中国ウイルスのせいで、映画の新作はどんどん公開延期に。なんとか観ることができた映画。
震災のあった11日の前日にこの映画。
ほぼノンフィクション。
当日は金曜日で、年度末で年休消化のためにスキーで新潟県へ。丁度、知り合い達と遅めのお昼(+🍺)をとっていた時に大きく揺れました。実はこの夜の長野県北部地震のほうが大きく感じて一晩中スマホの警報が鳴り響いていました。
そして翌日、なんと、知り合いのアメリカ人に当時の国務長官名で(ヒラリークリントン)、”原発が危ないので米国人に退避するように”と勧告が来ました。皆で、どこなんだ!と。日本人そのものが知らないのにアメリカは既に知っていた、そのことがある意味驚きでした。その時に現場ではこんなことが起きていたのか、と思って映画を。
福島第一原子力発電所の最後に残った現場の作業員達を欧米のメディアは”FUKUSHIMA 50”と呼称したのに因むもの。
この映画、反原発を声高に訴えて訳ではなく、また、現場の作業員を英雄視しているわけではなく、淡々と。
明確に反原発ではない、当時の非自民党政権を批判している、自衛隊・米軍が出ているとのことで、日本の多くの新聞は無視、さらに映画の感想の書き込みも批判的なものが大量に書き込まれるという、とんでもない事態となっています(批判の中には映画観ているの?というものも)。極めつけは、今や日本でこれ程一方的に書くか、と思うくらい偏った新聞は、”現場は仕事放棄して逃げた”と誤報(またお得意の捏造かもしれませんが)を記事にして、後に事実誤認と小さく訂正しました(産まれてから60年、我が家で購読していますが、そろそろやめようかなと)。
当時の問題だらけの首相、現場ではなく本社(本店)で座っていて上から目線の無能な幹部の東京電力は、既に既知の事実。
しかし、そんな”バイアス”のかかった偏った見方をせず、事実としての災害対応として観ると、果たしてもし、自分があの場にいて同じことができたのか?と。
なにが彼らを突き動かしているのか?。現場から離れて上から目線で指示を飛ばす”ボス”と現場で先頭に立って導いていく”リーダー”との違い、如実に描かれています。
今、新型コロナウイルス(武漢ウイルス)で中国”政府”は叩かれていますが、当初は中国の現場の医師達は、我が身を顧みずウイルスに立ち向かったことが脳裏をよぎります。
そして原発の現場の彼らがいなければ(勿論幸運もありますが)、今の東日本、ひょっとしたら日本全体がどうなったのか、考えさせられます。これは思想的にではなく、事実として。
この手の話しではいつも感じる最大の矛盾点は、反原発の立場の人達がまさに、原発による発電の恩恵を受ける、都会の人達が大きな声を出していること。東京のために、福島、新潟、大阪のために福井が危険にさらされています。都会の24時間のライフスタイルを変えず、反原発を訴えることには疑問を感じます。勿論、廃炉作業のみならずまだ、避難している人達も多いいま、この映画を作る必要があるのか、との声もあります。でも、事実としての事故、その時の事を記録する意味では良いのではと思います。
この映画、反原発を訴えていない、と非難されています。でも、”自分たちはどこで間違ったのか”と自問する姿、そしてエンドロールは太陽光発電、風力発電のシーンです。色々と考えさせられる映画。
映画自身は3年前のイギリス映画。ようやく日本での公開。
長年、夫の横暴と介護で自分の人生の大半を”自分以外の””愛していない人”のために費やした女性。80歳を超えて老人ホームに入るしかない、これで後は死ぬだけ、と。しかし、ある馴染みのお店で追加注文をした時に”追加注文、遅いかしら?”と言うと店主が”何事も遅いことはないよ”と。
ここで彼女は子供の時に父と登るはずの山へ。
現地の若い登山ガイドとプライドの高い彼女との反発、そして彼の悩み、彼女のこれまで生きてきた思いを交わすうちに心を通わします。
これら、互いの思いが、スコットランドのハイランドの美しい自然の中にとけこみ、素敵に描かれています。やり手の彼女に振り回されて、自分としてどうしたら良いのか、と悩んでいる若きガイドに後悔しないように生きるように、との一言、重い一言。やり直しのきかない、1回限りの人生。でも、本当は後悔したのかは、後になってわかること。逆に言うと今を大切に生きること。そして、その”今”とは死ぬまでかもしれません。
副題の”Never too late”
この素敵な言葉、ハイランドの心地良い風に漂ってくるようです。
ジュディーガーランド、といえばなんといっても”オズの魔法使い”のドロシー。そして、ビンセントミネリとの間にライザミネリを産んだ母親。
でも、これが彼女の人生が大きく変わってしまいます。今の時代とは異なり、映画会社は、小さな女の子を”人”としてではなく”商品”として扱う、まさにアメリカの資本主義の象徴。若い頃から、睡眠薬と興奮剤とを与えられ、そしてマインドコントロール。
彼女は精神も肉体もズタズタ、当然、結婚もうまくいかず何度も結婚、離婚。そして最後に残された子供からも引き離されて絶望。
その中での最後の”Ovever the rainbow”
誰にでも希望がある、と歌うその姿は思わず目頭が暑くなります。
主演のレニーゼルウィガーが素晴らしく、ミューズの虜となったジュデーィガーランドを見事に演じています。
まだ、3月ですが今年観た映画で一番の映画。
ちょうど今から40年前に大学に入学した頃は、学生運動自体が下火。とはいえ、入学した仙台の大学ではまだ、学生運動もそこそこ、入学式はありませんでした。というのは、何度も入学式で学長が襲われて中止、特に入学した前の年は試しに入学式を復活させましたが、学長の頭からソースをかけられました。また、仙台の街中では歩道が投石に使われるとのことで、意匠的なブロックではなく、ずっとアスファルト。教育学部はまともに入れずロッカーが入り口に積み上がっていました。法学部棟でも、たまに、血の跡が廊下に点々と。
”総括”、”ナンセンス”、”糾弾”、などという言葉が飛び交っていました。そんな時代の最後の学生運動、かなり政治的で左派政党の流れを汲んだいくつかのグループ(セクト)に別れていました。たまに、知人と彼らと夜、呑みにいったりしたとき、とにかく革命、ということに固執、その結果どうしたいのかよくわかりませんでした。それを指摘すると”日和見法学部生”と言われましたが。また、友人と知人の北海道中標津の牧場へ遊びに行ったとき、某大学の学生運動の幹部でバイトに来ていた農学部生と毎日、徹夜しながら議論?していたのも、今から見ると懐かしい。
この映画はそんな複雑化、行き詰まる前の学生運動の初期(とは言え東大安田講堂は陥落しましたが)のまだ、純粋な、そして言葉がまだ、大事にされていたときを。三島由紀夫さんは、実は大学のゼミの教授の同級生、そして小説”金閣寺”の最後に放火をする僧侶のモデルとなったのがその教授。小児麻痺で体は不自由でした。よく、ゼミで三島由紀夫さんのこと、話されていました。
この映画、三島由紀夫さんと東京大学全共闘、右翼と左翼の対立のように見えますが、実は、根っこのところは同じ、所謂”反米で日本人の自立・独立”、つまりナショナリズムを主張するものであることであること。
この時期、とても言葉は過激ですが純粋な活動。ある意味、思春期の純粋性が力(=暴力)により実現させようとしたもの。
この映画を観て、三島由紀夫さん、東京大学全共闘のメンバーは今の時代をどう見るのか?、そして彼らならばどうしたのか。
言葉=言霊のある意味”美しさ””純粋性”。
万人向きではありませんが見応えのある映画。
全く学生運動を知らない嫁さんは、不服そうで、”いったい、どうしたいのかな”。
この一言がものがたっています、後の世から顧みると。
本当に、なんとかならないのか。発生源でもあり初期対応を誤った中国は盗っ人猛々しい、状況。振り返って我が国、これ程官僚機構が劣化したと思えるくらい混乱、何よりもまともな政治家はいないのか、媚中の連中ばかり。最近は、民主党時代よりも酷い!との声もあちらこちらで。まぁ、今の時代、民主党であればもっと酷かったかもしれません。
歴史に、”もし”は禁句ですが。