爪の先まで神経細やか

物語の連鎖
日常は「系列作品」から
http://snobsnob.exblog.jp/
へ変更

Untrue Love(22)

2012年10月05日 | Untrue Love
Untrue Love(22)

 翌朝、ユミは帰った。ぼくはまた駅まで送った。いっしょに居る間は、どこかでひとつになっていない感情をもったが、駅で別れて離れてしまうと、逆に密接な気持ちをいだいた。そのことを不思議がりながらぼくはもと来た道を戻ろうとしていた。彼女がぼくのことをどう思っているかは分からない。完全に理解するということなども望んでいなかった。ぼくは喉の渇きを覚えたため店に入り、飲み物を買い、それを飲みながら歩いた。通りの途中に小さな公園があったので、そこのベンチに腰を下ろした。早目に家に戻ってしまえば、ユリの放つ濃度に侵されるような気がした。それを避けたいとも思っていなかったが、なるべくなら先延ばしにしたいとも感じていた。なぜなのだろう。

 足元に餌をもらえるであろうと誤解をしている小鳥たちが近付いてきた。小さな泣き声が耳に届いた。ぼくは気配を消すようにじっとしていたが、その鳥たちはぼくの意志など無視して、去ろうともしなかった。次には孫であろう小さな子がお祖父さんの手を引き公園に入って来た。ぼくはその男性の年齢がいくつであるか考えようとしたが結局は分からなかった。六十は過ぎているのだろうが、七十才や八十才であるのかも判断できなかった。三才ぐらいの男の子の年齢に三十を二回足した。それで勝手にぼくはそのひとを六十三才と決める。当たっていようが外れてしまっていようが、ぼくにはもう関係なかった。ただ、方向転換してユミについてのことを考えようとした。

 だが、その願いも無視され、男の子がぼくに近寄ってきた。それで、膝のあたりに触れられる程度に寄ると、右手からボールを離してぼくに投げた。ぼくは関わらないわけにはいかなかった。それでぼくはそれを拾い、彼の手に握らせた。

「すいませんね。遊んでくれると思ったみたいで・・・」男性は笑顔でそう言う。申し訳ないという印象はあまり受けなかった。それは孫と遊べる自分の立場をただぼくに置き換えているようだった。不快な感じはしなかったけれど、ぼくはどう接してよいかも分からなかった。それで、笑顔で軽く会釈をした。小さな子は歩き、今度はすべり台の上のほうに向かってボールを放った。能力があるのか、それは坂の上空で一瞬止まり、また転がり落ちてきた。その子は両手を差し出し受け止めようとしたが、ボールは彼の両足の間を几帳面に通り過ぎた。その子は振り返りボールの行方を追った。それで、男性は草で前進を遮られたボールを握って、その子にふたたび差し出した。

 男性はもう一度、ぼくのほうを見る。ぼくには彼の立場が分からず、彼にはぼくのこののどかな気分が分からないようであった。ぼくはまた飲み物に口をつけ、考え事に戻った。

 数年前の自分といまの自分は決定的に違う。ぼくのとなりに家族でもない女性が寝ることはなかった。学校で会ったり、通学の電車に乗っていたりするのが、異性であった。そこは一日のスタートから時間が経っており、外向きの顔を身につけている。それに反して、今朝のユミは無防備だった。髪も乱れ、服も最小限しか着ていない。それは魅力を損なうものではなく、増し加えるものだった。丸い果物が、六等分だか八等分に切られ皿に盛り付けられた印象を残した。八百屋やスーパーに並べられたものではなく、口に入るのが前提の状態だった。そして、今後は、ぼくは女性を違った観点で見ることになってしまうのだろうという予感を含んでいた。あの男性も父親からお祖父さんという状態に自分を変化させた。それは望んだことなのだろうか? 少なくとも、ユミをそういう視線で見る自分は確かに望んでいたことなのだろう。

 ぼくはベンチから立ち、昨夜のユミのように伸びをした。ぼく自身がカメラという機械であるならば、ぼくの写真の枚数は一日でたくさん増えた。そのことを示すように、ぼくはただ身体をストレッチさせることでさえユミを引き合いに出した。その枚数はぼくが幸運であれば、フイルムを交換する必要もないのに、一方的に増加していくのだろう。減ることは絶対にない。それが、ひとびとが口にする思い出というものなのだろう。

 ぼくはアパートに戻り、鍵を開けた。彼女の靴がないということが、ぼくを一瞬だけ淋しい思いにさせた。靴という左右対称の物体を思い出すことによって同時にぼくは木下さんの姿を想像した。

 部屋にはユミの匂いがまだ残っていた。いっしょに居るとき以上にぼくはそれに刺激されていた。それを失いたくないと考えながらもぼくは窓を開け放った。冷たい風が部屋に忍び込み、ぼくの机に載せられていた紙は揺れ、それに生じたのか乾いた音を発した。

 ぼくはビニール袋に入れっぱなしにしてあったシャンプーを風呂場に入れた。それから、昨日、ユミがかけた音楽をまた流した。その音楽にも思い出が結びつき、レッテルを貼った。お祖父さんという役目もあるならば、恋をする男性というものもあるようだった。しかし、それが恋という状態にたどり着くには何かが欠けているようにも思えた。だが、真実なこととしてその状態にエントリーできるのはいまのぼくと、あと数年の短い期間のぼくだけのような気もしていた。
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする