ふっ と想うこと

山・雪・風・人、徒然なるままに--

バブルの落とし子のスキー場へ

2021-01-25 10:03:31 | スキー
バブルの時にできたスキー場へ。

途中、中央高速駒ヶ岳SA(上り線)も感染対策で半分以下に区切られています。

長野県のご当地パン”牛乳パン“
長野市、松本市、そして木曽地方で扱われているようです。レトロな絵は木曽のお店の奥さんが昔、画いたとのことです。
クリームをはさんだだけの素朴な味ですが好きな味。上越地方にもあるそうなので塩の道沿い。
大雪の冬の割には暖かいです。

姨捨SAからの善光寺平も霞んで。いつものひんやりした感じはしません。
新潟県妙高市の知人ご夫婦と待ち合わせてスキー場へ。

“ロッテアライリゾートスキー場”
ここは元々バブルの時代に大手企業がこぞってリゾート開発をした時にできたスキー場。
1993年に電機メーカーのSONYが作ったスキー場。当時の社長が大のスキー好きでここを開発したもの。バブル景気に浮かれて世界有数のスキー選手を招聘してイベントがおこなわれていました。トンバ、ステンマルク等々。
また、本格的なリゾートスキー場を目指し、従業員が客の前を通らないように従業員の移動は全て地下に作られたトンネル内、というのも。今は残っているかはわかりませんが。そしてとにかく”高い!“という印象。
当時はリゾート開発をした会社が多かったです。何を隠そう自分の勤めていた会社も。近くのキューピッドバレー、八ヶ岳のリエックス(更に伸ばして八ヶ岳の白駒池あたりまで延ばす計画ありましたが反対運動で中止)、そして世界的な反対運動で頓挫した屋久島のロープウェイ。あとは上高地への登山鉄道。
後に合併する相手の会社も千葉県に人工スキー場ザウス、横浜のワイルドブルー。
いずれもバブルと共に失敗しましたが。
当時の雰囲気は、“若い者だけが大自然を満喫するのはおかしい、年輩者達も自然を楽しめるようにすべき”という???でしたが。

アライスキー場自体は元々、地元ではスキー場にするには難しい、複雑な地形、沢が入り組んでいて雪崩の危険が大きい、ということで避けられていた土地、と当時ききました。スキー場内には多くの”沢“があります。ただ、雪が多い、そして高速道路が将来通る(事前に情報が漏れていたのでしょうね。キュピッドバレーも同じ理由でした)、とのことで開発されたようです。そのため当時は蔵王とここだけが朝早くパトロールがダイナマイトで雪崩を起こして営業時間中に事故が起きないようにしていました。
標高自体はそれほど高くないのでコンディションが悪いことも多かったです。
その後、ご多分に漏れず、経営破綻してしばらくは放置されていましたがロッテが購入、再建して今に至っています。
今回も前日の雨、暖かい、ということで、フリーゾーンはとても滑ることができる状態ではなく閉鎖、林道もガリガリ、バリバリ、そしてスケートリンク状態。今回もコース脇のピステンでできた小山に突っ込んでみるとスキーの板が“縦”に刺さりました!空洞があちらこちらに。
ということで今回は何回テレマークターンしたのかな?嫁さんも、ただあがって降りてきただけと。
まぁ、昨年、このスキー場がばら撒いた割引チケットなので我慢。
今度は、条件の良きときに。
知人ご夫婦と半額カレーを
そこそこ、というか日本のカレー。半額なので耐えられる味。定価ならば絶対に食べないでしょうね。お腹が減ったときにとりあえず、という感じ。高谷池ヒュッテのカレーの方が断然に美味しい(あくまでも個人の感想です)。
値段の高さは相変わらずバブルの名残。ニセコ並みかな。
不思議なスキー場。
条件良ければフリーに滑ることができるスキー場なのですが。
知人ご夫婦と別れて東京の実家へ。
なんとか名古屋から無給油で実家近くのガソリンスタンドへ行こうと思ったら、インター出たところ身動きできないくらいの大渋滞。やっぱり東京の皆さん、大人しくしていませんね。ということで近くのガソリンスタンドへ
4駆で2,500cc、ルーフボックス積んで抵抗が大きいことを考えれば、まぁ走った方かな。
ちなみに、走行可能距離は30Kmでした。
東京は降雪予報、新潟県妙高市よりも寒い。
翌日日曜日は降雪予報も外れ冷たい雨。
実家から神奈川県登戸にある父のお墓参り
途中、品川ナンバーの軽トラ。“品川”と”軽トラ“、不思議な組み合わせな感じ。
東名川崎から東名へ。
緊急事態宣言、大雪の予報ももあって高速道路は昨年の緊急事態の時と同じくらいの少なさ。3週間前の時は天気良く鎌倉方面、御殿場方面は混んでいたのでやっぱり緊急事態宣言というよりも大雪予報のせいかな?
昼前に浜松を通過するので、せっかくなので浜松のB級グルメ“浜松餃子”を。



餡にタマネギ、キャベツを使うのが浜松餃子の特徴。独特の柔らかい食感が素敵です。
お客さんも少ないのか、持ち帰りの冷凍餃子が半額。
お土産に買いました。
久しぶりに、バリバリのスキー場で足腰が鍛えられた”修行“のようなスキーでした









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人との接触を避けた週末

2021-01-17 18:25:16 | 旅行記
人との接触を避けるべく。
とは言っても感染には“会話をして飛沫を飛ばすこと“ということが要因。
お寺のお勤めならば会話も少なく、読経も一定の方角のみを向いており向かい合わせにならない、そして何よりも祈祷する、ということで長谷寺の朝のお勤めに参加。




冬季は朝7時からのお勤め、30分前の6:30から受付開始なのでそれにあわせて名古屋を早朝に出発
長い回廊も他には人がおらず。

長谷寺と言えば花のお寺。今は寒椿が咲き始め。

夜明け前、幻想的です。

受付をしてお堂で待っています。



まだ、夜明け前。
思ったほど寒さは厳しくなく、冬にしては少し暖かいですがやっぱり凜とした寒さが感じられます。
おつとめの前に若い僧侶の方の説明。前回もうかがいましたが、山の中のお寺ということで僧侶の方の読経も力強いものでした。そして周囲の山々に向かっても読経を。
今回は、渡されたお経は目で追って、その力強い、そして美しい節のお経を聞くことに。やっぱり素敵な、そしてなにか心の中が洗われる気持ちが。元々、ご本尊の十一面観音、疫病退散の御利益も有り、更に、足元も、右足が前に出ていて今すぐにでも衆生を救おうとしているお姿(今回は足元へ行く特別拝観はありませんでしたが)。
最後には30人近い僧侶の方達が背後の舞台へ回り周囲の山々に向かって読経。その読経が山々に響きます。この季節、ちょうどその時に朝の陽光が山の端から。その朝日が五重塔を照らしはじめ神々しく輝き始めます。
朝のお勤めが終わるとお勤めに参加した我々に大きな声で“おはようございます”と。
最後に、お勤めを終わった僧侶の方からのお話しを。
今回、朝のお勤めに参加したのは我が家を含めて5人。
暖かい冬とは言え寒さは厳しいですが身も心も引き締まりました。
朝の境内を。




擬宝珠(ぎぼうし)を














朝の夜明け前に通った回廊も明るく。



いつも買う草餅を



桜の花の入った桜羊羹も。
とても美味しい草餅です。賞味期限は一日。翌日になると固くなってしまいます。余分なものが入っていない蓬(ヨモギ)の味が美味しい草餅。
このまま名古屋へ。
昼前には名古屋へ。



ご近所の喫茶マウンテンさんへ。
ここは、独特なメニューとボリューム感満載で有名です。いつもは遠隔地、関東はもちろん四国九州のナンバーの車が沢山。でもこのご時世、域外の車はありませんでした。
今日は名古屋スパゲッティ

その量の多さに、危うく残しそうでしたが完食。
ちなみにこのお店で食べ残す事を”遭難した“、完食すると“登頂した”と。お店の名前に因んで登山に例えるようです。
夜はこれもご近所のラーメン屋さんへ。





おばあちゃんがやっていて週末は息子さんがお手伝い。何故か、いつもよりお客さん多かったです。この飲食店が厳しい世の中、皆さん心配してきているのかな。いつもは鳴らない電話も多数。営業時間の問い合わせみたいです。こんなこと20年以上通っていて初めて。
やっぱり街のお店、昔からのお店、愛されているのですね。
日曜日は朝起きて、愛知県知多半島へ。
豊浜のさかな広場へ。


顔なじみのおじさんに、お勧めを聞くと、ブリかな、と。でも脂がのっていて美味しそうでしたが、大きすぎてとても我が家だけでは無理、ということで天然のサワラと金目鯛を。
夜のお酒の魚、肴。
観光客も殆どいないのでいつもは避けていいる海沿いの道を



よく見ると野球部の学生さんがランニング、トレーニング



日本有数の貿易港、名古屋港への船も遠くに見えます

いつもは巨大な自動車運搬船が通りますが、やはり厳しい世界経済のせいか、今日は見えませんでした。
暖かい知多半島
もう、菜の花が。



人間の世界はゴタゴタしていても自然は淡々といつもとは変わらず。
武漢肺炎で世界がひっくり返り、そして、それに対応出来ない情けない日本政府、と思っていてテレビを観ていたら、都会ではもう、自らの行動を律することの出来中かなった人達。自分だけは大丈夫、きちんと対策している、予定していた旅行、と、おかしなインタビューへの回答。そして歩行者天国が無くなって逆に人が密になっているという訳の分からないことを。
日本人も欧米並みに強力な強制力ないと無理になってしまったのかな?



















コメント (2)
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いつもの年明けと同じく”鉄分の多い“年始を。でも、今年は少し違うかな

2021-01-10 23:02:31 | 旅行
年明けはいつものように嫁さんがお茶の初釜に。
ということで嫁さんのアッシーをしてから写真、その他。
愛知県の最奥地、面の木園地へ
ここは霧氷で有名なので沢山の人達が。
多くの人達から避けて、ひとのいない所に。
もう、何年も来ているので見つけたお気に入りの場所へ


風も強く、風に飛ばされた雪粉が綺麗です。



風力発電所も。
ところで、道路は久しぶりに雪の圧雪状態。
にもかかわらず、道路の真ん中に車を停めて写真を撮っている人達、多いこと。しかも殆ど、年輩者達、悪びれる様子も無く、堂々と三脚を立てています。急な坂道、ハンドル切って避けると滑る可能性。そんなことにも気がつかないなんて、本当に情けない世の中。
近くのスキー場、愛知県唯一のスキー場、茶臼山スキー場への車も増えてきたので下山。
途中、寄り道。
豊田市稲武の湧水公園の氷滝


地元の町おこしで始めたもの。夜はライトアップ。
ここから豊田市旧小原村の四季桜を

春と秋の、2回開花する四季桜。
秋には紅葉とのコントラストが素敵です。
秋に咲く桜は小ぶりですが、長く咲くようです。今もチラホラと咲いています。花の少ない冬の季節、桜の花は貴重です。
そして瀬戸市のお寺へ
東海道自然歩道の通っている運興寺
徳川家ゆかりのお寺。
そして盗難よけの御利益。
実は昔、車の車上荒らしにあい、救援に来たJAFの若い隊員さんと話をしてお寺へ行ったらどうですか、自分も近くの神社でお祓いしているとのことでここへ。
このお寺の屋根は今は途絶えてしまった瀬戸赤津焼の瓦
色合いが素敵な屋根です

昼過ぎに帰宅。
近場、愛知県内で。
日曜日は、朝、嫁さんを初釜に送ってからトヨタ自動車博物館へ。
朝一番は誰もおらず、好きなだけ車を。そして写真を。






この博物館の凄いことはすべての車が走行可能なこと。そのためにバネを支えて車を維持しています。また、オイル漏れのためのオイルパンも全車に設置されています。




























































今の車と違ってデザインも個性的、ある意味、セクシー、芸術作品のようです。
そして自分が開発に関わった車も

後は企画展

資料室へ








トイレも車
この自動車博物館、バックヤードにもかなり多くの車があり、ときおり入れ替えています。何度来ても初めて、という車も。
人も出てきたので、別の場所へ





三重県の三岐鉄道北勢線へ。
日本最古のコンクリート眼鏡橋と珍しいねじれ橋

このねじれ橋は“ねじれまんぼ”という呼び方でコンクリートのものでは日本唯一のもの。江戸時代にできた用水路を避けるためにできたもの。
ナローゲージのためにおもちゃみたいなかわいい電車。
近くには日本唯一の貨物列車博物館へ






ここは無料、ボランティアで車両の手入れと維持。ちょうど、大型の変圧器を運ぶシキが塗装を落として錆止めの赤色に。


近くには三岐鉄道

背後の藤原岳から運ぶ石灰を運搬。
この藤原岳の山の土を使ってセントレア(中部国際空港)の埋め立てをしました。元々は埋め立て用の土砂を使用予定であったのは愛知県美浜町からでした。しかし、足元を見て値段をつり上げたところ、トヨタ自動車が経営主体で初の民間飛行場であるセントレアから取引停止、そしてここの藤原岳の土砂を使用。慌てた美浜町は謝罪したものの取引はできず、トップは責任を取り、更に町自体も町村合併に失敗(南セントレア市という名前まで決まっていました)、日本有数の赤字財政団体に転落。
喧嘩をした相手が悪すぎた!
自動車、電車と“鉄分の多い”年始の恒例行事。
愛知県は緊急事態宣言は出ていませんが、状態は厳しく、人との接触を避けることの出来た週末。
いつまでこんなことが続くのかな。武漢肺炎
































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いつもとは違う年末年始、そして劣化する日本人

2021-01-03 20:37:42 | 旅行記
世の中、武漢肺炎と、それに手こずっている日本政府のせいで東京を中心に異常事態、そのためにいつもとは違う年末年始。
とは言え、色々と東京を中心とした関東の人への接触を注意しながら。新潟県へスキー、ほか

明け方の姨捨SAから。
善光寺平の夜明け前の街の灯り
天気はまずまず。妙高山も夜明けの太陽にモルゲンロート。
赤倉観光スキー場、通称アカカン

やはりお客さんの出足は鈍く、いつもは7:00過ぎには沢山いる車も少なく。
ふり返ると斑尾山から日の出🌄
シーズン券の引換をして人の少ない朝のゲレンデを足慣らし。
このご時世ならではの看板。
来年はこんな看板無いことを!
地元の知人とゲレンデ内の”山の神“へ先シーズンの無事の御礼と今シーズンの無事を。
今年も怪我も無く過ごせればと。
無理せずに昼前には切り上げて知人のお勧めのラー麺屋さんへ。
小政食堂さん
何か昔の懐かしいお店

味も味噌ラーメンは絶品でした。ここ最近食べた味噌ラーメンの中でも1番かな。
夜は直江津へ。
昨年まで高谷池ヒュッテのスタッフで、冬場は赤倉温泉街でお店を開いていた知人が直江津に移って新しいお店を開いたので夜、おうかがい。

直江津にある水族館をモチーフにした直江津駅の自由通路
駅から港の方へ歩いてすぐにお店
“a table called the LIGHTs”、略称は”ざらいつ“








元々、某リゾートホテルでのシェフでしたので味は素晴らしく美味しいです。
ワインはナチュラルワインを揃えていてこれも美味しいワインです





知人、スタッフ、知人の知り合いなどと記念撮影




おしゃれな素敵なお店。
お店の横には


寄付を募る看板。でも、目標額が記載されているのは初めて見るかな?
お店からホテルへ30分くらい歩きましたが厳しい寒さでないことと美味しい料理とワインで歩いていても苦になりませんでした!
翌日は柿崎の代々菊酒造さんへ

“吟田川(ちびたがわ)”


何度も訪れておじさん、おばさんとは顔馴染みに。今年はこんな世の中だから中々来ないな、無理かな、と思っていたそうですが、来そうな気がしたので最後のカレンダー、とっておいたと。

今年は、お酒のイベントがことごとく中止されたため、イベントのグッズが余ってしまった、とのことで上越Sakeまつりのお猪口をいただきました
可愛らしい謙信公とアマビエが酒を酌み交わしていて微笑ましいです。
米山も雲の中。おじさんとおばさんに年末の挨拶を。そしてお酒を。
お昼は、これまた、レトロ感満載のラーメン屋さんへ。妙高市役所からすぐのお店。
”杉村商店“さん




中は地元の人達の社交場の様相。ラーメンを食べるよりもお酒、ビールを吞んでいるひとばかり。
そして入ってくると互いに挨拶を。我が家だけがヨソ者。





昔ながらの醤油ラーメン。これも絶品。
なんで、上越地方には美味しい、そしてチェーン店ではないラーメン屋さんが沢山あるのだろう、と。他にもまだまだ行きたいお店あります。
お昼を頂いたあとは、上越妙高駅前の温泉へ
そして知人の家でこじんまりと忘年会。
(自分達は勝手に忘年会をしている)政府からは忘年会の自粛を言われてきますが。
元々は20人近くでの“大”忘年会でしたが、それは自粛してこじんまりと。
3時過ぎから吞んでいたので夕方には記憶が飛んでいました!記憶無し。
翌朝は”大荒れになって大雪になる“という予報でしたが。
マッタリと朝を迎えました
赤倉へに近づくとガス、風も強く、無理をせずに今日からお昼の営業を開始する“ぽん太郎”さん。

個人的には赤倉では1番美味しいランチ
中は、都会でも見たことのないくらいのコロナ対策。職人ぽんさんの手作り。凄い!


豆乳明太子うどん
ご夫婦は九州出身、明太子も九州の本場のもの。
エノキがたっぷりのハンバーグ定食(カレー追加)。これも絶品。
今シーズンもお世話になります。
天気も良くないので宿に行き、まったりと。
夕食後、大晦日の夜に出陣。
ぽん太郎さんで知人と年越しそばをいただき、新年を。
今年は時節柄マスクを
マスクはぽんさんのお手製の手染めのマスク
でも、やっぱりマスク無しの写真も
思ったほど積もりませんでした
翌日、元旦は関山神社で初詣
雪深く、神聖な気持ちが更に。
母親のいる東京の実家へ
18号線は大雪に、除雪作業もあちらこちらで
上信越自動車道も飯山までは雪道
横川のPAでは下仁田ネギを。夜ご飯に。
甘くて夜、母親も美味しいと
碓井軽井沢インターでいったん降りてよく北欧のセーターを買っていた北欧倶楽部さんへ。買っていたのは白馬村のお店でしたが、白馬村のお店を閉めたので軽井沢のお店へ
旧軽井沢へ。
やっぱり軽井沢の高級感、違いますね。ニセコがどんなに外国人(特にアジア系)が立派な、豪華なホテルを作って(日本人を追い出しても)も、この独特の雰囲気からは遠いですね。如何にも凄いぞ、と金に糸目をつけず無茶苦茶しているアジア系に蹂躙されるところとは違いますね。
東京の実家へ。近くへ買い出しに行く途中、近所の神社を見ると多くの人達。東京にある伊勢神宮の唯一の分社であるこの神社。並んでいる人達、一応、ソーシャルディスタンスをとっていますが、咳き込む一人多数。怖いので近くへ寄らず、遠目に。これでは東京の感染は減りませんね、もう、一度緩んだ緊張感、大変だと思う人達がいる一方、無視する人達多数。東京では人に近づかず、すれ違う人達とも離れて。
翌日は父親の墓参りをして名古屋へ
父親の墓のある川崎登戸からも富士山
東名高速でも富士山
しかし、御殿場インター近くでは大量の車の列。足柄SAから渋滞。もう東京の人達の自制は無理ですね

人混みを避けて誰もいないお気に入りの由比PAでコーヒーを

順調に名古屋に、昼過ぎに。
三が日最後の3日は人混みを避けて早朝から初詣

朝の日の光を浴びて
熱田神宮、通称、”あつたさん“へ
今年は神宮前の道は車が近づけず、人の流れを厳しく管理
参拝者も閑散と。
神宮入り口には消毒液
手洗い場はあるものの今年は流水に
境内も閑散と。
ちょうど、朝のお勤め

いつもの御垣内での参拝を。今年は、呈茶が無いのは寂しいですね
これも今年ならではの看板
おみくじを結びつけている傍らで昨日のおみくじを回収
この熱田神宮には歴史的なものが

織田信長が桶狭間の戦いの前に戦勝祈願で作った信長塀
きよめもち
これも熱田神宮の昔からのお土産
いつもは観光バスが列をなしている国道も閑散と。


源頼朝生誕の地、神宮の目の前。神宮の神官の娘と源義朝と結ばれて産まれたのが頼朝。
今の大河ドラマ、来年の大河ドラマに縁のある人物がこの神宮の周りに。


近くの白鳥古墳。
周りには野良猫への餌やり禁止の立て札沢山。
と見ていたら、猫の糞を踏んだみたいで、足下が臭い、でも、ウンがついたかな?
大須観音へ
大須観音も閑散と
大須観音の前には浅田真央さんの練習していたスケートリンク。多くの子供たちが入っていきました。将来のオリンピック選手かな。
大須観音の(短い)参道には浅田真央さんの行きつけだった食堂も。


昼前には一度家へ戻ってお昼を
そして嫁さんの実家の春日井市へ

途中で日本唯一のチベット寺院へ

タルチョも冬の北風になびいています。
それにしても、武漢肺炎のせいで日本古来の歴史、伝統、風習がことごとく破壊されてしまって、今後、どうなるのかな!
更に日本人の質が下がってきて外国人を笑うことが出来ないような状況に。
Gotoトラベルで普段宿泊の出来ない高いホテルに心貧しい連中が宿泊した結果、アメニティグッズ、ホテルの備品が盗まれてメルカリに出品。
バスローブが“使い回し感あるものの美品”。
そりゃあ、持ち出し禁止のホテル宿泊者用のバスローブ、高級ホテルならば毎回、きちんと洗濯しているでしょうから。3,000円で出品している輩の心の貧しさ。
なんで、心貧しい国民になったのかな、日本人は!





























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