Untrue Love(19)
年末になり、仕事も学校も終わりぼくに会ってくれるひとは誰もいなくなった。それが苦にならない自分の性格もあった。だが、それも数日が無駄に過ぎてしまえば、ひとの話し声が必要になるようだった。
何人かの会っていた女性はそれぞれの田舎に帰ったり、自分の家に引きこもっているようだった。ぼくは実家にも帰りそびれ、両親はどこかに旅行に出掛けた。行き先をきいたような気もしていたが、そこが伊豆だったか和歌山だったか覚えてもいなかった。そのどちらにも知り合いがいた。だが、急な用件もないので、ぼくは連絡を取る必要もなく、逆に連絡を待ちわびることもなかった。
さすがに今年最後の一日をまったく無言で過ごすことも哀れすぎたので、早間という友人から電話がかかってきたのを幸いに着替えて会いに行った。そこには栗田という彼の交際相手もいた。
「最後の日ぐらい誰か過ごしてくれる女性はいないのかよ?」と早間雄太郎が投げやりに言った。
「誰か紹介してあげようか? わたしの友だちを。今年はもう無理だけど、来年用に」と栗田紗枝もぼくをからかうように言った。正直なところ、ぼくが来年どうなっているかは自分自身ですら分からない。分からないといいながらも大幅には変わっていないのだろう。大学に通い、バイトで小遣いを稼ぎ、またこうしてひとりでいるのかもしれない。だが、彼ら二人もそれぞれ別の相手と過ごしているのかもしれなかった。その可能性はあった。彼らに共通したものがぼくには見出せず、似合っていないという訳でもなかったが、どこかしっくりこない面も薄々とだが感じられた。それで、話しの都合上、「誰かいたら、教えてよ」と、一般的な対応をぼくはした。
紗枝はぼくが知っている名前とはじめてきく名前を半分ずつぐらい並べた。知っている名前をきけば、ぼくはそれを客観的に評価し、その女性の足りない部分や、ぼくが持て余しそうな箇所を告げた。知らない女性のことは、もう少し情報がほしいとねだったり、ともかくは顔が見たいということで、結局は会話の糸口となる話題の提供だけで終わり、なにごとも発展がなかった。だが、この最後の日に発展させるべき性急な問題ではあり得なかったのだ。
ぼくらは夕方ごろにいっしょに食事をして、これから、どうするという段階で別れた。彼らは名残惜しそうな意見を口にしたが、これ以上つきあっても迷惑がられることを懸念してぼくはそこで区切りをつけた。ひとりで電車に乗り、ちょっと遠回りして神社が慌ただしくなりはじめる横をゆっくりとした歩調ですすんだ。この町ではじめて年末を迎える。だが、どこにいてもこの空気は同じようなものだった。みな、古いものに別れを告げたがり、そのために新しいものを受け入れる余地を育んでいた。昨日と一日しか違わないのに。
ぼくは高校のときに付き合っていた女性のことを、そこを通り過ぎるときに考えていた。あれはもう二年も前になるのだ。別の町の別の参道。大きな樹木が両脇に整然と並び、歴史がつむがれていた事実を教えてくれていた。ぼくらの歴史はまだ数ヶ月しかなかった。彼女は積極的な女性だった。誰とでも親しくしていたので、ぼくに好意をもっていることが分かったときは驚いた。だが、その社交性により、ぼくはいくらか困惑する。彼女がぼくのことを好きなのは多分、短い間だけなのだ。もっと魅力的な男性があらわれれば直ぐに方向転換するのだという気持ちが常にあった。その確信のように彼女は同級生にたくさんの友人がいる。ぼくはその不確かな疑問を証明させることをこころの底では願っていたのかもしれない。それゆえに彼女は愛想を尽かし、ほかの男性に変えた。だが、それもこじつけに過ぎないのだろう。ぼくは、ひとりで居すぎた。そして、考えすぎていた。
家に戻り、暖房をつけ、テレビもつけた。誰がいちばん歌がうまいのか、それとも、売れたのかということを決めていた。ぼくの決めたことは今日のところなにもなかった。ただ、昨日のつづきで惰性のような一日だった。世の中だけがけじめをつけたがっていた。それで、ぼくはもっと娯楽色の強い番組に変えたが、それにも飽き、借りていたビデオをデッキに押し込んだ。
場所は、二十年ぐらい前のベトナムだった。そこは戦地である。爆弾が飛び交い、アメリカ兵はそもそも湿地帯に向いていない人種のように思えた。それぞれが疲労をかかえ、落とし穴に足を浸けたまま浮き上がることができないひとたちに思えた。彼らはカリフォルニアでビーチ・ボーイズの音楽でも聴いていた方が良かったのかも知れない。そこには政治的な主義も趣味もないようなのどかな空気がながれている。ぼくは今年の最後の日にそんなことを考えていた。あの高校のときの彼女はいったいいまをどのように過ごしているのだろうか気になった。多分、気持ちはベトナムになどない。ぼくにも向かっていない。もっと、上昇することを考えているのだろうか。それも、ぼくのひねくれた考えが作った空想のようだった。あれは、あの子なりに正直でまっすぐな生き方を示してくれていたのだ。そして、確かにあの数ヶ月はぼくへの愛も確かなものだったのだ。それをぼくは豆腐のようなもろさであることも知らず、壊れることを勝手に許したのだ。それに大いに加担もしたのだろう。それもこれも今日で終わる。実際は二年も前に終わる予兆があり、決別をつけたはずなのだが。
部屋のチャイムがそのときになった。ぼくの部屋かと思い扉を開け首を出すと、となりの玄関にひとが入る姿が見えた。冬の冷え切った空気がチャイムの音すら予想以上に反響させているようだった。
年末になり、仕事も学校も終わりぼくに会ってくれるひとは誰もいなくなった。それが苦にならない自分の性格もあった。だが、それも数日が無駄に過ぎてしまえば、ひとの話し声が必要になるようだった。
何人かの会っていた女性はそれぞれの田舎に帰ったり、自分の家に引きこもっているようだった。ぼくは実家にも帰りそびれ、両親はどこかに旅行に出掛けた。行き先をきいたような気もしていたが、そこが伊豆だったか和歌山だったか覚えてもいなかった。そのどちらにも知り合いがいた。だが、急な用件もないので、ぼくは連絡を取る必要もなく、逆に連絡を待ちわびることもなかった。
さすがに今年最後の一日をまったく無言で過ごすことも哀れすぎたので、早間という友人から電話がかかってきたのを幸いに着替えて会いに行った。そこには栗田という彼の交際相手もいた。
「最後の日ぐらい誰か過ごしてくれる女性はいないのかよ?」と早間雄太郎が投げやりに言った。
「誰か紹介してあげようか? わたしの友だちを。今年はもう無理だけど、来年用に」と栗田紗枝もぼくをからかうように言った。正直なところ、ぼくが来年どうなっているかは自分自身ですら分からない。分からないといいながらも大幅には変わっていないのだろう。大学に通い、バイトで小遣いを稼ぎ、またこうしてひとりでいるのかもしれない。だが、彼ら二人もそれぞれ別の相手と過ごしているのかもしれなかった。その可能性はあった。彼らに共通したものがぼくには見出せず、似合っていないという訳でもなかったが、どこかしっくりこない面も薄々とだが感じられた。それで、話しの都合上、「誰かいたら、教えてよ」と、一般的な対応をぼくはした。
紗枝はぼくが知っている名前とはじめてきく名前を半分ずつぐらい並べた。知っている名前をきけば、ぼくはそれを客観的に評価し、その女性の足りない部分や、ぼくが持て余しそうな箇所を告げた。知らない女性のことは、もう少し情報がほしいとねだったり、ともかくは顔が見たいということで、結局は会話の糸口となる話題の提供だけで終わり、なにごとも発展がなかった。だが、この最後の日に発展させるべき性急な問題ではあり得なかったのだ。
ぼくらは夕方ごろにいっしょに食事をして、これから、どうするという段階で別れた。彼らは名残惜しそうな意見を口にしたが、これ以上つきあっても迷惑がられることを懸念してぼくはそこで区切りをつけた。ひとりで電車に乗り、ちょっと遠回りして神社が慌ただしくなりはじめる横をゆっくりとした歩調ですすんだ。この町ではじめて年末を迎える。だが、どこにいてもこの空気は同じようなものだった。みな、古いものに別れを告げたがり、そのために新しいものを受け入れる余地を育んでいた。昨日と一日しか違わないのに。
ぼくは高校のときに付き合っていた女性のことを、そこを通り過ぎるときに考えていた。あれはもう二年も前になるのだ。別の町の別の参道。大きな樹木が両脇に整然と並び、歴史がつむがれていた事実を教えてくれていた。ぼくらの歴史はまだ数ヶ月しかなかった。彼女は積極的な女性だった。誰とでも親しくしていたので、ぼくに好意をもっていることが分かったときは驚いた。だが、その社交性により、ぼくはいくらか困惑する。彼女がぼくのことを好きなのは多分、短い間だけなのだ。もっと魅力的な男性があらわれれば直ぐに方向転換するのだという気持ちが常にあった。その確信のように彼女は同級生にたくさんの友人がいる。ぼくはその不確かな疑問を証明させることをこころの底では願っていたのかもしれない。それゆえに彼女は愛想を尽かし、ほかの男性に変えた。だが、それもこじつけに過ぎないのだろう。ぼくは、ひとりで居すぎた。そして、考えすぎていた。
家に戻り、暖房をつけ、テレビもつけた。誰がいちばん歌がうまいのか、それとも、売れたのかということを決めていた。ぼくの決めたことは今日のところなにもなかった。ただ、昨日のつづきで惰性のような一日だった。世の中だけがけじめをつけたがっていた。それで、ぼくはもっと娯楽色の強い番組に変えたが、それにも飽き、借りていたビデオをデッキに押し込んだ。
場所は、二十年ぐらい前のベトナムだった。そこは戦地である。爆弾が飛び交い、アメリカ兵はそもそも湿地帯に向いていない人種のように思えた。それぞれが疲労をかかえ、落とし穴に足を浸けたまま浮き上がることができないひとたちに思えた。彼らはカリフォルニアでビーチ・ボーイズの音楽でも聴いていた方が良かったのかも知れない。そこには政治的な主義も趣味もないようなのどかな空気がながれている。ぼくは今年の最後の日にそんなことを考えていた。あの高校のときの彼女はいったいいまをどのように過ごしているのだろうか気になった。多分、気持ちはベトナムになどない。ぼくにも向かっていない。もっと、上昇することを考えているのだろうか。それも、ぼくのひねくれた考えが作った空想のようだった。あれは、あの子なりに正直でまっすぐな生き方を示してくれていたのだ。そして、確かにあの数ヶ月はぼくへの愛も確かなものだったのだ。それをぼくは豆腐のようなもろさであることも知らず、壊れることを勝手に許したのだ。それに大いに加担もしたのだろう。それもこれも今日で終わる。実際は二年も前に終わる予兆があり、決別をつけたはずなのだが。
部屋のチャイムがそのときになった。ぼくの部屋かと思い扉を開け首を出すと、となりの玄関にひとが入る姿が見えた。冬の冷え切った空気がチャイムの音すら予想以上に反響させているようだった。