夏は終戦記念日が近いことから
どうしても戦争のテーマを意識してしまいます。
私は教育学科の出身ですので
戦争のテーマというと「教育勅語」というのが
ぱっと浮かびます。
キャリアや人生の問題解決に
知的な理解としての「教育勅語」を
生かしてみませんか?
◆教育勅語で一番参考になる部分とは?
戦前の軍国教育と関係づけられてしまうので、
ここでは
「伝統的な日本文化を背景とした生き方の指針」
について書いてみます。
ちょっとその前に個人的な注をつけますね。
注1)
私は、教育勅語の原文を
勅語を学んだ最後の世代(昭和一桁生まれの人たち)
と同様に暗記しております。
実に珍しいでしょ?
注2)
なぜかといえば、小さい時に
おばあちゃんが暗誦しているのを聞いて
自然に身につけたという経緯があります。
注3)
そういう事で、今日のブログは
おばあちゃんからの伝言なのかもしれません。
ではいきます。
◆爾、祖先の遺風を顕彰するにたらん。
原文全体は検索したら、いくらでもコピペできます。
解説や資料もたくさんあります。
その中で、ここだけは押さえておきたいな、と思うのが
「爾、祖先の遺風を顕彰するに足らん」
だと思います。
何のことを言っているのかということで
私の個人的な翻訳プラス解説です。
※※
日本国民の皆さんは、
自分たちの先祖のお墓参りをすることで
「先祖・すなわち過去の日本人」と対話して
そのつながりに感謝し、そこから
単純素朴に自然な信仰心・宗教心を
維持してきたことを誇ろうではないか。
※※
◆失われたFaithを取り戻そう!
宗教教育というのは、以前のブログでも紹介しましたが
※7月23日ブログ参照ください
『マイリー・サイラス自伝◆1992年生まれ◆23番目にしたいこと?』
アメリカの場合では
一時期ガタガタになった教育荒廃を元に戻した
道徳教育の根本にあるFaith(信仰)と言い換えてもいいでしょう。
日本の大学生が「ゆとり教育世代」と呼ばれて
学力低下が懸念されています。
学力は努力すればあとからでも補強できます。
あるいは社会人になってから必要にせまられて
学ぶこともできます。
ところがFaith(信仰)は自力で身につける
ことがなかなか難しいものです。
身につかないと、なにが問題なのか?といえば
例えば
楽天やユニクロなどの企業が英語を社内公用語にして
海外の人たちと職場で一緒に仕事をするような時代が
もうすぐ来るのだとしたら
Faith(信仰)を持った人たちとのコミュニケーションが
大切になると思うのです。
TOEICの点数が高いに越したことはないでしょうけど
相手のFaith(信仰)が分からないままでは
いずれ職場が苦しくなっていくものと思うのです。
◆お墓参りは「祖先の遺風を顕彰」
Faith(信仰)というのは、知識で習得するよりも
感情や慣習が優先するものだろうと思います。
これは日本人であればお盆のお墓参りの慣習で
自然に芽生える「祖先崇拝」をベースにするのが良いようです。
ただし
なんとなく惰性で「お墓参り」というのは
外発的な行為なのであまりお薦めしません。
お墓参りは、教育勅語でいえば
「祖先の遺風を顕彰するに足らん」とする行為そのものですから
内発的に
前向きに、感謝の祈り、心を込めてみましょう。
すなわち教育勅語の現代的な再利用の精神として
あらためて、意識して「お墓参り」をすることから
そこに日本人固有のFaith(信仰)を芽生えさせてみませんか。
先祖との対話、見えないものを畏敬する精神を持つことで
日本人は必要なFaith(信仰)が芽生えるものではないだろうか?
というのが、外資系に所属して仕事をする私の実感でもあります。
追記)
Faith(信仰)というと、キリスト教・仏教・イスラム教
のような特定宗派をイメージしがちですけど、ここでは
「見えないものを信じることができる態度・精神の基盤」
ということでご理解ください。
では。
どうしても戦争のテーマを意識してしまいます。
私は教育学科の出身ですので
戦争のテーマというと「教育勅語」というのが
ぱっと浮かびます。
キャリアや人生の問題解決に
知的な理解としての「教育勅語」を
生かしてみませんか?
◆教育勅語で一番参考になる部分とは?
戦前の軍国教育と関係づけられてしまうので、
ここでは
「伝統的な日本文化を背景とした生き方の指針」
について書いてみます。
ちょっとその前に個人的な注をつけますね。
注1)
私は、教育勅語の原文を
勅語を学んだ最後の世代(昭和一桁生まれの人たち)
と同様に暗記しております。
実に珍しいでしょ?
注2)
なぜかといえば、小さい時に
おばあちゃんが暗誦しているのを聞いて
自然に身につけたという経緯があります。
注3)
そういう事で、今日のブログは
おばあちゃんからの伝言なのかもしれません。
ではいきます。
◆爾、祖先の遺風を顕彰するにたらん。
原文全体は検索したら、いくらでもコピペできます。
解説や資料もたくさんあります。
その中で、ここだけは押さえておきたいな、と思うのが
「爾、祖先の遺風を顕彰するに足らん」
だと思います。
何のことを言っているのかということで
私の個人的な翻訳プラス解説です。
※※
日本国民の皆さんは、
自分たちの先祖のお墓参りをすることで
「先祖・すなわち過去の日本人」と対話して
そのつながりに感謝し、そこから
単純素朴に自然な信仰心・宗教心を
維持してきたことを誇ろうではないか。
※※
◆失われたFaithを取り戻そう!
宗教教育というのは、以前のブログでも紹介しましたが
※7月23日ブログ参照ください
『マイリー・サイラス自伝◆1992年生まれ◆23番目にしたいこと?』
アメリカの場合では
一時期ガタガタになった教育荒廃を元に戻した
道徳教育の根本にあるFaith(信仰)と言い換えてもいいでしょう。
日本の大学生が「ゆとり教育世代」と呼ばれて
学力低下が懸念されています。
学力は努力すればあとからでも補強できます。
あるいは社会人になってから必要にせまられて
学ぶこともできます。
ところがFaith(信仰)は自力で身につける
ことがなかなか難しいものです。
身につかないと、なにが問題なのか?といえば
例えば
楽天やユニクロなどの企業が英語を社内公用語にして
海外の人たちと職場で一緒に仕事をするような時代が
もうすぐ来るのだとしたら
Faith(信仰)を持った人たちとのコミュニケーションが
大切になると思うのです。
TOEICの点数が高いに越したことはないでしょうけど
相手のFaith(信仰)が分からないままでは
いずれ職場が苦しくなっていくものと思うのです。
◆お墓参りは「祖先の遺風を顕彰」
Faith(信仰)というのは、知識で習得するよりも
感情や慣習が優先するものだろうと思います。
これは日本人であればお盆のお墓参りの慣習で
自然に芽生える「祖先崇拝」をベースにするのが良いようです。
ただし
なんとなく惰性で「お墓参り」というのは
外発的な行為なのであまりお薦めしません。
お墓参りは、教育勅語でいえば
「祖先の遺風を顕彰するに足らん」とする行為そのものですから
内発的に
前向きに、感謝の祈り、心を込めてみましょう。
すなわち教育勅語の現代的な再利用の精神として
あらためて、意識して「お墓参り」をすることから
そこに日本人固有のFaith(信仰)を芽生えさせてみませんか。
先祖との対話、見えないものを畏敬する精神を持つことで
日本人は必要なFaith(信仰)が芽生えるものではないだろうか?
というのが、外資系に所属して仕事をする私の実感でもあります。
追記)
Faith(信仰)というと、キリスト教・仏教・イスラム教
のような特定宗派をイメージしがちですけど、ここでは
「見えないものを信じることができる態度・精神の基盤」
ということでご理解ください。
では。