色々ありで1か月遅れの報告です(当然絵も4月です)ごめんなさい。
坐中老師のお話しは、
6時の梵鐘を聞く時には、全員座に着いています。
小鐘3つは座禅のスタート。
「毎度申し上げることですが」から始まった老師のお話。
こうして座して、静かに呼吸を整え「じっとしている坐禅」、
3つの要素から成り立っています。
一つ目は、身を整える、足を作法通りに組み背筋を真直ぐ伸ばし
顎を引く、頭のてっぺんを上から釣りあげるようにして身を構える。
「口、舌上の腭(あざと)にかけ、唇歯相著け、目はすべからく常に開くべし」
目を開けていると、なにがしかの景色が見えます、その見える目で、
姿勢が崩れていないか、意識して点検する。
10年間坐っても20年間坐っても、身の整えが崩れないことなどない、
30年位の坐禅で、ようやく身が整うのかもしれません。
皆様は、生まれて今日までの身体はなにがしかの「くせ」を持っています、
その長い生活の「くせを治すのは容易では有りません」。
そのくせを直し、身を整える意識を持つのです。
「何々をするため」と言う前提をもって意識しないと、
時間さえ重ねればよいのとは違う、出来ない事を悩む生活でなく、
出来ないことをやる努力、こうした生活が大切です。
そうした前提を持つ意識ある生活が、身に付くのです。
繰り返すと、身の整ができたら、次は呼吸です。
「息は鼻から通ずべし、口からしない」、
意識とは、かけ離れたこの命を活かすのは、無意識に呼吸しているのです。
「息しているとは生きている、生きから息を止めると死になるのです」。
「鼻息かすかに通じ身相すでに整え欠気一息、兀兀として坐定して」とある、
急ぎでなくゆっくりと、一つ一つ点検しながら座る。
見えない目で点検するのが「半眼の目の意味」です。
静かに呼吸の世界に入る、
座るだけが禅ではない
何をなすのも一つ一つが禅である。
永平寺に初めて入る雲水さんたちに、
毎月1日と15日の2回、問答の時間が有る。
「坐禅が終わり、立ちあがるとすぐ静かな世界が無くなる、
こんな事やっていて何の役に立つのか」と聞く人もある。
これが普通の人間なのです。
4月はお釈迦様の誕生月、禅堂の設え。
雪が融けると木々の新芽が育ち始める。
生まれ出る喜びの中で、死ぬまでの長い時間
出くわすすべてに、「坐禅の心で務めようではありませんか」。
それぞれの家庭・職場において、道を間違えないよう励みたいものです。
と結ばれた。
鐘一つで終了。
この間35分、いつもより短い坐禅会でした。
紅モクレン。
禅堂への道