tarpin翁のスローライフ

福井県奥越地方、季節のたより、ガーディニングなど、
写真日記・・・そして・・・。

五月定例「座禅会に参加」。

2018年05月21日 | 坐禅会

この時期の早朝6時は、早起きの負担にはならない。

6時の梵鐘を撞かれる老師の日課、心だけでなくおなかに響く、

参加者はすでに座についている。

 

 

今日の老師の坐中のお話し要旨は、

「仏道をならうというは、自己を習うなり、自己を習うと言うは、自己を忘るるなり、

自己をわするると言うは、自己の身心、および侘己(たこ)の身心をして、

脱落せしむるなり」。

すなわち既存の仏様や聖人に祈りをささげるだけでなく、

自己を法の中におとして、

すべての人々のために祈る姿「それが坐禅」だとも。

 

禅堂へ戻られた老師の「検単(けんたん)」、

毎回この瞬間は緊張が走る。

今日は肩と腰骨の手直しを受ける。

小鐘3つはスタートの合図。

いま皆が座っている身のかまえ、静かに呼吸していますが、

今一度、姿勢を崩しなさい、

そして膝の坐蒲への接触、腰の位置を見直し、おへそのあたりに空気を留め、

ゆっくり静かに吐き出す、ゆっくりゆっくりマイペース。

数回の繰り返しの後再び身のかまえ。

 

顎、口閉じ、舌は上あごに付けているか、頭の頂点を引き上げるがごとき

気持ち。息を静かに口からのみ出し入れする。

 

世界は今、悲喜こもごも、予想の付かない痛ましい事故等次々と・・・。

また経済・政治は、世界制覇への動きけたたましい、これが人間の為す業、

食べるため古代からの繰り返しでもある。

この行為の繰り返しは

それぞれがバランスを取り、現在あるのが人間世界。

 

そんな中、私自身は何をなすべきかは、

大きなテーマであります。

人間はそれだけでなく、「人間らしさ」を持っているもの、

各自が至るべき頂上に登る方法はいろいろある。

仏教と言わず、すべての宗教の行き着く世界は

「いのりの世界」、

祈りを業する世界、「いのり」は無力で有るが

人々に支持され続いている。

私たちはどんな祈りが必要か、一宗一派にこだわることではない。

モット大きな世界、人間を活かし続けている命の世界、

世界の平安と幸せを祈る、

これは宇宙規模での課題だと思っています。

 

そんな祈りに行く一つとして今業している「坐禅」、

すわっての呼吸、すなわち「息すること止めると死になる」こと、

この両方を同時に実施している世界、

自己を高める行為としての自覚、坐禅。

 

道元禅師様は」、仏道をならうというは、自己を習うなり、自己を習うと言うは、

自己を忘るるなり、自己を忘るるし言うは、自己の身心、および侘己(たこ)

の身心をして、脱落せしむるなり。

すなわち既存の仏様や聖人に祈りをささげるのでなく、自己を法の中にして、

すべての人々のために祈る姿「それが坐禅の姿」だとも。

 

「この命尊し」、それぞれの生活の中に溶け込ませている力が集約されると、

地球規模の幸せになる。このための業が坐禅。

坐禅の世界にどっぷりつかってください。

男女老若かかわらず、有るのは命の塊のみです。

 

しばらく座り、小鐘2つ、ここまで45分

「経行(きんひん)」である

立ちあがり一列に並び右回りで歩く「一息半歩が基本」、足を挙げずすり足、

手は又手(しゃしゅ)呼吸は坐禅と同じく注力して歩く。

立禅とも言われ、この時間20分、

また小鐘2つ、「経行(きんひん)」の終わりである。

 

元の坐蒲の位置に戻り、隣位問訊、対坐問訊、

先の坐蒲(サブ)を整えて終了でした。

 

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白色「花しょうぶ」でしょう。

2018年05月21日 | がーディニング・園芸

何れが「あやめかかきつばた」と・・・、見分けのつかない私ですが、

野しょうぶ・花ショウブ・いちはつなど類似の花は多い

 

庭にも幾種類がありますが、

白いしょうぶは終り、

 

紫色の野しょうぶはいまだ盛ん。

遅れて報告の白色?「花ショウブ」です。

 

部屋の1輪ざしに入れた花を見て、

白色かと思いきや、よく見ると薄い紫色が掛り、

はっきりと「葉脈」が見られます、「花しょうぶ」です。

改めて写真を撮りに逝きました。

 

この花、今盛ん、野の風情、風に揺られると一段と、「スイバ」も・・・。

 

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