









しばらくは樹林帯の間を。
ところが七ケ巻の村へ降りる斜面はブッシュだらけ。急がないと一日三本のバスに間に合わないので我慢して、ブッシュの往復ピンタを。





バス(といってもお客さん少ないので去年からワンボックスカー)で野沢温泉へ。そして

もうすっかり春の陽気!
会社の先輩方と野沢温泉へ。皆さんは、飛び石連休で、11日から。
でも、天気予報も怪しく、雪質もよくなさそう、右肩が相変わらずなので、今回はスキーをせずに、湯治?を
まず、飯山へ
飯山の妙專寺へ
ここは、”長野県スキー発祥の地”
上越高田で、レルヒ少佐にスキー技術を伝授された後、山を越えて飯山へ戻ってきたこの妙專寺の住職。そのために、”長野県で最初にスキーを滑った人”と言われて、スキー発祥の地となっています。
その後、飯山はその仏壇製作で培った技術で日本の名だたるスキーメーカーが誕生しました。
それにしても、暑い!
Tシャツを薄手のものを羽織るくらいでちょうどよい暑さ!
野沢温泉で長い遊ロードでゲレンデへ
お昼の後は、外湯巡り
野沢温泉には13の外湯。
まず、滝之湯へ
中には
ケロリンの桶!
その後は
松葉の湯。民宿街にあるので夕方にはいつも混んでいますが、昼間は空いています。
続いて秋葉の湯。
新田の湯へ更にはしご
秋葉の湯、新田の湯も夕方はいつも混んでいます。
夕食前には真湯
気持ち良いお湯。
夕食後、久しぶりに温泉街へ
凄い混み方。外国人のみならず日本人も。
野沢温泉も妙高赤倉と同じく外国人は夕食を食べに出てくる為にどこでも大混雑!
そのため、飲食店も荒れ放題。お店も"名義貸し"なのか、外見は変わらないですが、日本人がいない店も。トンでもないものが出てきます!酷い状態!
先日、オストラリアの新聞記事で、日本のスキー場の魅力として3つ挙げていました。
(1)リフト券の安さ(海外では1日券は1万円位)
(2)食べ物の美味しさ
(3)日本人のホスピタリティ。
こんなことしていると日本の信用無くしてしまいます。
あまりにも馬鹿馬鹿しいので宿へ。
翌朝は朝から大雨!
まず、横地の湯へ
何年か前に、朝一番の熱い湯船に飛び込んだ大馬鹿者のせいでどこも温くなっています。この大馬鹿者、野沢温泉村を訴えた為にどこの外湯も水で薄めています。
確かに昔は、熱くて朝一番の風呂に足を入れると火傷しそうでしたが!
朝食後、いつもは行かない遠くの外湯へ
中尾の湯
中々雰囲気があります!
これで外湯7箇所。あと6箇所。再来週へ。
雨も上がらないので長野善光寺へ
山門にも登ってみると
長野の街が一望。
本堂地下の戒壇巡りをして、お詣りを。
それにしても暑い!
雪がなくなってしまう!
まだまだ2月なのに!
週末はいつもの妙高赤倉へ。知人のわんちゃんも寒さの中で元気!
雪質はこの時期ならではのコンディション(積雪量は圧倒的に少ないですが😢)
赤倉地区には外国人客が殺到していて、夜の食事に往生します。
元々、大挙して来るお客さんにはなれていない、そのうえに圧倒的に外国人客。さらに、面倒くさい、菜食主義者、あれはダメ、これはダメ、と、10人いると10通りの要求。
となると、当然、店の応対も殺気立ってきて、せっかくの日本の観光地の良さである、落ち着き、静けさは何処かへ。
ろくに注文もできなくなります。
ということで、今回は新井へ。しかも帰りは運転代行で!
観光地のような高い料金ではなく、色々と多くの美味しいお店。そしてなんといっても、うるさい外国人客が皆無。
新井から赤倉まで6000円強。人数がまとまれば、凄くお得。
それにしても、感じたこと二つ。
一つは、突然急に外国人客が増加、北海道のニセコの1番荒れた時期にそっくり。
二つ目は、名古屋では代行が成り立たない不思議さ。夜の繁華街近くには駐車(違法駐車)が多いのに、朝になるといなくなる光景。そして名古屋では何回も代行運転会社ができてはつぶれを繰り返して今は見かけないこと。自動車王国名古屋の車は自動運転なのかしら?
日曜日は新雪パフパフを堪能。不思議なことに新雪!というと皆さん、なんとかと煙みたいに1番上へ。そして争うように滑りゲレンデはすぐ荒れ果てます。でもその一つ下のゲレンデは最高の状態。ということで楽しんで、さっさと切り上げ。赤倉温泉でいつもお世話になっている知り合いの方からダイコンとタクワンを。
帰りは一般道で。長野から南はピーカン☀いつもの木曽上松のお蕎麦屋さんへ。
ポカポカしていてお店の外には福寿草も
こう暖かいと盛りそばも美味しくいただきました
そして岐阜県中津川で手作りのお煎餅屋さんへ
それにしても複雑デスね!外国人客が増えて混めば、殺伐として行きにくくなる一方、お客さんがいなくて閑散としているのもどうかと思うし。
30年近くニセコへ行っていますが、外国人客が増えた最初の頃は、いわゆるお金持ち(品のある静かな人達が多かった)が多かった気がしましたが、その後はその外国人客を目当てに押しかけた品のない外国人客が増えた悪くなった状態に。そんな悪くなったニセコを跡追いしているような!
本当は、地元がまとまって、あるいは(うまくいかないと困りますが)行政がまとめて観光地のビジョンなりを築き、猫も杓子も客ならば誰でも良い、というのではなく呼び込む観光客像を決めて誘致していけば良いのですが。
”黒い猫でも白い猫でも鼠を獲る猫は良い猫だ“
というのはやめるべきでは?
それにしても、現政府が大騒ぎして、どんどん外国人客を誘致、そのために民泊のようにどうするのかも決めずに法律を強引に変えていってしまうやり方、いつから日本は、こんなに節操がなくなったのかしら?
サッカーU23大会で日本代表が優勝。アナウンサー、解説者皆さん”23年前の雪辱“と感極まっていました、そう、今回の開催地ドーハは23年前の”ドーハの悲劇“の場所。
ちょうど23年前のドーハの悲劇の1週間後にイランへ出張。当時からサッカーの国際試合は(日本以外は)国を挙げての“戦争のようなもの”。
今の時代ならば安全上の問題からイランへの出張は自粛するでしょうが、当時はまだ、ノンビリとした時代。
また、イランは(今はどうだかわかりませんが)当時は”親日国“。でも、ホメイニ革命後の、西欧文化へ厳しい目が向けられていました。
当時、あまりサッカーには興味なく、何の気なしにいつも通り、出張。
ところがまず入国審査で”日本は運が悪い!イランに負けたからな!(第2戦で日本はイランに負けた)”と何か同情され、いとも簡単に入国審査手続きが済みました。また、ホテルでもスタッフ、機関銃を持った軍人さん(革命後なのでホテルの入り口に立っていました!)からも同様に、やたらと慰められたことを。
現地の商社駐在員に聞くと、やはり日本は欧米とは異なり、親しみのある国なので、敗戦した日本に対して、同情する気持ちが強い、と聞きました。
“ドーハの悲劇”から23年。
歳をとったはずです。