お盆の季節も近づきました。
写真は、以前おばあちゃんの葬儀で
私が持たされた物体です。
箱の上に竹の棒が4本。そこに紙で
飾りがついています。
葬儀(仏式)で使用する
四華花・紙花花(しかばな)と呼ばれるものです。
ここからいきますね。
◆訳のわからないまま持たされた道具
数年前、おばあちゃんの葬儀が田舎で行われたとき
お寺から火葬場まで葬列を作りました。
葬儀業者から、いきなり
この物体(四華花)を渡されて
『ではこれをもって歩いてください』
といわれて持ちました。
位牌や遺影なら故人をしのぶものですから
分かるのですが、コレは何??
しかもちょっと水木しげる的ゲゲゲ道具
※
私はわけがわからないものについて
どーしてもそのままにしておけないのです。
◆夏休みの宿題
葬儀が終わってから、どうにもコレが気になって
いろいろ調べました。
まず名前が分からない
夏休みの宿題のようにさんざん悩んで
図書館で葬儀に関する資料を見つけて
ようやく判明しました。
【四華花・紙花花(しかばな)】
お釈迦様が涅槃の際、周囲に咲いていた沙羅双樹の花が
悲しみで白く変化したという故事から、亡くなられた人を
お釈迦様の涅槃になぞらえて追慕する象徴の葬式具
ということが分かりました。
納得するとともに、すこし残念だったのは
『そんな意味がある物体であることを事前に知っていたら』
『この四華花は沙羅双樹が白くなった象徴なんだよ』
『おばあちゃん、これでお釈迦様に導かれて無事に』
『極楽浄土へ旅立ってね!!』
というように
粛然(しゅくぜん)と葬儀に参列できたのにねぇ。
葬儀というのは、そんなに数多く参列することはないので
四華花(しかばな)を持ったり、その意味を知ったりする
ことも多くないでしょう。
◆知っているということの意味
冠婚葬祭など、長い間に慣習として成立した物事の
意味や背景を知ることで、我々は
『文化の連綿性の延長に自分たちがいる』ということに気がつきます。
お盆にお墓参り、というのも日本の文化を体験するいい機会ですよね。
単純にお墓参りをするというのも良いですが
お墓参りというのは、もともとは何なのか。
それが日本の風習としてずっと続いているのはなぜなのか。
夏休みの宿題として調べてみるのもいいかもしれません。
◆行為の形骸化を無くそう。
儀式・行為・慣習というものの意味が理解できると
たとえば私が おばあちゃんの葬儀で悩んだように
コレ(四華花)はいったい何だろう?
ではなくて
私はこういう由来で、四華花を持っているんだよ
心をこめて・・
という『本当に心のこもった行為』として葬儀に参列できたりします。
葬式の話というよりも、お盆のお墓参りでも同様で
『お盆休みだから帰省して、お盆だからお墓参りする』
という外形的な行為はあまり好きではありません。
お盆にはこんな意味があって
お墓参りにはこんな意味があって
だから私はお墓参りをする。
という理由を自分自身で見つけてみましょう。
それが外形的な行為ではなくて
『内発的(自発的)な意味ある行為』ということです。
受動的に無意味にものごとを過ごすのではなく
能動的に意味のある行為・人生・生き方をしませんか。
そのためには物事の意味を理解し
知的に考える習慣をいつでも持ち続けることではないかと
思っています。
ではまた。
写真は、以前おばあちゃんの葬儀で
私が持たされた物体です。
箱の上に竹の棒が4本。そこに紙で
飾りがついています。
葬儀(仏式)で使用する
四華花・紙花花(しかばな)と呼ばれるものです。
ここからいきますね。
◆訳のわからないまま持たされた道具
数年前、おばあちゃんの葬儀が田舎で行われたとき
お寺から火葬場まで葬列を作りました。
葬儀業者から、いきなり
この物体(四華花)を渡されて
『ではこれをもって歩いてください』
といわれて持ちました。
位牌や遺影なら故人をしのぶものですから
分かるのですが、コレは何??
しかもちょっと水木しげる的ゲゲゲ道具

※
私はわけがわからないものについて
どーしてもそのままにしておけないのです。
◆夏休みの宿題
葬儀が終わってから、どうにもコレが気になって
いろいろ調べました。
まず名前が分からない

夏休みの宿題のようにさんざん悩んで
図書館で葬儀に関する資料を見つけて
ようやく判明しました。
【四華花・紙花花(しかばな)】
お釈迦様が涅槃の際、周囲に咲いていた沙羅双樹の花が
悲しみで白く変化したという故事から、亡くなられた人を
お釈迦様の涅槃になぞらえて追慕する象徴の葬式具
ということが分かりました。
納得するとともに、すこし残念だったのは
『そんな意味がある物体であることを事前に知っていたら』
『この四華花は沙羅双樹が白くなった象徴なんだよ』
『おばあちゃん、これでお釈迦様に導かれて無事に』
『極楽浄土へ旅立ってね!!』
というように
粛然(しゅくぜん)と葬儀に参列できたのにねぇ。
葬儀というのは、そんなに数多く参列することはないので
四華花(しかばな)を持ったり、その意味を知ったりする
ことも多くないでしょう。
◆知っているということの意味
冠婚葬祭など、長い間に慣習として成立した物事の
意味や背景を知ることで、我々は
『文化の連綿性の延長に自分たちがいる』ということに気がつきます。
お盆にお墓参り、というのも日本の文化を体験するいい機会ですよね。
単純にお墓参りをするというのも良いですが
お墓参りというのは、もともとは何なのか。
それが日本の風習としてずっと続いているのはなぜなのか。
夏休みの宿題として調べてみるのもいいかもしれません。
◆行為の形骸化を無くそう。
儀式・行為・慣習というものの意味が理解できると
たとえば私が おばあちゃんの葬儀で悩んだように
コレ(四華花)はいったい何だろう?
ではなくて
私はこういう由来で、四華花を持っているんだよ
心をこめて・・
という『本当に心のこもった行為』として葬儀に参列できたりします。
葬式の話というよりも、お盆のお墓参りでも同様で
『お盆休みだから帰省して、お盆だからお墓参りする』
という外形的な行為はあまり好きではありません。
お盆にはこんな意味があって
お墓参りにはこんな意味があって
だから私はお墓参りをする。
という理由を自分自身で見つけてみましょう。
それが外形的な行為ではなくて
『内発的(自発的)な意味ある行為』ということです。
受動的に無意味にものごとを過ごすのではなく
能動的に意味のある行為・人生・生き方をしませんか。
そのためには物事の意味を理解し
知的に考える習慣をいつでも持ち続けることではないかと
思っています。
ではまた。