土曜日は我が家の結婚記念日。
高山方面へ
ひるがの高原SAから鷲ヶ岳スキー場。少し感度をあげてみるとコース場にはスノーマシンの雪。昨日からオープン
陽が上ってくると山全体が雪に。シーズンイン。
反対側はひるがの高原スキー場。紅葉とスキー場。朝の光がさし込んできてきます
今日の目的地。
国鉄時代にはかつては東洋一の亜鉛を産出していた神岡鉱山のために作られた神岡線。そこから分離されて第三セクターであった神岡鉄道の廃線跡を電動アシスト自転車で。地元の神岡町の地域おこしで有志で始まったもの。この顛末記はNHKのドラマにもなりました。元々は終点からの町中のコース。数年前に山の中の渓谷コース。始まった翌年に最初に町中コースを。その後この渓谷コースができてこのコースは二回目。
朝9:00の回に予約。8:30位に到着、我が家が一番乗り
先導はバイクのガイドさん
ヘルメットは自前の登山用ヘルメット
気持ちよく、線路の継ぎ目の音、“ガッタンガッタン”という音が心地良く、山あいに響き渡ります
我が家はバイクの後の先頭。あまり近づくとバイクの排気ガスを浴びるので離れて。
先導のバイクは見通しの悪いカーブに差し掛かると、ときおりホーンを。熊除け、鹿除けかな?
紅葉と青空が気持ち良いです(往路はちょっと寒かったですが)
折り返し点で
往路は先頭だったので復路は最後尾
ガイドさんのバイクは我々の後ろ。ということで、最後の特権でガイドさんに写真を撮ってもらいました。
折り返し点には、キモ可愛いオブジェ。
紅葉も最後の彩りを
だんだんと山の谷あいにも朝の暖かい日の光がさし込んできて気持ち良く
車でこの場所を後にするときに、スタッフの女性が凄く素敵な笑顔で大きく手を振ってくれていました!
季節の移り変わりを肌で感じた後は高山へ。
途中、飛驒古川駅へ
映画”君の名は。“のモデルのひとつの飛驒古川駅へ。映画では2番線に”特急ひだ“が。でも実際は2番線には入りません。ちょっとマニアックに。
こんな注意書きも
コロナの前には外国の観光客、多分、台湾の若い人達をよく見ました。今日は、秋葉原あたりにいそうなオタクのような人が写メしていました!
高山では“高山ラーメン感、皆無”のラーメン屋さんへ。
お勧めをうかがったら味噌ラーメンと塩ラーメンとのこと。
今回は味噌ラーメン。旦那は肉大盛り
嫁さんはオーソドックスに
高山の街へ出るとこの数年で一番の人出。
旧い街並みは多くの人達で。
人出を避けて高山城跡へ。
ちょうど紅葉が最後の見頃
日露戦争で有名な広瀬中佐の像と案内。生誕地ではないですがお父様の仕事の関係で一時期この高山にいらっしゃったようです。
飛驒国分寺へ。
ここもそこそこ観光客がいました
ここの銀杏はまだ緑が多いです
人混みの街を歩いていて久しぶりに日本人だけの光景。観光客の整理をしていた人達と数人と話をしたり、また、観光関係の人達と話をして皆さん異口同音に
”アジア系(中国人)がいなくて凄く落ち着いて良い!“と。そして“アジア系の観光客いない方が良い”とも。インバウンド、と言って騒ぐ前にもっと日本人を惹きつける魅力ある観光地、コロナで自粛していた日本の人達が改めてその素晴らしさに気がつき始めたのかもしれませんね。
夜はもう、30年以上近く通っているキッチン飛驒さんへ。いつも通りマスター、スタッフの皆さんと楽しく。
ここには入社したときに会社の先輩達に連れられて北アルプスを縦走して新穂高へ下山、高山から戻るときに連れられて行ったのが最初。当時は山ではインスタントラーメンで粗食、下山して残っているお金を皆で出して飛驒牛を。今年、亡くなった昭和39年に創業した先代が、飛驒牛の蘊蓄を我々の横で。でもあまりにも長い話で、高山からの最終特急ひだに間に合うか時計を見ながら飛驒牛を食べていたのも今は懐かしい思い出。合掌
そして、隠れた素敵なバー、ラビットホールさんへ。素敵なお客さん達と楽しい時間を。一見、脱力感を放っているマスター、でも、実はそれは見かけで地元の方達の憩いの場。
この夜も、以前お会いした地元の芸術家の方がカウンターで吞んでいたと思ったら突然、スクラップブックをを出して下絵を描き始めました。曰く”思いついた時にすぐ画かないと“
結婚記念日ということで(以前お会いしたカウンターのお客さんに)ビールをおごっていただいてから夜の高山の街へ
観光客のいない、閑かな、秋の夜を。
翌日は東京経由で。
ナビがいつもの上高地方面経由ではなく、木曽福島経由で道案内。多分、上高地方面は紅葉の季節は大渋滞するのでこちらかな、賢いな、と思っていたら、予期せぬことに😢
途中から御嶽山を見ながら。
山の中、車も皆無で気持ちい運転していたら
後ろに白バイ。
こんな、山道の、しかも木曽福島への直線の下りの坂道で50Kmの道を20Kmオーバーで。
元々、反則金は各県警の予算に組み込まれており
その一方でコロナの影響で人出が少なかったので人出が増えれば“収入不足”のために狙ってくるとは思っていましたが。
4年ぶりの青切符。年間4万キロで都合16万キロでの青切符。それも前回と同じく長野県警。
まぁ、人身事故を起こさなかったと思い込んで納得するしかないですね。
木曽地方から伊那地方へ、伊奈インターから中央高速へ
不思議なことに昼を越えてもいつもは混み始める中央高速には渋滞がありません。多分、久しぶりの外出で戻って来る時間が遅くなっているのかもしれませんね、天気も良いし。実際、東京からの戻るときに東名高速の上り線の渋滞は御殿場インターよりも西からでした。
用事を済ませて父の墓がある神奈川県登戸へ。
多摩川を渡る橋からは富士山。
大きな笠雲
あとはひたすら名古屋へ。
この週末は、900Km。