ふっ と想うこと

山・雪・風・人、徒然なるままに--

穏やかな三連休

2024-10-14 17:03:26 | 身の回り
久しぶりに3日間天気が良い連休。
1日目は名古屋東京日帰り

朝4時に名古屋を出発、豊田インターチェンジ経由で。月に数回名古屋東京日帰りしますが、この日はいつもとは異なり上りが朝から車が多いです。
普段から運転に慣れていない運転手も多く、突然の車線変更、追い越し車線での低速走行、など。
危険予知運転で

富士山も朝の光で紅く

富士山の近くの愛鷹山の脇を日が昇ってきています。この愛鷹山、元々は富士山と同じ山容、崩れて今のような形。富士山の将来の姿と言われています。

実家近くの東京、神明社。
子供の時には”天祖神社“。当時はもっと鬱蒼とした神社でした。学校帰りによく友達と隠れんぼ、缶蹴りなどをして遊びました。

神社の一角では地元の老舗の和菓子屋さんの出店。どら焼きを買いました。

卒業した小学校では隣の幼稚園の運動会を。

校庭からは子供達の元気な声が聞こえてきます。

近くの昔からある喫茶店で。
現在東京で営業している喫茶店の中でも最も古いお店の一つと言われています。

名古屋とは違うナポリタン。



所要を済ませて、神奈川県登戸の父の墓参りを。

ところで今、東名高速道路では下り線で御殿場まで大規模な集中工事。天気の良い三連休、そして集中工事での車線規制で、往路は3時間半でしたが復路は7時間。予想通りだったのでゆっくりと。
名古屋を朝4時に出発して夜7時過ぎに戻ってきました。

連休半ばの翌日は近所の神社の秋祭りへ
八事の五社宮



ここは日本でも数少ない五つの神様を奉る神社
・天照大御神
(あまてらすおおみかみ)
・月夜見尊
(つきよみのみこと)
・五百箇磐石尊
(いおついわむらのみこと)
・豊受大神
(とようけのおおかみ)
・ 須佐之男命
(すさのおのみこと)



様々な神事が行われます。子供の時にも近くの神社、天祖神社で同じく秋祭りを。その時と同じく、子供達の歓声の中で神事が行われました。街なかの神社らしい、地元に溶け込んだ神社

とても小さな神社ですが、由緒ある神社。

ここ八事には8つの坂が一つに集まっています

八事にあるカニ専門店でお弁当を“名古屋市のクーポン”で。
お弁当を買って八事興正寺へ

徳川家の菩提寺

奥にある普門園近くの東屋(四阿 あずまや)へ。外でお茶ができるようになっています。風が通って涼しいです。ときおり流れる寺の鐘の音。昼には近くの教会の鐘も鳴ります。日本的な鐘と西洋の鐘、その両方の音を楽しめます。



近くの和菓子屋さん”菓宗庵”さんで買った栗きんとん。この時期、名古屋の和菓子屋さんではどこでも栗きんとんが作られて売られています。
心地よい風を感じながら秋の味覚

つい最近まで暑かったですが木々も赤くなり始めています。




この日は普門園の”菊花の室礼“

菊に因んだ品々



















岐阜県で採掘されていた“菊花石”

お茶室から外を見ると

蹲(つくばい)に菊の花が

秋の涼しい風を感じながら寺の鐘の音を聞いていると、穏やかな気持ちになります
菊をと中庭を観ていると、”菊花茶をどうぞ“と。菊の花で抽出されたお茶。食用菊を使っているそうです。苦味が心地よく、美味しくいただきました。






四季桜、別名冬桜も一輪、二輪と。冬に咲く桜
これからは桜の淡いピンク色と紅葉の赤色、黄色のコントラストが素敵な季節に。

普門園の“菊の室礼”へ行くとサロンでの抹茶セットが安くいただけます。

家に戻る途中に先ほどいただいた栗きんとんを買った”菓宗庵“さんで
名古屋コーチンを使った和菓子を

お店の中には香ばしい卵の香りが漂っています。



























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仙台から名古屋へフェリー

2024-10-10 21:10:37 | 旅行記
仙台から名古屋へ
高速道路はETC休日割引なく、ガソリン代と合わせると25,000円以上、渋滞に巻き込まれて10時間近くかかります。フェリーは秋の特別割引料金で通常よりも20%安く。部屋にもよりますが車より若干高く、でも楽に帰ることができます。
フェリーは、北海道へ新日本海フェリー、九州へはサンフラワー(商船三井)、と今回の太平洋フェリー(名古屋鉄道)と日本の大きな長距離フェリーに。

太平洋フェリーは初めてですが、船自体は新しくなく、WiFiが自由に使える他社に比べて古さを感じます。



フェリーの先頭部が開閉するのはこのフェリーの特徴。トラックがメイン。






名古屋行きのタグをつけて。



出航の銅鑼も無く、突然静かに出航



この太平洋フェリーは仙台港では頭から入港、出航の時には後退して180度方向転換。因みに名古屋港も頭から入港。

仙台港近くの場外市場で地元の魚を使った寿司と石巻の日本酒

これは市場で買った自宅用のお酒。鳴子温泉のお酒と栗駒山近くのお酒
しばらくして名古屋からの友船“きそ”とすれ違い。すれ違いのときには航海の安全の為に互いに汽笛を鳴らします。ただ、他のフェリー会社のフェリーに比べると汽笛の音が少しショボいと、あくまでも個人の感想ですが

夜は、バイキング。とはいえ町中華がテーマ。

ウィークデー。乗船しているのは、トラック運転手さん、そしてガッチリとした体格の若い人達、そして年配者。体格のよい若者達はお酒を飲まずにひたすら沢山食べています。翌朝、わかりましたが自衛隊員の皆さんでした。
それにしても年配者、それもかなり歳上の人達が多く、バイキングではしばしば渋滞。何を取るか判断できず右往左往しています。
自分も退職した身分なので色々と考えさせられます。やはり、引き際は考える事も必要なのかなと。
このフェリーでは夜、無料のコンサートがあり、この夜はピアノと電子ピアノ。ただ客層を観て曲を決めているのかもしれませんが、あまりにも古すぎる選択。どう考えても75歳以上、団塊の世代の人達向け。もう少し考えるべきだと。

関東沖では波も高く、少し揺れましたが名古屋港へ

名古屋港は日本有数の輸出入取り扱い港。多くの船舶が名古屋港を出入りします

入港には船舶が一列に並んで。





名古屋港から三河湾にかけてはイルカの一種であるスナメリの生息地としても有名。何頭かのスナメリを見ることができました。


名古屋港近くの日本製鉄の名古屋製鉄所の横を



名古屋港のシンボル”トリトン“も見えてきました。

このトリトンは橋を支えるのではなく、柱からワイヤーデ吊り下げている吊り橋の構造



吊り橋構造のトリトンを下から見る経験は初めて。






名古屋港でも頭から港に着岸。
数日前にくらべて名古屋も涼しくなっています。
定刻の10:30に入港。

名古屋港から帰宅する途中に名古屋飯の“鉄板ナポリタン”を

それにしても、初めて乗船した太平洋フェリー。割引だったので個室を利用しましたが、新日本海フェリー、サンフラワーと比べると、雰囲気はかなり違います。
何と言っても、新しい船も既に10年以上の船で部屋の調度品にも古さを感じます。ときおりトイレからカタカタ音がするので見に行くと、金具が緩くなってはずれています。また、フロントには誰もおらず、真っ暗。船内も就寝時間ではないのに暗い。仙台港出航も全く何もなく静かに出航、全く、旅行感はありません。名古屋港入港もほとんど案内はなく、着岸直前に放送。
やはり、経営母体が名古屋鉄道だからかな、と。船旅への気配り、雰囲気作りは他のフェリーに比べるとかなり劣ります。

フェリー会社はそれぞれ個性があるなと感じた、そんな船旅でした






































































































































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東北を。中尊寺、毛越寺そして“3.11”へ

2024-10-09 15:01:45 | 旅行記
同窓会の翌日は嫁さんと近場を旅行に

平泉、中尊寺へ



紅葉はまだ早く、緑が鮮やか

弁慶堂



金色堂を観てからお昼

ジンジャーエールならぬ”神社エール“






紅葉もようやく始まった中尊寺






中尊寺から歩いて毛越寺へ

途中、弁慶の墓





昔の疎水跡。
藤原秀衡公が作らせた800年以上前の疎水
他にも昔の遺構が

毛越寺もようやく紅葉が始まりました


















人も少なく、静かに散策できました。

毛越寺を出ると尺八吹きながら虚無僧の集団が。
能登半島地震追悼の為出そうです

南三陸市のホテル観洋へ
このホテル観洋には震災後、会社の会議と慰安旅行でこのホテルに。宿泊した時は、このホテルの露天風呂が復活した1週間後。
このホテルも津波で被災、露天風呂も津波で泥だらけ。
宿泊した時には、ロビーにはボランティアの方達が雑魚寝していました、100人以上。このホテルは震災復興の為に色々と活動。
そのために、退職後、ぜひ、もう一度訪れてみたかったホテル


部屋の窓からは目の前に海

夜は地元の海鮮づくし


















追加で、サメの心臓

地元のタコも追加
さらにホヤの天ぷら






このホテルは未だに各地の災害被害地域と交流





東日本大震災の時の写真も記録として展示しています




朝はウミネコの鳴き声で目が覚めます



海を見ながら地元の食材の朝食






陸前高田

朝食の後にはこのホテルのツアー“震災語り部ツアー”

高くなった堤防

津波で更地になった被災地。ここには多くの人達の家があったようです。

高台の中学校。津波は山の間を駆け上がって高台のこの中学校にまで。時計は震災のあった14:47で止まったまま。
この時計の下まで津波が。


次には近くの宴会用の”高野会館“へ

この高野会館では当時老人会の催しがあったそうです。

バスの屋根よりも高いところに津波が

ここまで津波が来ています
老人会の老人たちとスタッフで屋上にまで逃げて何とか助かったそうです。その屋上にまで津波の水が上がってきたそうです

この高野会館はホテル観洋と同じ経営でした。そのためにこの震災遺構はホテル観洋が維持管理をしているそうです


そして、最後まで、職員の女性の方が避難を呼びかけていて、その結果被災して亡くなった防災センター。

この建物を見ると手を合わせたくなります。安らかに眠ってほしいと思います



鉄骨がむき出しとなって、錆びてボロボロ。



そもそもこの建物は高さが12m。
これは1960年のチリ地震の時の津波が3m。この南三陸町では記録上この津波が一番高かったので、建物は12mもあれば全く問題ないと思われていたそうです。でも東日本大震災では15mだったそうで、そのためにこのビルは被災したそうです。



この防災センターを残すかどうかで賛否両論。今年のはじめに、町長の判断で遺すことが決まりました。しかし、塩水に浸かった鉄骨、このままては、朽ちて行くのも時間の問題。

隣に被災慰霊場所




この防災センター隣には被災した人達で南三陸観光センター。そこでブルーエンゼルスのサイダーとコーラ

この近くにはチリから贈られたモアイ像。チリ地震以後に南三陸町はチリと姉妹提携を。





モアイ像の間から復興のクレーンとその奥には宿泊したホテル観洋


南三陸町から仙台へ
途中、登米市へ。
ここ登米市(とめし)登米町(とよままち)には尋常小学校跡









昔ながらのミシン

























登米市には“はっと”という食べ物。
昔、年貢の取り立てが厳しかったので農民たちは米の代わりに麺を。その麺があまりにも美味しかったので領主に食べることを”御法度“にされた、そこから“はっと”。

登米市にはもう一つ、石ノ森町に石ノ森章太郎さんが生まれた生家。その近くに石ノ森章太郎記念館。この日は月曜日で休館日で建物の中には入ることはできませんが庭には入ることができて写真を
























仙台のフェリー乗り場へ下見

翌日に乗船するフェリーも停泊中に被災したようでその事が展示されていました




夜はネットで、やり取りしていた山登り、テレマークスキーをされる方、なんと愛知県の方で仙台に単身赴任の方と。





10月に転勤で、まて中部圏へ

楽しく、スキー、山の話を肴に美味しいお酒。




























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卒業40年の同窓会

2024-10-09 14:12:42 | 旅行記
大学のクラブの卒業40周年の集まりで仙台へ

朝4時に名古屋を出て仙台へ



天気は悪く富士山もほんの一部だけ、その姿を
名古屋から圏央道経由仙台へ。
無給油で仙台には昼前に。
名古屋から仙台まで8時間、高速道路代が10,600円、ガソリン代が9,000円。2人だと新幹線代の半分以下。

仙台西公園内の茶店でずんだ餅などのセットを



名古屋のものとは異なる味噌おでん。関東圏だと味噌田楽。


茶店を後にして青葉城へ
大橋手前には萩。



広瀬川

日本初のフィギュアスケート発祥の地とされている五色沼

もっともらしい理由が書かれていますが、40年近く前には、“旧制二高の学生が下駄に歯をつけて氷の上で遊んだのがフィギュアスケートの発祥”と。






魯迅も留学

その魯迅の碑





青葉城、青葉山へ歩いて。昔の城の石積も
青葉山から仙台の街なかを。
高い建物が増えてきました。40年前にはここから新幹線ができたばかりの仙台駅を見ることができましたが、今は見えません



伊達政宗公の銅像、昔は海に向かっていました。でも今はほぼ90度向きが変わっています。今は伊達政宗公が派遣した支倉常長の向かったポルトガルを向いています






青葉山から降りてきて支倉常長の像を。

青葉山の中にある卒業した東北大学が。昔、通った図書館もそのまま。耐震補強はされていますが。ここで朝から晩まで勉強していました。自然豊かな場所にあるので、よく図書館の窓からリスが木々の中、走り回っていました。

法学部棟も昔ながら

大学下の大手門跡

街なかにある東北帝国大学跡、今は東北大学本部のある片平へ



ここにも魯迅の像

夜は、久しぶりに会う模擬裁判実行委員会の同級生と。

楽しく、そして二次会にはホテルにいた嫁さんも呼んでくれて合流。楽しく過ごした仙台の夜






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