人は、その人の意思に関わりなくこの世に生をうけ、本人の意思に関わりなくこの世を去る。
そして、その間、その人の存在価値、とは、を考えさせられる映画。
他にも現代的な訴訟経済、事実と真実とは、という問題も投げかけています。
ときおり、自分の存在意義について考えることがあります。
”この世に、そして今、この時に、ここに存在することは必然なのか“と。
これを突き詰めていくと、場合によっては、自らの存在意義を認められずに、自らの存在を否定してしまうことになってしまいますが。
そんなことを考えさせられる、日本映画の秀作。
一方、この映画は、存在意義を超えた理不尽な状況の、”生きることに全力を尽くす“ための人の行動を描いた、秀作。この映画には、ヒーローも悪人もいません。皆、とあるところで思考停止して、生きています。とあるところで、というのは、この戦争の意義の根本。
淡々と、描いていますが、まだ、救われるのは、歴史的には、この映画のダンケルクの犠牲の上に、逆転する、ということが、後生の我々にはわかっているから救いがあるのかもしれません。
三連休、三日目、台風一過の青空のもと、会社の工場での試作の立会の合間に、”ふっ“と想いました。