Untrue Love(43)
大学の食堂で昼飯を食べていると、紗枝がそばに寄ってきた。
「結局、あいつと別れることになったんだ」と彼女が告げた。舞い込んで来たその新たな状況に順応をしていないようでもあった。「ここで、いっしょに食べてもいい?」
「いいよ」彼女はいつも早間といっしょだった。これからは違う。そう思いながらぼくはテーブルの向かいを指差す。ぼくは、ほとんどひとりで過ごしていたことをあらためて知る。廻りでは、この馴染みがないふたりがいっしょにいることに関心をもっているようだった。だからといって、ぼくはあまり気にもならなかった。ぼくの世界はここではないという不思議な気持ちに貫かれていたからだ。「もう、会っていないんだ?」
「会ってないよ。別れたから」
「納得していないみたいにも聞こえる。新しい相手が、もうあいつにはいるのかな?」そういうことを口にする自分は無神経の塊のようでもあった。
「さあ、知らない。別れたから」
「友人関係をつづけるひとも、世の中にはいるみたいだけど」
「いるんでしょうね、どこかに」それは自分ではないときっぱりと決めている口調だった。ぼくは誰とも約束をしていない。だから、所有ということも拘束されるという事実のどちらもなかった。気楽な反面、それはとてつもなく淋しいことのように思えた。
「いるんだろうね」しかし、ぼくも高校時代の交際相手とそのような中間的な環境に自分を置くことを望んでもいなかった。もう今後、二度と会うこともないと思っていた。どこかでばったりと会ったら、彼女がどういう態度をとるのかも分からない。親しくされたら親しくして、無視されたら自分も気付かないフリをしていようと思った。また、そういう瞬間が訪れないこともおぼろげながら感付いていた。
「紗枝ちゃんには、新しいひとは? 何人かはひとりになることを待っていたかもしれないし・・・」
「そういう情報をもってるの?」彼女は少し嬉しそうだった。
「残念ながら、もっていない」
「そう、残念だね」
「自分から気になるひとがいれば、声をかければいいじゃない」
「いままで、したこともないから。順平くんは、ここに好きな子はできないの? いつも、ご飯もひとりで食べてて」
「気楽だからね。それに、別れてから会ったりするのも嫌かなと思って」
「なんだか、ズシンと来る言葉」
「さっきから無神経すぎるかな?」
「そうかも。でも、好きなひとなんて、意図しなくてもできるものでしょう?」
「それは、たくさん」
「例えば?」
ぼくは空想をしたフリをして、その場を誤魔化す。彼女に伝える必要もない。厄介な問題をわざわざ作る必要もない。だが、ぼくは咲子にはその存在を教えていた。なぜ、どちらかを信頼して、どちらかを疑っているのだろうか。これ以上、関わるなとぼくのこころの奥のシグナルは、なぜ警告を発しているのだろう。
「例えばもないよ。バイトをして、勉強をして、大体が、忙しいからね」
「じゃあ、できたら教えて。あいつが誰かと付き合うようになったら、それも、こっそりと教えて」と、紗枝は最後に言い、口を拭って、そこを去った。紙袋を通路の脇にあるゴミ箱に入れる後ろ姿をぼくは目で追った。彼女は何かを捨てるのだ、とぼくは独り言を言う。それは、誰にも聞かれない。誰かと誰かの関係が終わる。いままでの継続していた何かが潰え、あとの情報を手に入れられなくなる。そもそも、知りたいという願望もなくなるのかもしれない。だが、紗枝はまだ知りたいと思っていた。その思いが彼女の内部にある限り、火種はまだくすぶっているのだろう。ぼくは、またひとりになり文庫を取り出した。また、木下さんの家から読み終わった一冊を借りてきたものだ。どこからか、彼女の匂いがするような感じがしていた。彼女が化粧をとった目の周り。もし、彼女がぼくと同じような年で、いっしょにここに居られるとしたら、いまのようなひとになっていたのだろうか。誰かを愛してそれから失恋して、まだ未練のようなものが断ち切れないとしたら、それをどう拭い去ろうとするのだろう。ぼくは紗枝の残した言葉を頼りに、知っているひとの面影に切り替えていった。だから、紗枝のことも直ぐに忘れてしまった。自分のいくつかの放った無神経な言葉さえも。
昼飯も終え、ぼくもゴミを捨て、教室に戻った。紗枝がはじに座っている様子が、ぼくの場所から斜めに見えた。横には早間がいない。今後、ずっと居なくなるのだろう。そのことがまだ新鮮だった。いつか、その状況が褪せてきて、思い出さなくなる日も来るのだろう。もっと大人になり、彼女たちの両方を忘れてしまう日も来るのかもしれない。ぼくにはいったい何が残り、何を、どのようなものを継続させ、放さないでいるのだろうかと考えていた。答えは出ない。答え自体ないのかもしれない。それは意志でもあり、まったく意志の力も及ばない領域の問題かもしれない。ぼくは眠気が襲ってくる予感にさらされる。失恋も経験できない自分にいちばん密着しているのは、その眠気のようなものだけだったのかもしれなかった。
大学の食堂で昼飯を食べていると、紗枝がそばに寄ってきた。
「結局、あいつと別れることになったんだ」と彼女が告げた。舞い込んで来たその新たな状況に順応をしていないようでもあった。「ここで、いっしょに食べてもいい?」
「いいよ」彼女はいつも早間といっしょだった。これからは違う。そう思いながらぼくはテーブルの向かいを指差す。ぼくは、ほとんどひとりで過ごしていたことをあらためて知る。廻りでは、この馴染みがないふたりがいっしょにいることに関心をもっているようだった。だからといって、ぼくはあまり気にもならなかった。ぼくの世界はここではないという不思議な気持ちに貫かれていたからだ。「もう、会っていないんだ?」
「会ってないよ。別れたから」
「納得していないみたいにも聞こえる。新しい相手が、もうあいつにはいるのかな?」そういうことを口にする自分は無神経の塊のようでもあった。
「さあ、知らない。別れたから」
「友人関係をつづけるひとも、世の中にはいるみたいだけど」
「いるんでしょうね、どこかに」それは自分ではないときっぱりと決めている口調だった。ぼくは誰とも約束をしていない。だから、所有ということも拘束されるという事実のどちらもなかった。気楽な反面、それはとてつもなく淋しいことのように思えた。
「いるんだろうね」しかし、ぼくも高校時代の交際相手とそのような中間的な環境に自分を置くことを望んでもいなかった。もう今後、二度と会うこともないと思っていた。どこかでばったりと会ったら、彼女がどういう態度をとるのかも分からない。親しくされたら親しくして、無視されたら自分も気付かないフリをしていようと思った。また、そういう瞬間が訪れないこともおぼろげながら感付いていた。
「紗枝ちゃんには、新しいひとは? 何人かはひとりになることを待っていたかもしれないし・・・」
「そういう情報をもってるの?」彼女は少し嬉しそうだった。
「残念ながら、もっていない」
「そう、残念だね」
「自分から気になるひとがいれば、声をかければいいじゃない」
「いままで、したこともないから。順平くんは、ここに好きな子はできないの? いつも、ご飯もひとりで食べてて」
「気楽だからね。それに、別れてから会ったりするのも嫌かなと思って」
「なんだか、ズシンと来る言葉」
「さっきから無神経すぎるかな?」
「そうかも。でも、好きなひとなんて、意図しなくてもできるものでしょう?」
「それは、たくさん」
「例えば?」
ぼくは空想をしたフリをして、その場を誤魔化す。彼女に伝える必要もない。厄介な問題をわざわざ作る必要もない。だが、ぼくは咲子にはその存在を教えていた。なぜ、どちらかを信頼して、どちらかを疑っているのだろうか。これ以上、関わるなとぼくのこころの奥のシグナルは、なぜ警告を発しているのだろう。
「例えばもないよ。バイトをして、勉強をして、大体が、忙しいからね」
「じゃあ、できたら教えて。あいつが誰かと付き合うようになったら、それも、こっそりと教えて」と、紗枝は最後に言い、口を拭って、そこを去った。紙袋を通路の脇にあるゴミ箱に入れる後ろ姿をぼくは目で追った。彼女は何かを捨てるのだ、とぼくは独り言を言う。それは、誰にも聞かれない。誰かと誰かの関係が終わる。いままでの継続していた何かが潰え、あとの情報を手に入れられなくなる。そもそも、知りたいという願望もなくなるのかもしれない。だが、紗枝はまだ知りたいと思っていた。その思いが彼女の内部にある限り、火種はまだくすぶっているのだろう。ぼくは、またひとりになり文庫を取り出した。また、木下さんの家から読み終わった一冊を借りてきたものだ。どこからか、彼女の匂いがするような感じがしていた。彼女が化粧をとった目の周り。もし、彼女がぼくと同じような年で、いっしょにここに居られるとしたら、いまのようなひとになっていたのだろうか。誰かを愛してそれから失恋して、まだ未練のようなものが断ち切れないとしたら、それをどう拭い去ろうとするのだろう。ぼくは紗枝の残した言葉を頼りに、知っているひとの面影に切り替えていった。だから、紗枝のことも直ぐに忘れてしまった。自分のいくつかの放った無神経な言葉さえも。
昼飯も終え、ぼくもゴミを捨て、教室に戻った。紗枝がはじに座っている様子が、ぼくの場所から斜めに見えた。横には早間がいない。今後、ずっと居なくなるのだろう。そのことがまだ新鮮だった。いつか、その状況が褪せてきて、思い出さなくなる日も来るのだろう。もっと大人になり、彼女たちの両方を忘れてしまう日も来るのかもしれない。ぼくにはいったい何が残り、何を、どのようなものを継続させ、放さないでいるのだろうかと考えていた。答えは出ない。答え自体ないのかもしれない。それは意志でもあり、まったく意志の力も及ばない領域の問題かもしれない。ぼくは眠気が襲ってくる予感にさらされる。失恋も経験できない自分にいちばん密着しているのは、その眠気のようなものだけだったのかもしれなかった。