ふっ と想うこと

山・雪・風・人、徒然なるままに--

金谷山

2012-01-28 16:28:51 | スキー

スキー発祥の地、金谷山でスキー!

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看板が埋まるくらいの大雪!

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リフトは一本、それも昭和58年製(会社に入社した前の年)

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でも、景色はよいです。リフト降り場のおじさんと長話。天気がいいと佐渡島が見えるよ!米山も見えるよ!

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このレルヒ少佐が1911年1月に、この金谷山で軍事教練の一環として教えたのが日本スキーの始まり。

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レルヒ少佐の偉業をたたえて、有志の方々が一本杖スキーの練習を。

Img_0359_3回数券にもレルヒ少佐が

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日本スキー発祥記念館へ

Img_0356_4レルヒ少佐

足を延ばして、上越市大潟区のマルト歌代さんへ。ここはいちじくを使ったお菓子が特筆。先日はいちじく羊羹を購入。

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今日は、いちじくどら焼きといちじくもなか。上はこの近くにある酒蔵である潟舟酒造のお酒を使ったお菓子。


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コメディー

2012-01-25 00:13:38 | 映画

矢口史靖監督の”ロボジー”を。映画館の最終回(21:00)でしたが、年配の人も多く、意外に観客が。コメディー映画といえば、三谷幸喜監督の作品はすべて見ていますが、矢口監督の作品は初めて。両者のコメディーの描き方は、まったく異なります。計算しつくした笑い(非日常の笑い)と流れのなかの笑い(日常の笑い)の違いかな。予想以上におもしろかったです。

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東京タワー

2012-01-23 22:54:10 | まち歩き

45年ぶりに東京タワーヘ。

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夕焼けと富士山。

そして光の道

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物凄い混雑。係りの人に聞くと、

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東京タワーからスカイツリーが見えるために、多くの人がくるそうです。

でも、下が透けている場所は、やはり怖い

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マニュアル

2012-01-21 23:34:14 | 社会・経済

夜、テレビで”ハッピーフライト”を。その中で、岸部一徳さんの役、システム化についていけない、年配者を。でも、いざ、トラブルになると、結局、この、システム化についていけない人が対応?なぜならば、システムそのものを理解しています。

このこと、今の日本の企業、とりわけ昔ながらの重厚長大の素材メーカーに言えることかもしれません。海外とのコスト競争の中でシステム化、簡単に言えば”どんなバカでも”使えるシステムを作ることにより誰でも対応できることにより、”専門性”なくても対応できる(と思い込んだ)システムを構築。トラブルがあると、まったく対応ができなくなります。こういうと、そんな事態はない、と”エライ”人たちは言います。でも、この発想、原発と同じですね。

”フェイルセイフ”の発想、つまりトラブルがあることを前提にしてシステムを構築していません。原発と同じく、”技術立国日本”の思い上がりの一端を示す事態かもしれませんね。

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1960年代

2012-01-21 18:33:48 | 映画

今日は、映画のはしご!”ALWAYS 3丁目の夕日、’64”と”いちご白書”。まったく関係ないようで、前者は64年、後者は68年。

”ALWAYS"はさすがに年配の方たちばかり。名古屋の人たちにとっても懐かしい風景。でも、東京生まれ東京育ちのまさに、その時代にまさにその場所で生活していた自分にとって、”埃っぽい東京”を思い出しました。さらに、現代のような”無臭の”東京ではなく、”生活臭に満ちた”東京がそこにはありました。

近所に自慢しながら(これによがしに)カラーテレビを搬入していた近所、そこへ見にいったり、オリンピックのブルーエンジェルスのデモンストレーションもまさに実体験。でも、1964年に覚えているのは、東京モノレールの開業時の始発に父に連れられて浜松町に行ったこと、ところが、押されて靴を落としてしまったこと、駅員さんが物干しざおで靴を拾ってくれたこと、始発に乗れなかったので大泣きしていたこと、駅員さんが、2番目のモノレールのときに運転席に連れて行ってくれたこと、これが一番の思い出。

いちご白書は、学生運動。大学では学生運動は大きな学生運動はありませんでしたが、(今だから言えますが)各セクトの運動家の人たちと酒を飲んだりして、熱い(未熟な?)議論をしていたのを思い出しました。(これも今はないと思いますが)会社に入って初めて大学の先輩の知り合いの某政府機関の方と飲んだ時に、先方の方は自分のことを知っていました。会社が新入社員の調査を依頼してみたい。大学時代のことを話したら、”そこまでは知りませんでした”と笑っていました。

でもこの1960年代、どちらも、社会が常に若々しい、躍動に満ちた時代ですね。1960年代前半は、社会全体が前に進んでいる時代、後半はその中で出てきた不正義に対する反発、これを若い人たちが前面に出てきています。特に”いちご白書”は1968年のコロンビア大学での実話に基づいていますがこの1968年は、プラハの春、フランス5月革命、文化大革命、など世界的に大きな動きのあった時代。

不思議ですね、この時に先頭に立っていた人たちが、今は世の中の既得権益の保守者として腐敗した社会を作ってしまっています。

この2本の映画、たった3年半の時間的な差しかありません。

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