フェンネル氏の奇妙な生活

気付いた世界の中の小さな出来事と水彩画と時たま油絵と思いついたことを爺さんが一人語りいたします。

秋の気配

2006-09-15 09:35:16 | Weblog
好きな詩の一つに「予感」と言うのがあって堀口すみれ子さんが書いた詩なんだけど、“夏のにおいがするね 雨あがりの窓を開けて 少年は いった”と言う一節があります。夏は、嗅覚と言うはっきりとした感覚でとらえられているのに秋は、気配でしかない。この季節の対比が面白くて庭で鳴いているツクツクを聞きながら感心していました。夏は太陽の熱が強くなって草や木の匂いがきつくなり秋にはそれが冷めていくからという人もいますが、それも一理はありますね。でもどこが夏の終わりでどこが秋の始まりかわかりませんね。それも不思議なことですが、秋の心構えをいつのまにかしている自分がいてまだ、半袖のシャツを着ている間に心は、秋色に染まっていくんです。漠然とした感覚しかないのに夜が遅いからもう寝ましょうといった当たり前の感じで変に納得するもんなのですね。“自分の夏に気づかずに 濡れた空気の中にひそむ夏を いちはやく予感するのは なぜだろう”秋には予感がないですね。気がつけばもう秋。海水浴の帰りふと振り返った砂浜に広がる秋の景色があったとように、秋は突然やってくるものなのですねとフェンネル氏は、ツクツクの声がなきやむまでじっと聞いていました。
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おねしょ

2006-09-14 08:34:59 | Weblog
朝起きてみるとパンプの姿が、見当たりません。どこに行ったかは分かってますから、別に慌ててはいません。ゆっくりと夜自分が寝てからのこと、何が起こっていたかを推察していきます。何故か、ご飯を食べた形跡があります。冷蔵庫を開けるとジュースの代わりに中性洗剤のボトルが入っていました。よく冷えた洗剤なんてギョッとしますね。それらを一つ一つかたづけていると水が漏れている音が風呂場のほうから聞こえてきます。あわてて行くと案の定洗面の蛇口をひねりっぱなしで水がでていました。この頃、蛇口を閉めるのをよく忘れるようです。蛇口を閉めて洗濯機を覗くと何やらシーツとか、バスタオルとか、普段あまりないものが入っていました。その上いつもはしないのに洗剤をいれて、風呂の残り湯をいれていました。洗おうとした形跡があります。変だなと思っていると、マーチンが、パンプを連れてきてくれました。「ねぇ、パンプは、おねしょしてなかった?おもらししたって寝言でいってたわよ」とマーチン。どうやらマーチンとこへ逃げ込んで少し寝てたらしいのです。パンプの部屋に行ってみるとやってました。おもらしどころか、布団に大きな地図を書いてました。誰でも失敗したら隠したくなるものですね。
子どもの頃おねしょがばれるのが嫌でなかなか起きてこなっかたことありませんでしたか?体温で乾くかなと思いながらじっと待っているつらさと冷たさ。今でも昨日のことのように思い出します。布団を干されたときのあの照れくささ、近所のちょっと好きだった子に見られたときのあの泣きたい気持、今思い出しても赤面します。こんなこと大人になってもあるんですね。ボケてはいても残っている正常な神経が隠そうとしたり、反省したりするんですね。パンプ、おねしょは、大目に見てあげる。その照れくささ、無くさないでと思うフェンネル氏でした。
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秋霖

2006-09-12 00:22:45 | Weblog
秋の長雨を日本語で秋霖と書いてしゅうりんといいますね。林の上に雨、なんとしとしと降る雨の様子を一つの熟語で表現しているのでしょう。こればっかりは、後からの世代はかないませんね。アーチストと呼ばれる人が、今後このような美しい日本語をつくれるのでしょうか。フェンネル氏には、はなはだ疑問にうつりました。それにしてもしとしとといつ止むことなく降りつづけるのでしょう。雨は嫌いではありません。特に日本のしとしとと柔らかに降る雨は気分を落ち着かせてくれます。最近は、日本の気候も変わってどーっとスコールのように降る雨が多いのですが。白秋が詩った利休鼠の雨が降るなんて情景もう見られないかも知れませんね。でも秋には、まだ、しとしとと雨が降ってくれるのがうれしいですね。梅雨はね、中国にも、韓国にもあるとのことですが、秋の長雨つまり秋霖は、日本だけにしか見られない現象なんですって。ご存知でしたか?僕達は、何と繊細で美しい国に住んでいることでしょう。フェンネル氏は、今一度、四季のある暮らしの有難さをかみしめていました。
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秋刀魚とジョニー

2006-09-10 19:35:32 | Weblog
今日は、新物の秋刀魚を求めてきました。焼きたての秋刀魚に大根おろしを添えて柚子を絞りかけ熱々のご飯といただきます。それになめこ汁、野菜サラダがフェンネル氏の定番なのですが、今回は、サラダをあまり食べないパンプの為に一工夫しました。生野菜にノンオイルのドレッシングをかけその上から、京都ジョニーだったっけ変な名前の豆腐をヨーグルト代わりにのせてみました。ジョニーは、豆腐というより大豆のジュレのようなものですからきっと合うなと前から思っていたのですが、パンプに食べさすのは、初めてです。縄で縛って持って帰ってくるような硬い田舎豆腐が、パンプのお気に入りでしたから、こんな柔らかい豆腐なんか、馬鹿にされて相手にされないと思いこんでいたのです。でも何とか生野菜も食べてもらおうと色々試したんですが、どれもいまいち効果がありませんでした。唯一ヨーグルトドレッシングに少し反応がありましたので、いけるんじゃないかと出してみました。海を見ていたジョニ-の気分です。するとどうでしょう、豆腐を少し食べると野菜に絡めてあっという間に野菜を食べてしまったではないですか。それから、少し残ったジョニーをスプーンですくい食べ、その後、犬のように、猫のように、お皿をきれいになめてしまいました。恐るべしジョに-とフェンネル氏は、思いました。
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開けるkaifuu

2006-09-09 11:10:36 | Weblog
パンプの行動を見ていると、手紙でも、箱でも缶詰でもジュースのビンでも何でもかんでも開けていくのです。閉まっているものを開けるただそれだけのことですけど、意味はあるのでしょうが、こちらには見えません。勿論玄関の戸や窓もその対象ですけど、窓はあけたら閉めるのかな。他は、開けっ放し。困ります。とりわけ缶詰は、少しでもプルトップを引っ張って開けられてしまうと中のものは気づかないうちに腐って大変しますから。
また、缶詰を少しだけ開けるのパンプは、得意なのです。指先に力があるというか、破壊魔というか、この間は、眼鏡のレンズまで、のけてしまい枠だけのをしばらくの間かけていましたから。開けるというのは、切り開くと言う意味もあって、自分に課せられた人生を、命を知らず知らずに切り開く行為のデフォルメなのでしょうか。パンプの背中にこれでもか、これでもかと言う重荷を感じて、開けられた缶詰を見つめるフェンネル氏でした。
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西瓜

2006-09-08 19:50:01 | Weblog
蝉の鳴き声が、合唱から独唱へと変わってしばらくすると西瓜も終わりですね。露地者は、もっと早く姿を消しているのかもしれませんけど、スーパーで売ってる6分の1くらいに切ったヤツも終って、秋の果物に場所を提供するのも近いですね。フェンネル氏の家では、西瓜は、毎日のように食べます。パンプが、西瓜が大好きだからです。赤いところは勿論、白いところまで全部食べてしまうほど好きなのです。昔は、露地ものの大きなものを1玉よくもらったものです。それを井戸の放り込んで冷やして食べたものです。コンコンと表面をたたくとそれだけで甘いとか、熟れてないとか、判断したものですけど、いまや、糖度計だから、あまり、感激は、ありませんね。六感で食べるというのが食の楽しみなんですけど、今は、五感を満足させたらそれでいいみたいなところがあって、それにだまされていませんか?作るほうは、均一のものを作ればいいんだから楽ですけど、そういう風潮なんだか、サプリメントみたいでつまらないね。あまり野菜を食べない老いた肉食獣パンプの為に今日も西瓜を買って来たフェンネル氏でした。
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疲れた

2006-09-07 19:41:59 | Weblog
今日は、雨上がりの曇り。蒸しっとした暑い日です。別にこれといって何にもしないのに
やたら眠くって、仕方がありませんでした。体の中の疲労物質が全部出てきたかのように眠くって眠くって。一体どうなっているんだろう?エアーコンディショナーの中にいればそうでもないのかな?フェンネル氏の家は、パンプに合わせてエアコンをほとんど使いません。自然の風と空気の中で暮らしています。だから、暑さや、寒さを和らげる工夫は出来ても湿気は、どうしようもありません。
扇風機で風を送るくらいがせいぜいです。でも、寝てるときには、扇風機は使いませんから、湿気の多い日には、汗をかいて寝ていることになります。すると、一度起きて、汗を拭いてまた眠ってということの繰り返しとなります。当然睡眠不足となってしまうからでしょうか。こんな日は、暑い時の犬のようにぐったりです。こういう日もあって人生過ぎていくのでしょうか。なんだか少しだけもったいない気もするのですが、人は、なぜ、生きるのでしょうか。苦しくなったら脱皮せよとお釈迦さまの言葉にありますけど、疲れるということは、脱皮している最中なんでしょうか。それなら、このぐったりとした疲れも捨てたものじゃありませんとフェンネル氏は、思いました。そして、額の汗を、冷たい水につけて固く絞ったタオルでゆっくりと拭きました。
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わが闘争

2006-09-06 19:16:27 | Weblog
フェンネル氏が、有名なミュージシャンが作った、「千の風になって」と言う歌をcdで聴いていると、パンプが、庭で暴れていました。手には、短めの物干し竿を持って、まるで時代劇の捕り方のようにあっちへ行ったりこっちへ来たり、それから大声で「泥棒です。泥棒がはいりました。」と叫びながら、我が家を守ろうと必死の形相です。まるで、千の風を子分に引き連れた暴風将軍です。怒りの炎を伴った風がパンプの体から発せられています。人は、どうしてボケると好戦的になるのでしょうか。保身なのでしょうか。それは、動物の本能が、なせる技なのでしょうか。確かにパンプは、何かと戦っています。そして何かを守っています。疲れるまで止めません。といってもあまり長くは続きません。すぐ疲れますから。そして、落ち着いて、また別の妄想を始めるのですけど。この怒りのパターンは、必ず、一日一回は出てくるのです。自分の身を捨てて戦いを挑むのです。何をそんだけ怒っているのだろうと不思議に思うのですが、やはり生きるパワーを自分で知らず知らずのうちに蓄積しているのでしょうか。老年の命の繋ぎ方に変な言い方ですけどある種のノスタルジーを感じてしまいます。この先生まれ変わっても、パンプが、千の風になって、台風の風にならないように願うばかりのフェンネル氏でした。
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冷麺

2006-09-05 18:58:03 | Weblog
9月に入った1週目には、フェンネル氏は必ず冷麺を作ります。夏の間は、簡単なものとか、お店に行って食べたりもしますけど、9月になると、一度だけ冷麺を作るのです。この時期体がバテています。だから、体を癒すためにも胡瓜を沢山食べようと思って作るのです。生の胡瓜が無理なく美味しくいただけるのは、やはり冷麺でしょうと勝手に思っているんですが、ほんとに、驚くほど胡瓜を入れて作ります。まず、細長く切った胡瓜をどんぶりの底に敷いてその上に冷たい麺をそっとのせ、またその上に胡瓜をたっぷりとのせます。それから、好みで、ハムとかトマトとか、ハーブをのせて、長いもの細長く切ったものを少々のせて、洋辛子ではなく、本わさびをのせるのが、フェンネル氏のやり方です。もちろんタレも自家製です。今日は、レモン醤油のタレをつくりました。きれいに盛り付けた器に満遍なくタレをまわして、さぁいただきます。お肉好きのパンプは、ハムと麺とトマトだけを選んで食べようとしますけど、フェンネル氏はやはりこれを食べないと夏の疲れはとれないなと思うのでした。
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海へ

2006-09-04 19:49:02 | Weblog
パンプは、海が見たくなりました。「海が見たい」とこの間から口にしてました。そこでフェンネル氏は、パンプを海に連れて行くことにしました。人は、疲れたとき、海に帰りたいと思うのでしょうか。やはり、海が、人の古里なのでしょうか。海への道すがらフェンネル氏は、そんなことを考えていました。海岸道路を走っていると、パンプの顔が、ほころんでいます。浜辺に着くとパンプは、両手を上に上げて踊りだしました。よっぽどうれしかったのでしょう。波とたわむれ、貝殻を拾って子どものように海を楽しんでました。
パンプは、パンプなりに疲れた心を癒しているのでしょう。それを見ていて、フェンネル氏も心癒される思いがしました。
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