷たくて身体に染みます。
その後はひたすら名古屋へ。

今回の慣らし運転で940Km。ディーラーで1000Km点検とオイル交換。

これかも事故無く新しい車と色々な思い出を作っていきたいです。



コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

最後の?車(追記)

2021-10-12 11:37:18 | 
今の車の走行距離が間もなく25万キロ超え

来年に車検。サスペンション以外は特に問題なくエンジンもすこぶる好調。
思えば、会社に入社して1年目の研修期間のあと、愛知県の工場へ配属。愛知県といえば当時、公共交通機関は貧弱でマイカーが必要。当時、矢張り活気があったのはホンダ。
ということでは赴任した翌日に会社の先輩に連れられてディーラーへ

最初のマイカー。当時は“デートカー”といわれた2ドアクーペが各社から出ていました。その中でお金のある人はトヨタの”ソアラ“、若い人、お金の無い人はプレリュードを、と。プレリュードは別名“プアマン ソアラ”と揶揄されていました。でもCMがモーリス・ラベルの”ボレロ“。これが素敵でこの車に惹かれて購入。

付き合う彼女もいないのにデートカーを。助手席はいつも同期、先輩と男だけでしたが。この車で最初に通勤した帰りに職場の女の子を乗せたら次の日には噂になっていたくらい長閑な時代。新車でも込み込みで180万円位でした。
この車でよく山、スキーと出かけました。
当時はホンダの車はチャチでフロアには段ボール(厚紙)が使われていました(後に会社の先輩でおなじ車に乗っていた人の車が大雨で水没して判明)。軽量化された車で1800CCで800Kgの重量で軽快に運転できました。また、当時はホンダはデザイン優先で、先にデザインが決まった後にエンジン等を詰め込んでいました。そのためにこの車もボンネットの流線型に合わせてエンジンはなんと、傾いて設置されていました。とは言えチャチなホンダ車、走行距離が増えてくるとトラブルが。リトラクタブルヘッドライトが勝手に上下し始めたりその他トラブルが出て70,000Kmで買い換えを。
登山、スキー等のアウトドアが趣味なのでステーションワゴンを。そこで選んだのが“スバルレガシィ”。ブルースウィルスのCMも素敵でした。当時のレガシィには今のように最低地上高を上げたアウトバックのようなSUVはなく、どちらかというと走りを重視していた車。元々10万キロ連続走行という性能で売り出していて必ずしもアウトドアとは関係なかったです。この頃はレガシィはヨーロッパ的でステーションワゴンはある意味高級感があるものとされていました。その中で唯一、”ブライトン220“という車がエアサスで車高を上げることができ、この車を選びました。

ライフスタイルにピッタリの車であちらこちらへ。特に山道ではエアサスは重宝しました。時速70Kmを越えると車高が元に戻るというワザも。
しかし、当時、自動車各社でリコール隠しが問題となり、車の品質そのものに課題が出ました。実はこの車もクルーズコントロールが暴走する、その他色々と。自分の車ではラジエーターが錆びて落ちそうになってこれもスバルが無償交換。エアサスは自分の車では問題なかったですがある程度走るとエアーが抜けるというトラブルが出ていたので10万キロ近くで買い換えを。

当時、CMに惹かれて“ランカスター”を。盲目の歌手ボチェッリとサラブライトマンの”Time to say goodbye“の曲にのって美しい自然を走る姿に一発で虜に。ということでこの車に。


この車は2,500CCですが確か1年後に3,000CCの6気筒水平対向エンジンの“ランカスター6”に乗り換え。そのエンジンは素晴らしかったです、ただ元々燃費の良くないスバルの水平対向エンジン、3,000CCになると顕著で、特に夏場のエアコン使用時には惨めでした。でも、それを補っても魅力的でした。

スバルの経営危機で日産傘下に、そして日産自体が厳しくなるとGMの傘下になり(後にトヨタの傘下)、当時のスバルのエンジニアがお金をかけて贅沢に作ったのが次のレガシィBP型、これに乗り換え。

今からは考えられないくらいにお金をかけて作られた車。そしてそれが当たりスバルは経営危機から脱出
そして間もなくアウトドアブランド”LL BEAN“と提携して“LLBEANモデル”が出たのですぐにこの車に。というのもスバルという会社、部品については問題が多く、車に当たり外れがありました。BPの初期型も自分の車には電気関係のトラブル多かったです。そんなこともあって乗り換え。スバル車はA型を避けるべし、とも。部品についてはトヨタ自動車と提携してから格段に良くなったとのこと。
このLL BEAN最後の6気筒水平対向エンジン、一番好きなエンジン、車でした。ドア下半分は別部品が付きツートンカラーで贅沢な作り。しかも車高が155CMつまり機械式立駐にも入りました。




おかげでこの車で嫁さんとあちらこちらへ行き27万キロになリました。スバルの中でも名車のひとつと言われている車です。特に最後の6気筒水平対向エンジン。ハイオク仕様なのでガソリン代は高かったですが。
次の車ということで巨大化したレガシィの代わりに日本専用に開発されたレヴォーグ

レンタカーで借りました。スポーティーですが、車高が低く底をあちらこちらの道路のアンギュレーションで擦ってしまうので断念。
次にアウトバックをまたレンタカーで。

大きくなったのですがとりあえず扱えるギリギリのサイズ、ということでA型ではなく翌年のB型を

そして今の車。
ナンバーは数字部分は同じ。
どんどんと大きくなってきましたし高さも高くなりました。この頃は明確にこの車はアメリカ向けであってそれを日本で発売する、というもの。2,500CCの自然吸気エンジンは踏めばレスポンス良く、高速道路では安定走行。しかもレギュラーガソリン仕様。嫁さんとあちらこちらへ行きました。また、トヨタ自動車の傘下になり共同開発のBRZ(トヨタ車は86)の後、塗装もかなりトヨタ自動車の技術も入り格段に進歩したそうです。某コーティング業者の方より聞きました。かつてはモーターショーの展示車、今では億単位のスーパーカーのコーティングも施工している方。自分の車もお願いしました。


おかげで25万キロになっても(山道の草むらでつけた細かな傷を除いて)未だに綺麗です。

この車でも間もなく25万キロ
車検は来年なのでどうするかなと。
サスペンション以外は全く問題なく、エンジンも好調。



つい先日、後継車が出ました。もう、自然吸気エンジンは無理なのかターボ仕様。それよりもサイズが更に大きくなっています。メーカーは”サイドミラーtoサイドミラー“はモデルチェンジ前と同じ、だから扱いやすさは変わらないと。メーカーの人は本当に自然の中に行ったことが無いのだな、と。都会の郊外、あるいは北海道の広々とした道路ならばいざ知らず、本当の自然の中の林道では車体そのものの大きさが重要。路肩の岩、枝等の突起物を避けながら運転したことがないのだろうなと。今の車も結構、傷があります。
嫁さんも、これ以上大きくなるとね、と。
長年、登山等で林道を走り、駐車場に着くと、スバルのフォレスターに乗った年輩のご夫婦に良く出会いました。とても素敵でした。
先日、ディーラーで嫁さんと試乗しましたが、イイねと。
エンジンは1800CCターボ。今までターボ車には敢えて乗りませんでした。昔のターボ車は耐久性に問題があったので長く乗るのが難しかったです。でも、今のターボ車も耐久性あるので良いかなと。



色は、やはり、緑色(カスケードグリーン)か赤色かな。スバルの赤色は他社の赤色と異なって独特の色合い。

何よりも、自分自身、20年以上自動車の電動化の仕事をしていました。まさにハイブリッド車の黎明期から大手の自動車会社と仕事をして多くの設計者、開発者の方達と話をしました。2000年の少し前、初代プリウスが発売された時も、自分の会社では“車がモーターで動くはずはない。プリウスは失敗作だ”といわれていた時代。社内でも可能性について説得しなければならなかったことも懐かしいです。そして仕事をしていく中でいくつかのハイブリッド車にも自社製品が採用されてきました。
他にも世界初の量産型電気自動車の開発、採用にも関わってきました。
そのハイブリッド車、電気自動車の魅力は勿論判っています。でもだからこそ、そして60歳を超えて最後の車となると、偏屈ですがやはりガソリンエンジン車を選びたいと。その後は、移動することも少なくなると思うので近場を走るための、自動走行機能のある電気自動車かな。
等と考えていると、楽しいですね。
でも、一番の心配は、現役時代を離れて懐が寂しくなってきたこと。これがひょっとしたら一番かも。
これから1年、悩みながら。











コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする