Untrue Love(33)
「この前、髪を切りたいって言ってたよね?」ぼくは咲子に電話をしている。ユミとどちらのことをより比重を置いて話しているのだろう。だが、電話の向こうは静寂が覆っているようだ。
「言ったよ」
「うん? それでね、切ってくれそうなひとがいるんだ。まあ、誰でも切ってもらえると思うけど、なかなか腕のあるひとがね。ちなみにぼくの髪も切ってくれた。ベテランという訳にもいかないけど。それにしては器用で上手。どう、試しに?」
「うん、いいよ」
「じゃあ、決まり。日にちはまた後で知らせる」
ぼくは、ふたりを繋ぎ合わせることには興味がなかったが、結果としてはそうなった。これで、自分の髪をタダで切ってもらったお礼ができるという安堵の感情の方が多かった。それで、両者が互いを気にいれば一石二鳥で、縁がなかったとしても、それはもうぼくの問題ではない。簡単だが、そう考えていた。
ユミの店が休みの前日に閉店になってから行くよう約束を取り付けた。それが完成するころにぼくのバイトも終わるので三人でそれからご飯でも食べようとユミが提案した。ぼくは断る理由がない。それで、いくらか疲れた身体でユミの店の前に向かった。彼女たちはビルの一階で親しそうに話していた。ぼくは先ずユミを見て、咲子を見た。そして、彼女の髪型を見た。印象が変わっている。頭のどこかで垢抜けたという陳腐な表現が浮かんだ。そして、ユミの技術にただひたすら感銘を得たのだ。
「ごめん、待たせて」
「大丈夫だよ。顧客がひとり増えたんで」ユミは快活にそう言った。
「満足?」ぼくは咲子に話しかける。質問をしなければいつまでも自分の意見を言いそうになかった。
「うん」と言って軽く頷いただけだった。
「お腹空いたでしょう、順平くんも? わたしもだけど」もう自分の仕事が済んだという安心感がユミの表情にのぼった。彼女は彼女なりに自分の仕事にあらためて情熱を注いでいることが分かった。当然のことかもしれないが。
ぼくらはこじんまりとした店に入る。ぼくとユミはお酒を頼んだ。咲子は、ジュースを注文した。
「まだ、お酒を飲んじゃいけない年齢なんだ?」
「はい、未成年です」
「順平くんはお構いなしだったよね」
「あまり言うと、両親に告げ口されるから・・・」
「恐くもないくせに」ユミがにこやかに笑う。その場を楽しい雰囲気にさせる能力が彼女にはあった。それで、滅多にこころを開かないように感じていた咲子も、それ相応に愉快になっているようだった。
「でも、やっぱり上手いんだね」ぼくは咲子の髪型を見ながら言った。
「信じてなかったの?」
「信じてたよ。でも、半信半疑だったのかも」
「咲子さんの特徴もあったしね。これで、いろいろな男性が振り向くかもしれない。嬉しい?」
「はい。また伸びたら、切ってもらいます」
「そう、ありがとう」満面の笑みを浮かべるユミ。
「毎日、切ってもらうわけにもいかないね、髪って」
「当然じゃない。でも、そうなるとわたしも儲かるかも」だが、彼女が金銭を目的にして生きていることはまったく想像できなかった。もっと世界は、彼女に対して自由を要求しているようだった。それを拒んだときに彼女は幸福でいられなくなるのかもしれない。すると、自分はどうだろう。なにもかもが不明だ。ここにいる咲子という女性はどうだろう。彼女は未来をどのように作ろうとしているのか。そもそも、いったい将来にはどういう人間に成りたがっているのだろう。この四年間をどう過ごすのかも分からない。しかし、これも自分が加わる問題でもないのだろう。ただ、彼女がここを居心地の良い場所だというきっかけを作ることがぼくの望みであるだけだった。少し経てば友人も恋人もできる。そうなると以前の知り合いという役目になり、ぼくの存在も色褪せて、自由な時間が得られる。だが、なぜぼくはそこまで義理立てる必要があったのか。やはり、幼少時に田舎で可愛がってもらったお礼というのをどこかで仕損なっていたという記憶の蓄積のためだろう。
ぼくとユミは軽く酔い、咲子は変わらない様子で駅に向かった。三人ともばらばらの路線だった。だが、明日が休みのユミはうちに来たいと言った。ぼくらは咲子を送り、それから混雑している階段をのぼって、ぼくの家に近付く路線にむかった。ホームは蒸し暑く、空気自体もいつものように澱んでいた。ぼくは幼き日に咲子と会った場所を思い出していた。きれいな小川が流れ、新鮮な、森から放つ匂いが鼻の奥側をくすぐった。咲子はこの空気をどのように感じ、また嫌悪し、馴染もうとしているのかを考えた。その小川に泳いでいた魚。色が鈍く一色だけだった。横のユミを見る。南国の海にでもいそうな魚のような色彩を持っていた。それがぼくの過ぎ去った年代のようでもあった。あの色彩のない川の魚。ぼくは色だけではなく才気あふれる女性が横にもいるのだ。だが、それはどこかで誤りが含まれている行動のようにも思えていた。その誤りを見つけられるように彼女がぼくの部屋に来る。結果として正解を見つけるのかもしれない。間違いが際立つのかもしれない。なにも、ぼくのこころには変化が起こらないのかもしれない。電車が到着する。降りるひとが大勢いて、押されないようにぼくはユミの身体をつかんで守った。彼女はぼくの服にしがみつく。いつみさんの元の交際相手の服かもしれない。
「この前、髪を切りたいって言ってたよね?」ぼくは咲子に電話をしている。ユミとどちらのことをより比重を置いて話しているのだろう。だが、電話の向こうは静寂が覆っているようだ。
「言ったよ」
「うん? それでね、切ってくれそうなひとがいるんだ。まあ、誰でも切ってもらえると思うけど、なかなか腕のあるひとがね。ちなみにぼくの髪も切ってくれた。ベテランという訳にもいかないけど。それにしては器用で上手。どう、試しに?」
「うん、いいよ」
「じゃあ、決まり。日にちはまた後で知らせる」
ぼくは、ふたりを繋ぎ合わせることには興味がなかったが、結果としてはそうなった。これで、自分の髪をタダで切ってもらったお礼ができるという安堵の感情の方が多かった。それで、両者が互いを気にいれば一石二鳥で、縁がなかったとしても、それはもうぼくの問題ではない。簡単だが、そう考えていた。
ユミの店が休みの前日に閉店になってから行くよう約束を取り付けた。それが完成するころにぼくのバイトも終わるので三人でそれからご飯でも食べようとユミが提案した。ぼくは断る理由がない。それで、いくらか疲れた身体でユミの店の前に向かった。彼女たちはビルの一階で親しそうに話していた。ぼくは先ずユミを見て、咲子を見た。そして、彼女の髪型を見た。印象が変わっている。頭のどこかで垢抜けたという陳腐な表現が浮かんだ。そして、ユミの技術にただひたすら感銘を得たのだ。
「ごめん、待たせて」
「大丈夫だよ。顧客がひとり増えたんで」ユミは快活にそう言った。
「満足?」ぼくは咲子に話しかける。質問をしなければいつまでも自分の意見を言いそうになかった。
「うん」と言って軽く頷いただけだった。
「お腹空いたでしょう、順平くんも? わたしもだけど」もう自分の仕事が済んだという安心感がユミの表情にのぼった。彼女は彼女なりに自分の仕事にあらためて情熱を注いでいることが分かった。当然のことかもしれないが。
ぼくらはこじんまりとした店に入る。ぼくとユミはお酒を頼んだ。咲子は、ジュースを注文した。
「まだ、お酒を飲んじゃいけない年齢なんだ?」
「はい、未成年です」
「順平くんはお構いなしだったよね」
「あまり言うと、両親に告げ口されるから・・・」
「恐くもないくせに」ユミがにこやかに笑う。その場を楽しい雰囲気にさせる能力が彼女にはあった。それで、滅多にこころを開かないように感じていた咲子も、それ相応に愉快になっているようだった。
「でも、やっぱり上手いんだね」ぼくは咲子の髪型を見ながら言った。
「信じてなかったの?」
「信じてたよ。でも、半信半疑だったのかも」
「咲子さんの特徴もあったしね。これで、いろいろな男性が振り向くかもしれない。嬉しい?」
「はい。また伸びたら、切ってもらいます」
「そう、ありがとう」満面の笑みを浮かべるユミ。
「毎日、切ってもらうわけにもいかないね、髪って」
「当然じゃない。でも、そうなるとわたしも儲かるかも」だが、彼女が金銭を目的にして生きていることはまったく想像できなかった。もっと世界は、彼女に対して自由を要求しているようだった。それを拒んだときに彼女は幸福でいられなくなるのかもしれない。すると、自分はどうだろう。なにもかもが不明だ。ここにいる咲子という女性はどうだろう。彼女は未来をどのように作ろうとしているのか。そもそも、いったい将来にはどういう人間に成りたがっているのだろう。この四年間をどう過ごすのかも分からない。しかし、これも自分が加わる問題でもないのだろう。ただ、彼女がここを居心地の良い場所だというきっかけを作ることがぼくの望みであるだけだった。少し経てば友人も恋人もできる。そうなると以前の知り合いという役目になり、ぼくの存在も色褪せて、自由な時間が得られる。だが、なぜぼくはそこまで義理立てる必要があったのか。やはり、幼少時に田舎で可愛がってもらったお礼というのをどこかで仕損なっていたという記憶の蓄積のためだろう。
ぼくとユミは軽く酔い、咲子は変わらない様子で駅に向かった。三人ともばらばらの路線だった。だが、明日が休みのユミはうちに来たいと言った。ぼくらは咲子を送り、それから混雑している階段をのぼって、ぼくの家に近付く路線にむかった。ホームは蒸し暑く、空気自体もいつものように澱んでいた。ぼくは幼き日に咲子と会った場所を思い出していた。きれいな小川が流れ、新鮮な、森から放つ匂いが鼻の奥側をくすぐった。咲子はこの空気をどのように感じ、また嫌悪し、馴染もうとしているのかを考えた。その小川に泳いでいた魚。色が鈍く一色だけだった。横のユミを見る。南国の海にでもいそうな魚のような色彩を持っていた。それがぼくの過ぎ去った年代のようでもあった。あの色彩のない川の魚。ぼくは色だけではなく才気あふれる女性が横にもいるのだ。だが、それはどこかで誤りが含まれている行動のようにも思えていた。その誤りを見つけられるように彼女がぼくの部屋に来る。結果として正解を見つけるのかもしれない。間違いが際立つのかもしれない。なにも、ぼくのこころには変化が起こらないのかもしれない。電車が到着する。降りるひとが大勢いて、押されないようにぼくはユミの身体をつかんで守った。彼女はぼくの服にしがみつく。いつみさんの元の交際相手の服かもしれない。