今日は、映画のはしご!”ALWAYS 3丁目の夕日、’64”と”いちご白書”。まったく関係ないようで、前者は64年、後者は68年。
”ALWAYS"はさすがに年配の方たちばかり。名古屋の人たちにとっても懐かしい風景。でも、東京生まれ東京育ちのまさに、その時代にまさにその場所で生活していた自分にとって、”埃っぽい東京”を思い出しました。さらに、現代のような”無臭の”東京ではなく、”生活臭に満ちた”東京がそこにはありました。
近所に自慢しながら(これによがしに)カラーテレビを搬入していた近所、そこへ見にいったり、オリンピックのブルーエンジェルスのデモンストレーションもまさに実体験。でも、1964年に覚えているのは、東京モノレールの開業時の始発に父に連れられて浜松町に行ったこと、ところが、押されて靴を落としてしまったこと、駅員さんが物干しざおで靴を拾ってくれたこと、始発に乗れなかったので大泣きしていたこと、駅員さんが、2番目のモノレールのときに運転席に連れて行ってくれたこと、これが一番の思い出。
いちご白書は、学生運動。大学では学生運動は大きな学生運動はありませんでしたが、(今だから言えますが)各セクトの運動家の人たちと酒を飲んだりして、熱い(未熟な?)議論をしていたのを思い出しました。(これも今はないと思いますが)会社に入って初めて大学の先輩の知り合いの某政府機関の方と飲んだ時に、先方の方は自分のことを知っていました。会社が新入社員の調査を依頼してみたい。大学時代のことを話したら、”そこまでは知りませんでした”と笑っていました。
でもこの1960年代、どちらも、社会が常に若々しい、躍動に満ちた時代ですね。1960年代前半は、社会全体が前に進んでいる時代、後半はその中で出てきた不正義に対する反発、これを若い人たちが前面に出てきています。特に”いちご白書”は1968年のコロンビア大学での実話に基づいていますがこの1968年は、プラハの春、フランス5月革命、文化大革命、など世界的に大きな動きのあった時代。
不思議ですね、この時に先頭に立っていた人たちが、今は世の中の既得権益の保守者として腐敗した社会を作ってしまっています。
この2本の映画、たった3年半の時間的な差しかありません。