爪の先まで神経細やか

物語の連鎖
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Untrue Love(20)

2012年10月02日 | Untrue Love
Untrue Love(20)

 朝寝坊をして、コーヒーを入れる。これといって予定のない一日のはじまり。部屋は外気の冷たさを充分に遮断できていない様相だった。カーテンを開け外を見ると晴れていた。カーテンの隙間からおそらくそういう状態であることは予想できたが、今年最初の晴れの天気をぼくは自分の目で確認する。それから、ぼくはカップを握り、ぼんやりと空を見た。年を跨いだことを気にしているは人間だけのようだった。飛ぶ鳥たちには、そういう区切りがない。昨日と同じ音量で鳴いていた。

「順平くん」電話が鳴ったので出ると、ユミの声がした。彼女の居場所はとても近い感じがした。「どこにも行かないんだ?」
「え、いまどこ?」
「仕事をしてた」
「休みじゃないんですか? てっきり、実家に帰っているのかと思った」
「知り合いに頼まれてお正月用の頭を作っていたから」

「そういうこともできるんだ?」ぼくは彼女と伝統的な事柄を結び付けられずにいた。
「できるよ。いろいろ器用にできているんだ。夜中まで起きて遊んでたから眠い」実際にあくびのような音がもれた。「どこも行かないなら、午後からでも遊ばない?」
「うん、予定がないからいいよ」
「そっちに行ってもいい?」
「いいよ。だけど、分かる?」
「分からなかったら、教えてもらう」

 ぼくは駅まで迎える旨を告げ、電話を切った。それから窓を開け、部屋の中を片付けた。こっちに来るといったが、それがどこまでのこっちかは分からなかった。部屋を含めてを指していたのだろうか。昨夜はビデオを見終わって直ぐに寝てしまったので、部屋が片付いたあとにシャワーを浴びた。シャンプーはもう直ぐ終わりそうだった。ストックもない。どこかで近いうちに買わなければならないことを記憶にとどめようとした。こうした、さまざまな煩雑なことを母親がしていたことを知る。知ったからといってそれが次の段階にすすむわけでもなかった。その後、またコーヒーを温めなおして飲んだ。適度な苦さが美味しいと感じはじめたのはいつ頃からだったのだろうかと思った。それは数年前という大雑把な範疇に組み込まれた。ぼくは以前の交際相手の唇の感触をなぜだか思い出していた。まだ高校生だ。それを強いてしたかったのだろうか。それとも、好き合ったふたりはそういうステップにすすむのが常識だとも考えていたのだろうか。答えは出ない。それで、待ち合わせの時間になった。ぼくは服を着込み、外に出た。

 駅に向かう道はいつもより静かだった。だが、家のなかにはそれぞれひとがいる気配はしているようだった。それでも、全般的に静寂した空気が町を支配している模様だった。その中でぼくのこころはいくらか浮き足立ってもいた。

 駅に着くと、ユミがぼんやりと立っている姿が見えた。あの女性はぼくを待っているのだ。ぼくを待つということに多くの神経を働かせているのだという事実になぜだか驚いていた。だが、傍から見れば、その様子は分からない。ただ、ぼくのこころが知っているだけだった。

「早く、着いたね」
「あ、順平くん。ここ、静かでいいところだね」
「たまたま、今日だからだよ。もっと、いつもは賑わっているよ」
「そうかな。なんだか落ち着きそうな町だね。引っ越したいな」その気持ちが本気であるかは判断できない。ただ、言葉と言葉の間の無意味なクッションのようにも思えた。

「今日は、店もそれほど開いていない。でも、大変だね。働いていたんでしょう?」
「晴れ着を着たいひとがいたからね。そのためにセットした」
 ぼくはそのことをイメージできず、彼女が着物に包まれた姿を代わりに想像した。しかし、なかなか難しかった。
「成人式には、ユミちゃんも着たの? ごめん、まだかな?」
「去年だよ。地元に帰った。あの生意気な男の子たちもそれなりに大人になってた」彼女は感慨深そうに語った。「順平くんもそのうち」
「そのうち・・・」

「ここは酒屋さん。お魚も売って、肉屋さんもあるんだ」ユミは閉まっている店舗のシャッターやのぼりを見ながら自分に納得させるように言った。彼女が詳しく説明するのをききながら、ぼくの方こそ新しい町にやってきたという気持ちになった。人の目を通して、ぼくらはなにかを認識するのだろう。具体的になるなにかを。

「開いていたら、そういう香ばしい匂いも嗅げたかもしれないね」ぼくはひとごとのように付け加えた。
「でも、眠い。そこのコンビニでなにか買って順平くんの家に行こう。この前、良かったというCDを持って来た。それ、あげるよ」

 ぼくは彼女の家で先日、古い音楽を聴いた。ぼくのこころは水を熱心に求めている乾いた砂漠のようなものだと、そのときに知った。先入観のまったくないフラットなこころは直ぐにその音楽の素晴らしさが沁み込んだのだ。そういう機会を作ってくれた彼女のことも好きになる。ぼくはその音楽を将来のある日、聴き直したならば、彼女のあの部屋のことも同時に思い出すことだろうとも思っていた。

 コンビニの籠に適当に飲み物やお菓子の袋を突っ込んだ。シャンプーまで入れると、彼女は怪訝な表情をした。日常的に彼女は誰かの頭を洗う。ぼくは許可もなくひとに接することなどできない世界に住んでいる。彼女は仕事柄、そのことが許されてもいたのだ。ぼくは彼女の指がぼくの頭を洗ったときの感触を覚えていた。それはどのひとがするよりも心地良かった。清算が済むまでぼくはその瞬間と快感を思い出していた。