ふっ と想うこと

山・雪・風・人、徒然なるままに--

冬と春に触れた週末

2024-01-29 08:42:59 | スキー
大阪の”テレマークスキーショップsou“さんで購入した新しいテレマークブーツ。今のテレマークブーツは購入してからもう5年以上。そのうちに壊れると思い、テレマークブーツを購入
歳から言ったら人生最後のテレマークブーツ。
それにしてもおニューの靴、最初に足をいれるときに硬い。そして締め付けられるよう。はじめのうちは足がジンジンとしていましたが、何本か滑っている間に、インナーが足の形に馴染んだのか、足がインナーに馴染んだのか、痛みもなくなりました。

駐車場の車の割に空いているゲレンデ。相変わらずのリフト券購入の列は長く、解消させる気の無い赤倉観光リゾートスキー場。“やる気のなさ”がここまで目立つスキー場も稀有ですね。
おかげでシーズン券を持っている我が家は混む前のゲレンデを楽しめますのでスキー場のやる気のなさは役に立っていますが。
リフト運転開始から2時間半、休み無しに滑ってきてようやく人も出てきたので我が家は本日のスキーを終了。
片付けていると、新潟県の職員?関係者?の方達がビラを配っていました。我が家の方にも来ました。
”遭難が増えているのでコース外では滑らないようにお願いします“
そこで、
“そもそも、スキー場関係者他が外国人向けに林の中を滑るSNSをアップしていますよね。インバウンドの外国人を受け入れたいためにアップしている動画。それなのにコース外滑るな、と注意しているのは自分達で首を絞めているだけなのでは?”
と。するとその人達も”実はそうなんです“
金欲しさに外国人を無闇やたらに誘致しようとするからでは?
それにインバウンドという言葉に取り憑かれている妙高市。今回のリフト券の電子化、妙高市が補助金出して市内の殆どスキー場に導入(拒否している所もあるようですが)、データを取り今後のインバウンド誘致に向けていくそうです。どこかのコンサルタントの口車に乗せられているような気がしますが。そしてなんと、来年からはリフト券ではなくスマホをリフト券かわりにすると言う話も。今のこの体たらく、スマホなどで対応できるのか?そして何よりも、スマホを使うということは、スマホの個人データの保護、管理を人口3万人もいない地方自治体にできるのか?甚だ疑問。今までの歴史で行政主体で成功した観光業、その殆どが行政は補助、行政が前面に出て成功した事例は少ないですね。

だいたいからして昼前にこんなビラ配って、一体誰を相手に啓蒙活動をしているのか?単なるゴミをばら撒いているのと同じ。

入るな、というのではなく、捜査費用にいくらかかるのか、最低でも100万円以上かかる、とでも書いて配れば良いと。まぁ、”バックカントリー“という無責任な表現にホイホイと入り込んでSNSにアップする日本人は回転寿司で皿をペロペロなめ回すいわゆる“バカッター”と同じレベル、更に、はなからそんな事に聞く耳を持たない外国人には無意味。

本当に自分お役所仕事ですね。役所の人ならば間違えなく休日手当と時間外手当が出ています、無駄な税金
お昼は赤倉で“個人的に”一番美味しい”ぽん太郎“さんでランチ。
1年ぶりの知人とも会えて楽しく、美味しくいただきました。

この日は日帰り
名古屋から近場の日帰りスキー場へ行っても、リフト券半日券、高速代、そして混雑度を考えると、シーズン券があり、往路は高速道路使っても復路を高速道路使わずに国道で帰って来るとほとんどコスト差無し。多少のガソリン代はマイナス。
でも名古屋から妙高だと高速道路のほうが遠回りとなり走行距離は違います。
でも、本当は、いつも泊まる宿を予約できなくなったこと、日曜日に用事があったので日帰り。いつも名古屋東京日帰りをしているときにはスバルのアイサイトの半自動運転で睡魔には襲われませんが、さすがにこの日は途中で睡魔に。いつもより多く何度か車を降りて休憩。やはりスキーをして身体使ったからですね。
国道19号線、木曽路を南下しているとバックミラーに赤く染まった中央アルプス。アーベントロート。
道路も空いていて名古屋へ。

次の日曜日には愛知県では豊橋でしか上映されていない映画を観るために朝豊橋へ

知里幸恵さんの映画


昼過ぎに名古屋へ。
近所の八事興正寺さんへ
普門園、竹翆亭での“節分の室礼”
特別拝観、予約制で静かに中で季節の移り変わりを楽しめます

今は、鬼と梅


鬼瓦と。
愛知県は鬼瓦の生産でも有数

七福神の掛け軸

梅の屏風
予約していた時間には我が家しかおらず。案内の方と色々とお話を。
そして”豆茶“
福々しい絵の描かれた茶碗で
飲み干すと可愛らしい絵が



冬なのですが、暖かさを感じる午後の太陽の光

寺の鐘の音を聴きながら静かな時を楽しめました。

寺の渡り廊下で内庭を観ていたら、後ろでゴソゴソと。大きな黒い猫が植木の近くで用をたそうとしていました。我が家が見ていても動じる毛杯はなく、用を足していました。すると、用を足した場所に落ち葉を手繰り寄せて隠していました。その仕草を、見ていて、さすがにお寺さんの猫、躾がしっかりしている、と感心。その事を普門園の方に話をしたら大笑い。ここに通ってくる猫は3匹いるそうですが、寺の猫ではないそうです。用を足してその後の後始末は初めて聞いたそうです。
特別拝観には喫茶ルームでの割引もあるので、中庭を普門園の反対側から。季節の和菓子をいただきながら、まったりとした時間を。
















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1月に観た映画

2024-01-28 18:12:04 | 映画
公開してから一月近く。
昨年、鹿児島の知覧へ行ったので是非観たいと思って。
とはいえ、単なるお涙頂戴では、と思っていましたが、色々と。
知覧では特攻隊の方達の遺書は、母親に向けたものが多く、その次が兄弟、愛する人達へ向けたもの。不思議なのは父親に向けたものがほとんど無いと。
この映画は、現代の女子高生が先の大戦末期の特攻隊基地へ。最初、現代の若者の素直な感覚で批判的に特攻隊員を。彼らと接しているうちに、彼らが後を託した次世代への思いを知る事に。そして彼らが託した後世の日本人として今の自分はどうなのか?と。
戦争を単に批判的に描くのではなく、日本という国をどうするのか?と考えていく、その事が描かれていきます。“平和”ということが一番大事な事、ただ、今の日本を取り巻く状況からは、今度は”日本を守る“事を考えざるをなくなる、そんな事を感じた映画。出ている若い俳優さんたちの初々しさ、それを支えるベテラン俳優。
若い観客が多く、映画前は大声で話していましたが、映画のあとには、シーんと。年寄の我が家が出るまで会話はほとんど聞こえなかったです。福山雅治さんの歌もまた、心に響きますね

人気アニメの実写。
ヤクザと中学生という”普通には“絶対に知り合うことの無い二人。ひょんなことから一方的にカラオケの指南を求めるヤクザ、戸惑う中学生。
中学生は新人、それを綾野剛さん他ベテラン達がもり立てる、現代の童話のような話。全く違う世界の二人が、心を通わせる、その過程も。合唱部のボーイソプラノの中学生が変声期で悩み“きれいな声が出ない”という悩みを唯一打ち明けたヤクザ。それに対して”世の中、綺麗なものばかりでは成り立たない“というヤクザの言葉。何か素敵な心の通わせも感じられます。中学校のアルアル学校生活。半世紀近く前を思い出される、甘い思い出も。
観終わってスッキリとした心地になるそんな、映画。
あまりアニメは読みませんが、数少ない読んだアニメの実写化。アニメの世界をどう映画にするのだろうか、と思っていたら、まさに、アニメの世界。アイヌのアニミズムの世界を近代が覆ってくるスケール大きな映画。音楽がどこかで聞いた感じと思ったらキングダムの作曲家でした。多分、シリーズ化されると。面白い映画
カラー版とは全く別の映画のように。モノクロの世界はよけいに迫力が。そして俳優さん達の顔の陰影がより映画の深みを増します。
子供の時、最初に出会ったゴジラ、そのもの。素敵な映画
どうしても観たかった映画。愛知県では豊橋の映画館だけなので豊橋へ。
知里幸恵さんの“アイヌ神謡集”、最初に触れたのが半世紀近く前のラジオドラマ”日曜名作座“の森繁久彌さんと加藤道子さんの朗読。
文字を持たずに言葉だけで伝える“口承文化”。それをもつ数少ない民族であるアイヌ。そのユーカラの美しさとともに、そのユーカラ自体が生活規範でもあり先祖から後世に伝える口承。金田一京助博士に見出され、19歳で亡くなった知里幸恵さん、才能ある彼女のお陰で口承が文字に、文学に。
しかしアイヌ民族自体が日本人による長年の迫害、なんと20世紀末までアイヌの同化政策のための”土人法“が存在していたこと!日本の歴史の暗部を多くの日本人は知りません。
昨年、行きたいと長年思っていた北海道の登別にある知里幸恵さんの“銀のしずく博物館”にも行きました。自然と一体となったアイヌの人達の生き方、我々現代人が失った人間本来の生き方、そのものと。
人は結局のところは自然の一部、その中で生きていること、それを忘れて大事な物を無くしてきています。それが”進化“と言うならば、本当にそれが正しい進化なのだろうか?







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暖かい冬の中の大寒。春の足音が網既に

2024-01-25 08:36:23 | 旅行記
名古屋東京日帰り

東京唯一の伊勢神宮の分社、阿佐ヶ谷神明社

境内の梅もほころび始めています

神明社の隣にある通っていた小学校の向にあった杉並区有数の屋敷森。近くの総合病院移転のためにその面影は無くなっています。

唯一今もその名残の残る土壁の塀

昭和は遠くに。そして思い出もまた一つ消えていきます

東京で営業しているだけ喫茶店の中では最古のお店の一つと言われている喫茶店。
昭和レトロな雰囲気

嫁さんはモーニング
そして自分は朝からナポリタン。少し焦げ目があるのが喫茶店のナポリタン。
用事を済ませてから神奈川県登戸にある父の墓参り


若住職さんがいらっしゃって、“今日、水行するのでご覧になりませんか?”と。せっかくなので見学

お寺さんの壁にも案内
昼過ぎからなので近くの登戸駅の立ち食いのお店へ
名古屋のきしめんの名店、すみよしと同じ系列。関東なのできしめんはありませんが、うどんを。
確かに、汁は名古屋のきしめんと同じような味。気のせいかもしれませんが!
水行を。
この日は大寒。暦通り寒かったです

お寺さんには、名残りの冬桜。

暖かさと寒さが入り混じっている今年の冬。

名古屋までは、雨混じりの天気のせいか車も少なく、順調に。
















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ようやく冬の寒さに

2024-01-15 08:23:30 | 写真
毎年、年始の2週間の週末は嫁さんの初釜。朝早くアッシーをしてからお出かけ。
瀬戸市の雲興寺さんへ

早朝なので、ハイカーの人達以外は参拝者は地元の数人だけ。
目の前を東海道自然歩道ガあり、猿投山へのお手軽ハイキングルート。

この雲興寺さんは、瀬戸市にあることから、屋根瓦は”瀬戸赤津焼“

足利義満の時代に建立され、織田家、徳川家康にも庇護されてきた歴史的なお寺さん。
何故、ここを毎年、訪れるかというと、このお寺さんは“盗難除”のご利益。10年以上前に、自宅の車のカーナビの盗難に。その時、呼んだJAFの方と色々と話をしていて、色々対策してもカーナビ盗難は中々防げないと。どうしているのですか?と質問すると、”実は、神頼みなのです。近くの盗難除のご利益のある神社で“と笑っていらっしゃったので、どこか無いかなと。そしてハイキングもできるし簡単なドライブもできるということでこの雲興寺さんを。もう10年以上。

次の週末も早朝に嫁さんを初釜に送ってから愛知県最奥部の面の木園地へ。前日は冬らしい強風と雪。そして放射冷却。ということで霧氷の写真を。
嫁さんを送ってからなので到着したのは日の出後1時間半たった8:30。駐車場は多くの人達でほぼ満車状態でしたが、皆さん、早朝の写真を撮ったらすぐにご帰宅。なのでドンドンと車が出ていきます。

もう10年以上通っていてお気に入りの誰も来ない場所で。

山の端からの日の出、そして誰も歩いていない登山道に“太陽の光の道”。


早朝の霧氷も綺麗ですが、本当は時間がたって太陽の光に変化する霧氷の表情の移り変わりのほうが面白いと。


強風のふく面の木園地。昨日の冬の嵐の跡が木々の雪に。







太陽の光に輝く着氷の姿も楽しいですね。
本当は少し風がある方が、霧氷、着氷が太陽に温められてパラパラと飛び散る姿も素敵なのですが、この日は全くの無風。

以前、撮った風に舞う霧氷

ただ、昨日は風が強かったのか、あるいは例年に比べると温かいのでいつもは面の木園地の下の方でも見られる霧氷はありません。
そして、写真を撮っていると手がかじかんできますが、それが今年は無いですね。

面の木園地からは東南の豊橋方面へ。途中の道の駅では知る人ぞ知る愛知県の山岳鉄道の一つ、長篠鉄道、後の豊橋鉄道田口線の車両が展示。飯田線、本長篠駅からこの地へ。






元々、豊川鉄道、鳳来寺鉄道が出資、木材運搬のために作られた鉄道。計画当時からはかなり無理があったと言われて、トンネルだらけ。豊川鉄道、鳳来寺鉄道は後に国有化されて飯田線に。この路線だけは取り残され、木材の運搬はトラックが主流でもあり、たった30年で廃線。




懐かしい木造車両。
この地域は再開発から取り残され、廃線跡もそのまま、アチラコチラに遺構が残っています。
深夜番組の”道との遭遇“でもよく取り上げられています。

道の駅には、近くの愛知県の銘酒、蓬莱泉があるのでその酒粕を。

そして目的地の新所原駅へ、鰻を。ここの鰻屋さんは、JRと天竜浜名湖鉄道の始発駅にあるので“駅の鰻屋”さん。国産鰻でお手頃なお値段でとてもいい美味しいです。
今年、初めての鰻。
肝焼きと

あとは名古屋へ。

のどかな、年明け








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芸術作品から“物”に変わった自動車

2024-01-08 13:04:20 | 
年始、嫁さんを初釜に送ってから近くのトヨタ博物館へ



少し早めに。
というのも新年は来場者にはカレンダーを配布しているからです。一家族一枚、先着100名(期間中毎日)。とはいっても日は前に博物館を出るときにもまだ配っていました!

2020年以降はコロナ禍のために中止、今年から久しぶりに。
開館前でまだ誰もいなかったのでいつもは素通りする入り口にあるバスを、ゆっくりと








シンプルな運転席。細く伸びたミッションレバー、子どもの時に”折れないのかな?“とハラハラしていたのも思い出



実際にはかなり油で黒かった木の床

この丸いリアも懐かしい!

三連休の中日、会館前には家族連れも多くなってきました。
こんなときには最初に三階へ直行

2000GTとトヨタ800(ヨタ8)の前の椅子へ

山葉発動機のエンジンを積んだ2000GTと水平対向エンジン。
ヨタ8はパブリカのスポーツバージョン。
本当に美しい車。2000GTはエンジンはヤマハ、内装もウッドを多様したヤマハの職人が。ピアノ作りで木の取り扱いはさすが。2000GTはかつて浜美枝さんがボンドガールとして出演した“007”でオープンカーとしても。映画のために、屋根を切り取った世界で唯一のオープンカー。
また、車好きの唐沢寿明さんが自ら所有していた2000GTを寄贈したのも最近。

朝早くはこの車を静かに見ることができます。

カレンダーと実車を

このフロアには他にも魅力的な車が
たくさんある車のうち特に好きな車を

ジウジアーロの素敵なデザイン
この時代のいすゞには魅力的な車が沢山ありました



大学の先輩が乗っていたギャランGTO。学生だったので古い中古車でした、助手席の床に穴が空いていて道路が見えましたが!

ダイハツとダットサンフェアレディ。このダットサンフェアレディは小学校、中学校の同級生のお父さんも開発に。事情があってその後日産を辞めてしまいますが。当時はもう一人有名な方がいらっしゃいましたが、結局、労働組合の強かった日産、組合と手を組まなかった友人の父親が辞めることに。確かに大学では左翼運動をしていた人達は殆どが日産に入社したのも、昔の思い出。

子どもの時に夏休みの旅行のときにはいつも父親が会社の人から車を借りてきていました。その懐かしい車を





今から見ると小さい車。ここに4人で肩寄せ合いながら乗って出かけていったのも思い出。

アメ車、ドイツ車も昔の車はデザイン素敵ですね。










今回はいなかったですが、たまに、若いデザイナーの方が勉強がてらによく昔の車をスケッチしてきることも。


現役時代には長年、自動車の電動化の仕事に携わってきてここにも多くの関与した車も展示されています。ただ今は館内工事中で展示車両も少なく、今回はこの1台だけ。




そしてこの博物館で最も好きな場所”クルマ文化資料館へ“



車の”マスコット“。世界中の昔の車のマスコットが。それぞれの国のお国柄、センスが現れています

スキーのマスコットも





膨大な量のマスコット。それを見ているだけでも楽しいですね。

本当はこれらを見ながらコーヒーでも飲むのが最高ですが。





今は工事中で展示車両も少なめですが、通常の展示車両台数の数倍の車がバックヤードに。
今回は写真に上げませんでしたがT型フォード、プジョー、ケネディ大統領の車、タッカー、など、おどろくのはすべてが動く“動態保存”。

いつ来ても、展示車両は、変わっていて飽きません。

それにしても昔の車はそれぞれ個性的で美しい、芸術作品のようです。現代の”単なる移動手段“とは異なりますね。

近場で静かな正月連休を
















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