江戸末期には全国で20万人、戦後にも1万人ほどいた、と言われる“サンカ”。定住もせず戸籍もなく所有権の概念をもたず、警察からは”山窩“という字をあてて、いわゆる被差別層として扱われてきました。この“サンカ”については戦後、色々と議論になってきて一部は美的に文学的に著され五木寛之さんの”風の王国“も実態とは離れたファンタジーにされてしまっています。
この映画では戦後の高度経済成長の初期に舞台を設定、競争社会の中でついて行けなくなった都会の子供と“サンカ”の親子との出会い、触れ合い、そして”サンカ“の哀しい現実への妥協が描かれています。
右肩上がりで“経済”が上昇しているときには”物質的幸せ“を感じて、それこそが人の生きる目的、幸せとなってきてきました。
しかし、現代、特に日本は経済的に行きづまり、そして人を押しのけてでも勝ち抜く競争社会そのものが疑問となるなか、もう一度ふり返って人間社会をとりまく自然の中でどう生きるのが、“人として”幸せなのか、そんなことを突きつける映画でした。万人受けはしない、でも素敵な映画
流れ星にあたった後に起こる何気ない日常の出来事をおかしく描いた”大人の童話“
小林聡美さんを始め、平岩紙さん、江口のりこさん、そして松重豊さんなどの演技達者な皆さんの不思議な映画。
なんと言っても松重豊さんのラブシーンには驚き。世知が無い世の中で、市井の人達の、普通の、でも、不思議な映画。
素敵な映画
テレビドラマの映画化。
放射線技師という病院の縁の下の力持ちを。
テレビドラマと同じくテンポ良く、そして現代的な問題を並行的に。
とにかく俳優の皆さんが生き生きとしていて素敵な映画。
本屋大賞を受賞した原作を映画化。広瀬すずさんは名前を知っていても演じている作品をじっくりと観たのは初めて。圧倒される演技力。内に秘めた純粋に相手を思う愛情表現は素晴らしかったです。それを受け止める松坂桃李さんも素晴らしい。若手俳優が生き生きとした素晴らしい映画。
今、ロシアからの侵略に曝されているウクライナ。2014年にいわゆる”ユーロ・マイダン革命“。
親ロシア政権への抵抗をした民衆の革命。その結果、親露政権は崩壊して、いわゆる民主的政権が樹立された、とされています。
この映画は2015年に、ポーランドで制作されたマイダン革命の中での1台のピアノをめぐるドキュメンタリー映画。革命直後なので、全面的に民衆の運動側から描いている、肯定的に描かれています。ロシアはこの民衆運動、親露政権崩壊に危機感をもち、今日の侵略戦争を起こした、とされています。
ただ、時間がたつと別の面も判明し始めています。このマイダン革命はアメリカを中心とした西側諸国が対ロシア戦略として利用した、ということも。
歴史をいったいどの段階で区切るか、によって見方は変わって来ると。単純に“今だけ”を取り上げて、
”ウクライナ、西側諸国=善“
“ロシア=悪”
という二律背反的なとらえかたをすると間違えと。勿論、今、おこなわれていることを肯定、是認はできませんが。
我々はあくまでも”西側“の価値観に基づいてものを考えます。しかし、それも一方的な考え方であり、色々と考えさせられる映画。
子供の時に見ていたテレビ。
当時からの突っ込みどころは満載なのは変わらず。しかも、それをこの映画では堂々と。
”なんで日本ばかりに怪獣が出るのか“
“ウルトラマンは裸なのか服を着ているのか”
リアル世代にとっては後から考えると、ウルトラQとウルトラマンは”怪獣““宇宙人”を扱っていても後のシリーズ番組とは違う世界観。非常に人間味がありました。子供心に色々と考えさせられたのも事実。この映画は、観る世代によって感想は異なると思います。リアル世代にはこの独特な世界観を懐かしく、若い世代には、昔はこんなのが流行っていたのか、と。
そしてリアルとこの映画との大きな違いは、自衛隊の扱い方。昔は自衛隊は出てきません、別の怪獣退治の組織。今回はふんだんに出てきます。リアル世代の時には自衛隊はその存在そのものを疑問視することが当たり前の時代、でも、今は全くその逆。これも時代の流れを感じます。
伊能忠敬が日本地図を完成する前に亡くなっていたという史実にもとに作られた落語家の立川志の輔さんの創作落語。その落語の映画化。伊能忠敬亡き後のそれを支えていた人達の歴史からは埋もれていた生き様。そして伊能忠敬がなぜ、齢(よわい)50歳といわれていた時代に、50歳過ぎてから日本地図を作ろうとしたのか。その思いが現代の日本をとりまく厳しい世界情勢に繋がると。
幕末に日本に日本を領土化しようとして来た英国人が伊能忠敬の地図をみて、こんなに凄いものを作る日本を植民地にすることは不可能と諦めた、という話も。
出演されている俳優さん達は皆さん素敵な俳優さんばかり。とても素敵な、日本の映画。
以前から、お名前は聞いていた造園家の矢野智徳さんの活動のドキュメンタリー映画。
矢野さんが大事にしている”自然の呼吸“。
“風”と”水“を封じ込めてきた戦後の日本。コンクリートで全てを覆ってしまった、また、砂防ダムのように表面的な防御のみで対応してきた戦後日本のツケがこの数年の“未曾有”の災害。確かに雨の降り方は激しいものはあるものの、それを吸収する余力のなさ。
大きな山崩れでは必ずと行ってよいほど砂防ダムがあり、氾濫した大城など川の土手は水を吸収しないほど硬くなっており、そして都会のコンクリートの下の土地は硬くなり、有毒ガスがたまっている状況。
戦後の永年にわたりコンクリートで固めた日本国土の悲鳴が、年月がたって今、放出さるている、そんな気がします。
更に、この映画では触れられていませんが、現代では政治的な思惑の強い”メガソーラー“の大規模な山の切り崩し。事態は一層深刻に。
このことは以前から気になっていたことなので、改めて認識を確認。その中で地道に活動をされている矢野さんには頭が下がります。その情熱はどこから来るのか。そして還暦を過ぎた自分には何ができるのか?
色々と考えさせられた映画