映画と渓流釣り

物忘れしないための処方箋

Fukushima 50の賛否

2020-03-15 08:09:00 | 新作映画
 


遠く離れた神戸の震災はどこか他人事で、関東に住むわたくしには報道の中でしか感じることはなかった。
それ故に記憶の風化も早く、最早歴史の中の一コマになってしまった。
引き換え東北三陸沖で起きたあの地震は9年経った今も鮮明な映像として記録されている。

映画作品としての出来は褒められない。
イーストウッドが硫黄島の激戦を両面の視点で描いたように、あの出来事も違う視点で観せてくれたら良いのにと思った。一つの作品に、現場で戦う作業員と東電本店の管理畑その上にある官邸が入り乱れると、どうしたって現場で放射能を浴びながら死を覚悟する男達に心は傾いてしまう。映画だから白黒敵味方の色分けをしないと成り立たないのかもしれないが、あの時誰も最悪の結末を忌避しようと努力していたはずだ。現場だけの英雄譚になっているのが安物のドラマを観ているようで残念だった。

 


一番の恐怖は格納容器が爆発しなかったことの明確な理由がわからないまま収束した事だ。原因がわかれば次に向けた対処もできようが、わからない事はそのまま続いてゆくことでもある。その恐怖をサラリと流してしまってはダメだ。

兎も角、正面から震災と原発事故を取り上げた心意気だけは褒めておこう。