Untrue Love(24)
ぼくが住んでいる隣の駅には映画館があった。新しい映画を上映するのが目的ではなく、数年前の、もしくはもっと前の映画を思い出したかのように上映していた。ぼくは駅に設置されている広告を見て、ひとつの映画に興味をもった。その日は休日であり、することもなかった。家でたまった洗濯をして、ベランダに大きなものを干してから、外出した。冬の日中の晴間を有効につかう。
一駅だけ電車に乗り、ぼくは映画を観る。いまいる場所も、置かれた状況もまったく関係ない。ただ、その流れる映像に魅了され没頭する。少しだけ涙ぐみ、少しだけ切なくなる。自分の状況に変化を起こせないひとにやり切れない気持ちをもった。未来を自分で決められない世界があって、そこに甘んじるひとびとも多くいた。ぼくは自由というものが何であるのかを考える。しかし、空腹に支配され、満腹を勝ち取るために映画館を去った。
ぼくは駅前の店を眺めながら歩いた。いつか、いつみさんが連れて来てくれたお店があった。中をのぞくとそのときの店員が会釈をした。それでも物足りないようで店も空いているためか外にでてきた。
「今日は、ひとり?」
「ええ。そこで、映画を観てました」
「そんなところ、あったっけ? ああ、あの古い映画のところだ」
「そうです」
「気に入ったのあった?」
彼女は洋服でも評価するような口調で言った。ぼくは題名を言い、内容をかいつまんで語った。彼女は面白そうとも観たいとも言わなかった。ただ、ぼくが話す言葉を待っていた。それから、「寄っていけば」と付け加えた。
ぼくは座ってビールを頼む。メニューを長々と見て、どんな料理が出るのかを想像した。難しそうなものにも抵抗があり、味が簡単に分かるタコの名前が入った料理を注文した。2、30分そのままそこでくつろいでいると、男女の声が入り口にきこえた。ぼくのところから姿は見えない。だが、聞き覚えのある声だったのは間違いない。
そのふたりがぼくの横を通り過ぎた。顔を見ると、女性の方はいつみさんだった。
「なんだ、びっくりした。ひとりで来てるんだ」
「あ、はい」となりに男性がいる手前、ぼくは親しい感じをだせずにいた。そして、その瞬間、ぼくは男性のことを見つめる。笑顔がさわやかな背が高い男性だった。そのまま奥にふたりが消えると、会話の音ももう聞こえなかった。店内は段々と混んできて、ぼくはひとりぼんやりとしている。ぼんやりとしたが、ぼくのこころはいささか動揺していた。そのそこはかとない動揺がいつみさんへの好意の証だった。
だが、何分かすると男性だけが通り過ぎた。彼はその際にぼくの方を向いて微笑んだ。どこまでも好印象をのこす相手だった。タバコか何かを買って戻ってくると思っていたがいつまでも帰ってこなかった。だが、そのうちにいつみさんだけやって来た。
「そこ、座ってもいい」ぼくの向かいの空の席をいつみさんは指差す。そうするのが決まっているように片手にグラスを持っていた。
「え、いいんですか?」彼が戻ってきたときの心配をぼくはまだしていた。
「ああ、あのひと。帰ったよ」
「いっしょに行かないんですか?」
「用も済んだし」それ以上、ぼくに報告する必要な情報がないかを試すように彼女は見守る。「あ、ただの知り合いだよ。彼氏とかじゃないよ。残念だけどね。妬いた?」
「さあ。まあ、興味はありますけど」
「仕事でいろいろお世話になっているひと。もともとは弟の同級生。野球の仲間でもあった」
「そうなんですか」
「でも、なんでここにいるの?」
「さっきまで、そこで映画を観ていたんです」
「ああ、あのアート系の。背伸び系の」
「そう言われると身も蓋もないけど」
「ここに、わたしがいると思った?」
「半々ですね。とりあえずは覗いて置こうかなと思ったら、店員さんに声をかけられた」
「うちの店に来るときみたいだね」
いつみさんは通りかかった店員におかわりを告げる。ふたりは共謀する仲間のような関係性を見せた。それが具体的にどこかは分からない。ただ、同じような秘密をもっているふたりのようでもあった。
「いつみさんもたまに?」
「来るよ。アート系は見ないけど。ここの店員さんも可愛いよね。うちで雇ってみたいけど、それほど支払えないからね」
「考えることあるんですか?」
「長期の休暇も取れなくなったから、いつか、海外でもまた行きたくなったら、お手伝いしてくれるひとがいると助かる。誰か、知ってる?」
「まったく。誰かを雇うということも考えたことないから」
「うちは弟がいるからね。10日ぐらいじゃ路頭に迷うこともない。そのときは順平くんが手伝う?」
「ぼくが居たんじゃ、お客さんは喜びませんよ」
「弟の知り合いが来てくれるかも」
「常連さんが離れちゃいますね」ぼくはそう言いながらもベランダで風に吹かれて揺れているであろう洗濯物を想像していた。いつみさんの部屋はどういう構造になっているのだろうか。ぼくは先ほどの男性がそこに立っている姿をなぜだか結び付けていた。それに比べるとぼくはまだ大人になっていないことが確かめられるようだった。仕事のことについて、やり取りがあり、利益や損害の心配もして、その折衷や妥協を考えられてこそ一人前の男のような気がした。だから、何だかいまのぼくは幾分小さくなってしまった印象だった。直ぐに大きく見せる必要もないが、ちっぽけな存在でいることもそこそこに憂鬱だった。
ぼくが住んでいる隣の駅には映画館があった。新しい映画を上映するのが目的ではなく、数年前の、もしくはもっと前の映画を思い出したかのように上映していた。ぼくは駅に設置されている広告を見て、ひとつの映画に興味をもった。その日は休日であり、することもなかった。家でたまった洗濯をして、ベランダに大きなものを干してから、外出した。冬の日中の晴間を有効につかう。
一駅だけ電車に乗り、ぼくは映画を観る。いまいる場所も、置かれた状況もまったく関係ない。ただ、その流れる映像に魅了され没頭する。少しだけ涙ぐみ、少しだけ切なくなる。自分の状況に変化を起こせないひとにやり切れない気持ちをもった。未来を自分で決められない世界があって、そこに甘んじるひとびとも多くいた。ぼくは自由というものが何であるのかを考える。しかし、空腹に支配され、満腹を勝ち取るために映画館を去った。
ぼくは駅前の店を眺めながら歩いた。いつか、いつみさんが連れて来てくれたお店があった。中をのぞくとそのときの店員が会釈をした。それでも物足りないようで店も空いているためか外にでてきた。
「今日は、ひとり?」
「ええ。そこで、映画を観てました」
「そんなところ、あったっけ? ああ、あの古い映画のところだ」
「そうです」
「気に入ったのあった?」
彼女は洋服でも評価するような口調で言った。ぼくは題名を言い、内容をかいつまんで語った。彼女は面白そうとも観たいとも言わなかった。ただ、ぼくが話す言葉を待っていた。それから、「寄っていけば」と付け加えた。
ぼくは座ってビールを頼む。メニューを長々と見て、どんな料理が出るのかを想像した。難しそうなものにも抵抗があり、味が簡単に分かるタコの名前が入った料理を注文した。2、30分そのままそこでくつろいでいると、男女の声が入り口にきこえた。ぼくのところから姿は見えない。だが、聞き覚えのある声だったのは間違いない。
そのふたりがぼくの横を通り過ぎた。顔を見ると、女性の方はいつみさんだった。
「なんだ、びっくりした。ひとりで来てるんだ」
「あ、はい」となりに男性がいる手前、ぼくは親しい感じをだせずにいた。そして、その瞬間、ぼくは男性のことを見つめる。笑顔がさわやかな背が高い男性だった。そのまま奥にふたりが消えると、会話の音ももう聞こえなかった。店内は段々と混んできて、ぼくはひとりぼんやりとしている。ぼんやりとしたが、ぼくのこころはいささか動揺していた。そのそこはかとない動揺がいつみさんへの好意の証だった。
だが、何分かすると男性だけが通り過ぎた。彼はその際にぼくの方を向いて微笑んだ。どこまでも好印象をのこす相手だった。タバコか何かを買って戻ってくると思っていたがいつまでも帰ってこなかった。だが、そのうちにいつみさんだけやって来た。
「そこ、座ってもいい」ぼくの向かいの空の席をいつみさんは指差す。そうするのが決まっているように片手にグラスを持っていた。
「え、いいんですか?」彼が戻ってきたときの心配をぼくはまだしていた。
「ああ、あのひと。帰ったよ」
「いっしょに行かないんですか?」
「用も済んだし」それ以上、ぼくに報告する必要な情報がないかを試すように彼女は見守る。「あ、ただの知り合いだよ。彼氏とかじゃないよ。残念だけどね。妬いた?」
「さあ。まあ、興味はありますけど」
「仕事でいろいろお世話になっているひと。もともとは弟の同級生。野球の仲間でもあった」
「そうなんですか」
「でも、なんでここにいるの?」
「さっきまで、そこで映画を観ていたんです」
「ああ、あのアート系の。背伸び系の」
「そう言われると身も蓋もないけど」
「ここに、わたしがいると思った?」
「半々ですね。とりあえずは覗いて置こうかなと思ったら、店員さんに声をかけられた」
「うちの店に来るときみたいだね」
いつみさんは通りかかった店員におかわりを告げる。ふたりは共謀する仲間のような関係性を見せた。それが具体的にどこかは分からない。ただ、同じような秘密をもっているふたりのようでもあった。
「いつみさんもたまに?」
「来るよ。アート系は見ないけど。ここの店員さんも可愛いよね。うちで雇ってみたいけど、それほど支払えないからね」
「考えることあるんですか?」
「長期の休暇も取れなくなったから、いつか、海外でもまた行きたくなったら、お手伝いしてくれるひとがいると助かる。誰か、知ってる?」
「まったく。誰かを雇うということも考えたことないから」
「うちは弟がいるからね。10日ぐらいじゃ路頭に迷うこともない。そのときは順平くんが手伝う?」
「ぼくが居たんじゃ、お客さんは喜びませんよ」
「弟の知り合いが来てくれるかも」
「常連さんが離れちゃいますね」ぼくはそう言いながらもベランダで風に吹かれて揺れているであろう洗濯物を想像していた。いつみさんの部屋はどういう構造になっているのだろうか。ぼくは先ほどの男性がそこに立っている姿をなぜだか結び付けていた。それに比べるとぼくはまだ大人になっていないことが確かめられるようだった。仕事のことについて、やり取りがあり、利益や損害の心配もして、その折衷や妥協を考えられてこそ一人前の男のような気がした。だから、何だかいまのぼくは幾分小さくなってしまった印象だった。直ぐに大きく見せる必要もないが、ちっぽけな存在でいることもそこそこに憂鬱だった。