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Untrue Love(42)

2012年10月27日 | Untrue Love
Untrue Love(42)

 ぼくは木下久代さんと話すきっかけを探していただけなのだろうか。そのために咲子に靴を買わせようと仕向けた。いや、彼女自身がそれを言い出したのだ。だが、ふたりはそれぞれを知ることになった。ぼくは、こうしてぼくだけの生活だと思っていたことに、咲子を踏み込ませるのをためらわなかった。それは、ぼくの異性に対する愛を、ひとつだけではない好意を暴くことでもあった。それを非難される恐れもあったし、軽蔑されることも可能性としてあった。だが、そのことを望んでいたのかもしれない。気をつけないと、東京の男性は、自分の欲求しか見ていないのだと。それを教える。だが、ぼくはもちろんそれほどのエキスパートでもない。

 だから、目の前に木下さんがいれば、それだけでデレデレとした。
「ああいう子がそばにいたんだね、順平くんのそばに」嫉妬を装った口調で木下さんが訊く。「可愛い子だった、とても」
「説明しますね。小さいときに田舎に帰って会ったことしか覚えていないんですよ。4月からこっちの大学に入って、ぼくの両親の家のそばに住みはじめた。なかなか、友だちを作らないから心配して、ぼくがいろいろ連れまわすよう親に言われている。その実践のひとつなんだ」

「それで、わざわざあのデパートに来た」
「女性の靴なんか、どこで買ったらいいか分からないですから。久代さんならきっと確かなものを選んでくれると思ったので」
「でも、突然だからね」
「突然、ふたりとも暇になったから・・・」それは言い訳だった。だが、ほんとうのことを言う必要もなかった。
「いとことか、そういうの?」
「さあ、多分ちがうと思いますよ。だけど、どうやってつながっているのかも、ほんとうのところは知らないんです」
「そう。随分と大ざっぱなのね」

 ぼくは咲子のあらましを説明することに費やすのに悠長な時間などもちたくなかった。だが、それぞれが関係性のうえに生きている以上、ある程度は仕方がなかった。だが、木下さんの新たな面も知りたいと渇望していた。
「久代さんのことを話しましょうよ」
「そうね。でも、靴がけっこう汚れてるのね。自分のは買わないの?」
「ただ、仕事で汚れるだけですからね。そろそろ、新しいのを買うタイミングかな」

 彼女は優しそうな態度で頷いた。ぼくは彼女にしか見出せないものを、彼女のなかで見出そうとしている。ユミのような喜びを表現する躍動感もなければ、いつみさんのような決意を秘めた意志のようなものもなかった。それは別個の存在なのだから仕方がない。久代さんには、水晶のなかに閉じ込められているような頑なな美があった。それは、どうあがいても届かないのだというあきらめを抱かせるような拒絶感があった。しかし、実際の彼女は優しいひとでもあった。その微妙なずれに魅力があったのだ。そのずれが生ずれば生ずるほど、生命感は希薄になり、ある種の汚れを内在させている都会とか、生きるという事実に似合っていないのだという心配もおこさせた。だが、それを拭い去ったり、何らかの実行に移せるほど、ぼくは大人でもなかった。だから、きちんとした大人の男性が彼女を優しく包み守ることが大切なのだと、最終的には認識していたのかもしれない。水晶を美しく見せる土台のように。ぼくが、そういう大人の一面をもてる時期まで彼女は待ってくれるのだろうかという疑問もあった。当然のこと、彼女が待つ必要もない。ぼくは、一時的に通過する、流れ星のようなものでもあるのだ。彼女にとって。いや、星などと表現するほどきれいなものでもない。もっと黒くくすぶっている隕石。どこに落ちるのかも分からない隕石ぐらいだろう。自分の価値としては。ぼくは、ここでいったいぐずぐずと何を考えていたのか。

 最後には久代さんの部屋にいた。ぼくはテーブルに座り、彼女がシャワーを浴びている音を聞いている。排水口に水が流れ、それが下水管を通っている状況を思い浮かべていた。それは汚れとも思えないほど清々しいものにも思えた。ぼくは腕時計の針を確認する。もう、次の日に間もなく変わろうとしていた。咲子も一日だけのバイトを終え、買ったばかりの靴を自分のアパートに持ち帰ったのだろう。キヨシさんはどのような真夜中の時間を過ごしているのだろう。新しいメニューを考えているのかもしれない。帳簿をつけているのかもしれない。たくさんの領収書の束を脇に押しやり、うんざりしているのかもしれない。休みだったいつみさんはどのような時間を過ごしているのだろう。寛いでいるのか、それとも、数秒でもぼくのことを考えていてくれたのだろうか。それとも、むかしの交際相手の記憶の糸を手繰り寄せているのだろうか。彼女がそのような過去に未練を残していることなど考えられなかったが、ぼくがそれほど女性のこころが分かっていると納得させるには材料も経験も不足していた。

「化粧がおちた顔を見せるのは、順平くんだけだよ」と、シャワーを終えた木下さんがぼそっと言った。それが、ぼくという存在を認めたがゆえのセリフなのか、それとも、自暴自棄に似た表現なのか、それすらも分からなかった。ただ、それにしてもその姿もあどけなく可愛いということは理解した。水晶だと思ったものは、プラスティックでできた宝石の模造のようなものかもしれなかった。だからといって価値が目減りするものでも決してなかった。
コメント
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