今年の赤倉は、昨年までとちょっと様子が違います。外国人が少ない。
地元の人達は“今年は最初、雪が少なかったから外国人が来なかった”
でも、他所のスキー場には、結構来ているようです。
確かに妙高は、地域としてはバラバラで、特に行政が積極的に後押ししている分けでもなく。都会に住んでいるとテレビ番組では、街ぐるみ、地域ぐるみでの取り組みにより多くの観光客の取り込みをしていることを報道番組しているのをよく見ます。それに比べれば妙高は明らかに見劣り。スキー以外には特徴皆無。ですから雪が降ればもっと魅力的なところは沢山。
また、ようやく、外国語の飲食店のガイドブックが作られましたが、初めてなのに、どこかで見たような。
そう、ニセコが10年以上前に作ったのと同じようなもの。多分、どこかに制作を依頼したのでしょう。
というわけで、ゲレンデ、空いているのかと思うと、これまた、激突事故は、多発。特に暴走ボーダーが増えているような。連日、激突事故、そして当て逃げが。知人も、数人、怪我を。
そもそも縦に長いスキー場、突然、サイドの林の中からボーダーが飛び出てくればぶつかります。
不思議!
ガスが出て見通し悪くなったので、上越高田の金谷山スキー場へ
日本のスキー場の草分け
懐かしいシングルリフト
かつて、2本あったリフトの名残。今は1本しかありませんが“第2リフト”
遠くに日本海も。
なんと、初心者コースには登りが
リフト券は、今までとは異なり簡単なものに。
スキー場上部組織からは高田平野が。
その高田平野を見つめているのは
“レルヒ少佐”
およそ100年以上前に、軍事目的でスキー技術を日本へ伝えました。
それがこの金谷山。最初に滑ったのはスキー場の反対側、レルヒ少佐の像の向いている高田平野側。ちなみにレルヒ少佐、北海道にわたって中佐に昇格。
“メテレ スキー!”(スキーをはけ)
そして
“オテレ スキー!”(スキーを脱げ)
来週末は、レルヒ少佐を偲んで
“レルヒ祭”
最近、高齢者ドライバーの事故がマスコミでとりあげあれる事が多いです。
そして、どの記事も、お題目のように
①高齢者ドライバーから免許取り上げろ
②行政は代替手段を考えろ!
とても単純な、ステレオタイプ。
でも、中には“車の存在=生存に不可欠”という人達も。
先日、ビートたけしさんが
“年寄りの事故、ほとんどが古い車”
と指摘。確かに最近、世界的に車に付いている安全装置のない車ばかり。
やはり、車に対して安全装置をつけた車の製造、販売をおこなうのは、自動車会社の社会的義務では?
今の日本の車で、一般道でまともにセンサーが作動(オートクルーズを含む)させる事ができるのは、マツダ、スバル、日産(の一部)のみ。
昨日、とある自動車会社の幹部の方とお話をする機会がありましたが、日本でこの手の話を進めようとすると必ず、お役所が口を挟んできてまとまらない、このままでは日本は、技術的に世界の中で孤立する、と危機感を述べられていました。
さらに、世の中の変化の速度がかつての10年の長さが今では、ヘタをすると1ヶ月の物差しに。それだけ世界の変化が進んでいるのに、日本は、取り残されている、ともお話をされていました。
もう少し、せっかく持っている先端技術の実車への応用を、早めれば、お年寄りの事故も減るとおまいます。
いずれにしても、お役所に限らず、戦後の日本を、支えてきた官僚機構、日本的会社組織が、これからの日本の発展の阻害要因になっているような。
昨日、駐車場で止まっていたところ、お年寄りの車(後退してきた車)に危うく会社の車をぶつけられそうになって。
40年近く前に学生時代に途中まで読んで、止めてしまった本の映画。
遠藤周作は、キリスト教的、信仰に係わる著作、沢山あります。
宣教師は、やはり、信仰とはいうものの結局は、欧州の国の世界進出の手先になっていたのも事実。
とはいえ、一神教のキリスト教と八百万の神を信奉する日本では中々相容れないものも。
それより何より、キリスト教を信奉する国々が戦争、世界征服等の動きをすること自体、宗教の限界かもしれませんね。どのように考えても、矛盾は、多いです。宗教は、各個人行動規範としては精神的に必要かもしれませんが、社会全体の組織規範としては、限界があると思います。
何よりも重厚な、そして重苦しい、そして自らに問いかける、素晴らしい映画。ちょっと長いですが!
戦後の日本の三大ニュータウン、
多摩(東京)、千里(大阪)と並ぶ愛知県の高蔵寺ニュータウン。
この高蔵寺ニュータウンの設計者の人生最後の生き方を描いた映画。
この方、阿佐ヶ谷の実家のすぐ近くの阿佐ヶ谷住宅の設計者でも。
戦争を通して、生き方を模索、住都公団の最初のメンバーとなり、ニュータウンを設計。
高蔵寺ニュータウンは、結局、当初の人と自然を融合させた素晴らしい思いから効率優先へと設計変更となり、思いは、遂げられないことになりますが。
でも、設計者が自ら設計したニュータウンに住み続け、最初の思いを実現させた生き方。
それにしても、本当に、素晴らしい生き方。
嫁さんの実家である高蔵寺ニュータウンにこんな素晴らしい場所があるということは、全く知りませんでした。
名古屋でも小さな映画館、多くの人達で、いっぱい。寒い冬、でも心は温まる、そんな映画。
体が鈍って、また、ストレス発散のために、30年ぶりにナイターへ(北海道ニセコを除く)
奥美濃のダイナランド。
数年前から“夜ダイナ”と、銘打って夜の11時まで営業(土日に限らず)。
スノーマシン中心の奥美濃のスキー場なので、ゲレンデは、アイスバーンとなることが多いですが、ちょうど、大雪となり、新雪がパウダー状態で最高
ここには昔、30年以上前に、まだ、大日岳スキー場、と言われた頃に。
高速道路もない時代、はるか手前の美濃市から渋滞していてスキー場にたどり着くのが昼、ということも。
今でも、土日祝日は、関西圏の日帰りスキー場の最東端、ということもあり、大渋滞。今日も、戻る夜11時過ぎには早くも登ってくる車多数、皆さん車の中で仮眠されるのでしょうね!
ただ、元々は、民間スキー場、その後、不景気になり、第三セクターへ、それでもうまくいかず、最近、駄目になったスキー場の再建を進めているマックアースが、現在の経営。
元々スキー場関係者が始めて、スキーの好きな人達の会社、色々と手を打ち出し、成功しています。
このダイナランドも、夜ダイナ、としてLEDでイルミネーション、これを売り物にしています。
このような色々と頭を使うと、まだまだ、斜陽となりつつあるスキー場も、立て直せる、と。
夜9時過ぎにはリフト券1000円とお得。
意外と若者たち、沢山。
知恵を絞るとまだまだ。
駄目!と言っているスキー場、不安定な外国人客頼みのスキー場、見習って欲しいですね。