爪の先まで神経細やか

物語の連鎖
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Untrue Love(38)

2012年10月23日 | Untrue Love
Untrue Love(38)

 ぼくはひさびさに実家に帰った。そこは、ぼくがこれまで大半の時間を過ごした場所だった。大げさに言えば、ぼくにも所有権に似たものがあったはずだ。だが、そこに咲子が先にいたことにより、ぼくの中の感覚がいくらか狂っていくようにも感じた。

「元気だった?」と、母が訊いた。いままでも四人で暮らしてきたかのように、両親と咲子と共にテーブルに向かった。
「相変わらずだよ・・・」
「さっちゃんから噂は聞くんだけどね。それにしても、自分の子どものことを噂でしかしらないなんて」
「いいじゃないか。お前も飲むんだろう?」父は話の方向をかえ、ビールをすすめた。ぼくはグラスを差し出す。
「そうやって、咲子ちゃんのバイト先でも飲んでるの?」
「居るときは、いかないよ」

「だって、きれいなひとがお店の休みなんでしょう?」母は、それらのことを訊いているらしい。「わたしも見てこようかしら」
「よせよ、みっともない」父は息子の領域に足を踏み入れることを嫌っているようだった。ここだけは大人として扱ってくれている。
「ほんとには、行かないわよ」母は拗ねたふりをする。「でも、女の子がバイトをしても大丈夫なお店なの? 訊こうと思っていたんだけど」

「ふたりとも、お店のひとは優しいですから」咲子が口を開く。「それに、順平くんもそばで働いているから」と付け加えた。
「咲子の髪もそばで切ったんだろう?」父も話に加わった。ぼくは彼女の髪型を見る。言ってはいないが、ぼくの髪もユミが切ったのだ。あのぼくの小さな部屋で。

「あんたはいったい誰に似たんだろう? 大学生なのに、女のひとばっかり追いかけて」
「誰にも似てないよ、でも、父親かもね」誰も同意せず、否定もしなかった。
「面白くて、素敵なひとだった。可愛らしい洋服も着て」咲子はユミのことをそのように観察していた。ぼくは、自分の家も、自分の人間関係も彼女に侵食されていくような恐れを感じた。だが、そのきっかけを与えているのも、まぎれもなく自分だったようだ。

「いいだろうよ。社会人にでもなれば、忙しくなって次第に自粛していくよ」
「その前に、問題を起こさなければいいんだけど」
「バイト代が入ったら、どうするの?」ぼくは話題をすりかえようと自然さを装いながら黙っている咲子に話しかけた。
「洋服や、可愛らしい靴も買いたい。バックとかも。順平くんの働いているところにもあるんでしょう?」
「高いからやめときなよ」ぼくは、これ以上、自分の領土が侵されるのに抵抗したかった。表立ってはしないが。
「あんたが、いくらか足してプレゼントすればいいじゃない。若い女性は全身は無理でも、ひとつぐらい高いものを身につけないと格好がつかないよ」

「小遣いなんか、いくらあっても足りないよ。参考書や勉強の資料も買わないといけないんだから」
「ほんとに買ってるの?」
「買ってるし、夜は勉強もしているよ」
「夜に電話をしてもいないときがあるから、咲子ちゃんに監視しに行ってもらわないと、突然」
「そんなこと言ったら、もう突然じゃないよ」ぼくは箸をやすめてビールを飲んだ。さらに注ごうとすると瓶は空だった。だから、新しいビールをもってこなければならなかった。ぼくは立ち上がり、冷蔵庫に向かう。扉を開けると、日常的につかう調味料や細々としたものが内側にたくさんあって目を奪われた。先日、いつみさんの家で、「簡単なものしか作れない」と言いながらも手際よく彼女は料理を作ってくれた。普段、店ではキヨシさんが作っているので、その動作自体が新鮮だった。ぼくは、冷蔵庫を閉じながらその映像を思い出していた。

「あの店、なれた?」ぼくは、いつみさんのあらたな情報を知りたかったのかもしれない。そして、栓を開ける。
「うん。困りそうなことは、すべていつみさんがノートに書き残してくれていた。そこに、質問すると、また答えが書いてある」
「いやなお客さんはいないの?」と母も訊く。
「ずっと来てるひとばっかりだから・・・」

 それで、どうなったのかは分からない。だが、困難なことはないという回答なのだろう。発注がある訳でもない。テーブルを拭き、お客を迎え、飲み物をだし、料理を並べる。面倒なお客には、キヨシさんの太い腕が無言の圧力になる。彼女はそれが東京の生活と思うかもしれない。そこから、この近くまで帰ってくるのだから、ぼくも実家を離れたこと自体、我が儘なことだったのだろう。

「息苦しくなったりしない、東京の生活?」
「随分と変わったんだよう、あっちも」
「あんたは、もう何十年も帰ってないでしょう?」
「帰るってところでもないから」
「ここにも、来ないんだからね」

 ぼくは満腹になって背もたれに身体をあずけた。咲子がここにいるということは、いつみさんがあそこにいる。木下さんもデパートにいる。ぼくは世の中から追い出されたような気持ちをもった。しかし、それも直ぐに忘れた。ここも自分の場所だった。徐々に咲子もいることを忘れた。だが、流しで母といっしょに洗い物をしながら会話する声がこちらまできこえてきた。父は財布を出す。そこから札を何枚か抜き取り、「これで、咲子と買い物にでも行け」と、小声で言った。ぼくは、またこうしてずるずると親の言いなりになっていた。でも、それに逆らうほど大人になり切れてもいなかったのだ。
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